第386話 海底のキッチン。想い合う一人と一匹。お菓子が美味しい理由。
現在クマちゃんは、リオちゃんがパペちゃんを食べたくなるよう説得している。
◇
特別な『グラチュ』に盛られた『パペちゃん』は、リオが吞気に「クマちゃん〝パペちゃん〟きらきらしてるねー」とパティシエをもこもこもこもこ撫でまわしていても、とけず崩れず『完璧』を保ったままだった。
「クマちゃ……」決意したもこもこがキッチンカウンターにもふ……と降り立つ。
そうして心なしかいつもより素早く、ヨチヨチ! と短いあんよで駆け出した。
「めっちゃヨチヨチしてる……」
悩まし気な顔をしたリオの視線の先で、もこもこと幻影妖精ちゃん達がもこもこ頭を寄せ合い、なにやら話し合っている――ような気がする。
はっきりそうだと分かるわけではないが、時々お鼻をふんふん、ふんふん、と鳴らしたり、如何にも重要な会議を開いているかのように重々しく頷いたりしているのだ。
その様子は、二足歩行でヨチヨチする子猫ちゃん達が胸元で前脚を揃えてふむふむしているようにしか見えなかった。
リオはくっ! と何かをこらえ、限界まで目を細めた。
「くっそ可愛い……!」と。心底悔しそうに。
――海底風ラウンジでは。『水あめちゃんモニター』越しにクマちゃん会議を目撃してしまった者達が苦しんでいた。
『ぐっ……! お、おれはもうダメだ……』
『はっ……胸が……むねが、くるしい……!』
『もこもこしてるぅぅ……!』
『おい、クライヴ。大丈夫か……』
『――――』
『うーん。クマちゃんは頷き方もとてもゆ……おっとりしているね。お上品な子猫というか、気品が漂っている気がするよ』
『ああ』
◇
そうして大人達の力を借りことなく、もこもこ達は作業を終えた。
うるうるお目目で困り顔のパティシエが肉球で何かを『クマちゃ……!』したり、妖精ちゃん達がヨチヨチと何かを運んだり、パティシエがきゅお……、きゅお……と悩みながら一生懸命メモを取ったりするさまを人間達が眺め、溢れる想いで大変なことになっているあいだに、いつのまにか、すべての準備は終わっていたらしい。
彼らは驚くよりも納得していた。
『実に不思議なことだが、〝子猫のようなもこもこを見る〟という行為は何故か、気付かぬうちにものすごく時間が経過するものなのだ』
まるで花束のように色鮮やかに、リオの前にずらりと並べられた様々な『パペちゃん』たち。
それは〝圧巻〟としかいいようのない出来であった。
そのうえその後ろでは、愛らしいクマちゃん達が横一列に並び、ふわふわのお手々できゅ……とスプーンを抱きしめ、一心に彼を見上げている。
『クマちゃ……』と。
「ヤバい……。むちゃくちゃ可愛いんだけどなんだろ。このめっちゃ期待されてんのに応えらんないから俺をそんな目で見ないでくれ……! って感じ」
リオは色々な意味でドキドキしていた。
「クマちゃ……」
おっとりしたパティシエが、ヨチヨチ……と進み出る。
スプーンをリオに渡すため、ちょっとだけ背伸びをしてお手々にもっていたそれを掲げようとしている。
ぷるぷるしながら『クマちゃ……!』と。
リオはぶるぶるしているスプーンをさっと受け取ると、すぐにもこもこを抱き上げ頬擦りをした。
「ありがとクマちゃん……! スプーン持ってきてくれてすげぇ嬉しい……!」
我が子の健気さに感激し、やや震えている新米ママに、つられて震えているクマちゃんが湿ったお鼻をピチョ……とくっつける。
『リオちゃ……』と。仲良しのリオちゃんが喜んでくれて、クマちゃんも嬉しいと言っているようだ。
「……クマちゃん、お鼻濡れててかわいい……」
危うくうるっときたが、なんとか堪える。
泣いている場合ではない。この誘惑に負けてしまえば、我が子が作った超美麗な菓子を自分の手で壊さねばならなくなる。『これなら大丈夫かな……』という作品などひとつもないのだ。もこもこが作った『パペちゃん』は、誰がどう見ても、すべてが最高傑作であった。
