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千夜の魔宮の物語  作者: 黒崎江治
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第三十九夜 蛇と大君 -6-

「アモルダートの噂を聞いたのは、宮殿を出てから一年あとのこと。できたばかりの街ならば新参者も多く、わたくしのような人間がいてもさほど目立たないだろうと思い、向かうことにしたのです。もっとも既にハキム殿下は崩御なされ、シャルカン太子が守護者(ダワール)を継いでおられましたので、身をひそめる意味もあまりなかったのですが。……と、つい長々語ってしまいました」


「マヌーカよ、お主は喋りすぎるぞ」


 気づけば、さっきまでいびきをかいていたシャイタンが起きていて、腕枕で横たわったまま、こちらに顔を向けておりました。


「ここぞというときに事情を明かして、あっと驚かせようと思っていたのにのう!」


「それは大変ご無礼をいたしました。しかし詩人どのを前にしておりますと、ついつい口から言葉が出てくるのです」


 マヌーカに責任を押しつけられたタルナールは、表情で不本意を示しつつも、マヌーカの話を興味深く聞いていたことは否定しませんでした。ずっと面紗(かおあみ)に覆われている彼女の謎めいた口元を、束の間覗いた気分になっていたのです。


 一方で、ネイネイは少し違う感想を持ったようでした。


「使命に背いてまで、後宮(ハレム)の人たちを庇いたかったの?」


 タルナールには少々理解しがたいことでしたが、魔術師たちにとって使命というものは、単に師から与えられた課題や指示というだけでない、重要な価値を持っているもののようでした。


 それは人見知りで引っ込み思案なネイネイが里を離れ、わざわざ猥雑なアモルダートにやってきたことからも窺えますし、戦士や暗殺者として育てられたわけでもない若輩の魔術師たちが、マヌーカへの刺客として差し向けられたことからも窺えます。


 使命を重んじる者として、ネイネイにはマヌーカの裏切りが――タルナールが感じた以上に――不可解と思えたのでしょう。


「わたくしは使命に邁進する者を否定したり、蔑んだりはいたしません。魔術師どの」と、マヌーカはあくまで慇懃に答えました。「しかし憚りながら、師より与えられる使命とは、長き道行の指針であるとしても、魂を縛る鎖ではないかと存じます」


 わずかに虹色の光を帯びた黒い瞳が、ネイネイに向けられます。そのあまりに確固とした言葉と態度で、ネイネイは射すくめられたように黙り込んでしまいました。


 やがて彼女はわずかに首を振ったあと、ふいと背を向けて、寝転んだシャイタンの身体をまたぎ越し、ラーシュとエトゥのもとへ行ってしまいました。


「彼女の態度にも理はあります」


 その背を見送りながら、マヌーカはぽつりと言いました。


「魔術を身につけた者たちが私欲のままに徒党を組めば、一国を揺るがすほどの力を得ることも、さほど難しくはないでしょう。そうなれば世は乱れ、あるいは魔術師全体が悪として排斥されることにもなりかねません」


「魂を縛る鎖ではないにしても、欲望や力を抑えるための枷として、有用ではあるということか」


「はい。ですからわたくしを異端と呼んで蔑み、刺客を差し向けるというのも、ある意味では正当なことなのです。その運命をわたくしが甘受するかどうかは別として」


 それから、マヌーカはわずかに声を落として言いました。


「使命に背くことの代償はさきほど話した通り。しかし使命に従って歩む道も、決して安易なものではありません。特に、ネイネイの場合は。ですから詩人どの、彼女を助けてやってくださいませ。立ちどまって途方に暮れぬよう、ともに歩んでやってくださいませ」


「君は案外、面倒見がいいんだな」と、タルナールは言いました。


「そうでなければ、宿の主人などという役目は果たせません」


 マヌーカは面紗(かおあみ)の下で微笑みながら、控えめに目を伏せてみせました。


       *


 夜が去り、朝が訪れます。


 野営を撤収して探索を再開したタルナールたちは、歩きはじめて一刻と経たないうちに、遺跡の入口へと辿り着きました。長らく続いていた無骨な岩盤だらけの光景とは打って変わり、清廉な雪花石膏(アラバスタ)で造られた穹窿の広間が一行を迎えます。


「カリヴィラの宮殿にも、これほどのものはあるまい」


 シャイタンは広間の壁に施された、幾何学図形からなる繊細な浮彫を撫でながら言いました。マヌーカも感心したように天井を見あげ、ほう、と息を漏らしています。一度は訪れているタルナールでさえ、何刻でもこの場に留まり、悠久の時間に思いを馳せていられそうな気になります。


「先に進んでも問題ないか? ネイネイ」と、ラーシュが尋ねます。


 以前にこの広間から先へと進んだ際、太古の妖霊たちが作り出した魔術的な間道に踏み込んでしまったせいで、一行は危うく遭難の憂き目を見ることになりました。


 そのときは、壺に封じられていた妖霊の姫ドゥーザンニャードを解放したおかげで、なんとか帰還の方法を教えてもらって事なきを得ましたが、また同じことを繰り返せば、さすがに間抜けの誹りを免れません。


