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第439話 『ホワイトスープ』の謎。集中できない人々。人心をかき乱すクマちゃんの猫手。

 尋問官クマちゃんは一生懸命お話を聞きながら、芸術的にお絵描きをした。

「クマちゃ……」と。



 地味な商人が可愛いクマちゃんにもらった可愛いが怪しいアメを口に入れた瞬間、会議室がぼぉ……と地味に光り、クマちゃんの湿ったお鼻もぼぉ……と光った。

 どこかの光が水滴に反射したようだ。


「なに? いま微妙に明るくならなかった?」


 可愛いクマちゃんの湿ったお鼻をひたすら見つめていたリオが、顔を上げ、問題の場所に視線を向ける。


「…………」


 が、すぐに目を逸らし見なかったことにした。


「クマちゃん可愛いねー」


「クマちゃ」


 室内で静かに話を聞いていた精鋭達も、目を閉じて考え込んでいた商隊長も、王都の冒険者も、同じようにチラリと光った方向を見た。


「いやぁ、アメを食べるのは子供の頃以来ですが、王都の菓子よりも味がいいですね。まさかこれは、本物の果汁を使っているんでしょうか? それに、口に入れただけで体が軽くなったというか、まるで二十代の頃に戻ったみたいに力が漲ってきますよ。きっと可愛い子猫が直接、手渡しで、くれたからでしょうなぁ。以前知り合いの商人が『可愛い孫の顔を見るのが何よりの薬だ』と言っておりましたが、今ならその気持ちが分かりますよ」


「まぁ自分には孫どころか妻も子もおりませんが。はっはっは」


 と、冗談のように自虐的な話をしている男は、『まるで二十代の頃に戻ったみたいに――』という言葉の通り、どう見ても二十代にしか見えなかった。

 なんと、地味だが顔が整っていたおっさんは、顔が整った青年へと姿を変えたのだ。


「お前、その顔はどうした」


 もしかすると王都一の色男になってしまったのではないか、というほど『とにかく女にモテそう』な顔立ちの商隊長が、地味なおっさん、おさげのおっさん、地味なおっさん、若者へと蝶のように変身した商人をジロジロとみつめる。

『まさか変装が趣味なのか……? どの姿が本当なんだ』


「『その顔はどうした』と言われても、もともとこういう顔ですが。自分の顔が良いからってひとの顔にケチをつけんでくださいよ。世の中の全員が美形じゃないと気に入らないとでもおっしゃるつもりですか? ええ?」


 焦げ茶色の髪に薄茶色の瞳。地味な色合いの青年が、そう言って商隊長を睨みつける。


 王都の商人達は驚愕の表情で口を開け、すぐに小声でぶつぶつと話し出した。


『アメでぇ……?』

『あの子猫の力か……? まさか、本当にエルフなんじゃ……』


『色味が地味なだけでお前も十分美形だろうが! ……はぁ、あの二人を連れて王都に帰るなんてどんな事件に巻き込まれるか……想像もしたくないな……それより、あれほど強力な魔法を宿すには純度の高い巨大な魔石でも使わないと無理なはずだ。いや、たとえ魔石が用意できたとしても、若返りなど神の領域。そもそも普通の子猫なら会話などできんしな……』


『はぁーやだやだ。俺なんてどれだけ若返ってもこの顔ですよ。母親が『アンタ、子供の頃からまったく変わらないわね』って言ってましたしねぇ……。つまり、子猫じゃなくて天使とかそういう話ですか? たしかに天使の百倍くらい可愛いと思いますが』


『あの二人』のうちの一人、元は地味なおっさんだった青年はやさぐれたように腕組みをして、フン! と商隊長から顔を逸らしている。


 クマちゃんの素晴らしいアメにより若返った男は、商人達のいうように『美形』といって差し支えない容姿だった。


 奥二重の目。平行で自然な眉。

 すっと通った鼻筋。左右対称で精悍な顔立ち。


 しかし地味な色合いと、この部屋にいるクマちゃんの守護者達のせいで、『わぁー、あなたは凄く美しい顔立ちをしていますね』というには、やはり地味な印象だった。

 彼らの突き抜けた美貌のせいで、大体の人間はかすんでしまうのだ。


 一番の原因はやはり人間の限界を超えた美を持つルーク様であるが、何事も気にしない魔王様は可愛いクマちゃんの可愛らしさにしか興味がなく、自身の美貌が周囲に与える影響など微塵も気にしていなかった。


 そして彼は、愛しのもこもこの素晴らしい肉球で可愛らしいアメがただ事ではない輝きを放ち、その結果王都の人間のこつこつと重ねてきた何かがごっそり失われ外見年齢的なものがどうにかなってしまっても、永久に無罪なクマちゃんを叱ったりは絶対にしないのである。



