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第11話 猫耳メイドは何を伝えたのか

 静かな森。ひとかけらの音もなく、ひとにぎりの光しかなく。

 太陽はついに山峰に沈み、暖かな明るさは駆逐されて山は徐々に暗闇をその身に貯え始めていた。深い海に潜るように足元から光が失われて行く。泥を掻き分けて歩くみたいに密度のある黒い影がしんみりと辺りを埋め尽くしつつある。

 虫達すら黙りこくる。何かが近付いて来ている。

 鬼。4体の鬼が暗闇を従えて森を行軍していた。

 

『4ツのマーカーが見えるだろ? それが山伏のみんなのポインタだ』

『うん。なんかすっごいチカチカしてる』

『視点クリックを採用しているから、ヒマワリがそこに視点を集中させるとそのポインタが選ばれているって事になるんだ。仮想ウインドウでは見たいモノだけ見て、見なくてもいいコトは見ないってのが大事なんだ』

『わっかんない』

『その4ツのマーカーを無視してジュンのケータイのマーカーを見なよ』

『チカチカが消えたよ。ジュンくんのがチカチカし始めた』

『大きく瞬きを2回。ダブルクリックのように』

『わ。これ便利!』

 

 純は避難小屋に装備されているライフルに弾丸を込めていた。弾倉をライフルに差し込む。山伏のヘッドセットならライフルの照準とリンクされ、視線で照準をコントロールできる。無論、暗視装置で深い森程度の暗闇なんて何ら問題ではない。

 窓の外はもはや一枚の黒い布を被せたみたいに何も見えない。山伏として鍛えられ、そして射撃もある程度自信はあるとは言え、こちらは生身の人間だ。野生動物の感知能力には足元にも及ばない。しかも敵は猿の主。こちらが先に見つけなければ、自分が食われてはじめて奴に見つかったと気付くのがやっとだろう。

 リンドウを守る事。それが今の自分に課せられた最低限の成すべき事だ。このライフル一挺で、どこまでできるか。

 と、携帯電話が鳴る。耳に差していたイヤホンに手を添えて応える。

「ハイ、ジュン」

『ヨー、ジュン。じっとしていろって言ってもおまえは聞かないんだろうな』

「はい、そのつもりです」

『この通話はもう全員にリンクされているから、ケータイを切らずに行動しろよ。そして自分の行動には自分で責任を付ける事』

「わかってます。リンドウはこの山小屋に置いて行きます」

『任せるよ』

「リンドウ、聞こえたろ? 僕を信じて、ここでじっとしていてくれ。僕が戻るまで、決して動かないでくれよ」

 純は背後に呟いた。

  

『次だ、ヒマワリ。これで山伏全員と君はリンクされた。そのまま、他の何にも見ないで、左のウインドウ枠の、名前が貼っていないケータイ番号を視点で一回だけクリック』

『何も見ないって難しいよ』

『集中力を切らすの。ぼーんやり。それがコツ』

『集中力を切らせってアドバイス、初めてよ』

『いいから。その番号のマーカーが、今回のラスボスだと思う。そいつはいまどこにいる?』

『んー』

『集中力を絶やせよ。ぼんやり、何も見ず』

『だからかえって難しいってば』

 

 修司は散弾銃を両手に構え、窓から暗闇に包まれつつある山の森を眺めた。目の前には流れる小川がある。物の怪の類いは流水を跨いで越える事ができない。そう言う意味ではこの山小屋は結界に守られている。しかし、敵は猿の主。物の怪ではない。さらに悪い事にヒトを被っているらしい。ヒトの知能を持ち、ヒトの武器を持つ。

 薄暗くなった真樹士の部屋を振り返る。真樹士のマスター用ヘッドセットを被った向日葵がパソコンに向かっている。マスター用なだけに、センサー類は山伏用のヘッドセットよりも大きい。小柄な向日葵がそれを被ると、いやに頭身がデフォルメされた小鬼のように見える。仮想視界が慣れていないせいだろう、やたら頭が上下左右に揺れ、その都度に重そうにぐらりぐらり頼りなく傾ぐ。