「門の作り方は理解できてるから、まっすぐ上に帰るだけなら、いつでも大丈夫」と、ネイネイは言いました。


「なら、もう少し進もう」


 浮彫に見とれているシャイタンを引っ張り、一行はさらに〈魔宮〉の奥へと進みます。先にあるのは、広間と同じ雪花石膏(アラバスタ)で造られた、水路のように滑らかな通路です。


 ドゥーザンニャードが言っていたことが本当なら、実に千の千倍という数の妖霊たちが造りあげたこの空間。エイブヤード山脈の地下深くに広がり、なおもその深奥を明らかにしない〈魔宮〉。建築を命じたエルトラという人物な何者なのかも、どうしてこのような場所を欲したのかも、いまだ謎に包まれています。


 そして、夜の獣がどこからやってきたのかも。


「シャイタン、今度は飛び出すな」


 前方から二匹の獣が迫ってきたのを見て、エトゥが釘を刺しました。


「分かっておる。分かっておる」


 少々自分勝手なきらいはありますが、シャイタンが身に着けた技は、決して生兵法というわけではありませんでした。持っている武器の価値に見あうかどうかはともかくとして、彼は優秀な指南役によって鍛えられたのであろう、端正な剣術で身を守ることができたのです。


 また、マヌーカはあまり進んで使いたがりませんでしたが、彼女の魔術も牽制や足どめに大層役立ちました。ですので、いま同行しているふたりは持久力という点でやや不足があるものの、戦力という点では一行の隙を埋め、背後を守る心強い人員になっておりました。


 そしてまた夜が去り、朝が訪れます。


 しばらくの間、タルナールたちは淡々と〈魔宮〉を進んでおりました。


「うーん。どうにも代わり映えしないな」


 遺跡の入口から丸一日。陽炎のように見える妖霊の門には最新の注意を払いましたから、妙な場所に飛ばされるのは避けられているはずです。しかしほぼ決まった間隔で現れる穹窿の広間を除けば、歩けども歩けども、目新しいものに出会うことはできませんでした。


 進んだ距離と方向をおおまかに見積もれば、一行はそろそろエイブヤードの峰々の、まさに直下へ辿り着こうとしておりました。


 あまりに変化のない道行が続いたせいで、はじめのうちは意気揚々としていたシャイタンも飽きはじめ、誰かなんぞ愉快な小話でも聞かせてくれ、などと言い出す始末。


 とはいえタルナールたちにとって、もとより今回は肩慣らしのつもりでしたから、さして成果がなくとも落胆するほどではありません。次回はネイネイが開いた門によってできる限り奥から歩きはじめ、慣れた四人でずいずいと探索を進めればいいのです。


 しかし一行が引き返すことを考えはじめたあたりで、エトゥがわずかな変化に気づきました。


「風の吹き方が変わった。妙なにおいもする。死体じゃないな」


 狩人の感覚は常に信用できます。タルナールたちは弛緩していた五感を引き締めなおし、通路の奥にじっと目を凝らしました。


 危険ななにかが向かってきているということはないようです。一行は充分に警戒しつつも、この単調な探索行に変化が訪れることを期待しながら、ゆっくりと進みます。


 これまでゆるやかにくねり、ときおり別の路と合流し、長々と続いてきた円筒形の通路は、ある地点で唐突に途切れました。その先にはぽっかりと、暗闇が口を開けています。


「広い空間に繋がってるみたいだ。これまでに通ってきた場所とは違う。……おい、 シャイタン!」


 ただでさえ好奇心旺盛なうえ、新しい刺激に飢えていたシャイタンが、エトゥの説明も制止も聞かず、懲りずに通路の出口へと近づいていってしまいました。しかし彼はちょうど通路が途切れるあたりではっとしたように立ちどまり、そのままへなへなと崩れ落ちてしまいます。


「おお、おお。危なかった。うっかり落ちるところじゃった……」


 タルナールが慎重に歩み寄り、シャイタンを助け起こしながら覗き込んでみますと、そこには信じられないほどに大きな縦穴がありました。


 これまでの通路と同様、壁材が放つわずかな光こそありますが、あまりに深いため、底を見通すことができません。反対側の縁を確かめようと視線を転じてみても、結果は同じでした。


「どこかにおりる場所はないのか?」と、ラーシュが縦穴を確認しながら言いました。


「ないようだ」と、通路が途切れた場所を探りながら、エトゥが言いました。「階段も梯子もなし。縄をかけるような突起もない。ネイネイ、門で穴の底まで移動することはできそうか?」


「慎重にやればできると思うけど、先が地底湖だったり、熱い硫黄が溜まってたり、夜の獣の巣だったりしたら……」


 縦穴の底も〈魔宮〉の一部と考えれば、ネイネイの言ったような場所である可能性は低いでしょう。それでも安全を確認することなしに飛び込むのは、さすがに無謀と言わざるを得ません。


 タルナールたちは色々と頭をひねりましたが、やはり現状の装備で進むのは不可能、という結論に達しました。


「仕方ない。今回は戻ることにしよう。次は壁をおりたり、深さを調べたりするための道具を持ってこないとな」と、ラーシュは最終的な判断をくだします。


 ひとまず、〈魔宮〉の新しい領域の戸口に立ったというだけでも、よしとするほかないようです。


 そして引き返すことを決めた一行が、適当な休息場所を見つけるため縦穴に背を向けたとき――


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