 商隊の護衛は冷静な表情を保ったまま、すっと目を閉じた。

 そうしてからもう一度、おっさんだったはずの商人を見る。


「……おいおい、ほんとにどうなってんだよ……。こんなの冒険者じゃ対処しきれねぇぜ」


 男はそう呟くと、自身の前髪をくしゃりと握った。

 魔王と同じ部屋にいるというだけでも神経がすりきれそうだというのに、誰よりも無害な子猫が持っていたアメで護衛対象が若返るとは。


 ――もう何から護ればいいのか分からない。

 Sランク冒険者という肩書など、この街では何の役にも立たないのだ。


 元気そうではある。本人も体の調子がいいと言っている。

 だがこのまま王都に帰って本人だと認識されるのか。そもそも街に入れるのか。

 迂闊に事情を話してここであったことが知られ、この街を調査しようなどと言い出す馬鹿な人間が現れれば、たとえその馬鹿共が街に入れなかったとしても、魔王の怒りにふれるだろう。


 短い人生だったが、冒険者らしく最後まであがいてやる。

 

 は、と護衛の男は苦く笑い、気持ちを切り替えた。

 どうせやることはひとつだ。


『とにかく全員を生きて帰す』


 あと何人若返ろうが、いっそ帰る時には全員乳飲み子になっていようが、命が無事であればそれで構わない。


 彼は王都住まいの洗練された容姿を持つ有名な冒険者であったが、中身はやはり冒険者らしく、少々大雑把であった。



 王都からの客人達が動揺しているあいだも、天使の百倍可愛いクマちゃんはクレヨンでお絵描きをしていた。


 キュ、と力の入った猫手は丸い。

 紙の下半分にウニ。その上に、三頭身の金髪が描かれている。輝く金色のクレヨンで、何故か、逆さまに。

 墜落中の金髪、真下にはウニ、あわや大惨事、という非常に刺激的な絵だ。


 真面目なリオは可愛いクマちゃんに「クマちゃんウニの上のヤツってまさか俺じゃないよね」と気になったことを尋ねつつ、『リーダー、あれやばくね』と此度の事件について話し合うべきか考えていた。

 ――ちなみに、この『やばい』というのは、王都から来た人間の外見が次々に変わってゆく、連続若返り事件とその犯人である可愛いクマちゃんのことだ。


 しかしその場合『ああ』という明らかにひとの話を聞いていない魔王様的な答えが返ってくるだけだろう。


 だがリオは理解していた。

 無口で無表情で大雑把なルーク様の『ああ』は、話を聞いていないがゆえの『ああ』ではなく、誰がどれだけ若返ろうが『別に変わってねぇだろ』と心から思っており、わざわざそう答えるのが面倒だから『ああ』と言っているのだ。


 クマちゃんの被毛が少しでも乱れればすぐに気付く癖に。

 リボンが少しでも曲がっていたら丁寧に直してやる癖に。


 何でも疑うリオは自身のリーダーに疑いの眼差しを向けた。


『まさか……人間を毛の色で見分けているのでは』



 輝く金髪を持つ男リオがルークへ人ならざる魔王、あるいは人でなしを見るような目を向けていたころ。

 お菓子の国で待機中の精鋭達は、引き続き掲示板で映像を観ていた。

 

 現在中央に映っているのは可愛いクマちゃんではなく、若返った地味な商人だった。

 女性冒険者達は可愛らしいクマちゃんと芸術的な絵が見えなくなってしまったことを嘆きつつ、とりあえず地味な商人を観察することにした。

 それは冒険者の癖のようなものだった。

 見知らぬ人間の容姿を骨格まで記憶するのだ。


 彼女達は男をじっと見ながら、彼の地味だが魅力的な部分について静かに語り合った。

 

「地味ですね……ん? よく見ると格好いい……? 何故でしょう……見ればみるほど……じわじわと魅力が増しますね」

「荷物を運ぶからか、結構肩幅が広いな。良い骨だ」

「整ってるけど地味……いいえ、よく見るとあの奥二重に色気を感じる……」


「手がかっこいい……ような気が……あの指先で前髪をどけるさりげない仕草は中々……あ、まつ毛が長い」

「毎日とんでもない美形を見てるからなんか落ち着く……」

「あの人達と比べるのはちょっと……」


「もともとすごい美形だったけどさ、クマちゃんが来てからさらに神々しくなったよね。恐れ多くて近付けない感じ」


 そう言った彼女と、「わかる……」と同意した女性冒険者達にとって、格が違いすぎるルーク達は『先輩冒険者』というより、『とにかくなんか凄い集団』といった存在だった。

 彼らに話しかけるには、本物の魔王と謁見するような覚悟が必要となる。

 相手の戦闘力が高すぎるせいか、そばに寄ると背筋がざわざわして武器を構えたくなるのだ。


 クマちゃんの癒しの力が溢れる空間でなければ本能的に遠くへ逃げてしまうかもしれない。


「クマちゃんも神々しいくらいに光ってるし……なんていうか、すっごく抱っこしたいけど毛並みが乱れちゃったらどうしよう……! そんな罪深いことできない……! って葛藤しちゃう」


