第375話 最高の会議。それは、話し合いより大事な。
現在クマちゃんは、せっせとアルバイトのお仕事をこなしている。
◇
『ジューチーからあげちゃん』が完成したということは。
試食せねばならない。当然である。
リオはシェフに告げた。
「クマちゃん。味見って大事だよね」
この瞬間、冒険者、一部のギルド職員から苦情が殺到したが、調理補助リオは意に介さなかった。
『ひどい、ひどすぎる……!』『リオさん、二秒で食ってください!』『店長さん、そういうのは良くないと思います。あ、美しい俺の目から美しい涙が……』
「クマちゃ……!」
シェフが真剣な表情で頷く。
そうして、彼が食べる前にスッと肉球を上げた。
味見ちゃんの準備ちゃんをしますちゃん……と。
◇
半円形のカウンターキッチンを、もこもこしたシェフがヨチヨチ! と移動する。
そして何かをサッと、カウンター席でもこもこを見守っている『高位で高貴なお兄さん』に手渡した。
それとほぼ同時、『クマちゃ……!』と集まってきたカフェ妖精クマちゃん達が、お兄さんから何かを受け取り、ごそそ! と素早くどこかへしまい込む。
珍しく素早い連携で行われた何かは、リオが口出しする前に終わったらしい。
「めっちゃ怪しいんだけど」
と言っている間に、カフェ店員妖精達がサササッ! とリオの前で小さな手を動かし、準備が終わっていた。
眼前に、表面がうっすら白く見えるほど、良く冷えたグラス。黄金色の美しい飲み物を、真っ白な泡が守っていた。きらきらと輝いている――。錯覚するほど手を伸ばしたくなる金色の中を、小さな気泡がのぼってゆく。
「なんだろ。そんなわけないけどめっちゃ見覚えある気がする」
リオの知っているものより物凄く美味そうだが。
どちらにしろ気のせいだろう。
視線を向けないようにしていると、『ジューチーからあげちゃん』と、くし形に切られたレモンが載せられた小皿がすっ――と彼の手元付近へ寄せられた。カフェ店員妖精クマちゃん達の仕業である。
「めっちゃ気が利く感じ……」
なんだ、この『もてなされている感』は。
高級店か。味見とは、ここまで気合を入れてするものだっただろうか。
リオがなんとも言えない複雑な表情をしていると、シェフがスッと肉球を見せてきた。
どうぞ、という意味だ。
「クマちゃ、クマちゃ、クマちゃ……」
『レモンちゃ、皮ちゃ、下ちゃ……』
レモンちゃんのお皮は下に向けておしぼりくだちゃい……。
その方が風味がますちゃんです……。
「へー……」としか言いようがない。
取り合えず、と。妙に美しい細身のフォークを手に取る。
パリ――と刺し、「めっちゃいい音するじゃん……」音を楽しみつつ、何もつけずに口へと運ぶ。
パリリ、パリ――。揚げたての衣が割れる音がする。
うっ……ま!! パリパリカリカリの皮を嚙み砕くと、中から熱い肉汁が、まるでスープのように染み出てくる。
塩とニンニク、ショウガの風味が弾力のある肉と混じり合う。ピリリと爽やかな胡椒。薄っすらと感じる甘味、奥深い味わい。謎の調味料『おちょうゆ』がぐっと肉の旨味を増幅させているのがわかる。
そしてとにかくぷりっぷりの肉がうまいなんてもんじゃない。
まさに『ジューチー』カラッと揚がった『からあげちゃん』
なるほどつまり、この絶品肉料理の名前、『ジューチーからあげちゃん』そのものである。
「クマちゃん……、こんなの食ったらパサパサの肉食えなくなっちゃうよ……」
美味すぎる……。こんなにガツンとくるのにどこか上品な味なのは、一体何故なのか。ショウガだろうか。それとも『おちょうゆ』。否、おそらく謎だらけのすべての作業が、この味をつくりだしているのだ。
『料理』という極大の森にも似た深すぎる何かの端っこに触れてしまったリオは、「『ジューチーからあげちゃん』めっちゃヤバいじゃん……」と言いながら自然な動作でキンキンに冷えたグラスを掴み、ぐいっと喉を潤した。
「――めっっちゃ冷えてるし。ウマ! 何このビールこんな美味いビール飲んだことないんだけどマジでっていうかこれビールじゃん!!」
冷っえ冷えの辛口ビール。キリッとした味わい。はっきりとした、それでいてすっと消える苦み。早く次が欲しくなる。しっかりとしたコク。
ガッといきたくなる微炭酸の刺激。きめ細やかな泡。『ジューチーからあげちゃん』のお供に最っ高の喉越しである。
驚愕したリオの叫びに冒険者達が騒ぎ出す。「それはずる過ぎます!」「異議あり!」「はじめから飲む気満々だったんじゃないですか!」
そして当然渋い男に『キリッ』とシメられ、呪いの言葉を吐くかのように、ぶつぶつと小さな声で苦情を言い始めた。
「クマちゃ……」
