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千夜の魔宮の物語  作者: 黒崎江治
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第一夜 魔宮の街 -1-

 さて、今宵の話し手を務めますは、名もなき紅衣の吟遊詩人。


 物語の舞台となりますは、文明のゆりかごダバラッド。輝く月と太陽が巡り、砂塵の中をラクダが行き交い、酒と香料が豊潤なにおいを漂わせるダバラッド。日々歌と言葉が縒りあわされ、幾千もの夜話が生まれるダバラッドでございます。


 そして数知れない物語の中でも、今宵お話しいたしますのは私のお気に入り。壮大さと霊妙さを兼ね備えた秀逸なひとつ。心浮き立つ冒険、歴史に隠された秘密、魔術と幻想、それらすべてを織り込みながら、幾夜にも渡って語られる長大な物語でございます。


 とはいえ、肩ひじを張って聴く必要はございません。身体の力を抜いて、日常の手綱を緩めさえすれば、すべての準備は終わりです。


 よろしいですか?


 それではお話をはじめましょう。千夜の魔宮の物語――



       *


 いまからそう遠くない過去のこと、ダバラッドの辺境にアモルダートという街がありました。荒れ地の中にぽつんとある、まだできたてほやほやの街でした。


 その市街の中心から少し南へ行ったところに、白い石で造られた立派な館が建っています。ダバラッド有数の都市にある城館と比べても、決して見劣りしないほど大きく、端正なお館です。


 入口にはぴかぴかの槍を持った兵士が立ち、ひっきりなしに出入りする奴隷の身なりも、ふつうの町人よりよほどしっかりと整えられておりました。


 館の中に入ってすぐの場所には、外から来た客をもてなすための部屋がありました。そこには熟練の職人が織った羊毛の絨毯が敷かれ、いつも高価な麝香のにおいが漂っています。大理石で造られた見事な彫像や、繊細な意匠を凝らした純金のランプなんかも置いてあります。


 部屋に入った人間はみな、この館の持ち主は大層な金持ちに違いない、と思わずにはいられませんでした。事実、それが持ち主の狙いでもあったのでしょう。


 いま、部屋の中にはふたりの男が座っています。


 ひとりはなにを隠そう、この館の主です。名をバーラムといいました。容貌だけを見るならば、あまり金持ちらしくはありません。


 身体は痩せており、顔は日焼けしたダバラッド人特有の褐色。目つきもどこか飢えたような、ぎらぎらした輝きを宿しています。しかし彼の白いローブは薄くて上等な布からできておりましたし、手には大きなルビーやエメラルドのついた指輪がいくつも嵌っておりました。


 もうひとりの方はといいますと、格好はずいぶんとくたびれています。なぜならばここ数日、野宿を繰り返しながら旅をしてきたからです。名をタルナールといい、まだ二十一歳の若者です。


 背は高く、髪も瞳も温かみのある栗色をしています。彼はダバラッドの南方にあるケッセルという国の出身で、まだ若いながらもそれなりに腕の確かな吟遊詩人でした。傍らにはいまも、普段の演奏に使うリュートが置いてあります。


 タルナールはこの物語でとても重要な役割を果たすのですが、その人柄や生い立ちについては、おいおい明らかにしていきましょう。


 さて、そんな豪華な部屋の中。


「それで、おまえはどういう理由でアモルダートへやってきた?」と、バーラムが尋ねます。「アモル石を掘りにきたようには見えんな」


 アモル石とはなにか? それはこの街の富の源泉であり、名前の由来ともなった特別な鉱物です。銀に混じれば月光をも欺く優美なアモル銀となり、鉄に混じれば鋼をも砕く軽いアモル鋼となります。


 目下のところこのアモルダート以外で掘ることはできず、このころ、同じ重さの黄金に比べてなんと十倍もの価値がありました。


「ご推察の通り、違います」と、タルナールは丁寧に答えます。彼はこれまでに何度も有力者の館を訪れ、自分の芸を披露したことがありますので、バーラムのような金持ちを相手にすることも、尊大な物言いにも慣れっこでした。


「僕は物語を作るため、ここに来たのです」


 その言葉に、バーラムは眉をひそめました。


 アモルダートにはさまざまな人間がやってきます。食い詰めた農民、珍品を持ち込む商人、一獲千金を狙う山師、腕試しをしたいという兵士崩れ。その中には、街で興行する許可が欲しいと言う芸人もいたでしょう。


