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第7話 ヒタヒタ 2

 肌には暖かな光が降り注ぎ、髪には柔らかいそよ風を感じる。秋が深まりつつあるとは言え、山は心地いい空気に包まれていた。しかし、目を瞑るだけでこうも恐ろしく変わるのか。すぐ側に山伏達の長、現治朗がいる。耳の携帯電話には真樹士の声。何の心配もいらないはずなのに、脚の震えが止まらない。携帯電話を持つ指が自分の物とは思えない。

 

 ほんの数分前、現治朗が険しい声を上げた。それと同時に向日葵の耳にもあの音が聞こえだした。濡れた布をそっと岩肌に貼付けるような、水浸しの裸足で忍び足をする音。

 決して振り返ってはいけない。

 いままで聞いた事もない現治朗の厳しい声に従い、目の前の小道をじっと見つめたまま真樹士の携帯に電話をかける。真樹士の声を聞いた途端、背後に迫った濡れた足音が止み、どうしようもなく恐ろしくて震えが止まらなくなった。すぐ息がかかる程近くに何かとてつもなく恐ろしいモノがいる。自分を形作る小さな肉体なんて一瞬で破いてしまいそうな、どす黒い力がすぐ後ろで忌わしい足音を止めた。

 膝が砕けてしまいそうな程に震えている。自分の意志の力ではこの震えを克服できそうにない。真樹士の声を聞いても、どこか遠くから聞こえてくるテレビの音のように現実感がない。

『いいか、ヒマワリ。目をしっかりつぶったまま、俺の言う事をよく聞いて。ゲンさんは大丈夫、心配しないの。今は、自分の身を守る事だけに集中しなよ』

 携帯電話から優しく届く電子的な声。

『そいつはヒタヒタだ。俺が知っている限り、かなり厄介な物の怪だよ』

 現代社会に暮らす向日葵にとって、あまり聞き慣れない単語が不意に耳に飛び込んで来た。

「モノノケ?」

『妖怪だよ。まあ、物の怪の定義についての講釈は後回しだ。いまはそいつを追っ払う方法を教える。大人しく言う通りにしろよ。かなりおっかないからな』

 真樹士の声は明るい。明日のデートの約束をするような、そんな弾んだ声色を作っているのがよく解る。

「オーケイ。や、やってみるよ。すごく、怖いけど」

 もう濡れた足音は聞こえない。ただ、押し潰されそうな重たい気配があるだけ。首筋にかかる獣の吐息。かなり大きな鼻の穴から吐き出される唸り。自分の命があと少しの所で途切れかかっているのを背中を伝わり落ちる冷や汗が語っている。こんな重々しく刺々しいプレッシャーは生まれて初めてだ。音しか聞こえないのに、恐ろしくて携帯電話を持つ手がかたかたと揺れている。

『ゲンさんの事はとりあえずこっちに置いといて、声もかけるなよ。ゲンさんも今まさにヒタヒタと戦っている。邪魔するな。俺が言った事以外何もするなよ』

「う、うん」

『ヒタヒタの正体は、ヒトの後頭部に取り憑くすごく小さな物の怪だ。音を立てるくらいしか能がない、小物さ』

 まさに向日葵の後頭部の向こう側で唸り声が聞こえる。目をつぶった暗闇の中、その音だけが現実味を増して大きくのしかかってくる。

『だけど、そいつはそれしか能力を持っていないが故に、最も恐ろしい食欲を持った物の怪だ。音に釣られて振り返れば、後頭部のヒタヒタと目を合わせてしまえば、あとは食われるだけだ』

「妖怪に食べられちゃうんだ。この科学の時代に」

 強がってみせる。ふんと鼻を鳴らし、胸を張る。

『人を怖がらせる実力に関しては凄腕だ。逆に、それしか出来ない。ヒタヒタを追い払うには、目をつぶり、決して目を開けずに振り返り、そいつに触れる。それだけでいい。あっと言う間に恐怖がどこかにふっ飛んでしまう』

 周囲の温度が何度か低く感じられた。目をつぶったまま、振り返り、背後にいるこの物の怪に手を触れる? ただ、こうしているだけで震えが止まらないと言うのに? こちらからこのバケモノに触る?

『できるか? なんて言わねえぞ。やれ。やるしかないんだ。目をつぶったまま、ゆっくりと振り返り、手を伸ばし、目の前にあるソレに触る。それだけでいい。奴は思いきり怖がらせて邪魔をするだろうな。だが、目を開けなければ奴の姿を見なくて済む。恐れる必要はない』

「触れば、いいのね?」

『うん。ふと、嘘だったみたいに怖くなくなる。大丈夫、それがヒタヒタを追い払った合図だ。あとは目を開けてもいい』

「怖くなくなるのね?」

『そうだ。あとはヒマワリの邪魔をしないように俺も黙っている。ゲンさんも静かに見守ってくれているよ。安心しろ、君ならできる』

 目をつぶったまま、ゆっくりと振り返り、手を伸ばし、目の前にあるソレに触れる。耳で聞けばそれだけの事だ。数秒で終わらせられる。

「うん、わかった。応援よろしく」

『がんばれー』

「もっと愛のこもった言葉が欲しい」

『そんだけ軽口叩けるなら大丈夫だな。……ずっと側にいるから、安心しろよ』

 


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