第四話『戦闘』
王都アギニスから一歩出ると目の前に広がる、広大な平原。どこまでも続いているかのようにも見える、『ガルディール大平原』という名のフィールドには、俺と同じように、狩りを目的としたプレイヤーが大勢集まっていた。
流石、サービス開始直後。全員が初期装備。こういう光景が見られるのは、サービス開始直後だけだ。少し時間が経つと、初心者狩りや、低レベルのフレンドを手伝うためにやってきた高レベルプレイヤーもいて、中々見られない。これはこれで、貴重な光景なのだ。
チュートリアル曰く、ゲーム開始から72時間……つまり、日本時間2月4日の正午までは、全プレイヤーのプレイヤーキルシステムが封印されている。そりゃあそうだ。ゲームが始まってすぐに、フィールドがプレイヤーによる戦場と化すのは、誰しも望まない。
また、72時間が経過した後も、一定のレベルに到達するまでは、合意無しのプレイヤーキルを受けない。運営による善意だろう。
「さて……俺もぼちぼち始めるか」
ゲーム開始直後のプレイヤーのイベントリには、武器屋と防具屋で、それぞれ初期装備を一つずつ買う分の『メギル』が入っていた。メギルというのは『オブオブ』における通貨で、初期資金は1500メギル。
武器が700メギルで、胴体防具が500メギル。頭や腕防具なら残りの金額で買えないこともなかったが、ポーションが1つもないというのは少々心許ないため、残りの300メギルで、1本150メギルの最下級HPポーションを2本購入した。
武器屋にあった武器も、長剣や大剣、弓、長杖、大盾といったシンプルなものばかりだった。チュートリアルにあったような珍しい武器は、序盤ではまだ手に入れられないということだ。そりゃあそうだ。
俺が購入したのは、もちろん長剣。ギリギリ刃が欠けていないといったような、質の悪い長剣だ。
それから、革の鎧。なんだかこう、凄く、『ゲーム序盤』という感じがして、かえって童心をくすぐられる装備だ。
さて。町での収穫の一つに、情報がある。それによると、ここ、『ガルディール大平原』に現れる……ポップするモンスターは主に4種類。
俊敏な動きと、鋭い爪や牙で多彩な攻撃を繰り広げてくる、狼型モンスター、『アッシュウルフ』。
空から急降下し、針のような嘴で攻撃してくる鳥類モンスター、『ニードルビークル』。
強靭な顎と集団性が脅威となる、巨大なアリ型モンスター、『バイターアント』。
4種の中で最も高い攻撃力を誇り、一撃必殺の突進を繰り出してくる猪型モンスター、『ブラウンボア』。
特徴だけを聞けば、どれも最初のフィールドに出現するとは思えないほどの強敵だ。いや、事実強敵なのだ。見れば、そこかしこでプレイヤーが死んでいる。序盤からこれとは、中々にやってくれるゲームだ。
「標的は……ブラウンボア」
狙うは、茶色い毛並みの猪、ブラウンボアだ。理由は簡単、消去法だ。
まず、動きが速く、攻撃力も高いアッシュウルフは、ゲームを始めたての初心者には厳しい相手だ。俺もまだこのゲームに慣れているとは言えない。故に、排除する。
次に、俺はパーティーを組んでいない。群れを成し襲ってくるバイターアントは、今のこの装備でソロで狩るには、少々難易度が高すぎる。
残ったのは、ニードルビークルとブラウンボアだ。
ニードルビークルは通常時、空を飛んでいるが、攻撃をする際にはプレイヤー目掛けて急降下してくる。近接武器を扱うプレイヤーでも、この瞬間を狙えば狩ることが可能だ。
また、小さな鳥類モンスターというだけあって、HPは低めに設定されているらしい。狩るのはそう難しくないだろう。
ブラウンボアは攻撃力こそ高く、ゲーム開始直後の現在では、突進一撃で死ぬ可能性もある。しかし、主な攻撃方法が突進と体当たりくらいしか存在せず、HPは多いが隙も大きい。落ち着いて対処すれば、そう難しい相手ではない。
この2つからブラウンボアを選んだ理由は、単に効率の問題だ。
ニードルビークルは、攻撃のために急降下してきたタイミングでしか攻撃ができない。そのタイミングを逃すと、倒すのに時間がかかってしまう。
その点、ブラウンボアは攻撃の隙を狙えば好きなだけダメージを与えられる。ニードルビークルよりHPが多くとも、倒すまでの時間はこちらの方が早い。それに加え、ニードルビークルよりも少しだけ経験値が多い。ソロで戦うには打ってつけの相手だ。
そうと決まれば。ある程度人の狩り場を奪わないよう、ブラウンボアの湧き場を探していく。すると、視界の端に放置されたブラウンボアを発見した。
「良さげなポイント……決めた、あそこで狩ろう」
