第五話 鋼鉄の針 -2-
買い出しを終えた一行は、荷物を抱えて〈病人街〉まで戻ってきておりました。
「はじめて見たとき不思議に思ったんだけど、〈魔宮〉の入口って、もしかしてこれなのか?」
タルナールが指し示したのは、〈病人街〉の中央にそびえる、黒い陵墓のような建物です。
「ああ、そうだ。よそ者が勝手に入り込まないようにしてあるんだ」と、ラーシュが答えます。
改めてよく観察してみると、黒い建物はすべての面が同じ大きさの立方体。壁は瀝青の塗料で滑らかにされていますが、装飾の類はいっさいありません。
側面に鉄でできた両開きの扉がひとつだけ取りつけられており、槍を持ったふたりの屈強な奴隷兵士がそれを守っています。奴隷兵士が身につけている腕輪の意匠は、彼らが意匠はバーラムの所有物であることを証していました。
「取引は全部バーラムが仕切ってる。俺たちから買い取った石に何割か利益を乗っけて、大都市で売るんだ。最初に見つけた人間の特権ってやつだな」と、ラーシュは言います。
「バーラムが最初に〈魔宮〉を見つけたのか」と、タルナールは尋ねました。
「そうだ。あいつはダバラッドの部族長でもその血縁でもない。最初はただの山師だったらしい。川にある砂金を掘りにやってきて、偶然〈魔宮〉と、そこにあるアモル石を見つけた。
ただ普通の人間より賢かったのは、アモル石を売るだけじゃなくて、売った金で人間を雇って街を作って、商売を大きくしたことだな。おかげで今は館で処女を侍らせて、毎日大宴会をやってるって話だ。
兵士も沢山いるし、ダバラッドの有力者にも金を配ってるから、誰もおいそれと手出しができない」と、ラーシュは説明します。
確かにあの立派な城館や、そこに出入りしている者の身なりを見れば、ラーシュの言うような光景は容易に浮かんできます。
タルナールはバーラムとたった一度会ったきりですので、その人となりについて詳しくは分かりませんでしたが、言われてみれば、偶然の幸運のみによって成りあがったのではない、才覚の片鱗を感じさせる人物であったような気もします。
「山師から成りあがった彼の物語、興味があるね」と、タルナールは言います。
「アモルを採って名前が売れれば、そのうちお目通りの機会があるかもな」と、ラーシュは冗談めかして言いました。
それから一行はいったん宿へと戻り、〈魔宮〉にもぐるための準備を整えました。皮鎧を着こみ、鋭い槍を手にすると、タルナールはまるで自分が歴戦の勇士であるかのような気分になりました。朝方に感じていた不安もどこへやら。
そして再び、一行は黒い建物の前に立ちます。
兵士の許可を得て鉄扉を通り抜けると、まずは石でできた階段が目に入りました。階段をくだるとそこは少し広い部屋になっていて、鉱夫と思しき人々が戦利品を並べ、兵士の検分を受けているところでした。
タルナールがちらりと窺った限り、それらは真っ黒な蠍か蜘蛛、あるいは鼠のように見えます。
「あれも夜の獣なのか?」と、タルナールはエトゥに説明を求めます。
「ああ。夜の獣にも小さいのから大きいのまでいる。浅い場所では小さいのがよく出る。アモル石は岩肌にこびりついてたり、転がってたりすることもあるが、実は獣の身体に由来してるんだ。浅い層で稼ごうとする鉱夫は、罠を仕掛けて小さい獣を獲る。もっと深い層まで行く鉱夫は、武器で大きい獣を殺すんだ」
そう。鉱夫という呼び方は、まだ土や岩の中からアモルが採れたときの名残にすぎないのです。
以前、鉱夫と夜の獣には切っても切れない関係がある、とお話したのを覚えておいででしょうか。それはつまりこういうわけなのです。アモルダートにおいて鉱夫とは、夜の獣を狩る者という意味なのです。
「小さな夜の獣を狩ったあとは、死体を集めて、燃やして、その骨や灰を水銀に入れると、中にアモルが溶けるの」と、錬金術の心得があるらしいネイネイが説明を引き継ぎます。
彼女はこれまで非常に物静かでした。タルナールに慣れていないのか、もともと自信がない性格なのか、いまも慎重に言葉を選んでいます。
「アモルはもともとこの世界になかった物質だと言われてるの。古代の魔術師が錬金術師と力を合わせて、異界から取り出してみせたものだって。けれどいまは作り出す技術も失われてるから、ものすごく高い値がつくの」
だから小型の魔獣から採れるわずかな量でも、日頃の生活を立てるには充分すぎるほどなのだ、とネイネイは言います。
「武器や防具としてアモル鋼に。装飾品としてアモル銀に。それからある種の魔術では触媒になるって聞いたこともあるけど、それは専門外だからよく分からない……」
「なるほど」と、タルナールは感心します。これまでアモル石のことを黄金のように貴重な物質としか考えていませんでしたが、ネイネイに言わせれば、もっと謎めいた由来を持つ、不思議な存在であるようです。