 熊の主の使い、森のヒグマがそれを興味深気に眺めている。真樹士と向日葵のダブルベッドの上に伏せるように座り、向日葵の揺れる頭を視線で追い掛けている。森での最強の生き物であるヒグマが向日葵のボディガードとして降りて来たのだ。ここは任せても大丈夫だろう。修司は山小屋の外で番をする事にした。真樹士と向日葵に一言添えて外に出る。

 一人、ヒグマと同じ部屋に残された向日葵の視界は淡い緑色の光が走っていた。真樹士の言う通り、集中せずにぼんやりとあそこらへんを眺めようっと視点を移動させると、余計な情報はズームされない。そこらへんと言う漠然とした情報の中で、見たいところだけに視点を置くとそこだけテクスチャーが鮮明に貼られ、他の画像情報はフォーカスがぼやけてクリアに見えない。確かに、見たいモノだけが見えるシステムだ。

「マキシくん、位置情報をどう説明したらいいかわかんない」

 都会の夜空のように深い灰色をした背景に、淡いグリーンのワイヤーフレームが山の形を向日葵に教えてくれている。今は最低限の情報だけをオープンにしているので、森を進行中の山伏達の4つのマーカー、避難小屋を出たばかりの純のケータイポインタ、ぽつんとかなり離れたところを異常な速度で移動している真樹士のポインタ、それらがグリーンに明滅しているだけだった。

『左のウインドウ枠に、スレイブってないか?』

「ある」

『それを瞬きでダブルクリック』

「おわ、マキシくん登場」

 向日葵の視界にウインドウがさらに一つ開き、真樹士の顔が現れた。

『よし。これで俺と繋がった。これで俺も君が視ている情報を見れるよ』

 真樹士は山小屋を出る時、山伏達が装備しているようなヘッドセットを一つと、両腕に装着するセンサーグローブを持って行った。どうやらそれを通して真樹士の顔の画像が向日葵のヘッドセットとリンクしているのか。それにしても、かなり高速度で山を移動しているはずなのに、真樹士の顔は激しい運動をしているようには見えない。

「マキシポインタの移動がやたら速いけど、どうなってるの?」

『こうなってるの』

 真樹士の表情が消えた。代わりに、夜の空が見えた。暗い山腹が見えた。分厚い雲の隙間に星空と月が流れて見えた。

「空飛んでる? どうやって!」

『トリのヌシのタクシー。クマのヌシが寄り合いの滝で待ってるからって、文字通り飛んで行ってるの』

「あんた、すごいわ」

 ものすごく素直な感想を呟いてしまう向日葵。

 

『みんなー。聞こえるか?』

 真樹士の声が電子的に分解され、信号として再構築されてデジタルの波に乗って山伏達、向日葵の耳に届いた。

『いまクマのヌシ様と合流した。これからあっちに渡って……』

 あっち? 向日葵は思わず首を傾げる。

『山の神様と逢って来る予定。しばらく存在しなくなる。一切の連絡はできないから、みんな自己判断、自己責任で行動してくれよ』

 存在しなくなる? 簡単な文章なはずなのに素直に理解させてくれない。 向日葵は首を傾げ続ける。

『また会おう。みんな、無事で』

 真樹士ポインタがふっと消える。

 点在する四つの山伏ポインタ。山小屋の入り口あたりから動かないジュンの携帯ポインタ。山伏の山小屋にある二つのポインタ。修司と、向日葵自身のもの。そして、見知らぬ携帯番号のポインタ。そのポインタはゆっくりとだが、確実に真っ直ぐにここへ向かっている。これが、ラスボス? 猿の主?

