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千夜の魔宮の物語  作者: 黒崎江治
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第十二夜 鋼鉄の針 -9-

 タルナールたちがブルズゥルクから逃げおおせ、〈病人街〉帰り着いてから三日が経ちました。


「よし、全員揃ってるな」


 ラーシュが点呼を終え、満足げにあたりを見回します。そこには必要な装備と物資を携えた面々が、出発の準備を整えておりました噂のブルズゥルクを討伐せんとする一行が出発するということで、周囲には激励の言葉を飛ばす者、どうせ帰ってこないと嗤う者、単純な物珍しさで身にきた野次馬などが集まり、ちょっとした壮行会のような光景になっておりました。


 討伐隊はタルナールたち四名、ジャフディ、彼が集めた十六名の、合計二十一名から成っておりました。ジャフディが集めたうちの十一名は物資を運ぶための人足で、もう五名はブルズゥルクと直接戦うことを了承した鉱夫たちです。彼らは弩や槍を持ち、高価な鎖帷子を着込んでいる者さえおりました。


 それに比べると、タルナールたちは随分と軽装でした。ブルズゥルクを前にして、生半可な防具など意味はないと知っているからです。ブルズゥルクをおびき寄せるのはタルとラーシュがやることに決まったので、重い装備のせいで長い距離を走れないのは、誇張なしに致命的なのです。


「まったく割りにあわねえ仕事だぜ」と、ジャフディが毒づきました。とはいえ実際にそう思っていれば今回の話を請けなかったでしょうから、これは部下への建前に過ぎません。


 大人数に膨れあがった一行は、野次馬たちに見送られながら順々に鉄扉を通っていきます。果たしてこのうち何名が、無事に地上へ戻ってこられるのでしょうか。


       *


 以前にタルナールたちがブルズゥルクと遭遇したのは、〈魔宮〉の入口から一日半ほど進んだ場所でした。今回の討伐行でもそのあたりまで進み、拠点を築き、敵を待ち受ける計画になっています。


「この間来たときから考えてたんだ。エトゥ」と、道中でタルナールは尋ねます。「〈魔宮〉の道は入り組んでる場所もあるけど、基本的にはひとつの方向に進んでる。このまま行くと、どこに辿り着く?」


「地上ならエイブヤード。おそらくは、その真下」と、エトゥは答えます。


〈世界の根〉エイブヤード山脈。ラマルエルナ大陸の中央に位置し、古来より人々は崇敬の念を持ってその姿を眺めます。かつてこの世界に住んでいた小人たちがエイブヤードの地下深くに至り、別世界への扉を開いた、という伝説をお聞きになったことのある方も多いでしょう。


 大人数でいるためか、道中で夜の獣が襲ってくることもなく、エトゥが先導したおかげで、方角を誤ることもありませんでした。討伐隊は大きな障害に出遭うことなく途中で一夜を明かし、徐々に神経を尖らせながら、ブルズゥルクの活動範囲に進入していきます。


「この少し先に死体があった」


 野営を撤収し、二刻ほど歩いた地点でラーシュが言いました。


 それを合図に一行は足をとめ、ジャフディ指揮のもと、素早く弩砲の組み立てをはじめます。入念に準備をしていたおかげで、四半刻と経たずにそれなりの陣が完成しました。


 人足たちは戦闘を免除されていましたが、帰りの運搬も考えて、この場所に留まってもらうことになっています。戦闘員たちの一部はそれを護衛し、一部が弩砲の操作に回る手はずです。


 エトゥが弩砲発射の指揮と補佐、ネイネイが弩砲の矢じりにまじないを施します。そしてラーシュとタルナールが奥へと進み、ブルズゥルクをおびき寄せる役割を担うのです。


 囮は不必要な荷物をすべて置いていくことになっていましたが、ラーシュは得物を手放すつもりはないようでした。走る邪魔にならないよう、鞘ごと背中に括りつけています。別の理由で、タルも槍を持っていくことにしました。出発の前に、かねてから考えていた準備を施しておきます。


「ネイネイ、槍にまじないをかけてほしいんだけど」と、タルナールは頼みます。まじないの保つ時間を尋ねると、一刻程度は大丈夫、という答えが返ってきました。


 ネイネイはゆっくりと刃に指を沿わせ、言葉を紡いでいきます。


〈槍よ。剛直なる槍よ。汝、能く敵を貫きたまえ。切り裂き、破り、主の意思を徹させたまえ。敵の傷が閉じることのなきよう、癒えることのなきよう、その肉と骨を穿ちたまえ〉


 ネイネイはゆっくりと息を吐きました。呼びかけるようなまじないの言葉が結ばれると、鋼が光りを増し、揺らぐ霊気を纏ったように見えました。以前に比べても、相当に念を入れてくれたようです。


「これで大丈夫」と、ネイネイは頷きます。


 それからタルナールは、マヌーカから貰った液状の毒を槍の穂先に塗りつけました。ムジルタに棲む蛙と、ダバラッドに棲む三種の蛇と、エイブヤードに棲む鳥の羽、それからアモルダート近くで採取できる種々の毒草、これらを混合し、凝縮させたものだ、とマヌーカは嘯いていましたが、真偽のほどは定かでありません。


