第二十三夜 根源を求めよ -4-
伝説の邪竜、とジャフディが呼ぶ夜の獣と戦ってから、丸一日が経ちました。
時間から言えば最初の広間、つまり遺跡の入口まで戻ってきてもおかしくないのですが、はじめエトゥが、ほどなくして全員が違和感を口にしはじめました。もしかして、行きとは別の道を通っているのではないか? と。
「途中で分岐を間違えたんじゃねえのか」と、ジャフディが言います。
「いや、そのはずはない」と、エトゥは強く否定しました。「そもそも、間違えるほど多くの分岐はなかった」
タルナールはこの狩人の方向感覚に多大な信頼を置いていましたが、五人で話しあった結果、念のため〈魔宮〉の奥方向へ少し戻ってみることになりました。
そして一刻ほどの時間をかけて、最寄りの分岐まで移動し、改めて正しい方向を見定めようと試みました。しかしジャフディたちの一団が残した痕跡などから考えても、やはり道を誤ったわけではなさそうだ、と判断せざるを得ませんでした。
「兵士の一団も来てるはずなんだよな」と、タルは確認します。「ジャフディ、彼らを見たか?」
疲れ切った顔の小男は、ゆっくりと首を振ります。
「いいや、あの邪竜のところまで誰とも会わなかった」
「全体の構造からして、違う道を通って奥に行ったとは考えづらい」と、エトゥは言います。
これまで通ってきた雪花石膏の通路は、まるで樹木の根が幹へと繋がるように、小さな川が集まって大河となるように、ひとつの方向へ合流するような形となっていました。
ですからエトゥが言う通り、奥へと進むための道はふたつとないのです。そして帰りも、分岐を誤らない限りは、同じ道を戻ってくるはずです。
兵士の一団は無事に帰ることができたのでしょうか? あるいはずっと奥の地点で全滅してしまったのでしょうか? それともタルナールたちと同様、〈魔宮〉のどこかで途方に暮れているのでしょうか?
一行が首をひねっていたとき、ネイネイが控えめな口調で意見を述べました。
「もしかすると、エーテルを流すための仕掛けによって、空間が複雑に接続されているのかもしれない。あるいは……」と、彼女が言いかけたそのとき、通路の片隅にうっすらと、陽炎のようなものが現れました。「あの揺らぎに触れたとき、なにかが起こった」
「つまり、アレに触れば、もとの道に戻れるってことだな!」
不安で判断力の鈍ったらしいジャフディが早合点し、ぱっと陽炎の方に駆けていってしまいます。
「おい、待て!」ラーシュの制止にも関わらず、ジャフディは陽炎に触れ――
消えてしまいました。
タルナールたちは思わず、おっ、と声をあげたあと、あたりを見回します。
ジャフディの姿はどこにも見えません。彼は完全にこの場からいなくなってしまったのです。
「放っておくか?」と、エトゥが言います。それも一案だな、とラーシュが応じました。
「本当に戻れる可能性もあるのかな?」と、タルナールはネイネイに意見を求めます。
「望みは薄いと思うけど……」と、ネイネイは眉根を寄せて、怪訝そうに陽炎を見つめました。「ずっとここにいるよりはいいのかもしれない」
彼女が言う通り、一行は既に帰り道が分からなくなっていました。食料も潤沢とは言えず、助けが来る望みも薄い現状、わずかでも手掛かりがあるならば、それに縋ってみるよりほかに仕方がないように思われました。
「よし、行こう」と、ラーシュが言いますと、全員の腹も決まりました。陽炎に触れ、次々と消えていく仲間の背を見送ったあと、タルナールもえいや、とその中に足を踏み入れます。
果たして、そこはいままでの場所ではありませんでした。とはいえ浮遊感があったりもしなければ、めまいも頭痛もありませんでしたから、気をつけていなければちょっと見間違いでもしたのかな、と済ませてしまえそうなほどでした。
以前に陽炎を通り抜けたときには穴をくぐる途中だったので、場所が移ったことに気がつかなかったのでしょう。
見れば少し先の方にいたジャフディが、拳大のなにかを拾いあげているところでした。
「宝だ! 俺が見つけたんだ!」と、彼は所有権を主張するように、拾ったものを高々と掲げてみせました。さきほどまでもとの道に戻ることで頭がいっぱいだったくせに、なんとも節操のない男です。
タルナールたちが見てみると、それは塩や香辛料、蜂蜜などを入れるのに使うような茶色い陶製の壺でした。唯一変わっている点は、口の部分が仰々しくも鉛で封じられ、謎めいた秘文字が刻まれているということです。単に内容物が示されているだけ、とはちょっと思えません。
ネイネイが注意深く秘文字を読もうとすると、ジャフディは壺を隠すようにして抱え込み、腰に挿していた短剣で、がしがしと蓋をこじ開けようとしはじめました。
「おい、やめとけよ……」というラーシュの忠告にも耳を貸しません。
タルナールたちは念のため、ジャフディから三歩四歩と距離を取ります。宿の厨房で見つけたものならともかく、〈魔宮〉に落ちていた壺です。なにが飛び出してくるか分かったものではありません。
そして次の瞬間、なんと、と言うべきか、やはり、と言うべきか、壺から銀色の炎が噴き出して、ジャフディの顔を包んでしまいます!
