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第118話 良い香りのそれと、楽しく過ごすクマちゃん達と、無臭なそれ

 鋭い目つきの副会長がふらりと足を進める。


 副会長の言葉を聞いた生徒会長は「私には分からないけど――石鹼といえば、私の可愛いクマちゃんの素敵な香りを思い出すよ」と、若干変態のような発言をした。


 会計は変態会長に冷たい視線を向けて言った。

 

「会長、そういう危険な発言は慎んでください」 

 

 すると、少々天然気味で変態気味な生徒会長の口から、「危険? クマちゃんの石鹼に危険はないと思うよ。――ああ、もしかして可愛い上に良い匂いだと知られたら私の可愛いクマちゃんが危険だってこと? それは確かに危険かもしれない」という、至極どうでもいい発言が飛び出した。


 なんて面倒な二人組だろうか。

 二人に絡まれている会計は嫌そうな顔で、律儀に返事をした。


「危険なのは会長の発言です」

 

 そんな風に、生徒会長と会計が無益な時間を過ごしている間に、副会長は何かを見つけたらしい。

 

「何だこれ。……魔道具か? 泡だらけじゃねーか…………めっちゃ良い匂いすんな」


 そのアイテムは菱形で、何故か泡にまみれていた。

 発見者である副会長は、後方でどうでもいい話をしている彼らへ振り向くと、怠そうに声を掛けた。

 

「会長ー、これ多分魔道具だと思うんですけど。何か分かります?」



 リオは難しい表情で考えていた。


(浮き輪でなら泳げんのかな……)


 視線の先のクマちゃんは、白と水色の浮き輪に両手の肉球をのせ、美しい温泉にプカプカと浮いている。

 彼は可愛いクマちゃんを見つめたまま少し屈むと、自身ともこもこのあいだのお湯に、そっと波を起こした。

 

 ――彼が起こした波が、クマちゃんを乗せた浮き輪にあたる。可愛いもこもことそれを乗せた浮き輪が、スーッと彼から遠のいてゆく。

 数メートル離れてしまったもこもこの方から、小さく「……クマちゃ……」と寂しそうな声が聞こえた。

 か弱く幼い声は、こう言っていた。 

 

『……リオちゃ……』と。

   

 胸に強い痛みを覚えたリオは、急いでもこもこを追いかけた。

 彼は悲痛な声で叫んだ。


「ごめんクマちゃんもうしないから!」


 そして、急いでもこもこを浮き輪の中から引っこ抜いた。


 始まったとも言えない泳ぎの訓練は、何の成果も得られぬまま中止となった。

 リオが心を鬼に出来なかったせいで。


 因みにクマちゃんは、最初から最後まで、肉球ひとつ動かさなかった。



 リオは悲し気にまつ毛を伏せ、びしょびしょで温かいほっそりクマちゃんに「クマちゃんごめんマジごめん俺が悪かった」と頬擦りをした。

 布より保水力の高い生命体の水分が、良く水を吸いそうな布製品へ、仲良く分け与えられてゆく。

 びしゃびしゃ……と。


「……何をやってるんだあいつは」


 彼らのやや後方でそれを見ていたマスターの口から、ため息交じりの声が漏れる。

 一声掛けてからやらないから、ああいうことになるのだ。

 何故、あいつは毎度もこもこを悲しませるのか。


「――――」


 彼らにもこもこ専用浮き輪を渡したお兄さんは、いつものように目を瞑っている。

 ――ように見えて、ほんの少し眉間に皺が寄っていた。

 しかし、始まる前に終わってしまったもこもこ水泳教室に、彼が口を出すことは無い。



 湖の方で、大きな癒しの力が動いた。


 それを感じたルーク達は、魔石集めを中断し、クマちゃん達のもとへ戻ることにした。単独で動いていたクライヴも同じ考えだったらしく、途中で合流した彼らは、展望台のある場所よりも、さらに強い力を感じる場所へとやってきた。


