千紗と私 『問わず語り』番外編
私は佳也子。九年前、夫の転勤に伴って、家族四人でM県から首都圏某所に引っ越して来た平凡な主婦だ。幼稚園児だった息子たち二人も、今やもう中学生。育児にはあまり手が掛からなくなった。その代わり、塾だの何だの、これからますますお金が掛かるようになる。そんなわけで、週に四日、病院清掃のパート勤めをしている。
そんな私が、ひょんなことがきっかけで始めた、小説投稿サイトでの創作活動。それがなんと、もう二年も続いている。我ながら、こんなに続くとは思っていなかった。文章を書くことは楽ではないが、何ものにも代えがたい楽しさがある。
とはいえ、小説を書いていることも、それを投稿していることも、まだ誰にも打ち明けていない。家族は勿論、友人や知人にも極秘だ。なぜって? 恥ずかしいからに決まっている。
いや、誤解しないでいただきたい。小説を書くこと自体を恥ずかしい行為だと言っているわけじゃない。それに、自分の作品をそこまで卑下しているわけでもない。ただ、普段は絶対使わないようなしゃらくさい言い回しや比喩表現を駆使して書いた、やけに気取った文章を、面が割れている人間に堂々と見せる鋼のメンタルを持ち合わせていないだけだ。
夕食後の後片付けを終えた私は、連載中の小説を更新すべく、自室のベッドに仰向けに寝転がった。スマホを眼前に掲げ、投稿サイトを開こうと指を近づけた途端、『祥子』の名前が画面に表示され、耳慣れた着信音が鳴り響いた。
「ふぇい」
「あっ、佳也子? 珍しくすぐ出てくれた!」
相変わらず声がデカい。私は耳からスマホを少し離した。受話音量はかなり低く設定してあるにもかかわらず……
「……今日はいったい何用? どうせまた、お姑さんの愚痴とか会社の愚痴とか、それとも娘の愚痴とか、イチゴ狩りに行ってきたとかやろ?」
祥子の電話は、いつもだいたいそんな他愛もない内容だ。忙しいときは正直出るのが面倒くさいので、「ラインでええやん」と何度も言ったが、「直接話したいから!」と、彼女は決して譲らない。
祥子は私の幼なじみだ。若い頃は、お互いの失恋を慰め合ったり、大喧嘩して絶交したりもした。しかし、いつの間にか元通り付き合っている、ある意味腐れ縁とも言える仲である。
「私、そんなに愚痴ばっか言うとる?」
「うん。だいたい」
毒舌なようだが、今やお互い言いたいことを言い合っているので、これくらいのキツイ物言いは日常茶飯事だ。
「ごめ〜ん。でも、今日は愚痴やないでぇ。佳也子にお願いしたいことがあって電話したんさ」
「お願い?」
「うん。実はな、佳也子に千紗の友だちになってもらえへんかなぁって思ってな」
「えっ、千紗の友だち? どういうこと?」
祥子は元々エキセントリックなところがあるが、また突拍子もないことを言い出したものだ。千紗は祥子の娘である。幼い頃は私によく懐いていて、うちの息子たちを連れて遊びに行くと、とても嬉しそうにしていたものだ。しかし、我が家がこちらへ引っ越してからは、帰省した折に時々顔を合わせる程度だった。それに、彼女が高校生になってからはすっかり疎遠になっていた。その千紗と私がどうして友だちに? 正直わけがわからない。
「……千紗さぁ、最近反抗期なんさ」
「ふぅん、ちょっと遅めやな。中学時代は何ともなかったん?」
「うん。私の言うこと何でも素直に聞くええ子やったで」
「へ〜、育てやすい子やって、祥子いつも言うとったもんなぁ」
「そうそう、最近まではな。でも、今は捻くれとってめちゃくちゃ憎たらしいんやで」
「そりゃしゃあないよ。そういうお年頃やし、親にまったく反抗せえへん子の方が怖いよ」
「まあなぁ……。そやからな、佳也子にお願いしたいわけよ。私の代わりに、あの子の悩み事とか聞いてあげて欲しいんさ。友だちとして」
「ちょっと待て。何でそうなる? どこのJKが、母親と筒抜けの仲のアラフィフおばさんに悩みとか打ち明けるん? リアルの友だちに相談したらええやん!」
「それがさあ、千紗って友だちに本音を話すのが苦手みたいで。最近失恋して落ち込んどったんやけど、誰にも相談してないんやて。千紗と佳也子、めっちゃ性格似とるやん? 佳也子になら千紗も話しやすいかなぁって……」
「う〜ん、まあ、私も千紗とはかなり性格似とるなぁって前から思っとったけどさ……」
「やろ? なんか素敵やん、年の差のある友人て」
「いや、まあ、素敵やとは思うけどさ、恋愛相談は気まずいやろ、お互いに」
「そうかなぁ? あんた私より経験豊富やし、何かええアドバイスしたってよ」
「あのなぁ……、どう考えても変やろ? 母親の親友に、母親公認で恋愛相談するとか。私もどんな顔して聞いたらええか分からんわ。だいたい、千紗本人の気持ちはどうなん? あんたはいっつも勝手にあれこれ先走るんやから!」
「え〜っ、そう? やっぱりそうなんかなぁ……」
「そうやで、勝手に盛り上がり過ぎ!」
「う〜ん、そんならさぁ、いきなり友だちは無理としても、あの子の書いた小説読んであげてくれへん?」
