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千夜の魔宮の物語  作者: 黒崎江治
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第三十一夜 火焔 -7-

〈魔宮〉で戦った鉱夫の半数は見張りのため陣地に残り、もう半数は捕虜を連れてアモルダートへと帰還しました。意識を失ったラーシュにつき添って、タルナールとネイネイも、〈病人街〉の常宿まで戻ってきておりました。


「煙を吸いすぎただけみたい、しばらく安静にしてれば回復するはず」


 筵に横たえたラーシュのすすけた顔を、ネイネイが濡らした布で拭き取ります。タルナールとマヌーカは彼の服を脱がせ、炎や刃でできた傷の有無を確かめておりました。


 しかしあれほどの激戦に身を置きながら、ラーシュの傷は驚くほど少なく、深手と呼べるようなものはひとつもありませんでした。


「捕虜の処遇については、バーラム様が判断されるはずです」と、マヌーカが言いました。


「シーカ側と取引をするのか?」と、タルナールは尋ねます。


「わたくしからはなんとも分かりかねます。近々みなさまにも召集がかかるでしょうから。そのときお聞きになればよろしいのでは?」


 部隊に損害を与えられたキンクが、次はどのような手に出るか。もし彼が再び〈魔宮〉に軍勢を送り込んでくるとなれば、当然同じ轍を踏まぬようにするでしょうから、さすがに鉱夫たちにも大きな被害が出るでしょう。その先頭に立つラーシュはさらなる危険に晒されるに違いありません。


 タルナールの心配を知ってか知らずか、その半刻後、ラーシュが目を覚ましました。彼はしばらくぼんやりとしておりましたが、ネイネイが薔薇水をぱっぱと顔にかけてやると、多少なりとも意識がはっきりとしてきたようでした。


「戦いは?」と、ラーシュは尋ねました。


「勝ったよ。大勝だ。エトゥたちはまだ帰ってきてないけど、多分無事だろう。君のおかげだ、ラーシュ」と、タルナールは答えました。


「そうか……」と、彼は起こしかけた身を再び横たえて、ぐったりと力を抜きました。その勇壮なふるまいの裏には、相当の緊張や負担があったに違いありません。いまは疲弊するままに休ませてやろう、とタルナールはラーシュを気遣いました。


 さらに一刻のち、エトゥが宿に戻ってきました。彼の報告によれば、斥候たちは撤退するシーカ兵たちを襲撃し、ふたりを捕虜にしたとのことでした。


〈魔宮〉での戦いにおける結果を述べますと、アモルダート側には死者なし、負傷者がラーシュを含めて四人であるのに対して、シーカ側が確認できる死者四名、捕虜十四名、負傷者多数、というものになりました。


 動員した兵力の実に四割を失ったわけですから、シーカ側にとっては実に手痛い敗北です。


 酒場では鉱夫たちが喜びに沸き、大声で戦いの顛末を喧伝しながら酒を酌み交わしております。しかしタルナールの気分は、彼らほど浮き立っておりませんでした。


 確かに、緒戦の勝利は嬉しいものです。それでもやはりこれは緒戦に過ぎません。シーカの地上部隊はまだ二百人以上残っており、劣勢と見ればさらに増援が寄越されるでしょう。


 それからもちろん、守護者(ダワール)や〈戦姫〉の軍勢だっているのです。たとえラーシュが無双の剣士であり、タルナールたちが知恵を絞っていい作戦を考えたとしても、全部を相手にしてうまくアモルダートを守りきることなど、到底できそうにありません。


 期待すべきはバーラムの政治手腕ですが、強大な兵力を背景にした猛者たちにどこまで通用することか……。


 タルナールが今後について様々な思いを巡らせているうち、アモルダートの夕は暮れていきます。早くも天球に顔を出しはじめた星は下界の争いなど素知らぬ顔で、ただただ清く冷たい輝きを投げかけるだけでありました。


       *


 シーカ兵を撃退したあと、焼け焦げた陣地は復旧され、鉱夫たちが交代で警戒を続けておりました。それより浅層では小さな夜の獣からアモルを採る作業が再開され、ひとまず〈魔宮〉の半分は解放されたことになります。


 バーラムの計らいにより、宿や食事は無償になりましたので、鉱夫たちは食い扶持の心配をすることもなくなりました。


 しかしアモルダートを取り巻く情勢は相変わらず。廃砦を占拠しているシーカ軍、北方に野営地を築いているダバラッド軍、西方で不穏な動きを見せるケッセル軍が、互いに睨みあいを続けておりました。