 しかし物語を作りにきたとわざわざ言ってくる者は、タルナールがはじめてだったに違いありません。


「作りたいならば、勝手に作ればよかろう」


 柔らかそうな小布団に身を預け、ぶどう酒の注がれた雪花石膏(アラバスタ)の杯を傾けながら、バーラムは疑わしげに言いました。物語を作ってはいけないなどというきまりは、ダバラッドのどこにもありません。もちろん有力者をけなすようなものであれば、相応の仕置きを覚悟しなければならないのですが。


「自分で〈魔宮〉にもぐってみることが必要なんです。〈魔宮〉へもぐるにはあなたの許可が必要だと聞いたので」と、タルナールはあくまでも主張します。


〈魔宮〉という場所についても、軽く説明をいたしましょう。


 アモルダートに住むふつうの町人や、馬やラクダで行き来する商人にとって、〈魔宮〉とはアモル石が採れる不思議な洞窟、という程度の存在です。入口は厳重に見張られていて、なんとなく近づいたからといって、冷たい視線以外に得られるものもありません。


 しかし実際に〈魔宮〉へもぐり、アモル石を採る人間にとって、そこは生活の糧を得て、ときには大量のあぶく銭をもたらしてくれる重要な場所です。


 彼らは大抵、ただ単に鉱夫と呼ばれます。しかし鉄や銀を掘る鉱山で働く者より、ずっとずっと多くを稼ぎます。要領の悪い者でも、都市の職人と同じくらい。より要領よく、あるいは危険を顧みない者ならば、その何倍もの金貨銀貨を手にすることができました。


 もちろん、〈魔宮〉は気楽な職場というわけではありません。名前の通り、魔性のものが棲みついています。


 それは夜の獣と呼ばれておりました。


 夜の獣たちは様々な姿をしていますが、おしなべて危険で狂暴な存在でした。それゆえアモル石を求める鉱夫たちにとって、非常な脅威となっておりました。そして〈魔宮〉の奥に行けば行くほど夜の獣は大きく、強力になっていきました。


 しかし実情として、鉱夫と夜の獣の間には切っても切れない関係があるのです。ですがその関係については、もう少しあとになってから語るとしましょう。


 さしあたり、アモルダートには〈魔宮〉と呼ばれる重要な場所があり、アモル石という貴重な鉱物がそこから採れるのだ、ということを理解すれば充分です。


 さて、話を戻しましょう。吟遊詩人タルナールが、物語を作るため〈魔宮〉にもぐりたいのだ、と要望したところでした。


 バーラムは若者の真意を推し量るように目を細めます。アモル石を〈魔宮〉から運び出し、精錬して売りさばくこと。これはいまのところバーラムの独占事業で、誰もがうらやむ富と権力の源でした。どんなことがあっても、他人に奪われてはなりません。


 だからこそバーラムは、〈魔宮〉にもぐりたいと申し出る者ひとりひとりに対して、わざわざ顔を突きあわせて話をするのです。アモル石の富を狙う諸外国の密偵が、懐に入りこむのを防ぐためです。


「吟遊詩人だと名乗るなら、なにか一曲歌ってみせろ」と、バーラムは言いました。


 タルナールは座ったまま、傍らのリュートを取ります。自己紹介代わりに一曲、というのは、吟遊詩人にとっては珍しいことでもなんでもありません。そして特に緊張した様子もなく、風にひるがえる戦旗のように勇ましい声で、こんな歌を口ずさみました。

 

 騎士の臨むいくさばは

 いのち絶えたる茫漠の荒野


 竜が翼を広げるとき

 ついに陽の光も消え去り

 あまねく希望も闇に呑まれる


 けれど騎士には惑いなく

 月の鋼の煌めきと

 己が勇気を灯りに掲げ

 黒き厚き鱗に進む


 鋭き爪が肉を裂こうとも

 太き牙が骨を断とうとも

 柄にかけた手を離さず

 刃にて芯を貫けば

 やがて竜は大地に倒れ 

 荒野に再び陽は戻る


 騎士また血に濡れ あえなく斃るも

 剣と忠心 世を去ることなく

 そのいさおしは星霜に耐え 

 いずれ帰りし主君を待つ


「〈忠良なる騎士〉か」

 

