第15話 期待の新人の初仕事
クマちゃんは姿勢の良い猫のように、なめらかに猫足を踏み出した。
よち、と。
◇
新人アルバイタークマちゃんは、何故か〝待機〟を命じられていた。
マスターに来客があったらしい。
期待の新人クマちゃんは一生懸命考える。
来客ということは、飲み物を出したほうがいいのではないだろうか。
しかし、ここでクマちゃんが飲み物を入れるには、流し台が高すぎる。
あまり時間がかかるとお客さんが帰ってしまう。
失敗は出来ない。
今日からたくさん働いてルークの仕事を減らさなければ。
そして、休みがとれたら一緒にお出かけするのだ。
急いでリュックから杖を取り出し、いつものように小さな黒い鼻にキュッと力を入れる。
次の瞬間には、白いもこもこは部屋の中から消えていた。
◇
一人で実家に戻ってきたクマちゃんが、あたりを見回す。
やはり、クマちゃんの体にぴったりな大きさの物ばかりで動きやすい。
ここであれば簡単に飲み物が作れるだろう。
このとき鏡が少し光っていたのだが、一点を見つめ続ける猫のようなクマちゃんは、台所に夢中で気付かなかった。
◇
まずは、クマちゃんに丁度いい大きさの台所の横にある、食材が入っていそうな箱を開ける。
中はひんやりしていて色々と入っているようだ。
白っぽい瓶の中身は飲み物だろうか?
蓋を開けてふんふんすると、クマちゃんが大好きな飲み物の匂いがする。
箱の横に置かれた棚に〝はじめてのりょうり〟という本もある。
これで飲み物のことを調べよう。
◇
「それはまさか、討伐しても数が減っていないということですか?」
彼は教会から、最近森で起こっている大型モンスターの急増と、それについてギルド側がどう対処しているかの確認に来ていた。
この男性は教会で司祭という立場の人間なのだが、色々雑な森の冒険者は、司祭も司教も教皇も、皆まとめて『教会のおっさん』または『教会のじいさん』と呼ぶ。
――街には神殿もあるが、そちらは『入れないほうの教会』と呼ばれている。
世界の女神が白い姿であることから、教会の人間は白を特に好んでいた。
それゆえ神聖なものとして、彼らは位階関係なく揃って白を基調とした衣装を身に付ける。
白き女神は争いを嫌う。
教会の人間にも一応序列はあるが、祭事以外でそれが意味を持つことは、ほとんどなかった。
司祭の彼は立て襟の衣装で、首から長い帯のようなものを掛けていた。
服装も顔も、非常に真面目そうな外見だった。
「ああ、毎日上げられる討伐報告は相当な数だ。それに今回事に当たっている討伐隊は、ウチにいる冒険者の中でもとりわけ優秀な奴らで編成されている。……だがそれでも何故か、数が減らない」
マスターである彼も、連日遅くまで会議や書類仕事に追われていた。
睡眠不足のためか、ここしばらく頭痛に悩まされている。
今現在ギルドで行われているのは『討伐隊が森にあふれる大型モンスターを倒し、街まで来ないようにする』というだけの対処法で、とても対策と呼べるものではない。
原因が不明なため、調査にも進展がなかった。
◇
二人が深刻な表情で話していると、ノックの音と「失礼します」という女性職員の声が聞こえてきた。
彼らは一瞬そちらに目を向け、ふたたび会話に戻ろうとするが、どういうわけか、やたらとカタカタ何かが揺れるような音が聞こえてくる。
気になり一旦会話を止め、扉の方へ目をやった。
白いもこもこがお盆の上に小さなマグカップを二つ載せて運んでいる。
真剣な表情で黒いつぶらな瞳をキリッとさせ、とてもゆっくりこちらへ向かってくる。
気になりすぎて会話どころではない。
何故あのもこもこが運んでいるのか。
小さすぎるマグカップは何なのか。
白いマグカップにはクマの顔がついている。
一体何が入っているんだ。誰が飲むんだ。
時間を掛けてテーブルにたどり着いたクマちゃんが、震える手でお盆を下ろす。
なんとか零さずに置けたようだ。
気付けば二人は息を詰め、もこもこを見守っていたようで、体中が緊張していた。
テーブルの横にいるクマちゃんが、黒いつぶらな瞳で二人を見上げている。
まるで、何かを期待しているかのようだ。
何が入っているのか分からない、やたら小さなマグカップから、湯気と甘い香りが立ち上る。
この匂いはおそらく、牛乳。
「ありがとうございます」
意外なことに、教会から来た真面目そうな司祭は、優しげな表情でクマちゃんに感謝を伝えた。
少し目を伏せ、首に掛けられたペンダントに手を添える。
そして、小さなマグカップの牛乳らしきものに口を付けた。
勧められる前に飲んだのは、待っていても「どうぞ」とは言われないことがわかっていたからだろう。
「ああ、ありがとう」
クマちゃんを傷つけたくないのは、マスターも同じだった。
すぐさま礼を言い、謎めいた白い液体に口を付ける。
わかってはいたが、牛乳だ。かなり甘い。
甘すぎてとろみがついている。
クマちゃんはまだ二人を見ていた。
彼らが飲み終わるのを、じっと待っている。
全部飲まないと納得しないに違いない。
「これは……」
息をのんだ司祭が、白いもこもこにパッと目を向ける。
クマちゃんは、まだ飲み終わっていないマスターを見ていた。
渋い顔のマスターが、まるで苦いものを飲むように、甘すぎる牛乳を飲み干す。
「ん?」
そして彼も、ふっと変化を感じ取った。
体が軽い。
頭痛が消えている。
◇
二人が残さず飲んだことに満足したクマちゃんの興味は、もう片付けに移っていた。