またしても突飛なことを言い出した。
保育園時代から四十年来の付き合いだが、祥子との会話は毎回先が読めない。
「え〜っと、小説……?」
「うん。あの子さ、文芸部なんよ」
「ん? テニス部やなかった?」
「一年生まではな。二年からは文芸部。仲良い子に誘われたんやて。それに、千紗って元々小さいときから物語書くの好きやったし」
「えっ、そうなんや」
千紗にそんな趣味があったとは初耳だ。祥子は教育熱心な母親で、千紗がまだお腹にいる頃から絵本をどっさり買い集め、音読して胎教に勤しんでいた。そのためか、小さい頃の千紗が本好きだったのは覚えている。しかし、創作まで好きだとは知らなかった。こんな身近なところに、同好の士がいたわけだ。かと言って、「わお! 奇遇やなぁ! 私も最近、小説書き始めたんやで〜」とは言い出せない私だ。
「でな、文芸部で書いた作品、お母さんも読んで感想聞かせて欲しいって言うんやよ」
「へえ、自信あるんや。読んであげたらええやん」
「う〜ん、そやけどさぁ、私、小説ってまったく読まんやん? 漫画とか実用書なら読むけどさ。佳也子も知っとるやろ?」
「あ〜、そう言やそうやったなぁ」
「やろ? そやから本好きの佳也子に頼みたいわけよ。千紗の書いた作品、本人から佳也子のスマホにメールさせるでさぁ、読んで感想送ってやってくれる?」
「感想かぁ、苦手やわぁ……。でも、千紗の書いた小説は読んでみたいかも……。そやけど、私に見せるん抵抗ないかなぁ?」
「ないない。誰彼構わず読んで欲しそうやもん! そしたらさっそく佳也子のメールアドレス、千紗に教えてもええ? ラインも」
「えっ、あ、うん」
「ぃやったぁ! 千紗と佳也子がお友だちになるきっかけが出来たやん!」
「まだそれ言うか」
こうして、千紗と私は連絡を取り合うことになった。
千紗もよく了承したな、とは思ったが、よほど読者に餓えていたようで、「ありがとうございます! これ、顧問の先生や部員の皆に高評価をもらった作品なんです! 佳也子さんもぜひ、感想を聞かせてください!」と、見るからに前のめりの添え書きが付いた短編小説が、即座に送信されてきた。文字数は、五千文字くらいだろうか。
「えっ……、凄っ!」千紗の作品を読んで、私は思わずそう呟いた。高校生にしては、驚くほど文章力が高い。いや、むしろ、昨日今日書き始めた私より巧いかも知れない。物語の内容も面白いし、構成もなかなかしっかりしている。さすがは幼少期から書き続けてきただけある。
(感想、どうしよう……)
思いの外完成度が高すぎて、白々しく褒めちぎるばかりのコメントをするのも逆に失礼なような気がしてきた。
「ここをこうすればもっと良くなるんじゃないか……」などと思ったりもするが、千紗は私が小説を書いていることなんて知らないのだ。下手なアドバイスなどすれば、「書いたこともないくせに、お前何様やねん!?」と思われかねない。そう思うと、上手い感想を書けないまま、気が付けば一週間近く経っていた。
考えてみたのだが、これだけのものを書けるなら、私なんかに感想を求めるより、小説投稿サイトに投稿してみればいいのではないだろうか。そう、私と同じ、「小説家になろう」に。ここなら読者はわんさかいる。あの文章力をもってして「女子高生でぇす!」なんて初々しくデビューすれば、きっと熱心なファンも付くだろうし、感想も貰えるだろう。そうアドバイスしようか……。いや、しかし、千紗の母親の友人として、不特定多数の大人と繋がってしまうこのサイトを紹介するのは如何なものか……。う〜ん。でも、文芸部員なら『なろう』や他の小説投稿サイトの存在は既に知っているのでは……? う〜ん。
私はそんなことをぐるぐる考えて、ひとり悶々と悩んだ。何だか心臓までバクバクしてくる。それと言うのも、千紗の送ってきた作品、そして、もう一本追加で送ってきた作品も、ジャンルで言うと紛れもなく『ヒューマンドラマ』なのだ。
(ジャンル被るやん! バレるかも知れんやん、私の投稿が!)
千紗の母親、祥子には、私の書いている連載作品にこっそりとご出演いただいている。ま、ず、い。ヤツが読んだら「これ私やん!」てなる。うわあぁぁぁぁぁ!!でも、千紗の才能を埋もれさせておくのは惜しい!!
どうすればいいんだろうと懊悩しつつ、私は遅ればせながら千紗の作品への感想を書いた。その文章は、千紗の書いたものと比べてあまりにもアホっぽかったが、千紗は「こんなに長々と感想をいただけて感激です!」と、たいそう喜んでくれた。「新作待ってま〜す!」とラインしておいたから、きっとまた、新たな作品を送ってくれるだろう。
祥子の望む『友だち』という形ではないにしろ、私と千紗は読者と作家として繋がったわけだ。あとは私が「おばちゃんも創作仲間やでっ!」と打ち明けさえすれば、本当の友情が芽生えたりもするのかも知れない。しかし、私にはそれを言う勇気はまだないのであった。