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千夜の魔宮の物語  作者: 黒崎江治
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第二十夜 根源を求めよ -1-

 長らくの間、〈魔宮〉の深部へと至るには、夜の獣が跋扈する洞窟を二日間かけて進む必要がありました。しかしタルたち四人が新しい入口を発見――正確には無法者たちが使っていたものを報告――してから、その道のりは遥かに簡便、かつ安全になっておりました。


 アモルダートから馬で一刻の場所にある廃砦を経由することで、多くの探索者たちが重い野営の道具や糧食を背負うことなく、もちろん相応の危険を冒してではあるものの、まとまった量のアモル石を得られるようになったのです。


 とはいえいまのところ、大半の鉱夫はかつてブルズゥルクの縄張りであった領域より奥へは行かず、その手前で獣を狩るに留まっておりました。


 ごろつきたちからサーニャを取り戻した翌々日。タルナールたちは入念な準備を整えて、件の廃砦までやってきておりました。その日は朝から霧の立ち込める不穏な陽気でしたが、地下に潜れば青天だろうが砂嵐だろうが関係はありません。


 砦の周りには既にいくつかの天幕が張られ、〈魔宮〉に出入りする鉱夫、彼らが採取した夜の獣やアモル石の検分をおこなう兵士、アモル石や物資を運ぶ商人たちが大勢たむろしておりました。おそらくもうひと月もすれば定住する人間も出てきて、小さな集落になっていることでしょう。


「静かにやってたころが懐かしいな」


 その様子を間近に見ながら、ラーシュが呟きます。


「〈魔宮〉の奥なら静かだよ。きっとね」


 軽い調子で言ってはいますが、ネイネイの顔には若干の緊張が窺えます。


 とはいえそれも当然の心情。タルナールたちはこれから〈魔宮〉の深部を探索するのです。ブルズゥルク討伐作戦のために資金を稼いでいたときよりも、気を引き締めて臨まねばなりません。


 タルナールたちに先行して、アモルダートの兵士から成る一隊や、勇敢な鉱夫たちの一団が、既に廃砦を経由して〈魔宮〉の深部へと挑戦しています。


 そこはブルズゥルクや人間によって掘り進められ、拡張された洞窟ではなく、明らかに古代の文明が築いた遺跡があるとのこと。ラーシュたちでさえそのとば口を目にした程度に過ぎず、内部を詳しく探ったことはないほとんど未知の領域です。


「より大きな危険は覚悟しておくべきだ。それから遭難も。なにせ新しい場所だから」と、エトゥが言いました。


 彼が〈魔宮〉探索にどのような態度で挑むのか、タルナールはその身の上を聞いてから気にかけるようになっていましたが、いまの表情からは普段通りの気負いが窺えるのみ。すなわち全員を迷わず目的地に到達させ、また生還させることです。


 瓦礫の除けられた塔の付近には粗雑な木の柵が設けられ、短槍を持った兵士が厳めしい顔で出入りを監視しておりました。しかし一行がごろつきたちを成敗し、この入口を見つけたことはさすがに知っているらしく、兵士たちは軽く目線をさげ、タルナールたちに敬意を表しました。


 一行は霧の漂う地上をあとにして、わずかに硫黄の臭いがこもる〈魔宮〉へもぐります。起伏のある短い洞窟と、建物三階分ほどの補強された縄梯子を経由して、比較的平坦な地面へとおり立ちました。


 今回、タルナールたちが想定した探索の期間は三日です。予備となる四日分の水と食料を用意し、手入れを済ませた武器も携えてきておりました。


 ここから半日ほどの行程は、前回、前々回とさほど変わりありません。とはいえ、出入りする人間が多くなったことを示すものがいくつか見て取れました。


 例えば粗雑に解体された夜の獣の死骸。回収されないまま放置された人間の骸。壊れて打ち捨てられた道具や装備品。鉱夫の集団とも二度行き会いました。彼らの持つ麻袋はずっしりと重そうで、そこからはまだ黒い体液が滴っておりました。