気が利きすぎる赤ちゃんシェフが、ではお次はレモンちゃんをどうぞちゃん……という風に肉球を見せている。
会議の場からの怨念を「ごめんこれ食ったらすぐ持ってくから」と非常に軽く受け流し、赤子の言葉通り、皮を下にしてレモンを絞る。
――パリパリ――。
「うわ……レモン味もめちゃくちゃ美味い! いや分かってたけど。『ジューチーからあげちゃん』ヤバすぎじゃね? これ一皿しかなかったら戦争起きるよ」
『ヤバすぎる肉料理』を知ったリオが「ヤバイヤバイ」と言いながらクマちゃん用のお肉をササッと包丁で小さく切る。
「はい、クマちゃんあーん。美味しい? 可愛いねー」「クマちゃ」
いつも通り、仲良く幸せを分け合いつつ高位で高貴なお兄さんとゴリラちゃんの『からあげちゃん』を用意する。と、まるで待ち構えていたかのように、カフェ店員妖精クマちゃん達がお兄さんの前に冷えっ冷えビールの用意を始めた。
『クマちゃ……!』と。
これ以上待たせたら本当に事件が起きる。察知した男が大皿に盛った『ジューチーからあげちゃん』と取り皿、フォークを適当に『クマちゃんカードケース』へ取り込む。
そうして最後にもふ、と可愛いシェフを抱きかかえると、スタスタと会議の場に足を運んだ。
◇
「はいマスター差し入れ」
「クマちゃ……」
『まちゅた……』
まずは可愛い生き物をマスターにもふ、と渡す。
「すまんな、白いの。さっきのパンも、ん? あれはパンか……? まぁ、とにかく本当に美味かった。あれを売るだけでデカい城が……いや、何でもない。気にするな。お前の料理はみんなを幸せにするな」
マスターはうっかり金の話をしかけたが、つぶらな瞳に見つめられていることに気が付き、なかったことにした。真っ白な心を持つ赤子に言うことではなかった。
「クマちゃ、クマちゃ」
可愛いもこもことふれあったマスターの心が穏やかになる。
冒険者達のせいで吊り上がっていた目元も。
「これ多分いまカフェ妖精達も作ってると思うけど」
リオは珍しく前置きを挟んだ。
そうしないと絶対に問題が起きるからである。『問題が起きそうな料理』は山盛りで大皿に載せたまま、分けずに持ってきた。そのほうが美味そうだからだ。小分けにした箱の中に二つ、三つしか入っていなかったら奴らは絶望するだろう。
「…………」
彼らは妙な眼差しを『先に料理を食い、ひとりでビールを飲んだリオ』に向けている。そうしながら高速で、取り皿を各自に、大皿三枚をいい感じの場所に配置していた。
「マスター!」
「叫ばんでも聞こえる。ちゃんと白いのに感謝しろよ」
『はい! クマちゃんありがとうございます!』という言葉は全面的にもこもこシェフに向けられた。いつもなら『リオさんもありがとうございます』と言っていたはずだが、今の彼は裏切者なのだ。
流れるように素晴らしい動作で取り皿によそい、フォークで皮を刺す。
パリ――。という音があちこちで響いた。
ごくり、と誰かの喉がなる。
そして彼らは念願の熱々『ジューチーからあげちゃん』にパリリ――と齧りついた。
「あつっ! 肉汁がじゅわって……汁だけでうまい! 何だこれは!」
「えっ……これって普通のお肉? なんでこんなにぷりぷりしてるの?!」
「パンだけでなく肉料理でも……」
「ああ、これは本当に戦争もんだな……」
「クマちゃん、これってレストランでも食べれますか?」
「お前毎日食う気かよ。天才か」
「すいませんマスター! ほんとすいません!」
突然おかしな謝罪をした冒険者は、目の前の妖精クマちゃんに「ビール下さい!」と禁断の注文をした。
聞き捨てならないことを聞いてしまった他の人間達が、目を剝き騒ぎ出す。
「お前それはずるいだろ! ……同じの一つ下さい!」
「駄目に決まってんだろ! ……俺もビールで!」
「罰は後で受けます……! 冷えっ冷えのビール下さい!」
対応の早いカフェ店員妖精クマちゃんが、ヨチヨチッ! とビールを運び、小皿に載せたレモンを渡す。
彼らは「ありがとうございます……」「感謝いたします……」と深々と礼をし、ガッ――と冷えっ冷えのグラスを呷った。
マスターのこめかみに青筋が浮く。
が、愛らしいもこもこの言葉で、すぐに穏やかな心を取りもどす。
「クマちゃ、クマちゃ……」
『おいちいちゃ、会議ちゃ……』
みなちゃんの大好きなお飲み物ちゃんで会議ちゃんがはかどりまちゅね……と。
「はは、そうだな。お前のおかげでみんな嬉しそうだ」
実は酒場のマスターではなくギルドマスターな彼が、そういって楽し気に笑う。
赤子には『ビール』が何かよく分かっていないのだ。
皆が嬉しそうに飲んでいる。それが大事なのだろう。
確かに、白いのが酒場へ来てから笑顔が絶えない。