 ――滝のような音が聞こえる。


 背の高い植物を、ガサリと雑に払い、前へ進む。

 太い樹々の間から、強い光が見える。

 最後の葉を腕でガサ、と避けると、三人はルークを先頭に、開けた場所に出た。


 視界がパッと、明るく弾けた。四方から光が彼らを包み込む。


 全身に光を浴びる彼らの前を、輝く水で出来た蝶が、ひらひらと横切っていった。


 ウィルとクライヴが立ち止まっていると、魔王のような男がふらりと動き出した。

 突然森の中に出来た楽園で、何かを見つけたらしい。


 魔力を纏ったルークの手が、天から滝のように落ちる水を、布を除けるかのように払った。

 男は己の身体を有り余る魔力で覆うと、緑がかった美しい水色の中を長い脚でスタスタと歩き、ひとりでどこかへ行ってしまった。

 水の抵抗を少しも感じていないような、普段通りの足運びで。


 

 それはあまりに幻想的で美しい、キラキラと輝く水と花の楽園だった。

 ウィルは目の前の光景に胸が震え、声を出すことも、動くことも出来なかった。


「…………」


 少しのあいだ無言で景色を眺め、ゆっくりとした動きで、輝く滝へ近付いた。


 服が濡れたことも、それが水ではなくお湯だったことにも気付かなかった。

 装飾品を着けた腕をシャラ、と持ち上げ、空から落ちる水にふれる。


 ウィルはルークと同じように、身体を魔力で覆った。

 そうして、美しく輝く花や、流れる水と植物のカーテン、真っ白な柱と丸みを帯びた屋根など、心惹かれる場所を調べるため、自由に生きる鳥のように羽ばたいていった。


◇ 


「……これは、白いのが――」


 もこもこを象徴するような純白と、もこもこが大好きな蝶や花々が、鮮やかな湯に満たされた空間を彩っている。


 クライヴは視線を巡らせ、それらをじっと見つめた。

 つくった者の美しい心を表すようなその景色に、感情を強く揺さぶられる。


 この広い楽園のどこかに、これを生み出したものがいるはずだ。


 彼は身も心も美しいクマちゃんを探すため、お湯の温度が下がりそうな魔力を纏うと、パキ……パキ……と何かが割れる音を立てつつ歩き出した。

 迷うことなく、強大な魔力を追って。



 リオは服を着たまま湯の中に腰を下ろした。可愛いクマちゃんを抱っこしたまま、かすれ気味の声で尋ねる。


「クマちゃん、泳ぐ練習する?」

 

 彼の腕の中の可愛いもこもこは、幼く愛らしい声で彼に答えた。


「クマちゃん、クマちゃん」


『クマちゃん、泳げる』と。


 そんな馬鹿な。とは言わなかったが、かすれ声の男は似たようなことを言った。


「えぇ……一ミリも泳げてなかったじゃん」


 リオは目を限界まで細め、己を知らないもこもこに不審なもこもこを見るような視線を向けた。クマちゃんの主張は間違っている、という気持ちをこめて。


◇ 

 

 彼の腕の中で仰向けに抱っこされているクマちゃんは、深く頷いた。

 リオのかすれた『――泳げ――たじゃん』に同意するように。 

 

「だよね。…………いや――何か違う気がする……」


 何かに違和感を覚えたリオは、可愛いクマちゃんのつぶらな瞳に疑いの眼差しを向けた。

「…………」ひとりと一匹が、無言で見つめ合う。


 すると背後から、マスターの声がした。


「ルークか」


 もこもこ水泳教室の方へ、魔王のような男の強い魔力が近付いてきている。

 クマちゃんの大好きなルークが、仕事を切り上げて戻って来たらしい。

 長身で容姿端麗な黒服の男が、膝の高さまである水の中を歩いているとは思えないほど自然な足取りで、スタスタとこちらへ向かってきている。

 

 マスターの言葉に反応したクマちゃんは、幼く愛らしい声で「クマちゃ」と言った。


『るーく』という甘えた声が聞こえた。


「……ほんとだ」

 

 リオはクマちゃんの態度の違いに若干もやもやとした何かを感じたが、自身の感情に疎い彼は、それがどういう(たぐい)の感情なのか分からなかった。

 彼は魔王のような男が彼らのもとへ到着する少しのあいだ、ひたすら可愛いもこもこを撫で続けた。         



「…………」


 可愛いもこもこを腕の中から奪われてしまったリオは、若干不貞腐れていた。


 森の魔王のような男は不貞腐れた金髪を意に介さず、愛しのもこもこから大歓迎を受けている。

 どうやらクマちゃんは、大好きな彼が予定よりも早く戻ったことに大喜びしているらしい。

「クマちゃ~ん、クマちゃ~ん」といつもより甘えた声で、ゴロゴロと喉を鳴らす猫のように大興奮中だ。

 

