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最終話 3 勇気のある人間だと思うか?

 純は深く息を吸い込み、そのまますぐには吐き捨てずに頬を膨らませたまま携帯電話をじっと見つめた。それをおもしろそうに脇から眺める猫又。それに気付き、純は携帯を彼女から隠すように耳元へ持って行き、ふうっと勢い良く息を吐き出して現治朗へ電話を繋げた。

 山伏のヘッドセットを装備していたらこんな手順を踏まずに視線だけで山伏全員と通信する事ができる。しかし今はこの携帯電話しか交信手段がない。兼之とリンドウを連れた軽い散歩のつもりだったので携帯端末も持っていない。山のネットワークから切り離されているのを感じた。

 話したい時に話すべき相手が見つからない。伝えなければならない事も伝えられない。今の自分はこの広大な山々の中にひとりぼっちなのだと痛感した。

「ゲンさん、早くでて」

 コール音を数えながら思わず呟く。

 敵である猿の主は一体ではない。三体だ。山小屋で待機している向日葵を通じてそれは伝えている。だがその情報は遅かった。純を迎えに来た山伏達は二手に分かれ、二人は純の元へ、二人は山小屋の向日葵の元へ、それぞれ動きだしている。完全武装の山伏四人と猿の主一体ならば問題はなかったろうが、二人単位の山伏に対して、猿の主は三体。形成はかなり不利だ。

「なんで出ないんだ?」

 コール音は十回を越えた。

「もう手後れなのかもね。ジュンちゃん、どうする?」

 猫又は猫耳をいじりながら純の肩を突つく。純は彼女を見つめた。最初に出会った時の小柄な少女メイドの姿ではない。猫又本来の顔に近くなっている。瞳は人間のそれでなく、純の肩を突ついた爪も鋭く、メイドのスカートからふさふさとした尻尾が二本揺れている。

「ねえ、猫又様。力貸してくれます?」

 待ってましたと言わんばかりに、ニヤリ、薄いピンクの唇から白い牙を覗かせる猫又。

「お礼に遊園地デートしてくれる?」

 あまりに予想していなかったリアクションの速さとその内容に、二秒程言葉に詰まる純。

「大丈夫、ちゃんとしたニンゲンの恰好で行くからさー、いいでしょ?」

「……マキシさんが許可してくれたら、いいですよ」

 

 純が猫又とのデートの約束をしたその少し前。

 現治朗は頭上に気配を感じ取り足を止めた。

 木の枝がしなる音が聞こえ、一枚の枯れた色合いの葉がひらりひらりと風に揺られて落ちて来た。その葉の落ちる軌跡をたどるように頭上を見上げる。

 ヘッドセット越しに見える空は淡い灰色一色に染まり、肉眼では見えない暗い等星の星までもがぽつぽつと光の点と瞬かせている。明度と彩度をデジタル処理された明るい星空が広がり、まるで星空を支えているような視界いっぱいの木の枝が暗視効果で白く見え、レントゲンで掌の血管を透かして見ているように視界に広がっている。

「タクヤ、頭上に何か見えるか?」

 吐息のように囁く。ヘッドセットがその小声を拾い、ノイズまでも増幅させて卓哉のヘッドセットに流した。ディスプレイの卓哉の数値データが変化する。相対移動速度はゼロとなり、心拍数が少し上がる。

「何か見えたんすか?」

 しまりのない声が聞こえる。ガムを噛んでいるのか、かすかな唾を飲む音が聞こえた。

「いや、何か聞こえた」

「俺には聞こえなかったっすよ」

 周囲を警戒する気配すら見せずに卓哉ポインタがまた動きだす。

「ちょっとこれ外します」

 卓哉がヘッドセットを外した。ふうとわざとらしいため息をついて髪の乱れを整える。バックパックからペットボトルを取り出し、歩きながらよく冷えた水を喉に流し込んだ。

 余裕のある振りをして見せているのか、それとも緊張感がないだけか。現治朗は先を歩く若者から視点を戻して網膜に転写された仮想ディスプレイを操作する。猿の主に乗っ取られた銀行強盗犯が持っていた携帯の電波信号は相変わらず向日葵のいる山小屋を狙ってゆっくり進んでいる。鉄兵と左太郎のポインタの移動速度を考えると、猿の主よりも早く山小屋に戻れるだろう。

