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千夜の魔宮の物語  作者: 黒崎江治
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第六夜 鋼鉄の針 -3-

「前方だな。もうこっちに気がついてる」と、エトゥは言いました。「ネイネイ、タルにまじないをかけてやってくれ。まずはおれとラーシュで対処する」


「分かった」と、ラーシュも慣れた様子で応じました。


「まじないをかけるって、どんな?」と、タルナールはネイネイを見遣りました。なんの説明も受けず、筋骨隆々の巨人に変えられても困ります。


「私の術は、ものが本来持っている力を強めること。目に施せば闇を見通し、毛布にかければ凍えを防ぎ、楯に使えばより硬くなる。いまからあなたの槍を鋭くするまじないをかける。そうすればきっと、石の壁だって貫ける……かもしれない」


「かもしれない?」


「やったことないから。でも多分、できる」と、ネイネイはやや自信なさげです。


 タルナールとしては言い切ってほしいところでしたが、仕方ありません。彼女の説明を聞く限り、たとえまじないが失敗したとしても、そこまでの害はなさそうです。ネイネイに槍を差し出し、まじないをかけてもらうことにしました。


 ネイネイが呪文を唱えはじめると、彼女の黒い髪はざわめき、その中に交じる銀糸のようなひと房が、星に似た不思議なきらめきを放ちはじめました。


 小さな口から漏れ出るひとつひとつの音は、複雑な節となり、謎めいた単語となってよりあわされ、繊細な魔術の糸を紡いでいきます。それはいっとき宙に浮かんだかと思うと、すぐに周囲の空気へと溶けていってしまいました。


 そしてネイネイは穏やかな声でこう結びます。


〈槍よ。剛直なる槍よ。汝、()く主の敵を貫きたまえ〉


 これで、まじないはすっかり完了したようです。とはいえ変化といえば刃に薄い光の靄がかかったことぐらい。ありがたそうな見た目にはなりましたが、果たして効果はありやなしや。


「これで大丈夫。あとは威力を信じて、しっかり突くこと」と、ネイネイは言いました。


「二人とも、来るぞ」


 そのとき、前方を警戒していたラーシュから声が飛びました。


「じゃあ、あとはお願いね」


 ネイネイの緊張した面持ちに、いよいよタルナールも気を引き締めます。


 普通より鋭くなったらしい槍を構えながら、タルナールは薄暗がりを睨みつけました。


 やがて姿を現したのは、大きさが羊ほどある生き物。


 夜の獣です。


 肢が六つあることで、普通の動物と違うのは瞭然でした。額の中央から生える一本角は渦を描くようにねじれ、実に禍々しい様相を呈しています。肉体は星明かりさえない夜に似た真の闇色。表面を覆っているのが、皮膚なのか毛皮なのかも判別できません。


 赤く光る凶星のごとき目を見つめていると、いままでに味わったいかなる種類の恐怖とも違う、得体の知れない感情が湧きあがってきます。


 これが夜の獣。〈魔宮〉が孕む異形の落とし子。


 おお、なんとおぞましく、妖しげな存在でしょうか。


 タルナールが竦む間もあればこそ、ねじれた角を振りかざしながら、夜の獣がまっすぐこちらに向かってきます。広いとはいえ限られた洞窟の空間。対決しないわけにはいきません。ラーシュが長剣を構え、エトゥが弓の弦を引き絞ります。


 一瞬ののち、ひょう、と矢が放たれ、獣の目に突き刺さりました。寸分も狙いをあやまつことのない、実に見事な射撃です。


 しかし獣の突進は衰えません。既にラーシュが角の間合いです。


 危ない!


 あわや致命的な貫通。ですがそこはラーシュも剣に見あう技量の持ち主でした。


 月光色の刃が、目にもとまらぬ速さで閃きます。


 タルナールが瞬きをする間に、獣は角を斬り落とされ、首元から黒い血を噴き出させます。


 これもまた見事。比類なき斬撃です。


 目を射抜かれ、首に深手を負い、さすがに突進の勢いは弱まります。しかしそれでも、なお、夜の獣は足をとめません。おそらく息がある限り、血肉が熱を持つ限り、この生き物は攻撃をやめないのでしょう。


「タル、行ったぞ!」と、ラーシュが叫びました。


 あわよくば最初は見学で済ませる、というわけにはいかないようです。


 やるしかない。腹を括れ。タルナールはネイネイの言葉を信じ、目を瞑りたくなる気持ちを必死で押さえつけます。敵はもう三歩の距離。憎悪のこもった息遣いが、熱く肌に感じられるほどの近さです。


 タルナールは素早く身を躱しざま、逆手に持った槍に力を込め、獣のうなじを斜め横から、気合とともに突き刺します。


 そしてどうなったか?


