第372話 クマの赤ちゃんと作る、魅惑の『ジューチーカチュチャンド』!
現在クマちゃんは、一生懸命カチュチャンドを作っている。
◇
まずは、屋外用の調理台を購入する。
「えーと、海底っぽいやつ、海底っぽいやつ」
リオは『輝く貝殻風、クマちゃん像付きチェアー』に座り、もこもこを膝に乗せながら、一緒にカタログを見ていた。実に幸福で優雅なスタイルである。
「クマちゃ……!」
『これちゃ……!』
見つけたらしいもこもこが、キュム……! と肉球を伸ばす。
カタログにポン! と幻影が浮かぶ。
ゆらゆらと美しい光を帯び、青くも水色にも見えるオパールのような色合い。貝殻と曲線、流線形を美しく組み合わせた調理台。
貝殻の屋根。貝殻風吊るしランプ。調理台にはガラス瓶が並び、真っ白な真珠貝の上で、マーメイド妖精クマちゃんが踊っている。
半円形カウンターの外側には光る貝殻スツールが。
まさに海、もしや舞台といったイメージのデザインだ。
名前を見ると『宝石クマちゃんキャンディキッチンちゃん。輝く海のお色ちゃん。屋外用。マーメイド妖精クマちゃんダンサー付き』と書かれている。
長い。長すぎる。心の中でピピー! と警笛が鳴る。絶対にヤバい商品だ。間違いない。
悟ったリオはシュッ! と素早くボタンを押した。
「こういうのはあれだよね。値段は見ちゃダメなやつ」
◇
美し過ぎるキッチンへ視線を合わせないようにしつつ、カウンター内へ入り、作業に取り掛かる。
すぐ側にとんでもないモノが建てられたのを見てしまった冒険者達がざわつく。
『豪華すぎる……』
『あれがキッチン……?』
『宝石じゃないのか……?』
『宝石で舞台を……?』
お兄さんはカウンター席で待つことにしたようだ。いかにも貴人が身につけていそうな装飾品。飾りを使ってゆるりと留められた露出の多い服が、高貴な雰囲気にも、めちゃくちゃ金のかかっていそうなカウンターにも似合っている。
ワイングラスを傾けつつ、マーメイド妖精クマちゃんのダンスをゆったりと見ていた彼が、闇色の球体をふわりと出現させた。
「…………」
リオは何でも疑う人間のような顔をしながら、もこもこ用のタイを受け取った。
「お兄さんありがとー」と礼を言い、可愛らしいもこもこの首元を整える。
貝殻ネックレスを外し、カフェ店員風のタイを付けろということらしい。
ルークといい、お兄さんといい、もこもこの衣装には深い拘りがあるようだ。
「はいクマちゃん、お手々綺麗にしようねー」
本日はお兄さんが乾かしてくれるのだろう。
いつものようにお水でもこもこのお手々を洗う。
「クマちゃ、クマちゃ、クマちゃ、クマちゃ……」
『おにクマちゃ、お塩ちゃ、クマちゃ、クマちゃ、おこしょうちゃ、クマちゃ、クマちゃ……』
「お肉とクマちゃん、お塩とクマちゃん、クマちゃんとクマちゃん……次もクマちゃん……」
もこもこが〈はじめてのりょうり〉を読み上げ、リオが食材を取り出しつつ、もこもこを撫で、撫でまくる。
「クマちゃ、クマちゃ、クマちゃ、クマちゃ……」
『すじちゃ、切るちゃ、お肉ちゃ、叩くちゃ……ごめんちゃ……』
もこもこの丁寧な説明と謝罪に、調理補助のかすれ声が答える。
「大丈夫大丈夫もう死んでっから。クマちゃん可愛いねー。えーと、すじ。すじね。すじってなんだろ。腱やって敵の動きを封じろって話? 『足を狙え』的な? つーことは……え、お兄さん何その手。俺に向ける理由を知りたいんだけど」
獲物を狙う野生動物のような表情で肉の筋張った部分をシュッ――と切断し始めたリオを、高位で高貴なお方が狙う。
若干のドキドキを交えつつ、一人と一匹は次の作業へ進んだ。
塩と胡椒で下味をつけ、小麦粉と溶いた卵をまぶしたそれを見たもこもこが、うむ、と頷き、次の工程を説明する。
「クマちゃーん」
『パンこちゃーん』と。
「なるほどぉ。次はパン粉ちゃんかぁ」
胡散臭さを全開にしつつ、パン粉をまぶす。
マスターの声が途切れた。円卓を見回し、冒険者達に尋ねる。
「どうした。言いたいことがあれば言え。無理に進めるつもりはない」
実際に戦うのはお前らだ。
円卓にドンと拳を打ち付けるような、鈍い音が響く。
マスターに反対意見でも出すのか。
冒険者達は真剣な声で今後の仕事について、というよりも今の出来事について語った。