 誰かがアモルダートに乗り込もうとすれば、すかさず横槍を入れてやろうという魂胆なのでしょう。しかし三者とも同じように考えているからか、動こうにも動けないでいるようでした。


 均衡が崩れる前に謀略を巡らせて紛争の解決を図る。それがアモルダート市民のもっとも臨むところであり、バーラムの生き残る道でありました。


 そんな彼からタルナールたちが呼び出されたのは、〈魔宮〉での戦いから二日後のことでした。


 鉱夫たちを率い、シーカ兵たちを撃退したこと自体への報酬は、ささやかながら既に受け取っていましたから、またなにやら面倒な用を申しつけられるのだろうな、とタルナールは想像しました。


 とはいえ煙のせいで寝込んでいたラーシュもすっかり元気になり、次なる動きを待っていたというのもまた偽らざるところです。


 そして数日ぶりに、一行はバーラムの館を訪れました。


 以前にタルナールたちが訪れたのは豪奢な応接間でしたが、今回奴隷の少女に案内されたのは、それよりももっと私室に近いような部屋でした。窓のない、やや狭苦しいとさえ思える空間。


 敷かれた絨毯の上には、大きな紙に書かれたアモルダート周辺の地図が広げられており、その周りには各所から届けられた、あるいは作成中と思しき羊皮紙の文書が何枚も散らばっておりました。


 そしてタルナールたちを呼び出した本人は、広げられた地図を睨みながら、入ってきた客人に注意を向けることもなく、低い声でぶつぶつと呟きながら、なにやら考え込んでいる様子でした。


 タルナールが話しかけようとすると、バーラムはさっと手を挙げてそれを制しましたので、四人は仕方なく適当な小布団に腰をおろし、話が切り出されるのを待つことにしました。


「例の件はご苦労だった」


 やがて、バーラムは地図から顔をあげて言いました。彼の顔は数日前に比べてやつれたように見え、落ちくぼんだ眼窩の中では、赤く充血した目玉が飢えたような光を放っておりました。


守護者(ダワール)を制御できん役立たずの部族長どもからは資金を引き揚げた。〈戦姫〉にも文を送っているが、まだ返事はない。しかし、キンク・ギルザルトからは交渉の申し入れがあったぞ」


「相手の要求は?」と、タルナールは尋ねます。


「一騎打ちだ。一騎打ちで物事を決めることになった」と、バーラムは言いました。「シーカからはキンク・ギルザルト。そして指名はお前だ、ラーシュ」


「……それはあなたの発案じゃないのか」


 タルナールは憤りと猜疑の表情を隠すことなく、バーラムを睨みつけました。シーカ兵対処の指揮をラーシュに執らせるというだけでも充分冷酷であるのに、腹違いとはいえ兄弟に直接刃を交わさせるとは、およそ道徳的な所業とは思えません。


 バーラムはタルナールの指摘を否定しませんでした。悪びれた様子さえ見せませんでした。しかしそのような態度を取られたにも関わらず、ラーシュは至極冷静なままでした。


「単純に名誉をかけた一騎打ちってわけじゃないんだろ?」と、彼は言いました。「勝てばなにがもらえて、負ければなにをしなきゃいけないんだ?」


「向こうが勝てば、我々はシーカ兵捕虜を無条件で返還し、廃砦より奥の〈魔宮〉における、優先的なアモル採取の権利をシーカ側に譲渡する」と、バーラムは言いました。「こちらが勝てば、シーカは〈魔宮〉および廃砦から撤兵し、我々と向こう半年間の相互不可侵の取り決めを結ぶ。どちらにせよ、戦闘行為は終結する」


 もし一騎打ちの申し出をラーシュが断るならば、タルナールにとってもやりようがあるのです。バーラムの非道を糾弾し、逃げてしまうなり、ほかの者に助力を求めるなりすればよいのですから。


 シーカやケッセルの軍を引き入れるのは仁義にもとりますが、守護者(ダワール)の支配であれば、アモルダート市民にとっても、さほど不都合ではないでしょう。


 しかしこれまでの様子からして、ラーシュは兄であるキンクとの融和を求めているどころか、むしろ積極的に反抗したがっているように見えました。


「分かった。その話、請けよう」と、ラーシュは言いました。


「本当にいいのか」と、それまで口を挟まなかったエトゥさえ、心配そうに声をあげました。


「大丈夫だ」と、ラーシュは頷き、拳で自らの胸をどんと叩きました。「俺は負けない」

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