 槍は抵抗らしい抵抗もなく、深々と柄の半ばまで埋まりました。皮を破り、骨肉を穿ち、臓腑を抉り取り、刃はその下の岩盤にさえ易々と達します。


 地面に縫いとめられた夜の獣は、角を振り回し、口から泡を飛ばし、じたばたと四肢もとい六肢を動かしますが、もはや一歩も進むことかなわず、ただ傷を広げるのみです。


 勝負は決しました。


 普通の槍ならこうも簡単にはいかなかったでしょう。素人の刃など、分厚い皮でとめられたっておかしくはありません。


 見た目こそ地味なネイネイのまじないですが、その効果は鮮烈でした。


 タルナールがよろめいている間に、ラーシュ素早く駆け寄ってきて、動けなくなった獣の腹に深々と刃を突き刺しました。黒い肉体はそれでもしぶとくのたうっていましたが、度重なる致命傷を受け、やがて完全に沈黙します。


 夜の獣は死にました。


 タルナールはようやく胸を撫でおろし、大きく息をつきます。


「大変な稼業だ。命がいくつあっても足りないんじゃないか?」と、思わず弱音が口をついて出ました。


「慣れればそこまでじゃない。おれが狩っていた森の獣はもっと賢かった。こっちは攻撃的だが、その分狩りやすい」と、エトゥは死んだばかりの獣を見おろし、腰から肉厚のナイフを抜きました。タルナールを手招きし、解体の講釈をはじめます。


「こういう大きい個体は、燃やしてもあまりアモルが採れない。ただ、胃の近くに(ふくろ)があって、そこにアモル石が入ってる」


 獣の腹にナイフを入れると、臓物がどろりと溢れ、ひどい臭気があたりに満ちます。エトゥは慣れた様子で腹の中に手を突っ込み、ひときわ黒々とした嚢を掴み出しました。その周りについた肉をナイフで削ると、血と体液にまみれた、親指大の結石が現れます。


「これがアモル石だ、タル」


 タルナールは掌に載せられたそれを、まじまじと眺めます。薄い黄褐色の外見は、そこらの石とさほど変わりありません。


「この大きさでいくらぐらいになる?」と、尋ねてみます。


「金貨二枚、というところだろう。二、三日潜って、もう一匹狩れば、都市の職人よりいい生活ができる」と、エトゥは答えます。しかし景気のよい内容とは裏腹に、あまりうきうきとした口調ではありませんでした。


「ちなみにこの肉、食べられるのかな?」


 タルナールは興味本位で聞いてみます。


「金属みたいなひどい味がするから、よっぽど飢えたときでもなければ、食べない方がいい。目玉と肝臓はマヌーカに渡すと喜ぶ。薬としては価値があるのかもしれない」


 さすが、狩人をしていただけのことはあります。エトゥは解説を加えながらも手をとめず、あっという間に必要な部位を切り取ってしまいました。こうしてタルナールたちはさほどの足止めを食うこともなく、再び〈魔宮〉奥へと歩きはじめました。


       *


 さらに一刻ほど行くと、それまで広かった道は段々と狭く、曲がりくねるようなものになってきました。しかしここまでは到達した人間も少なくないようで、道に迷わないための目印も残っています。


 そしてしばらく歩くうち、もうもうと湯気の立ち込める場所に行き当たりました。空気にまじる硫黄のにおい。出所を探ってみれば、地面から熱水が湧いています。


「今日はここで野営しない?」と、ネイネイは提案しました。その口調は心なしか浮き立っています。「タルも疲れてるだろうし、エトゥも汚れたからさ」


「そうだなあ」と、ラーシュはぽりぽりと頭をかきます。最終的な判断は彼がくだす決まりのようでした。「そうするか」


 野営といっても地下ですので、雨の心配は必要ありません。飲み水や食料にもまだ充分な余裕があります。腰をおろして必要な荷物を出せば、そこがただちに野営地となります。


「女だからってわけじゃないが、ネイネイは綺麗好きでね」と、ラーシュは言います。「ムジルタの人間はだいたいそうらしい。でっかい桶に湯を張って、その中に入る習慣があるんだとさ。身体を洗うのに随分手間をかけるんだな」


「一応、僕の国にもそういう文化はある」と、タルナールは応じました。「こっちの場合はいちいち沸かさないし、しょっちゅうやるのは育ちのいい女性ぐらいだけど」


「結構不潔だし、臭うと思うんだけど」と、ネイネイが辛辣に男たちを責めます。「硫黄と麝香の臭いで鼻が馬鹿になってるんじゃないの」


 特に争うつもりもないラーシュは、肩をすくめて食事の準備をはじめます。タルナールは休んでいていいと言われたので、ネイネイと温泉を試してみることにしました。


 とはいえ全身浸かれるだけの水量はありませんでしたし、また温度も高すぎましたので、靴を脱いで足を入れるだけです。それでも朝から買い出しと探索でむくんだ足に、硫黄混じりの湯がじんわりと沁み、タルナールは疲労が溶けだしていくのを感じました。


 水さえ潤沢にあれば、湯に浸かるというのもいい文化かもしれない。その思いは口から息として漏れ、やがて小さな歌声となります。


 遠く異国で飲む水は苦く

 故郷の甘き泉を想う

 されど新しき友と語る夜

 硫黄も蜜の美酒なれば

 世は旅人の溢るるを知る


 苦難の土踏む長き道よ

 繰り返される時の流れも

 隣歩む足音聞けば

 千夜も一夜の楽しみとなり

 今日も旅路に歌は流れる

 

「歌は好き」と、ネイネイは言いました。彼女はタルナールが歌う間、半ば目を閉じ、ぼんやりとそれを聞いていました。「歌には力があると思うから。魔術とはまた別の力が」


「僕もそう思う」と、タルナールは応じます。「だから吟遊詩人になった」


「お、身の上話か」


 やりとりを耳に挟んだラーシュが首を突っ込みます。タルナールは苦笑しながら湯からあがり、荷物からリュートを取り出します。


「夜は長い。せっかくだから話して聞かせよう」


 ポロン、とリュートをかきならし、タルナールは芝居がかった口調で言いました。


「このタルナールという人間が、どのようにして歌と物語の虜になり、〈魔宮〉へやってくることになったのかを――」

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