 タルナールには、かつて横たわっていた暗い静謐と人間の欲望が混じりあい、不気味な雰囲気に拍車がかかっているように感じられました。


 鉱夫たちの侵入が、活動が、なにか〈魔宮〉によからぬ変化をあたえているのではないか、という気持ちになりました。具体的にどう、という考えを持っているわけではないのですが。


 それはともかく〈魔宮〉探索。道中、ねじれた角を持つ獣一体に襲われたほかに、大きな障害と遭遇することはありませんでした。おおよそ想定通りの時間をかけて、タルナールたちは遺跡のすぐ近くまで辿りつきました。


「ここが……」


 岩盤に開けられた穴をくぐってその場所に立ち入ったとき、タルナールは思わず声をあげました。そして以降に言葉を継ぐことができませんでした。


 遺跡。確かに遺跡なのでしょう。しかし長らくケッセルやアモルダートの各地を回り、遺跡と名がつくものを見てきたタルナールにも、いま目にしているものと同様の場所を挙げることはできませんでした。


 悠久の年月と夜の獣の活動によって荒れ果て、所々壊れてはいるものの、そこは元々、穹窿を頂く円形の広間だったようです。


 全体の造形としては素朴です。しかし細部を見れば印象はまったく違ってきます。なぜなら、広間の床、周囲の壁、穹窿の天辺に至るまで、少しの空白もなく、ダバラッドでも第一級の職人にしか成し得ないような、繊細な浮彫が施されているからです。


 それらは古代の芸術にありがちな、自然現象の輪郭、動植物の肉体を描いたものではありませんでした。かといって、見る者に芸術的な素養を要求する、高度に文化的なものでもない、原初の美しさを湛えておりました。


 浮彫はそのほとんどが完璧に計算された幾何学図形から成り、それらが緻密に組み合わされて、ひとつの全体を成していました。ところどころ文字のようなものも見えますが、それらは現代のダバラッドで使われている言葉ではないようでした。


 広間や穹窿の大きさは、立派な家屋が丸々ひとつ収まるほど。この空間を完成させるのに、いったいどれだけの技術と時間と熱意を投げ込んだのか、タルナールには本当に想像もつきませんでした。


「これは雪花石膏(アラバスタ)でできてるんだろうか?」


 広間が醸す玄妙さと荘厳さにひとしきり圧倒されたあと、タルナールは恐る恐る壁に触れ、正確な曲線から成る花弁のような図形の、白く滑らかな表面を撫でてみました。


 石材の継ぎ目はどこにも見えず、所々が不可思議な淡い光を放っています。いくつかの部分では、無理やり砕いて剥がしたような新しい痕跡がありました。先行した鉱夫たちの仕業でしょう。


「分からない。洞窟樹を埋め込んでるのかもしれないけど、ダバラッドの職人や錬金術師にも、ムジルタの魔術師にも、こんな材料を作れる人間はいないと思う」と、ネイネイが言いました。灰水晶の杖と、壁材が放つ光とが、彼女の頭飾りやエメラルド色の瞳を幽玄に浮かびあがらせます。


「こんなものを、本当に誰が作ったんだ? なんのために?」と、タルナールは首をひねりました。しかも遺跡はここで終わらず、さらに奥へと続いているようです。


 タルナールは名残惜しさを感じながらも穹窿の広間を背にし、入口とは反対側に開いた穴から、いよいよ未知の領域へと足を踏み入れました。


 そこには広間の内壁と同様の素材でできた通路のようなものがありました。どうやら純粋な歩道として作られているわけではなさそうで、床は平面でなく、周囲の壁、そして天井へと滑らかに接続され、ちょうど円筒のような形になっておりました。


