第五十八夜 災禍の呼び声 -6-
ジャフディと別れ、しばらく道行を続けていたマヌーカたちは、やがて野営地の方角からやってくるダバラッドの斥候に捕捉されました。守護者の軍勢もすでに異変を察知し、なにごとが起こったのか把握すべく、あちこち動き回っているようでした。
「わたしくはアモルダートにて、バーラムの配下を務めておりました」と、マヌーカは率直に身分を明かします。「シャルカン陛下に申しあげたき儀がございます。どこにおられますか?」
斥候たちは別段敵対的というわけでもなく、駱駝二騎ばかりをマヌーカたちの随伴としてつけると、残りは砂塵をまきあげながら、アモルダートの方へ走り去っていきました。
そのまま騎行を続け、やがてマヌーカたちは野営地へと入ります。天幕の合間を行き交う兵士たちの中には、並外れた体躯を持つ戦士の一団もありました。鋼の槌矛を操り、天空の怪鳥さえ叩き落とすという、無双の誉れ高き巨人隊の兵士たちです。
彼らを加えた軍勢の規模は、いまやおよそ二千近くまで膨らんでいるようでした。
「守護者陛下の幕屋はこっちだ」
駱駝をおり、斥候に導かれるまま進んでいくと、壁のように張られた幕の内側に、いくつもの大きな幕屋がありました。外にある簡易なものとは違い、材木を使ってしっかりと設えられているそれらは、アモルダートにある半端な住居より広く、とても快適そうに見えました。
乗ってきた駱駝をハアルとアミナに任せ、マヌーカが幕屋のひとつに立ち入りますと、そこは一面に無地の絨毯が敷かれ、いくつかの地図や木製の模型が転がる、広々とした空間になっておりました。どうやらここは普段から、大人数の会議などに使われている場所のようです。
幕屋の中央近くには、士官と思しき厳めしい顔の男たちが幾人か腰をおろし、アモルダート周辺の地理が示された大きな図を囲みながら、なにやら今後の作戦を練っているようでした。奥側には退屈そうな守護者と、陰気な顔をした長身の男――大臣アズバァイルの姿もありました。
マヌーカがゆっくりそこに近づきますと、シャルカンがふっと目線をあげ、歓待の態度を示すように、大きく両腕を広げました。
「おお、お主、無事であったか。アモルダートの様子はどうじゃ」
「すでにお耳に入っていることかとは思いますが、〈魔宮〉より夜の獣が湧き出し、人々を襲っております。原因は分かりません」と、マヌーカは答えました。
士官たちはそれを聞くと唸り声をあげ、互いになにやら囁きを交わしました。アズバァイルはすっと目を細め、硬質な声でマヌーカに尋ねました。
「バーラムは?」
「不可解な言葉を手記に残し、忽然と消えました」と、マヌーカは答えます。「おそらくはもう戻らぬものと思います。しかしたとえ彼がいたとしても、災禍の火を消しとめることは叶わなかったでしょう。いまや夜の獣たちはアモルダートを滅ぼし、その外へもあふれ出そうとしています」
マヌーカはここで一度言葉を切り、うやうやしく跪いてこうべを垂れました。
「命を脅かされ、逃げ惑うか弱き人々の代わりとして、わたくしはシャルカン陛下にお願い申しあげます。どうかその勇敢なる軍勢をもって、わたくしどもをお救いくださいませ」
「堅苦しいのう! マヌーカよ」と、シャルカンは笑いました。「安心するがよい。我を誰と心得る? この守護者に任せておけ」
「陛下、まだ状況が明らかになっておりませぬが――」
「ええい、アズバァイル。我に恥をかかせるな」
シャルカンは自分の膝をぴしゃりと叩き、大臣の思慮深い言葉を遮りました。
「我は夜の獣がどれほど恐ろしげな存在か、自ら見て知っておるぞ。刀を取り、実際に戦ってもみた。そのうえで言っておるのだ。あのようなものに民を襲わせてはならぬ」
「しかし陛下――」
「しかしもなにもないわ。民を守らずしてなにが守護者か。お主も普段から、守護者らしくなさいませ、守護者らしくなさいませ、と母親のように口うるさく言っておったではないか。いまがまさにその機会であろう? そうであろうが?」
アズバァイルはさらに反論を考えているようでしたが、結局は、これ以上シャルカンに逆らうのを得策でないと感じたのでしょう。すっと無表情の仮面をかぶり、仰せのままに、と引きさがりました。
「ほれ、いつまでもかしこまっておらんで、我の隣へ座れ、マヌーカよ。アモルダートからの使者として、お前も会合に参加してもらうことにする」
「憚りながらお尋ねいたしますが、どのような会合でございましょう?」
「もともとは、アモルダートを奪るための算段であった。しかし今回のことがあったからには、少々議題を付け加えねばならん」
シャルカンはにやりと口元を歪めて言いました。