クマちゃんは湿ったお鼻をリオの頬にくっつけたまま「クマちゃ、クマちゃ」と言った。
『リオちゃ、パペちゃ』と。リオちゃんはパペちゃんを食べないのですか? と聞いているらしい。
「ううーん。めっちゃぐさっと真っ直ぐな質問するよね。さすが赤……さすがクマちゃん」
もこもこの願いを叶えたい。しかしクマちゃんの作った芸術作品を壊すのは……困ったリオはもこもこを抱えたまま並べられた作品を見ていくことにした。
作品の下にはなんと、拙い文字の説明が置かれている。
『ちょこ バナナちゃ みるクマちゃん』
『もか みるくクマちゃん びたー ちょこ』
『きゃらめる ちょこ みるクマちゃん』
『てぃらみちゅ みるクマちゃん』
『イチゴちゃ ちょこ まちゅかる みるクマちゃん』
『さっぱり イチゴちゃ と しぜんな みるクマちゃん』
『おまっちゃ みるクマちゃん とくのう』
『なまクリームちゃ もんぶらん みるクマちゃん』
『ももちゃ ももちゃんぜりー さっぱり みるクマちゃん』
『ぱんぷきん クリームちゃ ラムちゅ いり おとなちゃん みるクマちゃん』
幼い子供が丁寧に書いた文字を見ているだけでも目が熱くなる。
『おまっちゃってなんだろ……』なんていつもなら気になるところも、まるで気にならない。
三層、または四層に色が分かれた『パペちゃん』たちの上には、最高に愛らしいクマちゃん『アイチュ』
ポコッと丸いアイスにホワイトチョコで作られた丸い耳。茶色のチョコレートで作られたお目目、お鼻。
その周りに、その『パペちゃん』を象徴する食材が、それぞれ飾られている。
『ももちゃ』の『パペちゃん』は全体的に薄いピンク色と白で構成されているためか、お顔はピンク色のチョコレートで描かれていた。お顔の横にはホワイトチョコで作られた猫ちゃんのお手々。ピンクチョコの肉球つき。森の街の人間なら絶対にしないであろう繊細な手仕事だ。
リオは天才な我が子を心から尊敬した。
ほんとうに、なんという才能であろうか。
技術がどうという話だけではない。すべての作品から、彼に喜んで欲しいという優しい思いが伝わってくるのだ。
「なんだろ、『パペちゃん』っていうか、〝愛〟って感じ……」
もこもこの想いに感動している男は、自身を狙う魔道具のランプが点灯していることに気付かない。
――海底風ラウンジでは、彼の迷言のような名言を聞いてしまった冒険者達が立ち上がり、盛大な拍手を贈っていた。
『パペちゃんは愛だ!!』と。
マスターはブランデーの入ったグラスを見つめ、渋い声で言った。
『ずっとクソガキだと思っていたが、子育てを通じて成長したのかもしれんな……』と。
クマの赤子のおかげで成長してしまった男は、やや離れた場所にぽつんと置かれたそれに気が付いた。
説明用の紙がとても大きいのは何故か。
もこもこを抱えたまま、気になる『パペちゃん』へ近付く。
そのパペちゃんは、他のパペちゃんとは違い、中身が少しだけ斜めになっていた。
小さなお手々では傾けて作るのが難しかったのだろう。
他の物とくらべると、ちょっとだけ、層が歪んで見える。
果物は、とても見覚えのあるイチゴ。色合いも、非常に見覚えがある。
大きな紙へ視線を移す。他のものより拙い文字。紙もぐちゃっとしている。
『リオちや クマちや なかよち ぱぺちや』
――リオちゃんとクマちゃんの、仲良しパペちゃん――。
察してしまったリオは急いで夜空を確認をした。
なんということだ。水の中から見上げているかのように、星がにじんでいるではないか。
どうやら、ここは本当に海底だったらしい。
「もーマジで、クマちゃん可愛すぎる……」
ちょっとだけ鼻声になってしまった。
ここまでされてしまったら、もう食べるしかない。
本当は永遠に〝仲良ちパペちゃん〟を取っておきたいが、もこもこを悲しませてしまっては本末転倒だ。
しかし、リオの心の内を知らないもこもこが、キッチンカウンターに下りたがっている。