他のプレイヤーに取られるよりも前に、走ってそのブラウンボアまで接近する。そして、ブラウンボアがこちらに気付くのとほぼ同時に長剣を引き抜いて、駆け抜けざまにその横腹を斬り付けた。
赤い血が舞う。やはり、ゲーム本編でもリアルに描写されているのか。
「……っと、油断してるとチュートリアルみたいになるぞ、ってな!」
ブラウンボアの短くも凶暴な牙が、先程まで俺がいた場所を襲う。接近した俺を振り払うために、頭を振り回して暴れたのだ。
それを後方へ飛んで回避し、片膝をついて着地すると、そのまま剣を右肩に担ぐように構えた。
レッドスラッシュ。長剣系バトルスキルで、ゲーム開始時から覚えている唯一のスキルだ。
赤いエフェクトが剣に絡み付く。それを確認するよりも前に駆け出し、暴れ終わったブラウンボアの頭部目掛けて剣を振るった。
エフェクトを纏った剣が、ブラウンボアの大きな頭を斬り裂く。少し派手な音が響いて、ブラウンボアは大きくのけ反った。
今の音はなんだ。チュートリアルでは、レッドスラッシュにあんな音はなかったはずだ。
と、そんな疑問はチュートリアルウィンドウが解決してくれた。どうやら、一定確率で発動する『クリティカルヒット』によって、あの派手な、そして重い音が発生するらしい。効果はダメージ増加とひるみ値増加。ブラウンボアが一撃でのけ反ったのも、クリティカルヒットによって増加したひるみ値が一定ラインを越え、ひるみ判定となったからだろう。
これはチャンスだ。のけ反りの時間はそう長くはないようだが、確かなチャンス。
スキルの技後硬直が解けると同時に、続け様に頭部に斬撃を加えた。レッドスラッシュは、まだ再発動時間からあけていない。通常攻撃での斬撃だ。
頭を斬り続けるのに抵抗はあったが、血こそ噴き出すものの、肉が抉れたりだとか、部位が欠損したりだとか、そういった仕様にはなっていないようだから助かった。部位破壊というシステムは存在しているらしいが、特定のモンスターの特定の部位にしか発動しない。ブラウンボアだと……。
ブラウンボアがのけ反りから回復する直前。その凶暴な牙が鈍い音と共に折れ、転がった。そうだ、ブラウンボアの破壊可能部位は……2本の牙。
武器を一つ失い、ブラウンボアは怒り狂う。だがしかし、本当に偶然発動したクリティカルのおかげで、ダメージはかなり稼いだ。もう敵のHPは2割程度しか残っていない。
怒り狂ったブラウンボアは、なんの予兆もなく、突然俺に向けて突進攻撃を繰り出してくる。いや、町で聞いた通り。通常時では足で地面を蹴る動作を取るが、怒り状態では直前に、一瞬だけ頭を下げる。それが突進の合図だ、と。
咄嗟の回避だったが、なんとか間に合った。ブラウンボアの突進を横に飛んで回避し、着地した勢いをそのままに、突進を終えてこちらに振り返ったブラウンボアの体目掛けて突撃する。
レッドスラッシュはリキャストからあけ、突撃の最中に剣を右肩に構えた。そして、突進の合図なのか、一瞬だけ頭を下げたブラウンボア目掛けて……ギリギリのところで、一撃を加えた。
先程よりも更に大きくのけ反るブラウンボア。見れば、HPが全損していた。そのまま大きな音を立てて倒れ、ブラウンボアの体が赤いポリゴンになって霧散していく。
「……最初のフィールドに配置するには強すぎないか?」
ポリゴンが左手の宝片に吸収される。その様を見届けながら、凄まじい疲労感と達成感に襲われた。
「ま……VRゲームなんて、このくらいの方が戦ってる感じがして、楽しいけどな」
と、初めての戦闘に興奮しながら……油断していた。
ドドドドという地鳴りのような音が聞こえるや否や、振り返った俺の体が、天高く宙に舞う。一体、何が起きたのかが分からなかった。
そして、空から地面を見下ろすと……そこには、さっき倒したのとは別の個体のブラウンボアがいた。ただ突っ立っているだけの俺を見つけ、襲ってきたのだろう。奴らはこちらが攻撃を仕掛けなくても、見つけただけで襲いかかってくる『アクティブ』モンスター。棒立ちのプレイヤーがいて、そいつが攻撃範囲内にいたなら、襲いかかってくるに決まっている。
「しま、った……油断した……」
どさりと、痛みと共に地面に叩きつけられる。これだからダメージを受けたくなかったのに。
HPゲージは留まることを知らずに、急速に減り続けていた。そして、少しの慈悲も与えず、全損した。
——こうして、俺はゲーム起動から1時間ほどで、最初のデスペナルティを受けた。敵を倒しても、決して油断してはいけない……そんな当たり前のことを、改めて心に深く刻み込んだ日になった。
次回更新は9/18です。