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千夜の魔宮の物語  作者: 黒崎江治
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第二十一夜 根源を求めよ -2-

 みなさまはムジルタという土地に、どのような印象をお持ちでしょう? ラマルエルナの南西に広がるこの一帯は、大抵の人にとって謎めいた場所であるようです。


 土地の多くが深い森に覆われていること、ほかの地域との交易が少ないことがその印象を強めているようですがが、もっとも大きな理由は、ムジルタが魔術師を多く輩出する地だから、というものでしょう。


 ムジルタに王が治める国はありません。せいぜい都市といくつかの町が緩く繋がりを持って共同体を形成しているくらいで、大抵はひとつの町や村単位で自給自足の生活を送っています。


 しかしダバラッド、シーカ、ケッセルといった国々に比べて未開の土地かというと、決してそうではありません。


 ムジルタの人間は知恵を尊びます。誰もが文字の読み書きと算術を習い、長じてからは生活の糧を得るほかに、なにかひとつの物事を究めようとすることが、あらゆる土地、あらゆる階層での慣習となっているのです。


 そういった文化が不世出の学者や職人を生み、彼ら彼女らが他国でその才能を振るうことも、さほど珍しいことではありませんでした。


 個人がなにを究めるかはおおむね自由とされております。しかし唯一魔術師だけは、それが他者によって定められるのです。


 さて、ここまでは前置き。


 ネイネイは両親のことをほとんど覚えておりません。とはいえ死別したわけではなく、疎まれて捨てられたわけでもありません。


 それはネイネイの瞳の色と関係があります。


 この瞳はムジルタの人々にとっても珍しい色です。そして不思議な色の瞳を持つ赤子はおしなべて魔術に秀でることが分かっています。魔術の芽を健やかに育てたいならば、乳離れしてすぐ魔術の師に預けるべし。これもまた、ムジルタの人々によって受け継がれてきた慣習のひとつでした。


 魔術師の瞳は人によって炎のような赤であったり、夜明け前のような青紫であったり、ときには得も言われぬ虹色であったりします。ネイネイの場合はエメラルドと紛うばかりの鮮やかな緑色でした。


 そして預けられた先、深い森の中に作られた里で、ネイネイは大勢の同輩たちと育ちます。大抵はムジルタで生まれた子どもでしたが、中にはシーカやケッセル、ダバラッドの領内で生まれた子どももおりました。魔術の師は数人いましたが、ネイネイが育った時代はすべてが女でした。


 ネイネイが生活に不自由を感じることはほとんどありませんでした。ムジルタの人々はみな魔術師に敬意を払っていたので、大勢の子どもたちに必要な食べ物や衣服は、近隣の村から提供されたのです。相談ごとや調合薬の対価として受け取る物資も少なくはありませんでした。


 血の繋がった親やきょうだいがいないという寂しさこそありましたが、仲間はとにかくたくさんいましたし、特別に厳しい修練が課せられるわけでもなかったため、ネイネイはのびのびと、そして多分に世間知らずな娘として育ちました。


 とはいえ、いつまでも安寧とした生活を続けるわけにはいきません。おおむね一人前と見なされた段階で、若い魔術師たちはある決まりに従うことになっています。


「みなさんが自らの魔術を会得すれば、使命を与えられて外の世界へ出ていくことになります」


 夏の暑い日、師のひとりは子どもたちの前でこう言いました。普段のように、魔術師とその卵たちが天を突くような樹の下で学問をしていたときです。


「どのような使命ですか?」と、ある子どもが尋ねます。


「それはひとりひとり違うのです」と、師は答えました。「赴く場所も異なります。ある者はケッセルの南で人間を襲う獅子を退治せよという使命を与えられました。またある者は海沿いの街で流行る病を鎮め、その地の住民が健やかに暮らせるよう力を尽くせという使命を与えられました」


 師は常に微笑みを絶やさない女性で、このときの口調も風に揺れる花のように優しいものでした。


「なぜ使命を与えられるのですか?」と、また別の子どもが尋ねます。


「力の正しい使い方を知るためです」と、師は答えました。「みなさんはこれからの数年で魔術を修め、大きな力を得ますが、それを誤った目的に使えば、世界に大きな禍をもたらす存在になってしまいます。使命の遂行を通じて、自分たちの力がどのように役立つのか、どのように役立てればよいのかを知ってもらうため、私たちはみなさんに使命を与えるのです」


「使命を遂行したあとはどうすればいいのですか?」と、また別の子どもが尋ねます。


 師は慈愛に満ちた瞳で幼い質問者を見つめ、こう答えました。


「そのときはあなたの人生を送ればよいのです。あなた自身が素晴らしいと思うものに力を尽くしてください」


 ひねくれた子どもの中には、里を出たら好き放題に生きてやると放言する者もおりました。しかし比較的素直な子どもであったネイネイは、師の言葉を別段疑いはしませんでした。ひねくれ者の言葉を聞いたときも、使命を放棄したらきっと人生に迷ってしまうだろうな、などと考えておりました。


       *

 

 大抵の同輩は十八歳ごろに一人前と認められ、里の外に出ていきましたが、ネイネイの場合は十九歳まで待たなければなりませんでした。ものの働きや役割を強める、という自らの術を上手く扱えるようになるまで、少し時間がかかってしまったのです。