「そろそろ行こうぜ」と、ラーシュに促され、タルナールは毒に濡れた穂先に覆いを被せました。間違って自分の指を切っては大変です。


 ふたりは討伐成功の鍵を握る弩砲を背にして、ゆっくりと〈魔宮〉の奥へと進みます。自分たちが走れる長さと、ブルズゥルクの脚の速さを考えると、あまり遠くまで行くのは危険です。捕まって食い殺された挙句、そのまま奥へと引き返されればまったくの無駄死に。距離のことは慎重に考えなくてはいけませんでした。


洞窟樹が投げかけるか弱い光のもと、タルナールは一歩ごとに嫌な想像が大きくなっていくのを感じます。はじめて遭遇したときよりも恐ろしいのはなぜだろう? ジャフディ相手に壮語を吐いたのが、身の程知らずな虚栄であるように思えてきました。


「緊張してるか?」と、隣を歩むラーシュが言います。「俺もだよ」


 ラーシュの年齢はタルナールと変わらないくらいですが、既に類まれな実力を備えているのは明らかでした。それは〈魔宮〉での振舞いからも、普段の身のこなしからも、ほかの鉱夫たちからの扱いから見ても間違いはありません。彼でも緊張することがあるのだろうか? とタルナールは疑問に思います。


「本当はいつだって緊張や不安がある。小さいころからそうだった。でも不思議なことに、いざ戦ってみると悪いものは全部消える。多分、気持ちが戦いに集中するからだろうな。人はそれを見て勇敢だと言ったりするけど、そう単純なものじゃないんだ」と、ラーシュは言いました。


「なら、僕も精一杯やってみるとしよう。緊張が消えるぐらいにね」と、タルナールは応じました。


 以前に死体があった場所には、血痕と骨片しか残っていませんでした。数日のうちにすっかり喰われてしまったのでしょう。そこからさらに進み、仲間が張った陣から四半刻あまり。これ以上深入りしすぎると、いざというとき戻れなくなる恐れがあります。


「準備はいいか? タル」と、ラーシュが言いました。


「大丈夫だ」タルナールはいったん槍を置き、腰に吊っていた鉄鍋と玉杓子を手に持ちました。玉杓子を振りかぶり、力いっぱい鍋に叩きつけます。


 カァァァァン!


 金属の硬い音が、壁に反響して空気を震わせます。〈魔宮〉ではまず聞くことのない音です。明らかな異常を感じさせる音です。ここに敵がいるぞ。縄張りを荒らす不届き者がいるぞ。寝ているのならば起きろ。早くこちらへ寄ってこい。


 タルナールは少し間隔を置いて、もう一度鍋を叩きました。


 もう一度。


 さらにもう一度。


 反応があったのは五度目でした。細かい地面の振動は、嫌が応にもブルズゥルクの巨躯を思い起こさせます。


「来た、来た、来た……、タル、行くぞ!」


 調理器具を投げ捨て、槍を拾いあげ、踵を返して今来た道を戻ります。完全に振り切ってはいけませんが、追いつかれれば死あるのみです。


 短期間で二度三度と縄張りを侵されたブルズゥルクは、ほとんど怒り狂っておりました。荒々しく踏みしめられた岩盤は悲鳴をあげ、咆哮がタルナールの背を激しく叩きました。


 急速に、急速に、鋼鉄の棘が迫ります!


「ラーシュ、先に行っててくれ」


 ブルズゥルクはおおよそ二百歩の距離、と検討をつけたタルナールが言います。


「槍の穂先に毒を塗ってある。こいつで傷つけてやればあとが楽になるはずだ」


「……分かった。無理はするなよ!」と、ラーシュは走りながら言いました。彼が毒の有効性を信じたかどうかは分かりません。タルナールにも確信はありません。しかし勝利のために、〈魔宮〉さらに奥へと進むために、考えられる手立てはすべて採っておくべきなのです。


 覚悟を決めたタルナールはその場で脚をとめて振り返り、肩の上に槍を構えました。少しだけ息を整えてから、ブルズゥルクの姿が見えるのを待ちます。掌にじっとりと滲む汗。それから穂先に覆いが被さったままであることに気づいて、慌ててそれを取り去りました。


 そして赤く光る双眸が、太い六本の肢が、背中を覆う太い棘が、巨体に似合わぬ勢いで突進してくるのが見えてきます。怒気とともに舞いあがる塵埃は、闇に燃える昏い炎のようでもありました。


 その獰猛な唸り声! しかしタルナールは恐れを振り払い、自分が為すべきことに集中します。ごく短い助走から、慎重に振りかぶり、ブルズゥルクに向かって槍を投擲します。


 まじないを施し、毒を塗った刃の行方を確認する余裕もなく、タルナールは踵を返して素早く逃げ出しました。仲間が待つ場所まで、そう遠くはありません。あとは走るのみです。


 果たして毒は効くのでしょうか? 少なくとも、ブルズゥルクがすぐに苦しみはじめるということはありませんでした。タルナールが必死で駆けていると、こちらを心配しているのか、やや速度を緩めていたラーシュの背が見えてきました。


 仲間のもとまではあと少し。待ち構える弩砲の射程まであと少しです。タルナールは力を振り絞ってラーシュに追いつきます。既に肺と筋肉が苦痛を訴えはじめていましたが、この調子なら殺されることなく仲間のところまでたどり着けそうでした。


 しかしそのとき、タルナールは異変に気づきます。罠を気取られないよう、静かに待っているはずの仲間がいる場所から、怒号や悲鳴があがっていたのです。

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