『ヒマワリさん、聞こえるかい?』

 ひび割れ、しわがれているが優しみを含んだ声が聞こえて来る。現治朗だ。

「なんですか?」

『この会話は他の誰にも聞こえない。直接通話だ』

「はい」

『マキシの性格は誰よりも、君が一番よく理解していると思う』

 少し沈黙を置く。向日葵の視線は仮想ディスプレイの中の真樹士ポインタを探し求めた。しかし、忽然と消えたまま山のどこの座標にも現れない。

『兼之は死んだ。どうあってもその事実は覆せない。なのにマキシはゲームでも続けるように振舞う。そう感じているか?』

「……少し。でも、マキシくんはヒトのヌシ様。責任があります。哀しんでいたり、怒っていたり、そんな事しちゃいけない。マキシくんは、ヒトのヌシ様だから」

『正解だ。だからこそ、マキシは無理をする。無理に平静を装う。ヒマワリさん、マキシを頼むよ。無理しすぎないよう、無茶しないよう、うまくコントロールしてやってくれ』

「難しいかも。あのヒト、絶対逃げないから」

『そうか。じゃあ、終わったらいっぱい慰めてやってくれ。兼之が死んだ事を自分の責任だと感じている。何もかもを自分で背負い込もうとしている』

「幸福も、苦難も、分かち合うのが夫婦です」

『……よろしい』

 

 純は山小屋の出口で誰かに呼び止められた。

 軽く鈴を振るったような、少し媚びた声。慎重に振り返ると、誰もいない。いま自分がくぐった山小屋の扉があるだけだ。もちろんリンドウの声でもない。

「誰かいるのか?」

 甘ったるい香りがする声が返事をする。耳に残り、とろりと心に溶け込む粘性のある舌ったらずな黄色い色をした声。

「ジュンちゃん、ア・タ・シだよん」

 そこには、暗闇が佇む深い森には似つかわしくない姿があった。黒と白をベースとしたフリルのついたミニスカートのメイド服。髪は前髪をきっちり眉毛の所で切りそろえ、頭には猫の耳がぴんと立っていた。唇を軽くすぼませるように笑い、片目を細く瞑り、招き猫のように片手を頬の側でくるりと丸める。

「……猫又様? なんですか、その格好?」

 獣の主、猫又は猫の耳を揺らしながら飛び跳ねて近付いて来た。

「マキシちゃんは気に入って大笑いしてくれたよん。どう、このスカート、かわいいでしょ」

 ひょいとスカートの裾をつまんで、ぺこり、一礼するメイド。

「たぶんそれは違った意味で大笑いしたんじゃないですか、うちのヌシ様は」

「さあ? マキシちゃんのコーディネートだよん、コレ」

 純は思わず額に手をやりため息をついてしまった。ただでさえ混乱しつつある場に、かなりめんどくさい奴が登場してきた。

 猫又。獣の主。二又に分かれた尻尾を持つ巨大な猫は、ヒトへの変身能力を持つ。人の主が先代の頃から人里に降りて来ては悪戯を繰り返していたが、真樹士が山に通い始めると、真樹士と言う新しい玩具を手に入れたからか、それとも真樹士の恰好の遊び相手になっていたせいか、里に降りる事もなくなり奇天烈な衣装に身を包んで山伏達をからかう事に熱中している、とんでもない気分屋だ。

 しかし、それでも獣の主。山では熊、人、猿の次の第四位の主だ。たかが山伏の純にとっては十分に畏怖すべき相手だ。

「残念ながら、僕とマキシさんとは好みが違うので、なんとも言えませんね」

 くるり、背を向けて歩き出す純。

「あらら、ざーんねん」

 跳ねる足音が近付いて来る。

「じゃあジュンちゃんはどんなのが好み? 変身したげるよん? 当ててみよっか? リンドウみたいなのが好みなんでしょ?」

「……リンドウに会っているんですか?」

 純は足を止めた。彼が山でリンドウを保護して以来、リンドウは山伏達の山小屋に引きこもっていたのだ。猫又が彼女を知っているはずがない。

「あの小屋に置き去り? いいのー? カワイイ彼女にそんな事しちゃって」

 頭一つ小さな猫耳メイド姿の猫又はとんとんと跳ねるように純の後ろをついて回る。しかし、純はその姿の裏に隠された畏怖を見抜いている。小さく華奢なその姿の影は、とてつもなく大きな猫の姿。隙を見せれば惑わされ、その妖しい魔力に捕われる。

