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エモーション・アポカリプス  作者: 木嶋寛人
8/8

現実

未成年の女性二人、男性一人という面子で深夜の街を歩くのは、一般的には危険だろう。

だがこの状況はその限りではなかった。

契約者である三人は、寝静まった街の中をひっそりと歩いていく。レース・ノワエの本拠地たる建物を出てはや二十分、誰ともすれ違うことは無い。

「今日は風が気持ちいいわね」

「そうか?私にはぬるく感じるが」

「姉さんはほんと暑がりだからねぇ」

人の少ない夜の街を散策し、契約者を見つけて繋がりを作る。上手くいけばレース・ノワエに勧誘する。そんな漠然とした指針を示し、ヘルクは姉弟をそれに誘った。活動を見たいと言った二人が断るはずもない。こうして月が高々と輝く夜の頃、出歩くこととなったのである。

「……ヘルクは毎日、こんなことやってるのか?」

肩を並べる少女にヴェーラは尋ねた。理由のない重だるさが彼女に溜息を吐かせる。ヘルクは答えた。

「こんなことって何よ。でもほとんど毎日してるんだよ、あたしこういうの向いてるから」

「こういうの、ってどういうの?」

「探索系。契約者の感情ってエネルギーになるでしょ?それ、使い方次第ではちょっとした身体の怪我治したり、武器強化したりできるわけ。で、あたしは五感を鋭くできるから、異変があれば察知しやすいの。異変あるところに契約者あり、リーデルが言ってたわ」

ヘルクの面倒そうな説明を聞き、ヴェーラはある事実に思い至った。契約者の腕力で振られると、普通の剣ならあっさり折れてしまうはずである。そうならなかったのは無意識にそのエネルギーを流し込んでいたからだろう。

携えた剣の柄に手を触れてみる。リーデルが「あなたはいい子だから」といって無償でくれたものである。その手に意識を向けると、身体の中の何かが供給されているような気がした。

「僕が糸を操れるのもそういう理屈だったんだね。トワイライト、使い方は教えてくれたけど理由まで言ってくれなかったからなぁ」

「私の奴は使い方すら教えてくれなかったぞ」

小声で零すと、反応があった。

〝いきなり難しいこと言われても分からないでしょ?〟

────ごもっとも。話を聞く限り、使うことは簡単でもコントロールは難しそうだ。反論の余地は無かった。


「あ」

間の抜けた声と共にヘルクが立ち止まったのは、月が雲に呑まれた時のことだった。

つられて姉弟も足を止める。

「どうした?」

ヴェーラが聞いても答えない。顔を濃紺の空に向け、瞑目したまま微動だにしない。

しかしそうしていたのも束の間。ヘルクは鋭く言い放ち、前方へと駆け出したのだった。

「────戦う用意をして。契約者が戦ってるわ」

少女の、いや人間ではない速度で走っていく後ろ姿を、迷うことなく姉弟は追った。

ヴェーラは剣の鞘を握りしめ、いつでも抜けるよう体勢を整える。ジルベルトは糸を五指に絡みつけ、余りを手中に握り込む。

まさに風のように駆け抜けていく。追うべき姿を見失わぬよう、闇夜に目を凝らして走る。ヘルクの姿が角に消えた。

「────────させないわ!」

広い路地裏と呼ぶに相応しい暗い道。その先にあるのは二人のエクソシスト。気迫を纏って飛び出したヘルクが捕らえたのは、薄い白に輝く一本の矢だった。突然の闖入者とその行動に射手は目を見開いて驚いた。

「なっ、契約者だと?」

武器を構えていたエクソシストは、思わずといった風に弓を下ろした。相手が攻撃の手を止めたのをいいことに、ヘルクはゆっくり前に出る。彼女がそこに立ち位置を決めたのは、蹲まって死を覚悟した女性がいたからだった。

