第337話 超こうきゅうチョコレート。頑張るクマちゃん。静かに応援する彼ら。「クマちゃ……!」「おっ……!」
現在クマちゃんは、磨き上げた肉球で、強敵チョコレートちゃんと激しい戦いを繰り広げている。
◇
森を少し進むと、木漏れ日が射す美しい空間を発見した。
眼前に広がる花畑の奥からは、川のせせらぎが聞こえてくる。
花畑の右側にある緩やかな傾斜を、地下へと潜るように空いている大きな穴が、くだんの『洞窟』だろう。
彼らの追ってきた幻影が、穴の手前でヨチ! と立ち止まる。
そしていくらもしないうちに、見知らぬ場所を警戒する猫ちゃんのような動きで、ゆっくりとヨチ……ヨチ……しながら、洞窟へと入っていった。
「ここで合ってるっぽい」
「クマちゃ」
もこもこを抱いたリオが、目的の場所へスタスタと侵入する。
おそらく先程の『クマちゃんキャンディ』のように、岩を砕けば入手できる仕組みだろう。
◇
『お菓子の国』をなめていたリオの目の前にあるのは、甘々な『チョコレートの岩』――ではなかった。
天井に開いた巨大な穴から降り注ぐ、光の柱。
小さな泉が日差しを浴びて、キラキラと輝いている。
絨毯のように広がる、柔らかな芝生。
可愛らしく馴染んだ、切り株の椅子とテーブル。
岩壁を覆う蔦植物を飾る、砂糖菓子にも似た、小ぶりの花。
妖精の住処を思わせる、幻想的な空間――。
ふわふわと漂う胞子のような明かりが、彼らを歓迎し、癒しの光を放つ。
「すげー……」
心が洗われそうな美しさに見とれていると、腕の中のもこもこが、猫によく似たお手々で、何かを示した。
「クマちゃ……」
泉の手前。
ふわふわな敷物の上に座っているのは、見覚えのある幻影クマちゃんだった。
よく見ると、焦げ茶色の何かを、口元へ運ぼうとしている。
それはまさに、彼らの探している『黒いチョコレート』であった。
幻影クマちゃんがハッとしたように『おやちゅタイム』を中断する。
そうして――、お目目をうるうるさせながら、ひとつしかない大事な『おやちゅ』を、激しく震えるお手々で、リオに差し出してきた。
どうぞ――と。
彼の魂と口が、同時に叫ぶ。
「いやいやいやいや無理無理無理、貰えない貰えない!」
そんな非道なことが出来るか。受け取れるわけがない。
これで素材を入手しても、『やったー!』とは絶対にならない。断言する。
もしも、この幻影からたったひとつの菓子を奪えば、その瞬間のもこもこの表情を、一生夢に見るだろう。
『チョコレート』は確かに洞窟の中にあった。
しかし彼が思い描いていたのは、これではない。
哀愁を漂わせたリオが、まかり間違えば良心の呵責で大変な事になりそうな洞窟から立ち去ろうとした、そのとき。
「クマちゃ、クマちゃ……」
『クマちゃ、おまかせちゃ……』
神々しいほどに輝くもこもこが、彼の腕の中で、愛らしい声を上げた。
クマちゃんにおまかせくだちゃい……と。
◇
キラキラと輝く神秘的な泉の前。
水遊びに興味津々の猫ちゃんのようなクマちゃんが、つぶらな瞳で水面を見ている。
リオはもこもこが泉に落ちないよう、両手でしっかりと、小さな体を掴んでいた。
水面に、小さな気泡が浮かぶ。
『もしや素材は水中から……?』
つまりチョコレートが……?
リオの心に『泉から……?』が浮かんだ、次の瞬間。
シュッ――! 水中から光の玉が、真上に飛び出す。
「あ」と、かすれ声が響く。
シュッ――! 空気を切り裂き、玉は泉へ戻った。
「…………」同じくリオの視線も、泉へ戻る。
残念ながら、獲物に逃げられてしまったようだ。
彼が頷いた二秒後――。
もこもこのお手々が、何もない水面へ近付く。
ぱちゃ――! 肉球が弱々しく、泉を叩いた。
「クマちゃ……!」の掛け声と共に飛んだのは、わずかな水飛沫のみ。
『獲ったちゃ……!』
愛らしい快哉が、獲れたものなど何もない洞窟内に、むなしく響いた。
「おっ……!」あやうく口から出かけた禁断の呪文、『おっそ!!』を、リオは必死に吞み込んだ。
おっとりした赤ちゃんに言うべき言葉は、それではない。
動揺を押さえ、考える。
『俺がやるから』と言うべきか。否、成長の妨げになる。
もう少し見守ろう。
「惜しかったねぇ……」
うさんくさい新米ママは、心にもない言葉で、我が子を慰めた。
少々声が震えたが、肉球をペロペロし、気合を入れ直しているクマちゃんには聞こえていないようだ。
もこもこは諦めない。二度目の挑戦。
にっくき光の玉を叩き落とすべく、肉球を構える。
「クマちゃ……!」
「もうちょっとだけ、早くしたほうがいいかなー?」
チャレンジ失敗。
役に立たないアドバイスが、神秘的な洞窟内に、無意味に漂う。
三度目の挑戦。
飛び出し戻る、光の玉。
空白の時間。
初速に問題のある肉球が、罪なき泉を叩く。「クマちゃ……!」
「おっ……!」を飲み込み、役立ちそうな意見を出してみる。「分かった。俺合図する役ね」
「『今!』って聞こえたら水面叩いてみて」
ハッ! としたもこもこの肉球が、入水する。
「クマちゃ……!」
「ハイハイ、そういう感じそういう感じ」
「次が本番だから」
練習をはさみ、四度目の挑戦。
水中に現れる気泡。
かすれた「今!」が赤ちゃん帽を超え、伏せられた耳へと届く。
過ぎ去りし光の玉が、水底へと帰ってゆく。
空白の時間。無情にも、ときは流れる。
クマちゃんは精一杯叩いた。
水にたゆたう、光のメモリーを。
「クマちゃ……!」
『いまちゃ……!』
ふたたび禁断の呪文「おっ……!」が、心の封印を突き破り、口の端あたりから漏れ出しそうになったとき――。
神秘的な競技場、洞窟の入り口側から、渋い声が聞こえた。
「おいクライヴ、大丈夫か……」
リオが声の方向へ視線を向ける。
すると、何故か倒れている死神、助け起こそうとしている心優しいマスター、真面目な顔でリオを見返すウィル、顕現した精霊王か魔王か――と疑うほど美麗で無表情な男、その後方に佇む高位で高貴なお兄さんと、浮遊するゴリラちゃん――
仲間達が勢ぞろいしていた。
麗しの魔王様のご帰還である。
リオは苦々しい表情で言った。
「気配消すのやめて欲しいんだけど」