「実のところ、我らはすでにシーカのキンク・ギルザルトとも、ケッセルの姫君とも通じておるのだ。まあ、我らというか、もっぱらアズバァイルが、ということになるか。考えてもみるがよい。我の隣にいるこの男は、海千山千のひしめくダバラッドで大臣にまでのぼりつめたのだぞ。バーラムがいくら才覚に優れているとはいえ、易々とおくれをとるはずもなかろうが?」
言われてみれば、それも当然の話。おそらく彼ら三つの勢力は、かなり早い段階から、アモルダートの富をどのように分割し、分配するか話しあっていたのでしょう。若き勇将キンク・ギルザルトや〈戦姫〉ジェディア・イリーンがいくら武闘派であっても、兵力で勝るダバラッドから交渉を申し入れられれば、応じぬ道理はありません。
「人が揃うまではもう少しかかろう。とはいえこの状況で、集まるかどうかは分からんが。まあ、それまではお主の話を聞くことにする」
守護者おん自らが耳を傾けてくれるというのなら、断る理由はありません。マヌーカは勧められた通りシャルカンの右隣に腰をおろし、はてどのように話したものかと少し思案してから、今日の朝、バーラムの城館に向かってから見聞きしたことを、包み隠さず彼らに伝えました。
「ほう、それはなかなか面白い。〈唯一なる者〉とな? 我が子どもの時分、教師がそのような話をしていた気もする。もっと真面目に授業を聞いておればよかったわ。アズバァイル、どのような人物であったかのう?」
マヌーカが手記の内容についてはひと通り話したあとで、シャルカンがこのように言いました。
「寡聞にして存じあげませぬ」と、アズバァイルは答えます。
「読書家のお主が知らぬか。いやしかしあの教師、これは秘された歴史である、とかなんとか言っておったような気もするな」
「歴史から抹消される権力者というものは、過去にも例がありますな」
アズバァイルが言っているのは、きっと抹消刑のことでしょう。これは危険な思想を持ち、また影響力の大きい政治犯や反逆者に対して、ダバラッドでおこなわれることのある刑罰です。
死刑であるのはもちろんですが、受刑者の意思を継ぐ者が出ないよう、受刑者に関するあらゆる記録さえ、後世に伝わらないよう抹消されるのです。実際にどれほどの例があるのかは分かりません。なにせ記録に残らないのですから。
「もしそうならば、随分と杜撰な仕事であるな。その者は抹消されるどころか、いまや決まり文句となるほど、民の心に根づいてしまっておる」
「あるいは、よほど慕われた人物だったのやもしれませぬ」と、アズバァイルが言いました。「名を称えることを禁じられてなお、忘れがたき存在だったのかと」
「おお、それはがぜん興味が湧いた!」と、シャルカンは膝を叩きました。
「〈魔宮〉にひそんでいたドゥーザンニャードなる妖霊によれば、その者はエルトラなる名を持つようです」と、マヌーカは以前にタルナールから聞いた内容を伝えました。「わたくしが推察いたしますに、古今無比の王者にして魔術師かと。……それはそれとして、いま気になっているのはアル・アモル。この存在、大臣どのはなにか存じませんか」
「カリヴィラの魔術師たちであれば、知る者がいるかもしれぬ。あるいはムジルタの里で賢者を求めてみるか。しかし、呼び寄せる時間はなかろう。我らが急ぎ考えねばならぬのは――」
アズバァイルはちらりとシャルカンを見遣り、またマヌーカに目線を戻しました。
「いかにして民を守るか、ということ」
「うむ、うむ。その通り」と、シャルカンは満足げに頷きました。
そのとき、幕屋の入口からひとりの兵士が入ってきました。彼はマヌーカたちの前で跪き、このように告げました。
「申しあげます。ケッセルの野営地より、ジェディア・イリーン以下四名が到着されました」
「通すがよい。陽物を握り潰されんようにな」と、シャルカンは言い、愉快そうにくっくと笑いました。
曖昧に同調した兵士が御前からさがると、また別の兵士がすれ違うように入ってきて、このように告げました。
「ただいまシーカの野営地より、騎士エシュヴァル以下五名が到着されました。キンク・ギルザルトの名代と申しております」
「本人を呼んだはずじゃか、どのように言い訳しておる?」
「廃砦より湧き出した獣に対処中ゆえ、本人は来られぬ、と」
「ならば致し方なし。その名代とやらを通すがよい」
兵士をさがらせたシャルカンは、腕組みをして床に目を落としました。
「マヌーカよ。ときに、タルナールたちの所在を知っておるか?」
「……折あしく、先日〈魔宮〉へともぐり、まだ戻ってきておりません」
「夜の獣への対処を考えるにあたって、助言を求めようとも思うたが、そうか……。いまは、無事を信じるよりほかあるまい。なに、きっと生きておるとも」




