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千夜の魔宮の物語  作者: 黒崎江治
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第十五夜 さまよう狩人 -2-

 三千の人口を擁するアモルダートですが、住民が一様な暮らしをしているわけではありません。バーラムに取り入っておこぼれにあずかる者、街の需要を上手く掴んで商売をする者、単純な肉体労働で日々食い繋ぐ者。


 いくつかに分かれた階層の人々は、ほかの都市と同じような形で、主人の所有物である奴隷を除き、誰に言われるでもなく、おおまかにそれぞれの領域を定めております。


 最も豊かな人々が住むのは市街の南側。ここにはバーラムの壮麗な館が建つ区画です。逆に市街の北側には、富と最も縁遠い人々が住んでおりました。崩れかけた灰色煉瓦、擦り切れた布がかかっただけの天幕、屋根のある寝床さえ持っていない人間も少なくはありません。


 老人、病人、知恵の足りない者、あるいは単に怠惰な者。彼らは大抵の場合、家屋の入口に佇んだり、道端で寝転がったり、サイコロでの賭け事に興じたりと無為に過ごしている様子でした。


 しかしタルナールが見たところ、食料事情は存外に良好であるように思えました。街全体が得る富が大きい分、施しとして貧民に回ってくるものも多いのでしょう。


 街並みが雑然としているため、孤児院を見つけ出すのは容易ではありませんでした。タルナールが道端で座り込んでいる右脚のない男に場所を尋ねると、彼は粗末な家屋の向こうに見える白い岩山を指さしました。


 タルナールは男に銅貨一枚を握らせ、緩い坂道をのぼっていきました。途中まで痩せた犬につきまとわれましたが、タルが食べ物を寄越さないと分かると、犬は恨めしそうにひと声鳴き、どこかへと去っていきました。


 やがて岩山の麓に建つ一件の家屋が見えてきました。壁に塗られた漆喰は所々剥げ、地の灰色煉瓦が覗いておりました。それでもあたりの建物に比べると普請はしっかりしていて、敷地もそれなりに広々しております。


 坂をのぼり切ると、そこは小さな空き地になっておりました。


 タルナールが姿を現すと、そこにいた子どもたちが一斉にこちらを見ました。小さい者は三歳、一番年長の者でも十歳を過ぎるくらいでしょうか。彼らに囲まれるようにして、見覚えのある大人もひとり。


「どうしたタル。なにかあったのか」と、エトゥが言いますと、子どもたちは彼に目を戻し、もう一度タルナールを見ます。


 はじめの視線に含まれていた警戒心は、どうやらエトゥの知人であるらしい、と分かった途端に溶け、わっ、と駆け寄ってきた子どもたちが、挨拶する間もなくタルナールを取り巻きました。


「危ない、危ないから、登るのはやめなさい」


 タルナールは服を引っ張られ、腕を掴まれ、瞬く間に揉みくちゃとなります。


「楽器を返しなさい、いい子だから」


 ひとりひとりの力はそれほどでもありませんが、十二、三人もいればタルナールといえども為す術なしです。エトゥは微笑みを浮かべながら様子を見るだけ。


「コラ、あなたたち! お客さまに失礼ですよ!」


 そのとき、建物の近くから声が飛んできました。タルナールがそちらに目を向けますと、シーカ風の短衣を纏った肌の白い少女が立っています。腰に手を当て、眉根を寄せる様子には、微笑ましい背伸びが感じられました。


 叱られた子どもたちは渋々ながらタルナールを解放し、少女のもとに駆けていきました。


「エトゥの友達がきた!」


 そう口々に叫ぶ子どもたちをなだめつつ、少女がこちらに歩み寄ってきます。彼女はエトゥに軽く微笑みかけたあと、丁寧なダバラッド式の挨拶をしてみせました。タルも取り返したリュートが壊れていないかどうか確かめてから、同じ挨拶を返します。


「子どもたちが失礼しました」と、少女は言いました。「ここの孤児院で子どもたちの世話をしているサーニャといいます。子どもたちも言っていましたが、エトゥさんの知り合いですか?」


「うん、最近一緒に仕事をしてる。タルナールだ。よろしく」


 サーニャの仕草や表情は大人びていましたが、齢はおそらく十五歳を越えないだろうと思われました。これくらいの年齢で結婚する女性は珍しくありませんが、十人を超える子どもの面倒を見るのは、少々荷が勝ちすぎるような気もします。