 彼女達の話が地味だが魅力的な商人、次にとにかくすごい魔王と側近(あるいは大悪魔)、そこからさらに純白の被毛が神々しく美しいクマちゃんへ移行すると、掲示板の映像もクマちゃんに切り替わった。


「あ、クマちゃんに戻った。……ねぇ見て、あのお手々とお耳……はぁ……丸い……もう可愛すぎるよぉ……なんであんなに可愛いんだろ。ぷるぷるしながらお絵描きしてるぅぅ!」


 

「『ホワイトスープ』は、ある日突然倉庫に現れたのです」


 若返った地味な商人は、クマちゃんからもらったアメの味、栄養、その他についての自慢を終えると、マスターからの質問に答え始めた。


「……ん? それは知らん間に誰かが勝手に仕入れたってことか?」


「ええと、何と言いますか、他の誰かが、という意味ではなくてですね……こう、シュッ……というか、パッ……というか」


 地味な商人が説明に悩むように眉根を寄せ、机の上の何もない場所で右手を動かす。


 ヨチヨチ……ヨチヨチ……。

 ふんふん……ふんふんふんふんふん。


 地味な商人の怪しい動きを警戒し、尋問官が匂いを嗅ぎに来る。


「…………」


 もう一度拳を開いて説明をしようとしていた青年は無意識のうちに息をひそめ、子猫が寄ってくるのを待った。

 机に置かれた拳に、真っ白な猫手がそっと置かれる。


 地味な商人は『俺の手に子猫の手が……!!!』と大騒ぎしたいところをグッと我慢した。

 少しでも声を出せば、驚いて逃げ出してしまうかもしれない。


 会議室にいる人間は、誰一人として『いいから早く続きを』とは言わなかった。


 ふんふん……「クマちゃ」……ふんふんふん……。

 テチ……テテテテテチ……。


 クマちゃんはまるで、後ろ足で立ち上がり獲物を威嚇する子猫のような格好で、男の拳をテテテテテチ、と叩いている。

 男の拳に温かでしっとりとした肉球がぶつかる。ふわふわの被毛のくすぐったさとクマちゃんの可愛らしさに胸が締め付けられ、彼の目に涙が滲む。

 

 しかし地味で真面目な美形好青年は、魔王の怒りを恐れ、クマちゃんの肉球に永遠に叩かれていたいという欲求を無理やりねじ伏せた。


「……ええとそれで、掃除をしたばかりなのに何故かほこりっぽい倉庫の中に、突然荷物が、こう、パッ……」と――。


 男はさきほどとほぼ同じ説明を繰り返しながら、子猫に叩かれていないほうの手をパッと開いた。


 その瞬間、小さき獣が「クマちゃ……!」と飛び掛かる。

 そしてなんと、一生懸命両手を広げ、男の大きな拳を抱え込もうとした。


 地味な好青年の拳に戦いを挑み、真っ白な子猫が覆いかぶさっているのだ。


 狩りである――。


 短いあんよで背伸びをして、よじ登りたいのか、時々タシ、タシ、と足踏みらしきものをしている。

 

 会議室がシン――と静まり返り、次の瞬間王都の人間達は己の口を強く押さえ、悶えるように感情を吐き出した。


『かわいー!!!』

『もうダメだ!! 可愛すぎる! 静かに出来ない!』

『なんなんだこの生き物は……! これが、これが尋問の苦しみか……!!』


『話がまったく頭に入ってこない……!』

『あんよかわいいでちゅねー!!!』

『くそかわいすぎるんだが……!!』


 真面目に護衛任務をこなしていた冒険者がギリ……、と奥歯を噛みしめる。

『クソ……!』

 彼はいまだかつてない苦しみに襲われていた。

 視線が勝手に護衛対象から白きもこもこに移ってしまうのだ。

 これでは誰に襲われても一太刀も防げずやられるに違いない。

 自身の弱点がまさかこんなところにあったとは――。

 


 阿鼻叫喚ではないが少々騒がしい室内。

 顎ひげに手を当てたマスターは眉間に深い皺を寄せると、頭に浮かんだ言葉をぽつりと漏らした。


「可愛いな……」


「いやマスターそんなこと言ってる場合じゃないでしょ」

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