 充分に広くはあるのですが、もし五人が横に並んで歩けば、両翼の二人は歩きにくいと不平を言うことでしょう。


「においが変わった」と、エトゥがやや上を向いて鼻を鳴らし、風の動きに目を細めます。


 しばらく進んでみると、通路はまっすぐ伸びているのではなく、微妙に曲がりくねり、たびたび別の道と合流していることが分かりました。薄闇を抱きながらうねる円筒。なんのためにそうなっているのか、現時点ではまったく分かりません。


「なんだか、木の枝か根っこの中を進んでるみたいだよな」


 静寂に沁みとおるラーシュの呟き。それを聞いたネイネイが、なにか琴線に触れられたような顔をしました。


「……〈世界の根〉の源を求めよ」と、彼女は言いました。


「〈世界の根〉がどうしたって?」と、聞き返したラーシュにネイネイが答えようとするのを、エトゥが制します。


「獣だ」


 薄明りの中、前方からこちらに忍び寄ってくるものがありました。ヤギほどの体躯を持つ黒い六本脚。間違いなく、夜の獣です。今回のそれは、オアシスの水辺に潜むいぼ蛙に似ていました。

獣はぐにゃりと柔軟な指先で壁に貼りつき、爛々と光る赤い目玉でこちらを捉えておりました。


「来るぞ!」


 ラーシュが叫び、ザーランディルを抜き放ちます。タルナールとエトゥも、それぞれの武器を構えて迎え撃つ構えを取りました。


 獣は大きく口を開けたかと思うと、二十歩ほどもあった距離を、恐るべき脚力でひと跳びしてきました。しかし剣を構えたラーシュが斬りあげるように一閃すると、獣の肉体がすっぱりと両断されて地面に飛び散ります。


「まだだ!」と、エトゥが警告しました。


 タルナールが前方を見遣りますと、赤い目が四対、いや五対。一匹目の犠牲に怯むことなく、次々と跳びかかってきます!


 エトゥは一矢を放ったあと、ナイフを抜いて応戦します。ネイネイは杖で殴ろうとしますが、柔軟で弾力のある皮膚に難渋しているようです。タルナールがなんとか一体を捉え、槍の穂先で腹を貫くと、獣は手足をビクビクと気味悪く痙攣させました。


 その後、ネイネイが臭い液を吐きかけられたり、エトゥが臓物に足を取られたりはしたものの、必死の対処によって、一行は獣を全滅させることに成功しました。結局、六体を討ち取ったことになります。


「やっぱり、コイツらはどこにでもいるんだな」と、ラーシュは剣にこびりついた体液を拭いながら、黒い死骸を見おろします。


「不思議だな」と、エトゥが感想を漏らします。「洞窟なら分かる。苔があったり、たまに虫がいたりするから。でも、草も木もないこんな場所で、こんなに大きな生き物がどうやって暮らす? 普段からおれたちのような大きな生き物を狩っているのか?」


「夜の獣は、アモル石と同じく異界の存在なんだと思う」と、ネイネイは言います。「だから普通の動物とは生き方も違うんじゃないかな。岩や硫黄を食べてるとか、空気中のエーテルを摂取してるとか。そもそも食べ物を必要としないのかもしれないし、飢えるほど空腹になったら、またもとの世界へ戻るのかもしれない」


 夜の獣を見れば、それがこの世界とは異なる場所からやってきたのだ、ということは納得できます。しかし、なぜそういうことが起こるのかについては、いまのところ謎に包まれたままです。


 おそらくこの遺跡が獣の生成に関係しているのでしょうが、タルナールの感覚からすると、どうにも違和感が拭えません。たとえ遺跡が魔術的なものであったとしても、使われている材質や意匠の端正さと、夜の獣の醜さとが、整合しないように思われるのです。


 もしここが夜の獣を喚び出すための場所ならば、もっと禍々しい雰囲気が満ちていてもよさそうなものです。


 とはいえ、考えてばかりいても謎は解けません。タルナールたちは蛙に似た夜の獣を捌いていくつかのアモル石を入手し、先へと進みます。


 少しあとになってから、一行は捌かれた獣の死骸が落ちている箇所を二、三通り抜けました。これもまた、前に来た兵士か鉱夫の足跡に違いありません。


 風はときに冷たく、ときに温かく感じられました。進行方向から吹いてくることもあれば、背後から流れてくることもありました。通路の広さも一定ではなく、目にするもの、肌で感じるもの、なにからなにまで神秘的でありながら、得体の知れない気配に満ちておりました。