それまでは、増え続ける大型モンスターのせいで鬱々と過ごしていたのだ。
会議で酒を飲むなんて馬鹿な真似をしようと思えるのも、明るく過ごせているおかげだろう。
『べろべろに酔っぱらったせいで襲撃に対応できませんでした』となったらさすがにぶん殴るしかないが、ここにいる奴らは大型モンスター討伐隊の精鋭で、酒にも強い。
ビール程度で酩酊することはないはずだ。
その『特別美味いビール』は人間が飲んでも大丈夫なものなのか、というのは気になるところだが。
マスターは優しい表情でもこもこを撫でつつ『高位で高貴なよろず屋』をチラと見た。
そうしてひとつ、ため息をつく。
湿った鼻を「クマちゃ……」と手のひらにくっつけ彼に甘えてくるもこもこを「可愛いな」と甘やかしながら、魔王のような男に伝える。
「おい、ルーク。お前らも飲んでいいぞ」と。
こうなったら、何を飲んでも酔わない男に毒見役を頼むしかないだろう。
◇
「おや。珍しいね。クマちゃんが可愛いおかげかな」
そういいながら、冷えたグラスに手を伸ばす。
自由な鳥はすでに『最高に美味い状態で入れられたビール』を注文し、舌鼓を打っていた。
魔力の多い彼は酔わない自信があるのだ。とはいえ、もしも危険を感じたら途中でやめるつもりではあるが。
「うーん。これは、さきほどの『揚げた肉料理を挟んだサンドイッチ』にも合いそうだね」
あちらも驚くほどに美味しかった。いったいどれだけの手間が掛かっているのか。
一応真面目に会議に参加していたせいで調理の手順を詳しく聞けなかったが、色々手間がかかっているのはわかる。
もちろん今食べている『冷えたビールに合い過ぎる肉料理』も。
争いが、というのもあながち間違いではない。すでに一部の冒険者達が殴り合いをはじめている。「お前俺が取ろうとしてたやつ盗っただろ!」「食うのが遅いやつが悪いんだろ!」と。子供だろうか。あとで注意しなければ。
「ああ」
魔王のような男が、彼の言葉に相槌を打つ。
『料理が美味いのも、酒が美味いのも、全員が幸せそうなのも、どれもこれもすべては〝クマちゃんのおかげ〟』ということだ。
カフェ店員妖精クマちゃんも、もこもこと同じで魔王様が大好きらしい。
ヨチヨチヨチヨチ!
注文をしなくても冷えっ冷えのビールを抱きしめるように抱え『クマちゃ……!』と運んでくる。
良く冷えたそれをヨチヨチしながら円卓に下ろす。『クマちゃ……』
その瞬間、人間のサイズに合わせ、ポン! と大きくなった。
彼がグラスのほうへ手を伸ばす。カフェ店員妖精クマちゃんは『クマちゃ……!』と、感動したようにお口を押さえ、瞳をうるうるさせながら戻っていった。
『クマちゃ……!』と。
「……――」
シェフの料理のあまりの美味さに凶悪な目つきになっていた死神の意識が飛び掛ける。
ビールにやられたのではない。ビールを運ぶ妖精の愛らしさにやられたのだ。
◇
キッチンカウンターに戻ったクマちゃんとリオは、美味しい料理をつまみながら、まったりと『揚げ物ちゃん盛り合わせちゃん』を作っていた。
最高に冷えたグラスから雫が落ちる。手がひりつくほどのそれを、ぐいっと傾ける。
そうして喉にぴりぴりと刺激をうけたあとは、パリ、としたそれを口の中へ放り込むのだ。
ぷりっぷりの肉を「あっつ」と言いながら嚙む。美味い。美味すぎる。
唸るほど美味いそれに幸せを感じつつ、もこもこのお口に小さなお肉を入れる。
「あーん」
「クマちゃ」
口元を優しくぬぐい、可愛いもこもこを愛で、リンゴジュースを飲ませる。
チャ……チャ……チャ――。なんという幸せな音。ずっと聴いていたいほどに。
「はー、クマちゃん可愛い」
といいながら、大きなフライヤーで芋を揚げる。
現在リオが揚げているのは、ホックホクの皮つき芋だ。
超高級キッチンはとても広い。
同時に、もこもこが『これちゃ……』とオススメしてくれた食材を、鉄板でジュージュー焼いていたりする。最高級ハーブウィンナーの表面に、素晴らしい焼き色がついている。絶対に美味い。間違いない。
リオは言った。
「これもう会議っつーか飲み会だよね」
どうみても会議ではない。
シェフが答える。
「クマちゃ……」
おジューチュを飲みながら会議ちゃんをしているので『おジューチュ会議ちゃん』でちゅね……と。
「へー、そっかぁ」
調理補助がいい加減な相槌を打つ。
そんなものは存在しない。だが赤子に『あれはおジューチュではない』といっても伝わらないだろう。
「クマちゃん可愛いねー」
「クマちゃ、クマちゃ」
リオは最高に愛らしいもこもこを撫でまわしながら、取り合えずビールを頼んだ。
「んじゃ冷えっ冷えの『おジューチュ』追加で」と。