 しかし、先程向日葵から通信のあった純の言葉も気になる。

 猿の主は三体いる。

 確かに今の山の不安定な状態ならば何が起こっても不思議はない。もしも純の言葉通りに主クラスの力を得た猿が三体いるとすれば、立場は完全に逆になる。今、狩られているのは自分達の方だ。

「ヒマワリさん、聞こえるかい?」

『ハイ、モニターしています』

 現治朗は向日葵の声を聞いて少し安堵の息をもらす。今の所、まだ無事だ。

「この辺りに異常を示す表示や数値はでていないか?」

 数秒、沈黙。

『ごめんなさい。どういうのが異常なのか、まだそこまでわかんないです。私が見る限り特に変化はありません』

 もう一度星空を仰ぎ見る。

『マキシくんのポインタもまだ出て来ません』

 向日葵の言葉は正しいだろう。現治朗のヘッドセットの情報も何の変化もない。やはり主でないと主の存在を感知する事はできないのか。

「そうか、わかった。テツヘイとサタロウがもうすぐそちらに行くはずだ。気をつけてな」

『ハイ、あっ』

 向日葵の、あっ、と言う短い悲鳴とシンクロして、現治朗のヘッドセットの卓哉のポインタが一瞬で大きく移動した。卓哉の声か、何かが風を切る音か、鋭い空気の摩擦音が聞こえた。現治朗は慌てて視界を森に戻す。ずいぶん先に行ってしまったろうが前方には卓哉がいたはずだ。暗視効果で白い輪郭を持つ明るい森に卓哉が立っているはずだっだ。

 そこに彼の姿はない。足元の草が揺れている。

「タクヤ?」

 現治朗は仮想ディスプレイの卓哉のパラメータをピックアップする。サブディスプレイを呼び出し、彼のヘッドセットと同調させ彼の視界を展開させる。

 斜めに傾いた地面が見える。動かない。音もない。かすかに草が揺れているだけだ。

「タクヤ! どうした?」

 卓哉の視覚情報を巻き戻す。タクヤポインタが大きく振れたタイミングに時間軸を合わせ、どんな小さな数値的変化も見逃さないようスロー再生する。

 ヘッドセットを頭に装着しようとした瞬間か、斜めに傾いだ視界を何か光る物が横切った。

 

 純は完全に獣と化した猫又の背に乗って森を疾走していた。猫又の本来の姿は巨大な純白のヒョウだった。純が背にまたがっても足が地に届かず、大きく躍動するしなやかな筋肉は音も立てずに空気を切り裂き、草木を飛び越えて行く。暗い森を一枚の純白の絹がなびくように駆けて行く。

「猫又様、待った!」

 純は違和感を感じた。とびきり嫌な感じのする違和感を。猫又は素直に足を止め、二股の尻尾で純の頭を撫でた。

「何よ、速すぎてビビってんの?」

 白いヒョウが言う。

「いえ、ここって、昼間に僕達が来ていた場所なんです」

「秋咲きの桜ね。きれいじゃないの」

 リンドウが見たがった秋咲きの桜。兼之が猿の主とヒタヒタに襲われた場所だ。

「桜の根本が、掘られている……」

 純の違和感はそれだった。桜の根本が大きくえぐられ、土が深く掘り起こされていた。そして大きな桶のようなものが掘り返され、中身をぶちまけてひっくり返されている。

「お墓、だったのかしら?」

「どうやらここに、侍の無縁仏が眠っていたようですね」

 兼之の言葉を思い出す。戦で傷付き、山の中で果てた名も知れぬ侍の墓には桜の樹が植えられる。春になれば濃い緑の山肌に桜色の樹がぽつんと目立ち、そこに侍が眠る事を覚えていてやれるからだ。

「お侍さんねー。で、それがどうしたの?」

「墓を暴いた犯人は猿の主しか考えられません。何かを探すみたいにね」

「探すって、何を?」

 思わず猫又にしがみつく両手に力がこもる。

「……ヒトを倒すための武器ですよ」


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