魚の目
「夏のホラー2009」に参加しようと張り切って書いたのですが、こちらのミスで参加に失敗してしまった恥ずかしい作品です。
どうしてだろう?
急いでいたのに隆太はふと電話ボックスに目をとめた。携帯電話を持つようになって数年、公衆電話なんてもうずっと使ってない。
表通りの、人通りの多い幅広の歩道。日曜朝のこの時間はおしゃれに着飾った若者が大半だ。
茶色い金属のフレームに囲まれたまあきれいなボックスだ。隣の街路樹の陰で中は暗い。用のない電話ボックスになぜ自分が注目させられたのか、中に目を凝らすと、電話帳のホルダーの上に何か光る物が置かれている。
どうせ大したものではないだろうと思いつつも、日陰で重く湿ったドアを開け、隆太は中に入った。扉が閉まると耳栓をしたように外の音が遠くこもったように聞こえる。
それは、
指輪だった。
真珠・・を模した、おもちゃ屋か縁日の露店で売っているような子供向けのおもちゃの。
ちっ、くっだらねえ。
隆太は元通り指輪を載せると、電話ボックスを出た。
デートの待ち合わせに10分遅れてしまった。むくれる祐美とはアイスの三段重ねで折り合いがついた。
機嫌を直した祐美と楽しく歩き出した。
おしゃれな通りを人波に交じってウインドウショッピングしていると、どうも祐美はそわそわと、何かせっぱつまったような顔でちらちら後ろを気にする風にしだした。
「なに?」
隆太が振り向こうとすると、
「駄目! ・・今は、まだ、見ないで・・」
小さいが切羽詰まった感じで言い、そのただならない感じに隆太も緊張して言われるまま前を向いて歩き続けた。
しばらくして、
「ほら」
祐美は立ち止まると小さく早口で隆太に呼びかけた。
「分かったでしょ?」
ね?というように同意を求められたが、隆太にはさっぱり分からない。
高級ジュエリーの大きなショウウインドウの前、黒い布地のひな壇にアクセサリーがディスプレーされているガラス面が鏡になって覗き込む二人を映している。
何?と問う隆太に由美はじれったそうに小さな鋭い声で言った。
「女が見てるでしょ?気味悪い眼帯の女が!」
隆太はびっくりして黒い鏡をまじまじと覗いた。
「さっきからずうっとついてきてるのよ? あたしたちが立ち止まったらやっぱり立ち止まってじっとしてるわ」
隆太はまじまじと背後の人の流れを覗き見て、
「どこ?」
と祐美に訊いた。祐美は驚いて、
「いるじゃない、あなたの右肩の後ろに」
と言ったが、隆太には、その女は、
見えなかった。
「どこ? 分からないよ」
そういう隆太に、祐美は目を丸くして、じれったそうに
「いるじゃない、そこに!・・」
とうとう振り返って、呆然とした。
「いない・・・・・・」
隆太は笑って言った。
「よかったじゃないか。どっか行っちゃったんだよ。俺たちも行こうぜ?」
「・・帰る」
祐美は暗く言って元来たほうへ引き返し始めた。隆太はあわてて肩を掴まえた。
「放して!」
祐美は驚くほどきつく言って、きつく隆太をにらみ、表情を和らげると申し訳なさそうに言った。
「隆太、気をつけたほうがいいよ。あたしは・・いやだから・・」
ごめんねというような顔でさっさと歩き去った。
「なんっだよ・・」
隆太は腹を立てるより、呆然と立ち尽くした。
その夜から、右手の人差し指がムズムズと、何か違和感があって気になって仕方なくなった。
むずがゆい感じが、三日もするとゴリゴリグリグリと痛み出した。何かに触ると、ズキリと痛みが手首を突き抜けて走った。
指の腹の案外厚い皮の下に、何か丸い固いものができていた。
魚の目だ。
よりによってこんなところに、と痛くて、邪魔で、腹が立ってしょうがない。
学校が休みになってせっかく獲得したバイトもこれのせいでやめざるを得なくなった。
腹が立って、腹が立つといえば祐美とはあれ以来ケータイの電話もメールも徹底的に無視されている。
いったいなんだっていうんだ?、と、あれ以来の不幸にだんだん不安になってきた。
しかしできるだけ怪しげな方向に考えることはよして、現実的に、この邪魔な魚の目を治すことにした。
魚の目除去パッドという、貼ると皮膚を柔らかくして魚の目をはがし取れるばんそうこうを買ってきて、早速貼った。物によって3日から1週間くらいかかるらしい。
2日くらいして指の奥のほうにジュクジュクとした痛みが感じられるようになった。夜寝ていると激しい痛みに目を覚ました。ひどく熱い。痛みがもやもやしたものからはっきり刺すようなものに変わってきた。
これはよほど悪いものではないかと、医者に行くことも考えたが、結局1週間、我慢した。
我慢したのは、目が、なんだかおかしくなってきたせいだ。右目が、ひどく暗く、目の表面に何か汚れが浮いているように白い膜のようなものが視界を邪魔した。鏡で見ても右目に特に変化はない。テレビの見すぎだろうと考えることにして、意識的に、指の魚の目と結びつけることは避けた。
そうして1週間、風呂で湯船につかりながらすっかり白くふやけた指先からばんそうこうを取った。
いや、取ろうとしたら、パッドと魚の目のあったところの皮膚がくっついて、なかなかはがれなかった。無理にはがそうとすると、まるで糸でつながったように、右手人差し指から、手首、腕、肩、首とつながって、右目が、ばんそうこうを引っ張るたびにチリチリ、ビクビク、ズキリ、と、つながって痛んだ。
隆太は恐怖に震えながら、突っ張る痛みに顔面をひきつらせながら、思い切ってパッドを引きちぎった。
「アッ!・・・・・・」
途端に右目に爆発するような激烈な痛みを感じて両手で覆った。
痛みに顔をゆがめながら目をぱちぱちさせた。左目は普通に見えている。
恐る恐る手をどけて、右目を明るい電灯の下に開くと、
「!・・・・・・」
隆太は絶句した。
湯船から見上げる浴室内に、女がいた。
薄汚れた白いワンピースを着て、長い黒髪をだらだらと前に垂らし、陰になった暗い顔で気味悪く口元を笑わせて左目で隆太を見下ろしている。
女は嬉しそうに
「やっと見てくれた」
言い、垂れた髪をかきわけ右目にかけた眼帯を外した。
「うわっ、わあああっ!」
隆太はたまらず悲鳴を上げ、湯船から飛び上がると、女の脇をすり抜けドアから外へ出た。
ふと、洗面所の鏡を見ると、隆太の右目は、
真白に濁っていた。
右指からはだらだらと血を流し。
気が遠くなるように、まるで自身幽霊なったような顔を鏡の中に見ていると、横からすうっと女が割り込んできて、隆太の顔に自分の顔を並べた。嬉しそうに、
「ずうっと見てたの。これからはあなたも見てね」
女の右目は、黒い穴が、底がないように奥深く開いていた。
終わり。