食べることを告げる前にもふ……と降ろしてやると、ヨチヨチ……グラスの後ろに周り込み、横からそっと可愛い顔を見せてくれた。
「クマちゃ、クマちゃ……」
『リオちゃ、おいち……』
リオちゃ、おいちいですか……? と。
リオは普段は絶対に人に見せないような優しい笑顔で、最愛の我が子に答えを返した。
「やっぱ味見は大事だよね。絶対美味しいって分かってるけど」
クマちゃんが彼を想って作ってくれたものが美味しくないわけがないのだ。
◇
もこもこを抱いたリオがスプーンを近付けようとすると、突然シュ――! と持ち手が伸びた。
「めっちゃ高性能じゃん……」
絶対に崩したくないもこもこのお顔部分を避け、『ミルクマちゃんひんやりソフトクリーム』を掬う。
綺麗なうずまきが崩れたことを残念に思いつつも、美しい白を口へ運ぶ。
するとひんやりクリームが口の中でとろけ、新鮮な牛乳の風味がふわっと広がった。
「これだけでもヤベーくらい美味い……」
「クマちゃんも一緒に食べよ」と小さなスプーンを手に取るが、めずらしく肉球を見せてきた。
これは、今は結構ちゃんです……のポーズ。どうやら一通り味わってほしいらしい。
なんという職人魂。やはり、このもこもこはただの赤子ではないのだ。
リオは無言で頷いた。では、もこもこした我が子の言う通りに、と。
一通り、ということで、ひとつ下の層へとスプーンを伸ばす。
見た目としてはそう変わらないが、掬う時にややもったりとしたそれを、ぱくりとくわえる。
名前が長すぎてかすかにも思い出せないそれを。
色も似ているし、さほど違いはないはず。
甘く見ていたリオをあざ笑うかのように、そのクリームからはまったく違う味がした。
「え、すっげぇ! ちょっとチーズみたいな味。つーかウマ!」
酒のつまみという印象の強いチーズが、まさかクリーミーな『アイチュ』のなかに自然に溶け込むとは。
不思議と違和感はない。甘くて濃いのにくどくはなく、とにかく美味い。くせになる。
冷たいクリームは生クリームと『アイチュ』を混ぜ合わせたようなふわっと滑らかな食感だ。
せっかくなのでスライスしたイチゴといっしょに食べてみる。
「えぇ……まじでスゲー美味い。なんだろ。酸味とチーズ風味のクリームが絶妙」
リオはヤベーヤベーと言いながら、下の層を掘り進めた。
『チュポンジケーキ』とイチゴと『ふわふわマチュカルクマちゃポーネクマちゃんソフトクリームちゃん』の層である。
「これ冷たいケーキじゃね? 『チュポンジ』もめっちゃ美味い。まとめて食べると最高」
抜かりなく、底に沈む赤いソースもからめてみる。
「ちょっとすっぱい感じのソースが絶妙すぎる」
そしてもう一度、崩れかけのうずまきであるさっぱりした『ミルクマちゃんソフトクリーム』に手を付ける。
「あー。すげぇさっぱり。超新鮮で冷たい牛乳って感じ」
何もかもが美味い。なんという贅沢な楽しみ方。見た目だけでなく、味も女王様か。
できればそのままにしておきたい『クマちゃんのお顔』の『アイチュ』の端へ、スプーンをさし込む。
「めっっちゃ濃厚。でも牛乳。超なめらか」
「クマちゃ」
子猫に似た声が『めちゃちゃん』と、彼の真似をしている。
なんて愛おしいのだろうか。
リオの胸に温かな感情が広がる。我が子のまるい頭を見つめ、感謝を伝えた。
「クマちゃんありがと。『仲良しパペちゃん』めっちゃ美味かった」
「クマちゃ、クマちゃ」
『めちゃ、なかよち』
クマちゃんは深く頷いている。ええ、クマちゃんたちは、めちゃ、なかよちですね、と。
リオは眉を下げ、ふっと笑みをこぼした。なぜだろうか。少々声が出しにくい。
「ん。――めちゃくちゃ仲良しだから、やっぱクマちゃんも一緒に食べよ」
そうして、仲良しな一人と一匹はいつものように「美味しいねークマちゃん」「クマちゃ」と食べさせあったり、頬を寄せあったりしながら、甘く幸せな時を過ごした。
やっぱ愛でしょ。
愛ちゃ。
と、ちょっとだけ鼻声で。