 それでもエトゥは確かな足取りで、ときどき立ち止まっては位置を確認しつつ、一行を導いていきます。


 タルナールの足が疲労で重くなるころ、ようやく次の広間に辿り着きました。


 そこは最初に通った穹窿の広間とほとんど同じでしたが、荒れ具合は少しばかりましでした。壁面に刻まれたいくつかの浅浮彫は汚れても削れてもおらず、薄明りの中でも充分に判別することができました。


「これ……やっぱり古ダバラッドの秘文字だ」と、ネイネイが灰水晶の光を近づけながら、指で浮彫の一つをなぞります。優美な曲線が複雑に配置された、それ自体が紋様のような文字でした。

読めるのか、というラーシュの問いに、彼女は若干不安げに頷きます。


「多分。いくつかの魔術書はこの文字で書かれてて、前にそれを読んだことがあるから」


 文字は入口付近と、それから反対側の出口付近の二か所に刻まれておりました。内容はどちらも同じで、それほど長くはありません。男たちが荷物を解いて寝床を設え、パンとナツメヤシを分配していると、解読を終えたネイネイが、気難しい顔で戻ってきました。


「読めたのか?」と、ラーシュが尋ねます。


「なんとなくは」


「はっきりしないな」


「ひとつひとつの言葉は分かるんだけど、全体の意味が曖昧なの」


 そう言うと、ネイネイは刻まれていた文章を暗唱しはじめました。


 其は星河を流る水の路なり

 其は天球を巡る風の路なり

 やがてあわさり 門に至りて

 土に堕とされし旅人の手に渡り

 贖罪の道を灯す火とならん


「星河を流る水とか、天球を巡る風っていうのはエーテルのこと。なにか魔術に関係する文言なのは間違いないと思う」と、ネイネイは言いました。


 以前にもちらりと出てきたエーテルという言葉。霊気と呼ばれることもありますが、普通に暮らす人々にとっては、あまり耳にすることもないでしょう。


 土、水、風、火に代表される物質の四態。そのすべてに影響を及ぼし、にもかかわらず実体を持たない五つ目をエーテルといいます。それはごく小さな粒であり、波であり、光線であり、渦であり、神々の息吹であり、私たちの魂を構成する大事な要素なのです。


 とはいえ皆さんはムジルタの魔術師候補でも、ダバラッドの錬金術師見習いでもありませんから、いまのところさほど深くまで理解する必要はありません。


「秘文字の文章がこの施設の役割を示すものなら、広間や通路は、地中からくみあげたエーテルを集めて、門まで運んでいくためのものだってことになる。土に堕とされし旅人がそれを作った……」と、ネイネイはいささか自信なさげに言いました。「ものすごい権力者か、とんでもない魔術師だと思うけど、その人が罪を犯したってことなのかな?」


「それもきっと、門に行けば分かるだろ」と、ラーシュが言いました。「門っていうのが〈魔宮〉の一番奥で、門の役割が〈魔宮〉の目的そのものなんだろうな。もっとわかりやすく、碑文かなんかで説明してくれりゃいいのに」


 話しているうちに誰かの腹が鳴ったので、一行はひとまず食事を摂ることにしました。明日も明後日もたくさん歩くことになるでしょうから、力をつけておかなければなりません。


「そういえばネイネイ。さっき言ってたこと」パンをちぎってからふと思い出し、タルナールは尋ねます。「〈世界の根〉の源がどうどか」


「ああ、うん。そういえば話してなかったね。長い割に大層なものじゃないけど。私が〈魔宮〉に来た理由……」


 そしてネイネイはぼんやりと前方に目を遣りながら、静かな声で語りはじめました。


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