 マスターとお兄さんとその後ろを浮遊するゴリラちゃんは、そんな二人と一匹のようすを静かに見守っていた。


 少しして到着したのは、佇んでいるだけで水温を下げる男クライヴだった。

 彼はひたすら真っ直ぐに、心が洗われる美しい楽園をつくった純真なもこもこを探しに来たのだ。


 そして美しいものと可愛いクマちゃんをこよなく愛するウィルは、ふらふらと美しい楽園の景色を愛でてから、最後にようやく彼らのもとへと辿り着いた。


 

「クマちゃんの作った美しくて素敵な楽園を、皆で散策したいのだけれど」


 エメラルドを溶かしたような水色の景色によく似合う、南国の鳥のごとく美しい青髪の男は、遠回しに皆へ告げた。


『ここから出る気はない』と。


 彼らの上司であるマスターには、笑顔を浮かべている派手な男の思考が簡単に読めた。

 しかしさきほど目にした水中の回廊のように、彼らの身長よりも深い場所が他にもあるかもしれない。

 あとで暇な奴らに調査させればいい話ではあるが――。


 チラ、と視線をやると、愛くるしいもこもこが、つぶらな瞳でマスターを見ていた。


「……こんだけ広けりゃ、こっから全部は見えねぇからな。白いのが作った場所に危険はないと思うが、どこに何があるかぐらいは知っておいたほうがいいだろ」


 懐の深いギルドマスターは格好良く苦笑して、派手な男の意見に同意してやった。


 しかたねぇな、と。


◇ 

 

 キラキラと輝く水が、宙に浮かぶ大小の花から零れ落ちている。


 彼らが――ザァー――と流れる水音を聞きながら美しい温泉のなかを歩いていると、ルークの腕の中のもこもこが、幼く愛らしい声で「クマちゃん、クマちゃん」と言った。

 クマちゃんは肉球が付いたもこもこのお手々で、どこかを指している。

  

『クマちゃん、お花ちゃん』と。


「お花ちゃんって…………デカ!!! 何あの花!」


 蔦や花で飾られた繊細な作りの真っ白な建物――屋根の部分が半球の、東屋のような、柱と屋根に白や水色の美しい花や蔦が巻きついている美麗な建物――の陰にあったせいで気付かなかったが、水の上に、巨大な睡蓮のような花が咲いている。


 樹が爆発しようが建物が崩壊しようが気にしない、大雑把で無神経で無表情な男ルークは、当然花がデカいくらいでは騒がない。

 彼はもこもこを抱いたまま、スタスタとそちらへ近付いた。

 抑揚の少ない、色気のある低い声が、腕の中のもこもこに尋ねる。

 

「何かあんのか」


 もこもこはルークの腕を肉球でキュムッと押して、クマちゃんはここで降ります、と合図を送った。


「…………」  


 彼は可愛いもこもこの意向を汲み、淡く光る薄青色の巨大な睡蓮の真ん中、黄色い部分へクマちゃんをそっと降ろした。

 すぐ側で見ていたリオは言った。

 

「え、それ黄色い粉つくんじゃね?」


 彼は悲しい未来を予見した。真っ白なもこもこが黄色いもこもこになってしまう、悲しき未来を。


 しかし、彼らの目に黄色いもこもこが映ることはなかった。

 花びらが可愛いクマちゃんをそっと包んで隠してしまったからだ。

 

「……クマちゃんデカい花に食われちゃったんだけど」


 若干心配そうなリオの声が聞こえたせいなのか、初めからそういうものなのか――彼らの視線の先、巨大な睡蓮の纏う光が次第に強くなる。花びらが、微かに動いた。

  

 青く光る大きな花びらが、ゆっくりと開いてゆく。

 その中から少しずつ、真っ白でもこもこの、謎の生き物が見えてくる。

 その生き物は、短くてもこもこした可愛いお手々を胸元で交差し、じっと、何かを待っているようだった。


 そして花びらが開き切った、そのとき――。


 真っ白なもこもこは短いお手々をバッと広げると、ピンク色の最高に可愛い肉球を彼らへ見せつけ、幼く愛らしい声で、

 

「クマちゃん」

 

と言った。  

 