「質問に答えてもらえますか? リンドウを見たんですか?」

 純は歩きながら訊ねる。猫又は上目遣いに純を見つめ、猫耳が揺れる勢いで首を傾げた。

「山中のヒロインだよん、リンドウは。みんな知っている。誰も見ていないけどね」

「見てないんですね。じゃあ、僕は忙しいんでいま遊んでいる暇はないんで、また後にしてください」

「ぶー、つまんないの。まあいいわ、アタシは見学しとくよん。サルのヌシみたいな臭い奴と喧嘩するつもりないし、観ているだけでも面白そうだからね。ああ、それから……」

 猫又を無視している純の意識が彼女の言葉に絡め取られる。

「マキシちゃんの赤ちゃんにもよろしくー。ヒマワリだっけ? サルの奴が狙っているから気を付けてねーって伝えて」

「……猫又様、どこまで知っているんですか?」

 振り返る純の目の前に立つ猫又は、先程よりも一回り大きく見える。

「山のみんなが知っているよん。サルのヌシのしてきた事はみんな見て来たから」

 猿の主がしてきた事。先代の人の主を食い殺し、山を我が物顔で歩き回っていた。その時、まだ真樹士は普通の人として街で暮らしていた。人の主が不在の時間、山で何が起こっていたのか、知らないのは人だけだ。

「サルのヌシのしてきた事って、奴の本当の狙いはなんなんですか?」

 猫又がまた一回り大きく、そして輪郭が鋭くなったように見えた。

「ヒトになる事じゃない? それより、アタシは興味ないけれどもね、いい事教えてあげるよん」

「いい事?」

 猫又の白い手袋をはめた手が純の頬を撫でる。その切れるような冷たさに、ぞくり、総毛立つ。

「サルに食べられちゃったヒトって、一人じゃないんでしょ?」

 純は発見者として警察の調書を作成する時に見せられた遺体の写真を思い出した。食い散らかされたバラバラのパーツ。確かに人間一人分ではなかった。

「それだけの肉の量を一匹のサルで食べ尽くせると思う?」

「……一匹?」

 純は自分の腕を見つめた。包帯の下、猿の主に握られただけで皮膚が破かれ、今でもじんじんと染みるように痛む。

「まさか?」

「まさか、ね?」

「ヒマワリさん、聞こえますか?」

 純は携帯のイヤフォンのスイッチを押して向日葵と交信した。すぐに向日葵の声が響き少しだけ安堵の息が漏れる。

「ヒマワリさん、至急調べてもらいたい事があります。全員の位置情報に変化はないですか? 特に、銀行強盗の携帯ポインタはいまどこにあります?」

『いまね、ゲンさんからの提案で別行動をとっているの』

「別行動?」

『うん。テツヘイさんとサタロウさんが、いまこっちに、私のいる山小屋ね、こっちに向かっているの。ゲンさんとタクヤくんがジュンくんとリンドウちゃんの救出に向かっている。例の謎の携帯ポインタは、ゆっくりとだけど山小屋に向かって来ている。たぶん、テツヘイさんとサタロウさんの方が速いと思うけど』

 真樹士は山の神に会うために山のあっち側に渡っているはずだ。人の主の不在の時間、そして最強の熊の主もいない。ならば、現在の山において絶対的上位に立っているのは猿の主だ。

「あーあ」

 猫又が大袈裟に笑って見せた。ピンクの唇の隙間から鋭い牙が覗く。

「サルごときにからかわれちゃってさ。ニンゲン様ってその程度なの?」

「教えてくれ、猫又様。サルのヌシは、何体いる?」

「……3匹よ」

 猫耳メイドの瞳がくっと細く光る。ナイフで裂いたように縦長の瞳の真っ直ぐな視線が純に突き刺さる。

「それもヒトを食っているから、相当にヤバいわね」


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