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第9話 膝から下 2

『……でたか…、……ジュ……さわ……ってい…』

 純は耳の中に携帯電話をねじこもうとするかのように、てのひらで覆い隠せるほど小さな機械を耳に押し当てていた。ノイズとともに飛び飛び聞こえて来る真樹士の声は、電子的に歪んだ五十音をランダムに並べただけにしか聞こえず、解読はもちろんの事、双方向通信もできなかった。はたしてこちらの声が正しく向こうに伝わっているかさえ疑問だ。

「すみませーん、マキシさん。こ、ち、ら、か、ら、か、け、な、お、し、ま、す、ん、でー」

 通じたかどうか。純はまだ何かしゃべっている機械をぱくんと閉じて胸ポケットに収めた。兼之とリンドウに向き直りながら背中のザックから使い込まれた色合いをしたなめした革のロープを取り出す。

「ちょっと電波の状態が悪いから、樹に登りますね」

 樹に? リンドウが首を傾げる。

 兼之も自分の携帯電話を折り畳み、ポケットにしまいながら頭上を見上げた。ここら一帯は杉の樹が不規則に並んでいる。杉の太い幹の隙間から狭い空を見上げると、まるで杉の樹が青い天井を支えているかのように見えた。ここは山間の谷間。狭い空は山の壁に囲まれている。

「カネユキさん、リンドウを頼みます」

 純はトレッキングシューズのつま先を二度強く地面に突き立てた。すると厚い靴底から鋭い金属の刃が切れ味のよさそうな音を立てて現れた。適当に太く大きく育った杉に歩み寄り、右脚を大きく振りかぶって幹に突き立てた。靴底の刃が幹をがっちりと噛む。

「君の事だから大丈夫だとは思うが、一応、気をつけて」

 兼之は腕組みをして少しだけ樹け離れた。リンドウは秋咲きの桜の幹によりかかるように地面に直接座り、じっとこっちを見つめる純に小首を傾げて笑顔を見せて応えた。

「いってきます」

 慌てて純は杉の樹に向き直る。くるり、両手で革のロープを幹に回して手首を回転させて長さを調節する。びしっと音が立つ程に強く張り、自分自身に一つ頷くとそのロープを手繰り寄せ、一気に左足を振り上げた。ロープがぎしりと唸る。左の靴底の鋭い刃が樹の幹に食い込み、純は両手を何度も震わせてロープをさらに高い位置に持って行く。同じ要領で右足で樹の幹を蹴り、さらに高みへとするするとリズムに乗って登っていた。

「うまいもんだ」

 思わず呟く兼之。その声が聞こえたのか、リンドウもそれに習う。

「うまいもんですね」

 あっと言う間に見上げる首の角度はきつくなる。

「お猿さんみたい」

 と、リンドウは大きく瞬きを幾つか。

「お猿さんとお侍さんって、何か似てますね」

 そして言ってしまってから気付いたか、少し恥ずかしそうに俯く。

「ごめんなさい。今のナシ」

 兼之は目の前に小さく座る自身の事を何も覚えていない少女にできるだけゆっくりと語りかけた。

「お侍さんの話を思い出したのかい?」

「お侍さんの?」

「ほら、山にぽつんと一本だけ桜の樹があるのは、そこが侍の無縁仏の墓だって話さ」

 少女はほんの少しの間を置いて、それから慌てて立ち上がった。

「ああ、ごめんなさい。座っちゃった」

 誰に謝ったのか。兼之か、侍か。リンドウは桜の樹に頭を下げた。そして黒髪をさらりと流して頭を上げた時、誰かに背後から影を踏まれたような、体温が少し下がるような、どうしても真正面を向けない居心地の悪さを感じ取った。

「カネユキさん。……誰かが、こっちを見ています」

 

 純は張り出した枝を器用にすり抜けて、薄い青の空が十分見晴らせる高さにたどり着いてから片手で胸ポケットから携帯電話を取り出した。

 大丈夫。アンテナは三つ立っている。この谷間にも音声が途絶え途絶えだったがかろうじて電波は届いていたのだ。おそらく真樹士が中継ポイントをこちらへ移動させたのだろう。と、言う事は、それなりの緊急事態が発生したのか。

 純は太く水平に張り出した枝を跨ぐように腰掛け、真樹士の携帯へ折り返した。コール音を聞きながら下を見る。森に絡むように伸びた木の枝が邪魔をしてリンドウの姿どころか地面すら見えない。

『ジュン? よかった。切れたから心配したよ』

 一回目のコール音が終わる前に真樹士の明瞭な声が聞こえて来た。

「あ、さっきよりかなりよく聞こえます。全然聞こえなくって、ちょっと樹に登って電波を拾いました」

『うん。いいか、現状を説明するから好きに解釈してくれよ』

 真樹士らしい言い回しに純は空に向かって頷く。

『ジュン達はちょうど深い山の陰にいるみたいで電波がうまく飛ばない。だから俺からのフォローは全然できない位置にいる』

「みたいですね」

 純は周囲を見回す。樹に登っているとは言え、純の周りは緑しかない。見渡せる範囲すべてが緑に覆い尽くされている。ここは完全に山の中。ヒトが覚悟もなしに踏み入ってもいいトコロではない。

『情報そのいち。ヒタヒタが現れやがった。ヒマワリとゲンさんが遭遇した。もちろん二人とも無事だ。そっちにも行くかもしれない』

「ヒタヒタですか。ずいぶん久しぶりですね」

 関西を襲った大地震の時もヒタヒタが山を徘徊したのを覚えている。純自身もそれを体験している。

「どこかで大きな地震でも起きたんですか?」

『いや、不思議な事だが好き勝手に山を歩き回っているらしい。そして情報そのに。銀行強盗犯も勝手に山に入りやがった』

 純は今朝のニュースを思い出した。猟銃を持った銀行強盗犯が一人、地元警察の懸命な捜索にも関わらずまだ包囲網に引っ掛かっていない、と。山に入っていたのか。見つからないはずだ。

「ヒタヒタと銀行強盗ですか。嫌な組み合わせですね」

『ああ、けっこういやらしいコンボだ。で、情報そのさん。その銀行強盗の物と思しき携帯番号電波がそこのすぐ近くで見つかった。移動距離にして五分とかからない』

 純は思わず周囲を、そして足元を見回す。どう首の角度を変えても杉林しか見えない。それは何も見えていないに等しい。

「けっこうシビアな状況ですね」

『かなーりシビアだ。テツヘイさん達が戻ったらすぐにフル装備で迎えに行かせるから、おまえはリンドウとカネユキさんの安全を守れ。一番近い三の峰の山小屋へ避難しといてもらえるか?』

「了解しま、し……」

『どうした? 聞こえるか?』

 ……何かがいる。

「マキシさん、ちょっとやばそうです。ケータイ切りますね。すいません。山小屋着いたらこっちから電話します」

 何か真樹士が言いかけたが、純は携帯を閉じて沈黙と静寂を取り戻した。この感覚。妖怪ヒタヒタではない。もっと悪意のある意識がその根底に渦巻いている視線だ。しかも、周り中から感じる。いつのまにか、囲まれていたようだ。

「なかなかにシビアなコンボですよ、マキシさん」

 携帯を胸ポケットにしまい、木の枝を跨いだまま腰のナイフを音を立てずに抜く。今日はリンドウを伴った秋咲きの桜を眺める散歩気分で、鋭い金属の武器はこれしか持っていない。刃渡り二十センチはあるナイフをがちりと堅い音を立ててくわえた。磨き油の鉄臭い苦い味が広がる。

「……サル、か」


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