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はじまり

 

 アラエイジャナヤァカー、エジャナヤカ。

 ソレイケ、ヤレイケ、ウントコヤア。

 ウントコトッコン、ヤントコナア。

 

 人間達は動物である事をやめ、あたかも機械であるかのように振る舞い始め、神と総称される現象すらデータ化の洗礼を浴び、電子の集合体が発する神託が血液のように大都市を流れ、それでもまだ、御神籤や占いにネットキャッシュを支払い、恋人とのデートにぴったりの色のスカートを決める少女がいる、そんな近未来。

 

 ソラエイジャナヤァカー、エジャナヤカ。

 サアコイ、ヤレコイ、ウントコヤア。

 ウントコトッコン、ヤントコナア。

 

 かつて、神々が住む霊山と奉られた座王連峰、洛朱九崚。九つの峰が天を貫くようにそびえ立ち、太陽が沈む聖なる山々。まさに王が座する峰。最先端のネットワークと最大級のまじないが配備され霊山そのものがさながら大規模なサーバーのごとくに機能し、しかし同時に、ヒトが踏み入れは行けない神の領域として数百年の歴史が今なお脈々と受け継がれている山。

 

 ヤアヤア、一の峰にゃあ草木が萌えよ。

 ナアナア、二の峰にゃあ虫ども踊れよ。

 ソーレーヤーレー、ウントコヤア。

 ヤアヤア、三の峰にゃあ魚も跳ねよ。

 ナアナア、四の峰にゃあ鳥達飛べよ。

 ヤーレーソーレー、ヤントコナア。

 ヤアヤア、五の峰にゃあ獣も駆けよ。

 ナアナア、六の峰にゃあ猿が喚けよ。

 ソレソレヤレヤレ。

 七の峰にゃあ人が番する。

 ヤレヤレソレソレ。

 八の峰にゃあ熊が座する。

 九の峰にゃあ神在り給え。

 遠く賜えり恵みを降らせ。

 

 神と人の領域を分つ山、九つの連峰、洛朱九崚。そこは山伏が管理する聖なる土地。人が神の聖域に足を踏み入れぬよう、あるいは、神が人の町に降りて来ぬように、山伏がネット化された霊山を管理する、そんな世界。




「ざおうれんぽおー、らくしゅくりょう、ハアサレヨオサレ、よいとこ、かみのくにー」


 やや音程が外れてはいるが、若く伸びのある色彩豊かな声が緑の色濃い森に溶け込んでいく。


「ホイ、サ、ホイ、サ!」


 栗色の髪がふわりと跳ねる。木漏れ日が彼女の髪を黄金色に染め上げて、柔らかな風と踊る。前髪を眉の上で切りそろえ、耳にかかる部分を房のように長く伸ばし、後ろ髪を太く束ねてリボンでまとめている彼女が踊れば、明るい栗色に染められたお下げも踊る。


「アラエイジャナヤァカー、エジャナヤカ。……マキシくん、ノリ悪いぞ」


 本来ならばここで合いの手が入るはずなのだが、彼女の耳に深い森のざわめきがしんしんと染み入ってくる。彼女は歌と踊りをいったんやめ、後ろを振り返り、やや離れた所をとぼとぼと歩く男に声をかけた。


 真樹士は背中に大きく膨らんだ登山リュック、両手にも背中に負けないくらいにはち切れそうなボストンバッグを二つ抱えていた。わざとらしく大きなため息をつき、黄色いレンズのサングラス越しに木漏れ日を仰いだ。


「ヒマワリがノリ良すぎるんだよ。山に入るのがそんなに楽しいか?」


 真樹士の愚痴に向日葵は大きく両手を天に捧げた。


「ああ、山よ! 神が座する山! テンションあげなきゃ。少なくともアンタはヒトのヌシになるんだから。そして、私はその妻。ヒトのヌシの妻。うん、悪くない」


「テンション高過ぎるって。ああ、ひきこもりたい。現代文明よ、さらば。俺はコンビニがないと生きられないんだよ」


 山道を囲む木々は折り重なり、昼間でも木陰は強く地面に落ちている。コンビ二はもちろん、周囲に人が住んでいる気配すらない。向日葵は跳ねるように真樹士の元に駆け寄り、彼からボストンバッグを一つかっさらった。


「私の荷物は私が持つってば」


「最初からそう言え。ほら、ほこらが見える。あと少しだ。頑張れ、俺」


 霊山の森の小道を若い二人は数時間歩き続けていた。ここはすでに洛朱九崚の入り口ではない。神の山の入り口だ。選ばれたヒトしか足を踏み入れる事は許されない領域。


 真樹士は小さなほこらまでたどりつくと、荷物を放り投げるようにしてすべて地面に置き、そこへひざまずいた。ほこらと言っても、それは社をかたどった小さな石の灯籠のような物だった。高さも人の背丈程しかなく、供物をそなえる台座が一つあり、そこには乾いた白い花が供えてあった。いつのまにか木漏れ日はやや傾き、森の木々の影も色を増して斜めに伸びてくる。暗くなる前に山伏達の山小屋までたどりつけそうだ。