 そしていよいよ出立の準備をはじめ、使命が告げられるという段になって、ネイネイは大樹の枝の上に建てられた小屋に呼び出されました。


 幹の周りに設えられた階段をのぼり、木漏れ日に目を細めながら、ネイネイは師のもとへと向かいます。眼下に広がるのは十数年過ごした里の景色。子どもたちが作った家畜小屋、広い薬草畑、焦げた藁人形が転がる魔術の練習場。自分はもうすぐこの場所を出ていくのだ。まだ見たことのない広い世界へ、と感慨もひとしおです。


 よそ見をしていて階段から落ちかけ、危うく身体を支えたネイネイは、息を落ち着けてから小屋の前に立ち、控えめに戸を叩きました。


「入りなさい」


 緊張しながら中に入ってみると、師がひじ掛け椅子に身を預け、こちらを静かに見つめておりました。いつかの夏、子どもたちに使命の意味を説いて聞かせた彼女の外見は、数年経ってもまったく変わっておりませんでした。


「そうかしこまらないで、ネイネイ。そこに座りなさい」


 薄暗い部屋には、乾いた薬草と発酵した林檎の匂いが漂っておりました。ネイネイは言われた通り、師の対面にある椅子に腰をおろします。


「あなたはもう十分に力をつけました。里の外に出てもよいころです」と、師は穏やかに言いました。


「……はい」と、ネイネイは緊張しながら答えました。


「使命が気になりますか?」


「ええ、それは、もちろん」


「ネイネイ、あなたに与える使命はおそらく大変難しいものです。けれど打ちのめされたり、早々に諦めてしまってはいけませんよ」


「はい」


「では、使命を与えます」


 間違っても聞き逃さないよう、ネイネイはぴんと神経を張りつめさせた。


「〈世界の根〉の根源を求めよ」と、師は厳かに告げました。


 音がネイネイの耳に染みとおり、頭がそれを注意深く吟味します。言葉の意味を問うてはなりません。それは自分で見つけ出すものだからです。とはいえ、大まかな行先ぐらいは教えてもらえることになっていました。


「しかと承りました、師よ。どこへ向かえばよいのですか?」と、ネイネイは尋ねます。


「エイブヤードの麓。ダバラッドの領内に、アモルダートという新しい街があります。準備ができたら、その場所を訪れなさい」と、師は答えました。


「ダバラッドですか?」


「そうです。なにか気になりますか?」


「しかし、ええと、ダバラッドは、あのザク=ワクが赴いた地では?」


 その名を聞いて、師はわずかに眉をひそめました。


 毒婦ザク=ワク。蛇の術師ザク=ワク。当時の彼女はある意味伝説的な人物で、数年前は里でその名を聞かない日がないほどでした。彼女はネイネイとは別の里から出た魔術師で、いずれダバラッドの守護者(ダワール)となるカリーム太子に仕えよという使命を与えられていました。


 しかしザク=ワクは太子の政敵に与し、あろうことか自らが仕えるべき相手を毒殺してしまったのです。風の噂によれば、力のある数名の魔術師がザク=ワク討伐の使命を与えられて送り出されましたが、誰ひとりとして戻ってこなかったといいます。


 ネイネイにとって、ダバラッドはなによりザク=ワクがいる国であり、そのほか想像もつかない危険が跋扈する地なのでした。


「確かに、かの不埒な魔術師はかつてダバラッドに赴きました。しかしネイネイ、ダバラッドといっても広いのですよ。あなたがザク=ワクと遭遇する可能性はせいぜい万にひとつといったところです。運悪くそうなったとしても、あなたが自らの力を正しく使う限り、身に危険は及ばないでしょう」


「……そう願います」と、ネイネイは不安げに言いました。


 それから、師は机に置かれていた繊細な銀の頭飾りを手に取り、身を乗り出してそっとネイネイの頭に乗せてから、慈しむような微笑みを浮かべました。


「励みなさい、ネイネイ。あなたの力があなた自身を導きますように」


 こうして使命は与えられました。ネイネイにとってはまだその意味さえ不可解で、赴く地に対する恐ろしさもありましたが、変更を願い出ることはできません。


 それから数日、ネイネイは既に里を出た友人たちに手紙を書き、まだ里にいる友人たちとの別離を惜しんでから、荷造りを終えて里を出発しました。


 師に示されたとはいえ、いきなりアモルダートに向かう勇気のなかったネイネイは、森の近くにある町でふた月、ダバラッドの小さな町でもうふた月、薬草学の知識を生かして医師の真似事をしながら、ゆっくりと外の世界に心と身体を慣らしていきました。


 ネイネイがまじないをかけた調合薬をすぐ服用すれば、その効果はたちまちに表れましたので、にわか医師ネイネイはそれなりに評判となり、路銀にはかなりの余裕ができました。


 余裕がなかったのはむしろ気持ちの方です。里を出てから数か月、おっかなびっくり踏み入れたアモルダートで、ネイネイはすっかり途方に暮れてしまいました。


 数千の人々が蠢く街はネイネイにとってまったく未知の場所で、そこに渦巻く欲望は、どんな種類のものであれ、ひどい悪徳であるように思われました。


 珍しいムジルタの人間。しかもどうやら魔術師らしい。ネイネイは好奇の目に晒されながらようやく〈病人街〉に辿り着き、しかしどこにも行きかねて、独りぽつねんと佇んでおりました。


 ネイネイはまじないによって剣を鋭く、鎧を硬く、身体にかければ腕を強く、脚を速くすることはできます。致命傷でなければ、それを癒すことだってできます。しかし自分の心ばかりは、まじないで強くすることも、癒すこともできないのです。


 赤い髪を持つ親切そうなシーカ人の若者が声をかけてきたのは、ちょうどそんなときでした。


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