「孤児院には、ほかに誰か?」と、タルナールは尋ねてみました。


「レンヤさんがいます。紹介しますからこちらへどうぞ。いまはちょうどお昼ごはんの時間なんです」


 そう言うとサーニャは建物に向き直り、まだそのあたりにたむろっていた子どもたちを屋内に押し込んでいきます。


「ここは随分のどかな場所だな、エトゥ」と、タルナールは声をかけます。


「ああ。アモルダートでは珍しい場所だ」と、柔らかな表情でエトゥが応じました。


 ふたりはサーニャと子どもたちを追って小さな広場を横切り、建物の粗末な木の扉を開けました。中では年長の子どもたちが率先して食事の準備をはじめ、小さな子どもたちを座らせていきます。突然の訪問者であるタルナールにも、大麦のパンがひと塊と、椀一杯のスープが配られました。


 広い部屋の隅にはひとつだけ書架があり、そこには本や巻物がぎっしりと詰まっておりました。タルナールが見てみたところ、手習いの本や絵巻などが主なようです。どれも大層使い古され、擦り切れておりました。


 書架の傍らにはダバラッド人の老女が腰かけ、タルナールに穏やかな目を向けています。


「レンヤさん、お客様です」と、サーニャが言いました。


「よくいらっしゃいました」と、老女がタルナールに微笑みかけます。


 レンヤと呼ばれた老女の衣服は粗末でしたが、その口調や仕草には気品と教養が感じられました。タルナールは老女のもとに歩み寄り、その場に腰をおろして自らの名前を告げました。


「僕は長らく詩人をしていますが、いまはエトゥと〈魔宮〉にもぐっています」


「それは大変なお仕事ですね。私はレンヤと申します。大したもてなしはできませんが、どうぞ、ゆっくりしていってください」と、レンヤは深みのある声で言いました。


 タルナールが挨拶を済ませている間に、子どもたちは行儀よく並んで座り終えました。いまはそわそわしながら食事の開始を待っています。


「ではみなさん、今日も糧を得られたことに感謝しましょう」


 サーニャが神妙に告げると、子どもたちは少しの間目を閉じてから、ゆっくりとパンやスープに手を伸ばしました。レンヤはそれを満足げに見届けたあと、タルナールにも食事を勧めました。エトゥは慣れた様子でサーニャの傍らに座り、子どもたちを眺めています。


「ここにいるのは孤児ばかりです」


 スープの椀に目を落としながら、レンヤが再び口を開きました。


「親が〈魔宮〉で死んだり、邪魔になって捨てられたり、近くの街からわけの分からないままやってきたような子もいます。私とサーニャは彼らが奴隷として売られないよう、盗みに手を染めないよう、働いて生きていけるようになるまで、ここで育てるつもりなのです」


「人々の施しだけでやっていけるんですか」と、言ってから、タルナールはスープに口をつけます。よく言えば素朴な味。悪く言えば……やめておきましょう。少なくとも子どもたちは喜んで食べています。


「ええ、なんとか。それでも年長の子どもたちは、近くの農園で手伝いをして、少しばかりのお金をもらっているんですよ。いずれは皆、働いてお金を稼がないといけませんからね」


 そう言うと、レンヤは視線をあげてエトゥを見遣ります。


「彼には本当によくしてもらっています。お金だけではありません。サーニャも、子どもたちも、エトゥにはとても懐いています」


 確かにエトゥの様子を見ていれば、客人というよりもすでに孤児院の一員といった雰囲気です。ネイネイにとって浴場が休暇の楽しみなら、エトゥにとって子どもたちと戯れる時間が、よい気晴らしになっているのでしょう。


「レンヤさんは、昔はなにを?」と、タルナールは尋ねました。子どもたちがよく躾けられている様子を見るに、彼女自身は恵まれた環境に育ったのではないか、と考えたからです。


「私は以前、カリヴィラで教師をしていました」と、レンヤは遠い昔を見ようとするように、ゆっくりと視線を彷徨わせました。


「子どもたちには皆等しく可能性があります。同じ人間でも、教育によって優れた指導者にもなれば、残酷な野盗にもなり得ます。身分の高低は関係ありません。アモルダートという街ができ、富とともに欲望と悪徳が蔓延っていると噂に聞いたとき、私はそこで子どもたちに最低限の教育を施し、道に外れないよう導く必要を感じたのです」


 ダバラッドはもちろん、どこの国に行ったとしても、教師という職業の地位は決して低くありません。それを半ば投げうって孤児院を開くということは、レンヤにとって非常な試練だったはずです。しかし彼女の口調に、それを悔いる様子は微塵もありませんでした。


「僕も子どもは好きですよ。歌を楽しそうに聞いてくれるから」と、タルナールは言いました。


「詩人だとおっしゃっていましたね。よろしければ、あとで子どもたちにも聞かせてやってもらえませんか」


 レンヤの求めに、タルナールは喜んでと答えました。それから改めてもてなしに対する礼を述べ、あとはお喋りをすることなく、パンやスープを口へと運びました。


 なんの前触れもなく扉が開かれたのは、全員が食事を終えるころでした。

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