第19話 料理研究家クマちゃん
クマちゃんは、完成したばかりの〈クマちゃんのお店〉に入ってみることにした。
白く美しい手を、そっと伸ばす。
チリン。
どうやら、出入りは自由らしい。
ドアは勝手に開いた。
さすがお店である。
中を見ると、先ほど目にした外観と同じく、真っ白だった。
うむ。
商品を並べる為の棚、カウンター、大きな釜、椅子、目につく物すべてが白い。
室内のあちこちにある置物は、可愛いクマのぬいぐるみのような形状だ。
ちょっと白すぎる気もするが、クマちゃんと同じ色のこのお店は、とても可愛いのではないだろうか。
じつはこの建物が出来る時に少しだけ、テーブルと椅子にぶつかってしまった。
だがギルドには強力すぎる接着剤がある。
問題はないだろう。
クマちゃんの実家にあった台所や、中がひんやりする箱とそっくりな物もある。
気になって蓋を開け、上から覗き込む。
ひやり――。
湿った鼻に冷たい空気を感じた。
実家と同じようにたくさんの食材らしきものが入っている。
確かにここであれば色々な物が作れそうだ。
リュックの中から料理の本を取り出し、冒険者やギルド職員が話していた〝回復薬〟を探す。
〈甘くておいしい牛乳〉
―少し元気になる―
・牛乳とお砂糖を用意します。
・材料をお鍋の中で温めながら魔力をそそげば出来上がり。
〈野菜と果物のジュース〉
―もう少し元気になる―
・好きな野菜と果物を用意します。
・切った材料を〝細かくなる箱〟に入れてボタンを押します。
・最後に魔力を注げば出来上がり。
他にも色々あるようだ。
しかしそれらは材料がわからないので作れそうにない。
回復というのは元気になるのと一緒だろうか。
もしかしたら違うかもしれないが、他のものより簡単なこの二つから試してみよう。
そんなふうにクマちゃんが考えていると、チリン、と鈴のような音と、ドアが開く音が同時に聞こえた。
「中も真っ白なのか……」
マスターの疲れた声が、ふわふわな耳に届いた。
渋い声の彼は元気がないようだ。
丁度、今から作ろうと思っていた少し元気になる牛乳を、元気のないマスターに飲ませよう。
そうすれば、元気いっぱいのマスターになるかもしれない。
「ああ……。やっぱり、お前の店か。まぁ、見たまんまっつーわけだな……」
元気がなさすぎる。
大変だ。
急いで牛乳を飲ませなくては。
迅速に牛乳を箱から取り出し、クマちゃんは台所に向かった。
素早く鍋に牛乳を入れる。
ジャー。
そして、調味料が並んだ棚から砂糖が入ったガラスの容器を選び、スプーンをせっせと動かし、さらさらのそれを牛乳に沈めてゆく。
「おい……、入れすぎなんじゃねぇか……」
近くで元気のない人間の声がする。
忙しいクマちゃんは、それを気にすることなく作業を進めた。
追加で砂糖を入れたあと、かき混ぜながら温め、リュックから杖を取り出し、手早く魔力をそそぐ。
完成した牛乳をマグカップに入れ、マスターのところまで、零さないようにゆっくり運んだ。
マスターは、そんなクマちゃんを哀愁の漂う表情で見守っていた。
「そうか……。やっぱり、俺にくれるのか。ありがとうな……」
渋い男は普段から渋い声をさらに渋くして、彼には小さいマグカップを猫手から受け取り、クマちゃんの頭を撫でながら礼を言った。
人間の足をふむ猫のようなクマちゃんはやはり、何かを期待するようなつぶらな瞳をマスターに向けていた。
目の前の人間が、牛乳を飲むのを待っているようだった。
マスターは少しだけ口角を上げて見せると、小さなマグカップを持ち上げ、口に運んだ。
眉間に寄った深い皺が、この飲み物の甘さを表していた。
「すげぇな、これは。本当に疲れが取れる。怪我以外に利くのが回復薬とは違うところか。まぁあれは、疲労を取る為のもんじゃねぇからな。仕方がない、と言えばそうなんだが」
クマちゃんはマスターの様子をじっくりと観察していた。
やはり、牛乳を飲めばマスターは元気になるようだ。
深く納得したクマちゃんは、うむ、と頷き彼からマグカップを返してもらった。
出来れば怪我も治したいのだが、マスターに怪我はなさそうだ。
「俺はやらなきゃならん事があるからそろそろ戻るが、お前は、まだここに居るのか?」
ここでまだやりたいことがあったクマちゃんは、頷いて彼に意向を伝えた。
うむ、と。
ルーク達が戻って来る前に、皆のためになる物を少しでも多く作りたかった。
◇
ひとり店に残り、大きな鍋で二種類の飲み物をたくさん作ったところまでは良かったが、完成したそれを入れておく物がなかった。
工作の本に何か載っていないだろうか。
クマちゃんは〈はじめての工作〉を開き、入れ物の作り方を調べた。
初級編の説明に、瓶の材料になる石のことが書いてある。
・きらきらな石――透明なものを作る時に必要。
・光る石――光るものを作る時に必要。
・尖った石――硬いものを作る時に必要。
うむ。
クマちゃんが知らないものが色々書いてある。
前に読んだ〝元になる素材〟がこれらなのだろう。
どうにかして取ってこなければ。
よくわからない物は大抵実家にある。
石はどうだろうか。
家の中には無いような気もする。
そういえば、クマちゃんの実家の周りはどうなっているのだろう。
入手し損ねた木の実が気になる。
クマちゃん誘拐事件さえなければ――。
考えているうちに、建物周辺の様子と、自分のものになるはずだった美味しそうな木の実の安否が気になってきたクマちゃんは、いつものように鼻にキュッと力を入れ杖を振った。
◇
実家の鏡は今日も光ったままだったが、お外に行きたいもこもこはそれに気付かずドアを開け、ヨチヨチと前へ進んだ。
白いもこもこが完全に外に出ると、一瞬で、音もなく、そこにあったはずの白い家は消えた。
もこもこが後ろを振り返り、
――ついさっきまで自宅があった場所がただの森へと変わったことに、クマちゃんはこの時初めて気がついた。