「雨宮真樹士、ヒトのヌシとして山に入ります」


 頭を下げる。すると慌てて向日葵も彼に習う。


「同じく、雨宮向日葵、その妻として、彼と共に生きます」


 二人は頭をあげ、なんとなく見つめあう。


「なんか、照れるな」


「照れるな照れるな、ヒトのヌシ様」


 向日葵は自分のボストンバッグをがさごそと漁りだし、ポテトチップスの袋を取り出した。ばりっと小気味良い音を立てて開封し、台座の乾いた白い花の側に添える。


「よろしくお願いします」


「……もっとましなの供えろ、大福とか」


「それはアンタの好みでしょ」


 また歩き出す二人。




 洛朱九崚は神なる山。神々が住む聖域と人が住む町との境目の連峰。遥か昔より、山伏達が守り抜いて来た山だ。神が人里に降りてこないよう、人が神の領域に迷い込まないよう、守り続けて来た山。


 その山伏達の長、人の主が死んだ。それも、尋常ではない死に方で。山の安定を乱さぬよう早急に人の主の更新が必要となり、白羽の矢が立てられたのが、雨宮真樹士、ネットワーク技師だった。霊山の隅々までネットを張り巡らし、山全体を一つのネットとして構築したその腕前と、山に好かれると言う類い稀な素質を持った男だった。


 いよいよ文明社会とのお別れ。コンビニやネットカフェはもちろんの事、最寄りの自動販売機まで歩けば5時間かかる。自動車やバイクは必要最低限の道具として一台ずつ山小屋に装備されているが、先代の人の主の死と言う緊急事態のために真樹士と向日葵を迎えにも来れない状況であった。




「あ、マキシくん、ごめん」


 ほこらより歩いて数十歩、向日葵が先を歩く真樹士を呼び止めた。


「ほこらの写真、いい?」


 フリーライターでもある向日葵はポケットからデジカメを探り出す。


「別に構わないよ。ただし、生き物の写真は撮るな。山のルールだ。命ある者の動きを止めてはならない」


「了解。ちょっと待って、わ!」


 大きな森がまるごと揺れるような突風が二人を襲った。山の深い方向から、木々の葉が大きな見えない腕で撫でられるように揺れ、二人をぐるりと包み込み、一瞬のざわめきを残して過ぎ去っていった。


「ご挨拶だな」


 小さく呟く真樹士。頭上を見上げ、まだ揺れる木々の隙間からオレンジ色に染まりつつある空を探す。


「なんなのもー、やな風」


 向日葵が小走りにほこらに引き返す。そして、小さく悲鳴を上げる。


「ちょ、ちょっと! マキシくん!」


「どうした?」


 真樹士はリュックとボストンバッグを放り出して彼女の元へ駆け寄った。ほこらの前でデジカメを構えたまま、供物の台座を指差す向日葵。


 そこには空のポテトチップスの袋が、今の突風にも吹き飛ばされずにそこに残されていた。


「……中身が、ないよ」


「持って帰ったんだろ、お腹空かした子供でもいるのかも知れない」


「って、誰が?」


「ここは神の山。そんなんで驚いていたらヒトのヌシの妻は勤まらないぜ。どうする? 離婚するか?」


 真樹士は左手の薬指のリングを向日葵の鼻先にちらつかせた。リングとポテトチップスの空き袋を交互に見つめ、フンと鼻を鳴らし、彼女は自分の左手の薬指のリングを真樹士のそれと軽くぶつけあわせた。カチン、堅い金属の音が森に染み込む。


「まさか。私だってジャーナリストの端くれ。びびってる訳じゃなくて、ちょっと予想外だから戸惑っただけよ」


「それをびびるって言うんだよ」


「うるさい。とにかく、私は神の山の神秘を人々に知らしめるためにアンタと結婚して、ヒトのヌシの妻として入山を許されたの。それだけの仕事はするの」


 フラッシュを焚き、ほこらとポテトチップスの写真を撮る向日葵。小首を傾げて真樹士は言う。


「俺の事愛しているから結婚したんじゃないの?」


「別に。さあ、行こう」


 目も合わせず、すたすたと歩き出す向日葵。


「素直じゃないの」


 真樹士はほこらに一礼してから彼女を追い掛ける。数歩先を歩く向日葵はリュックとボストンバッグのところで、またもや悲鳴を上げた。今度はさっきよりも長く大きく森に響き渡る。


「マキシくん! 何これ!」


「……何って、わからない?」


 あきれるように黙りこくる向日葵。


「左ヒラメに右カレイって言ってな。口が上を向くように置いた時に、左を向いているのがヒラメ、右を向いているのがカレイだ」


「あの、そんな事聞いている訳じゃないんですけど」


「さっきも言ったが、ここはもう神の山だ。どうする? 引き返すか?」


 真樹士がさっき投げ捨てたリュックサックとボストンバッグの上に、まだ濡れたままの立派なヒラメが二枚、ぴちぴちと跳ねていた。


「俺がヒラメの縁側が大好きだってどこで情報を仕入れたのかわからないが、俺への歓迎の贈り物だろう。今夜はこれで一杯やるか」


 ぴちぴち、ぴちぴち。


「生きてるよ? これ」


「うん、活きがいいな」


「海、遠いよ」


「うん、数十キロはあるかな」


「……生きてるよ? これ」


「……だから?」


 ぴちぴち、ぴちぴち。


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