ああ、なんたる惨事! ジャフディの絶叫が雪花石膏の通路を震わせました。
タルナールは身を竦ませ、顔を腕で覆い、しかし違和感を抱いて目を細めます。炎の色もそうですが、熱をまったく感じなかったのです。ジャフディは白目を剥いてばったりと気絶してしまいましたが、その顔にも髭にも焦げ跡はありません。
噴き出した銀色の炎はというと、束の間空中に漂い、渦を巻きながら、徐々にあるひとつの輪郭を成していきます。
やがて一行の前に、銀色の炎を薄衣のように纏った、見目麗しいひとりの少女が現れました。
「ああ、感謝いたしますエルトラ様! このドゥーザンニャード、心の底から悔い改めました。もう二度と、あなた様に逆らう――ん?」
彼女はその場にひれ伏し、絞り出すような声で喋り続けていましたが、やがてなにかに気づいて顔をあげ、怪訝な表情でこちらを見つめました。
「妖霊!」と、ネイネイが驚きの声をあげます。
おお、それは驚異と蠱惑に満ちた魔性にして、我らが不可思議なるご親戚。人間の男女が土と水より作られるのに対して、男妖霊と女妖霊の身体は風と火より作られます。人に近しく、されど人にならざる存在。
善なる者もおれば、悪心を持つ者もおり、遠く妖霊の国に住まう者もおれば、人里近くに顔を出す者もおります。古今東西多くの物語に現れ、王子や漁師や商人を助けたり困らせたりする怪異も、たいていはこの妖霊の類なのでございます。
「はて、どちら様かしら?」
この妖霊、どうやらドゥーザンニャードという名前らしいのですが、ゆっくりと身を起こし、はじめより随分と横柄な態度でこちらをじろじろと眺め回しました。
「ええと、私たちは……」と、ネイネイが説明をするより先に、ドゥーザンニャードは勝手になにかを合点したように喋りだしました。
「あなたたち人間? いったいどこから入ってきたのかしら? この現場はいまエルトラ様の命によって、突貫で工事中なのですよ。完全に絶対に立ち入り禁止です。不届き者はわたしの炎で全員焼き尽くして――」と、両手を燃えあがらせる早とちりの妖霊を、ネイネイが慌てて制止します。
「待って待って。突貫工事中? どう見ても放棄されて長いこと経ってるようにしか見えないけど」
そう言われてはじめて気づいたのか、ドゥーザンニャードはきょとんとした顔であたりを見回し、声の調子を落として呟きました。
「わたし、どれぐらい壺の中にいたのかしら」
彼女はなにかを期待するようにこちらを見遣りますが、タルナールたちに分かるわけがありません。
「とにかくエルトラ様に一度お目通り願わなくては。ああ、お父様にも怒られてしまうわ」と、ドゥーザンニャードは落ち着かなげにくるくると回ります。
「そのエルトラ様っていうのが、この〈魔宮〉の主?」と、ネイネイは尋ねました。
「エルトラ様を知らない? 本当に、この蛮人たちはどこから来たのかしら」
「……ふたりとも、いったん話を整理した方がいいよ」
それまで呆気に取られていたタルナールは、ここらでようやく動揺から立ち直り、ネイネイとドゥーザンニャードの仲裁をするべく口を挟みました。「ドゥーザンニャードが知ってる〈魔宮〉と、僕らが知ってるいまの〈魔宮〉はかなり違うみたいだから」
ドゥーザンニャードは改めてタルナールの方に目を向け、その足元から頭の先までをじっくりと観察しました。彼女の身体を取り巻く炎が、ちろちろとタルナールの肌を舐めます。
「ふーむ……まあ、この蛮人が言うことにも一理ありますね。私が知っている内部の様子とも随分異なっているようですから。いいでしょう、説明なさい」
居丈高な態度に気圧されつつ、タルナールは〈魔宮〉が発見された経緯、アモルダートが作られ、探索者が集まり、自分たちがここまでやってくるまでの道のりを語ってみせました。ドゥーザンニャードは最後まで口を挟まず、形の良い眉根を寄せながら、じっとなにごとかを考えている様子でした。
「ダバラッドはいま、どなたの治世です?」
最後まで聞いたドゥーザンニャードはそう尋ねます。
「九代目ダワール。すなわちダワール・クム・シャルカン殿下だ。先代のダワール・ハル・ハキム殿下は三年前に崩御された」と、タルナールは答えました。
「守護者とは、エルトラ様がその側近の騎士に与えた称号のはずですが?」
「そのエルトラ様というのがよく分からない。初代ダワールにゆかりの人物なのか?」と、タルナールは肩を竦めます。
ご存知かとは思いますが、ダワールとはそもそも守護者の意であり、ダバラッドの国土を守護する者、として一般には通っております。
ダバラッド随一の都市であるカリヴィラの宮殿に住まい、大小合わせて十七の部族を束ねる国家の要石。シーカやケッセルで言うところの国王に当たります。おお、そのご威光が永遠に高からんことを!
そしてタルナールの知っている守護者とは、二百年以上前、ダバラッドの一地方で軍を起し、自らの力で並み居る部族を平定し、あるいは調略した傑物であって、何者かに権力を移譲された存在ではありません。
どうやらこのあたりの齟齬に、遺跡の謎が隠されているような気もしますが、残念、ドゥーザンニャードは長らく壺入りだったために、知識にぽっかりと空白が生じていて、彼女との問答が解明に役立つかどうかは、甚だ疑問と言わざるを得ませんでした。