『クマちゃん』と。おそらく驚愕しているであろう彼らに、『なんと、このデカすぎる花から凄い勢いで現れたのはクマちゃんだったのです』と種明かしをするかのように。ただそれだけを。

  

「いや知ってるし! つーか他のもん出てきたらそっちのがびっくりだから!」

 

 可愛すぎるクマちゃんに謎の憤りを感じたリオは「なに? お花ちゃんから妖精ちゃんみたいな可愛いクマちゃんが生まれたよってこと?」と、微妙にツンツンした口調で己が感じたそれを露呈した。

  

「すげぇな」

 

 ルークは無駄に色気のある低い声で、愛しのもこもこを褒めた。

 そして、長くてスラッとした筋肉質な腕を伸ばすと、たった今お花から生まれた、お花の妖精クマちゃんを抱き上げ、その頬を指先で擽るように撫でた。


 お花ちゃんなもこもこは、大好きな彼に褒められ興奮したらしく、濡れた鼻をふんふんふんふんしている。


「とても愛らしくて素敵だと思うよ。本当にお花の妖精みたいだね」


 ウィルは腕の装飾品をシャラシャラと鳴らし、生後約一分三十秒のクマちゃんへあたたかな拍手を送った。

「お花から生まれたからお花が好きなのかな」と納得したように呟いている。

 そうして優しく吐息で笑い、たった今生まれた赤ん坊を見るかのように、じっとクマちゃんを見た。

 

「――――」


 息を止め湯の中に跪いたクライヴは、苦し気に胸元を押さえた。

 お花から誕生してしまったクマちゃんの愛らしさは、彼には刺激が強すぎた。

 目に焼き付いたピンク色の肉球と、お花の真ん中でポーズを決める生まれたてのもこもこの姿が、彼の心臓を激しく締め付け苦しめている。

 

 マスターは腕組みをして佇み、可愛いもこもこが両手を広げて花から出てきた奇跡の瞬間を思い出し、目を和ませていた。

 が、その隣で何故か突然苦しみ出した男を放っておくことも出来ず、渋い表情で声を掛けた。


「……おい、大丈夫かクライヴ」


 ひざ下しか浸かっていないのに湯あたりでもしたのだろうか。

 しかし心配した彼の耳に届いたのは、冷え冷えとしているようで、どこか優しい「……おめでとう……」の言葉。それはもこもこの誕生を祝う声だった。


 一気に疲れが増したマスターは、自身の目頭をぐっと押さえ、クライヴの肩からスッと手をどけた。


「あー、大丈夫そうだな」


◇ 


「この花マジでなんなの? クマちゃんのための花なの?」


 大きな美しい花の用途が、もこもこがキュッと挟まったり隠れたりするためのものだと知らない迂闊な金髪は、それへ近付き覗き込んだ。

 すると、『美しいがクソデカい花』は彼の頭を優しく包み込もうとした。

   

「あぶなっ! ムリムリムリ俺花から生まれたくないから。ほんと無理だから」


 危険を感じたリオは、すぐに花から遠のいた。

 このままでは花から金髪が誕生してしまう。


 しかし後方へ逃げる瞬間、彼は腕利きの冒険者らしい表情で鋭い視線を向けた。花びらと中央の黄色の陰で、何かが光ったのだ。

 

「あれ、今なんか見えた気がする……リーダー、あの中何かあるっぽいんだけど」


 リオはそう言って後ろを振り向くと、魔王のような男へ声を掛けた。


 ルークはくだんの花の側で、もこもこの濡れた鼻にふれ「クマちゃ」と言わせたり、もこもこしたおでこを優しく(くすぐ)り可愛い口を開けさせたりして、有意義な時間を過ごしていた。


 なんでもできるこの男なら、花を傷つけず簡単にそれを取り出せるだろう。

 そんなリオの期待に応えてくれたわけでは絶対にないだろうが、めんどくせぇとは言われなかった。

 

 あたりにフワリと風が吹く。ルークの魔法だ。

 花の中央付近から、キラリと太陽の光を反射し、何かが出てくる。


 ルークはもこもこを抱いたまま、片手でそれを掴んだ。

 すると、気になったものの匂いを何でも嗅いでしまう猫のようなクマちゃんが、菱形のそれに顔を寄せ、小さな黒い濡れた鼻を、ピトっとふれさせた。

  

 周囲に、カシャ――と、奇妙な音が響いた。 

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