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第1話 リンドウ 2

 森のほこらからさらに小一時間程なだらかな傾斜の山道を歩き、ようやく人の手が加えられた人工物が見えてくる。山伏達が暮らす山小屋だ。ハイキングには厳しく、登山には易しい道乗りだったが、ひきこもりがちな真樹士が汗だくになるには十分過ぎる行程だった。

「……やっと着いたよ。俺達のスイートホームだ」

 真樹士が大きなため息をついて背中の登山リュックを担ぎ直す。文明社会から離れてはや数時間。早く電子の世界に飛び込まなければ心から乾ききってしまう、と携帯電話を見る。大丈夫、アンテナはちゃんと三本立っている。自分が配備したネットがきちんと機能している事を確認し、少し潤う。

「よし、中継基地に異常なし」

 そんな真樹士の内心を知る由もなく、向日葵が彼の肩を叩く。

「マキシくん、誰か待っているよ」

 真樹士は携帯電話から顔を上げる。丸太で組まれた山小屋の階段に一人の男がライフルを片手に腰掛けていた。

 髪を長く伸ばして整髪料でさらりと流し、くすんだブラウンに染め抜いている。左の耳には連なったピアスが夕日に輝いていて、やや顎を突き出すようにして階段の上から真樹士と向日葵を見下ろしていた。ついと立ち上がる。向日葵よりも頭二つ分大きい身体は、だぶついたパーカーの上からでも鍛えられているのがよく解った。

 真樹士には見覚えのない顔だった。と言う事は、まだ顔合わせをしていない7番山伏の新人。確か、名前は卓哉。

「やあ、タクヤくんかな?」

 答えは解りきっていたが、真樹士は彼のリアクションを見たくて軽く切り出してみた。敵意とまでは言わないが、卓哉が真樹士を見る目付きは、山伏が人の主を見やる本来のそれとは違う意味の光を持っていた。

「そうっすよ。あんた、新しいヌシ様?」

「そ。マキシだ。よろしく。こっちはヒマワリ」

「こんにちわ、よろしく」

 向日葵が真樹士の後ろにぴったりとくっついて軽く頭を下げる。卓哉は頭を下げると言うよりも、礼のつもりか顎を前に押し出すような仕種をした。

「いいっすね、ヌシ様は。女人禁制の山に女も連れ込めて」

 わざとらしく音を立てて階段を降りて来る卓哉。手にしていたライフルを大きく振り回して肩に担ぎ、真樹士の目の前に対峙する。ふと、真樹士は先代の主の捜索時にとった卓哉とのやりとりを思い出した。自分よりも背の高い卓哉の目を見上げる。恥をかかせてやったのをまだ根にもっているのか。肩をすくめて見せる真樹士。

「細かい事気にするなよ。足元すくわれるぞ。ゲンさんいるか?」

 真樹士は視線を真正面から叩き付けたまま言った。見下ろすように卓哉は応える。視線をぶつけあわせたまま顎で背後の山小屋を差す。

「奥にいるっす。ヌシ様のご命令なら呼びましょうか?」

「自分で探すよ。早速だが、大事な話があるんだ。こいつも新鮮なうちにさばいてもらいたいし」

 真樹士は小さなコンビニの袋に入れた二枚のヒラメを卓哉に手渡した。ヒラメが跳ねる度に白いビニール袋はがさがさと音を立て、はみ出たしっぽがぴちぴちと手を叩く。

「シュウジさんに渡してくれ。今晩こいつで一杯やろうって」

 真樹士はそのまま卓哉の脇をすり抜けて山小屋の階段に足をかけた。向日葵はそれを追おうとしたが、思い出したように卓哉の前に立ち、くいと首を上げて彼を見上げる。しかしちょっと近過ぎたか、首の角度がきつい。一歩下がる。

「女人禁制の山だってのは知っている。でもね、あんた一つ勘違いしているよ」

 向日葵は細く白い人さし指を突き出してやる。その整った爪を見ながら卓哉はわざとらしく首を傾げた。

「私はオンナじゃないの」

 自分の下腹にそっと手を添える向日葵。ここに、小さな命が宿っている。

「私はすでに人のヌシ様と同体なの。つまり、山の一部なの。山を穢すような目で見ないでちょうだいね」

 真樹士がそうしたように、彼女もするりと卓哉の脇をすり抜けて真樹士と肩を並べた。

「お恥ずかしながら、そういう事」

 真樹士は卓哉に振り返らずにぞんざいに背中越しに手を振って階段をゆっくりと昇った。堅い靴底のトレッキングシューズのせいで、ごとっごとっと階段を叩く音が嫌に大きく聞こえる。二人分の足音が扉の向こうに消えるまで、卓哉は山小屋に背中を見せたまま動かなかった。

 やがて山はいつものように静まり返る。そよ風に木の葉が一枚一枚擦れあう音しかしない、さわさわとした森の静寂が染み渡る。ようやく、舌打ちを一つ残して卓哉は自分の仕事、山小屋の番に戻ろうとした。しかし、それはできなかった。

 足が動かない。

 まるで地面に縫い付けられたように足が持ち上がらず、卓哉はバランスを崩して派手に尻餅をついてしまった。靴が異常に重い。何事かと卓哉は足元に目をやった。

「……なんだよ、これは」

 思わず声が漏れる。

 いつのまにか両足の靴紐が解けていて、それぞれ地面の雑草にきつく結わえられていた。

 

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