「大きな夜の獣になると、身体の中に石みたいなアモルの塊がある。たとえば拳大のアモル石を見つければ、金貨百枚にはなるんだ。純度が高ければその二倍、三倍って値がつくこともある」と、ラーシュは硬貨をつまむ仕草をしてみせました。
ダバラッドで流通しているダワーリー金貨が一枚あれば、庶民ひとりが五日から十日は食べていけます。それが百枚なら、うまく切り詰めて三年近くは生活できる計算。間違いなく大金と言えるでしょう。
とはいえそのためには、強大な夜の獣に挑まなくてはなりません。金銭にあまり興味のないタルナールとしては、遭遇する危険の方が気がかりです。かといって安全ばかり気にしていても、よい物語を作ることはできないのですが。
なんにせよ、今日のところは様子見ということになるでしょう。いったいなにが待ち受けているのか。タルナールは部屋を照らすランプの灯を背に、長剣を帯びたラーシュにつき従って、いよいよ〈魔宮〉へと足を踏み入れます。
*
太陽の熱射が砂を焼くアモルダートの地表と違い、〈魔宮〉の空気はずいぶんと涼しいものでした。かすかに硫黄のにおいが漂う場所もありますが、不思議と風が通るせいか、不快な感じや息苦しさはさほどでもありません。
はじめの半刻(一時間)ばかり、タルナールたちは家一軒が丸々入ってしまいそうなほどに広い通路を、ずんずんと進んでおりました。
灰色の岩盤に囲まれた筒のような空間には、小さな獣を捕まえるための籠や罠、ランプの照明が点々と存在していて、それらを設置したり回収したりする鉱夫たちの姿も、頻繁に見かけることができました。
ときおり、タルナールは横穴や分岐を目にしました。すぐ行きどまりになっているようなものもあれば、ずっと奥まで続いていそうなものもあります。慣れない人間がひとりでうろうろしていれば、すぐに迷ってしまうことでしょう。
「さっきエトゥが言ってたけど、はじめは壁からアモル石が採れたらしい」と、ラーシュが言いました。「それを根こそぎ削り取ったから、道がこんなに広くなった」
このあたりはまだ安全なようで、一行は気楽に話しながら歩きます。鉱山のように崩れたりしないのかとタルが尋ねると、その心配はない、とラーシュは答えました。
「岩盤がすごく丈夫なんだ。掘った人間はかなり苦労しただろうな。このあたりは元々あった洞窟を拡張したものらしい。俺たちはまだ全然奥に行ってないから、終わりがどうなってるかはまだ知らないんだ。ネイネイがいろいろと考えてるみたいだけど」
タルナールはこれまでに様々な土地を訪ねてきましたが、ここはどんな場所とも似ていませんでした。どういう文句を使えばこれを表現できるだろう? と、タルナールは頭の中で言葉をこねくりまわします。
そんな風にしながらさらに進むと、やがて罠も灯りもまばらになり、そのうちまったくなくなってしまいました。いままでちらほら見かけていた鉱夫たちも、このあたりまではやってこないのか、あたりはすっかり静かです。
ふと、炎ではない明かりを見た気がして、タルナールは前方の闇に目を凝らします。よくよく見てみれば、そこには天井からさかさまに生えた樹のようなものが、淡く青白い光を放っていました。
「洞窟樹だ」と、思わず声が出ます。
みなさんは御覧になったことがあるでしょうか? それは暗い洞窟や地下にだけ生育し、美しい半透明の幹を光らせる珍しい植物です。手触りはつるりと陶器のようで、強く握ればたやすく折れてしまいます。栽培も加工も難しく、装飾品としてかなりの高値で取引されます。
しかし、大きい。ふつうの洞窟樹はせいぜい掌と同じほどまでしか育ちません。けれどタルナールが目にしたものは、ほとんど人間の半身ほどに長く、そして複雑に枝分かれしていました。
いくつもの洞窟樹が天井から吊りさがり、あたりを照らしてさまは、おお、なんと幻想的な光景でありましょうか。砕けないよう二、三本持ち帰って売れば、それだけでひと財産築けそうです。
「洞窟樹を採ってはいけないって規則があるから、破らないようにね」と、ネイネイが釘を刺します。「暗くなるとみんな困るから。もちろんこれだけじゃ明るさが足りなくて、ランタンとか松明とか別の灯りも使うんだけど」
ネイネイの言う通り、洞窟樹の光は幻想的ながら、暗闇を追い払うまでには至りません。そろそろ足元も見えにくくなってきたころ、彼女は小さな声でまじないの文句を唱え、持っている杖の頭部を優しく撫でました。
すると、小さな檻に囚われた灰水晶の中に、光が生まれます。それは徐々に大きく強くなり、周囲を優しく明るく照らしました。タルが感嘆の声を漏らすと、ネイネイは恥ずかしそうに顔をうつむけます。
「これくらいは魔術師なら誰でもできる。私は――」
そのとき、ラーシュと並んで先頭を歩いていたエトゥが、なにごとかを察知したように動きをとめました。一行を手で制し、静かにするよう身振りで示します。
「獣の気配がする」
狩人の嗅覚が、闇に潜む存在を捉えたようです。タルナールは息を呑み、緊張に汗ばんだ手で槍の柄を握り直しました。
いよいよ、夜の獣と対峙するときです。