 聴き終わってから、バーラムは言いました。タルナールが歌ったのは、ダバラッドでも広く知られた古い曲の一節だったのです。


「……いいだろう。〈魔宮〉にもぐり、そこで見たものを歌にするがいい」


 そう言ってバーラムが手を叩きますと、部屋の扉が控えめに開かれました。現れたのは薄衣をまとった見目麗しい奴隷の少女。彼女は真鍮でできたペンとインク壺、それから高級そうな羊皮紙を二枚携えておりました。


 奴隷の少女はおずおずと部屋に入り、タルナールの眼前に筆記具を置くと、引きさがって部屋の角に控えました。


「自分の名ぐらいは書けるだろうな」と、バーラムが言います。


 タルナールは書けると答え、羊皮紙に目を落とします。それはどうやら誓約書のようでした。〈魔宮〉へもぐるにあたり、守らなければならない事柄が書いてあります。


 ひとつ、アモル石を指定の場所以外で売却しないこと。ひとつ、アモルダートの住民に狼藉を働かないこと。ひとつ、バーラムやその代理人に召集されたときは、素早くそれに応じること、などなど。


 あからさまに不利な内容がないのを見てとると、タルナールは二枚の羊皮紙に、さらさらと自分の名前を記しました。


「一枚をこちらに寄越せ。もう一枚は取っておけ」


 タルナールは言われた通り、二枚のうち一枚を奴隷の少女に渡しました。


「まずは〈病人街〉のマヌーカという女に会うがいい。〈病人街〉は街の中心に開いた穴の中だ。面倒を起こすなよ」と、バーラムは言い、それで用は済んだとばかりに顎をしゃくって、タルナールに退室を促しました。


 なぜ街に病人などという名がついているのか、なぜ穴の中にあるのか。タルナールは尋ねようとしましたが、バーラムはとっとと行けと言わんばかりの態度です。結局、自分の目で確かめればよいだろう、と思い直しました。奴隷の少女につき従い、掃き清められた廊下を通り、タルナールは館をあとにします。


 敷地の正面にある門をくぐって通りに出ると、強い陽射しで熱され、カラカラに乾いた風が吹き抜けます。それは細かい砂ぼこりを舞いあげながら、タルナールの足や腕や頬をさっと撫でていきました。


 はじめにも申しました通り、アモルダートは新しい街です。このとき、作られてからまだ二年しか経っておりません。それより前は、誰からも顧みられることのない、ただの赤茶けた荒れ地だったのです。


 しかしいまは三千もの住人を抱え、大通りの左右にある建物も、にわか造りでない小奇麗なものです。それらにはダバラッドの伝統的な様式が用いられ、ただの商店の壁にさえ、彩釉タイルの見事な装飾が施されています。


 さて、なにはともあれ〈病人街〉のマヌーカを訪ねよう、とタルナールは北に足を向けました。彼はアモルダートに到着してからすぐバーラムの館を訪ねたので、市街の地理をまだよく知りません。


 それでも目的の場所はとても特徴的な見た目をしておりましたので、タルナールにはすぐにそこが〈病人街〉であると分かりました。


 それはバーラムの言葉通り、穴の中にありました。


 地面にぽっかりと開いた、差し渡し二百歩以上もある巨大な円形の穴。そこには白布のテントや灰色煉瓦の建物が密集し、さまざまな国の、さまざまな職業の人々が行き交う、小さな街の姿がありました。


 気品という点ではアモルダートの平均よりだいぶ劣りますが、その賑わいぶりは、とても穴の底にあるとは思えないほどでした。


 穴の縁から底までは建物四階分ほどの高さがありましたので、飛びおりるわけにはいきません。近くには鎖つきの昇降機も見えましたが、タルナールが近づくと、屈強な奴隷たちに怖い顔で睨まれました。どうやら貨物専用のようです。


 しかし通行人に尋ねてみれば、なんのことはない、穴の内側を削って作った小さな階段があるとのこと。


 タルナールは穴の縁をめぐって階段を見つけると、石で補強された足場を確かめながら、ずんずんとおりていきました。

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