「パン粉ちゃーん!」
「パン粉ちゃーん!」
甘くシメられた冒険者達は「気を付けます」と謝った。が、リオの耳は誤魔化せない。
『もうしません』とは言ってない。
仲良しな一人と一匹の作業が次の段階へ。
一番重要な、といっても過言ではない。
「クマちゃ……」
『あげものちゃん……』
「油で揚げんの? 危ないからお兄さんのとこ行ったほうがよくね?」
調理補助がシェフを遠ざけようとしたが、もこもこは退かなかった。
「クマちゃ……」
『一緒ちゃ……』
クマちゃも、クマちゃも、命をかけて戦いまちゅ……と。
「そっかぁ……、ありがと。クマちゃんのことは俺が護るから」
リオは『いや別にそこまでは危なくない』とは言わなかった。
彼と場所を代わりたい人間がこちらを見ている。
『リオ、君に肉を揚げる資格はないよ』『退け――』
幻聴が聞こえなくもない。
もこもこの周りにはルークの結界が張られている。大丈夫だろうと思うが、一応サングラスをかけさせる。お兄さんが渡してきたのだ。妖精の羽のような飾りがついた、水色のサングラスを。
「クマちゃ……」
『リオちゃ……』
「えぇ……。俺はいらないかなー」「クマちゃ……」「そっかぁ……」
お揃いのサングラスで眼球を守り、『百七十度ちゃん』らしい油の中へ、下ごしらえ済みの肉を入れる。
「おー。良い音」
「クマちゃ……」
『ジューチーちゃ……』
ジュワーという音と、何かが弾けるような高い音が響く。
会議をしている冒険者達の真横で。
――ジュワー――パチパチパチ――ジュワー――。
『ジュワー……』『パチパチパチ……』『ジュワー……』
冒険者達はメモを取る振りをしながら、揚げ音を口ずさみ始めた。
初めから無いに等しい集中力は限界のようだ。
「おー。なんか『こんがり』って感じ。いや『こんがり』が何なのかよく分かってないけど」
会議中の冒険者達の頭を、リオの言葉が浸食する。
こんがりという言葉の意味を詳しく説明せよ――。
『こん……がり……?』
『こ……んがり……?』
『こんが……り?』
『コーンガリガリとか……?』
『いやガリガリだと炭化が進んでいる……』
『こんな感じにガッと凛々しく焼けってことじゃねぇのか……?』
『このような仕上がりのがりか……?』
『あー……なんか近付いてきてる近付いてきてる……よくぞこの〝がり〟にたどり着きましたね……って俺の〝がり〟が言ってる……』
おそらくマスターの話を聞いていない彼らをそのまま取り残し、一人と一匹はついに最終工程へと進んだ。
「クマちゃ、クマちゃ……」
『パンちゃ、焼くちゃ……』
「このふわふわパンをちょっと焼く感じ? つーかこのカウンターめっちゃ便利じゃね? なんでもついてるじゃん」
――クマちゃーん――。
と焼き上がったパン。硬そうな耳を切り落とす。赤ちゃんの拘りポイントらしい。
片面に『特製ソース』をたっぷり塗り、『からし』を適量つけたポークカツ。
リオが剣豪のように刻んだシャキシャキキャベツ。上からソース。
その上にも焼き上がったトーストを重ねる。耳は処理済。
「クマちゃ……」
『きるちゃ……』
「へー。わざわざ切るんだ」
このまま食ってもまったく問題はなさそうだが、こちらも切ったほうがいいらしい。
赤ちゃんだからだろうか。
研ぎ澄まされた大人用の包丁が、トーストされたパンをサクと切り、キャベツを超え、揚げたての衣にザク――と到達する。
肉汁の光る断面を見て、ようやく分かった。
絶妙な温度で揚げられた肉。きつね色の衣。シャキッとしたキャベツ。たっぷりのソースが染み込んだパン。焼き色と白の対比が美しいふわふわサクサクトーストが、具材を両側からしっかりと挟み込み、鮮やかな層を作っている。
切らずには見られない芸術が、そこには存在した。
馥郁たる香りが鼻腔をくすぐる。
もこもこシェフの助手、リオの声に思わず力がこもった。
「めっっちゃ! ウマそう。これはヤバい」
「味見しちゃおっかなー」「クマちゃ……!」「あ、まだ駄目な感じ?」
「クマちゃ、クマちゃ、クマちゃ……」
「『からしマヨネーズちゃん入り』も作るの? 別の味ってこと? へー。クマちゃん凄いねぇ」
会議どころではない。冒険者達のメモにはびっしりと『ジューチーカチュチャンド』の文字が綴られていた。