今にも白銀の矢で射抜かれようとしていた女性の前頭部には一対の角がある。紛うことなき契約者だ。眼前に立ったヘルクの背を見て彼女は大きく息を呑んだ。

「大丈夫?怪我はないかしら?」

肩越しに振り向いた少女の手から、真っ二つにへし折られた矢が落ちる。女性は力なく息を吸い、震えつつも頷いた。

「なんだ、人外同士の馴れ合いか?ふん、子供騙しの見世物にもならん」

弓のエクソシストが唾を吐いた。端正で若々しい顔立ちをしているのに、言葉と行為で台無しである。

「子供騙しの見世物にもならんのはあんたらの余裕ぶった面の方だろ」

「辛辣だね、でも賛成かな」

抜き身の剣を携えたヴェーラと、器用に糸を繰るジルベルトを見、エクソシストは彼らが契約者であることを悟ったらしかった。多勢に無勢のこの状況、冷静に背を向けるか、何とかして仲間を呼ぶかの二択だろう。天使と秩序を狂信しているなら、命を捨てて襲いかかることも十二分に有り得る。

だが彼らはヴェーラの予想を裏切った。

────恐れたように、後ずさったのである。

「ロングの銀髪で碧眼の、長剣の女…………」

ヘルクが振り向いた。訝しげに眉をひそめる。

「あんた何やらかしたの?」

大鎌のエクソシストが残した数々の謎がふいに頭を過る。だがそれとこれとを関連づけるのはどう考えても早計────ヴェーラは応えた。

「思い当たる節はないな」

「────────嘘を吐くなっ!」

ずっと黙っていた、射手ではないエクソシストが吠えた。甲高い叫びは夜の街を反響し、やがて遠くに消える。

これにはさすがのヴェーラも驚いた。

「あんたが……!あんたがわたしの彼を殺したのよ、契約者!」

何の予測もつかないうちに、彼女は嵐のような勢いで突撃した。止めようと手を伸ばしたヘルクや呆然と状況に流される女性の契約者をすり抜け、一直線にヴェーラに向かう。

完璧な間合いで振りかざされた剣を、最小限の動きで躱す。次の一撃、また斬撃。やはり双剣ともなれば、一手一手の間がほぼない。時には避け、時には受け止め、時にはいなす。

攻防戦の間に、弓の男とヘルクの戦闘が始まったようだった。ヘルクは背後の女性に気を使いつつ、体術を駆使して対抗する。と、どうすることもできないでいる女性にジルベルトは駆け寄り、手を取って跳躍した。屋根に着地、すぐさま糸の結界を張る。

「余所見しないで、お前の相手はわたしなのよ!」

獣のような唸り声で、死角からの一撃を知る。落ち着いて避けた直後、一気に攻撃に転じた。

横一文字、左からの袈裟斬り、そして刺突。

ヴェーラが最も得意とする攻勢が始まって数秒後、簡単に勝敗は決していた。

「き、さまぁ……っ!」

エクソシストの立派な剣は弧を描いて闇夜に消えた。ヴェーラは己の剣をエクソシストの細首に向け、横に引いて薄い血を滲ませる。

「私があんたの彼を殺したとは……どういう意味だ」

ヴェーラの目は冷たい。慈悲の欠片もない声がエクソシストの耳朶を打つ。顎を上げて刃から逃げ、エクソシストは絞り出した。

「一人の契約者の女が八人のエクソシストを殺し、あのシュリさんに致命傷を負わせた事件。その八人の中に………わたしの恋人がいたのよ」

ヴェーラは眉をひそめた。この女は確かに『あのシュリさんに致命傷を負わせた』と言った。ヴェーラが知る事実は全く違う。むしろ致命傷を負ったのは自分と弟二人なのだ。

近づく足音に目をやると、ヘルクが立ち止まったところだった。いつの間にか嵌めていた白いロンググローブには赤い液体が点々と飛び散っている。背後には無残に残骸を散らした弓のエクソシスト。血がじっとりと石畳を濡らしていた。

「その話、詳しく聞きたいわね」

ヘルクが言うと、エクソシストは絶望をその顔に浮かべた。勝ち目のなさを感じたのかもしれない。ヴェーラは黙って剣先を向け続けた。

「何が聞きたいのよ」

彼女はもはや自暴自棄に見えた。閉じられた目から涙が零れる。殺された恋人のことだろう、血の気を失った唇から、男の名前が漏れだした。

私にはまだ、人間らしい感情が残っているのか。そのエクソシストに剣を向けることに躊躇いを感じた時、ヴェーラは確かにそう思った。言葉が詰まる。

「さっき言ってた、『ロングの銀髪で碧眼の、長剣の女』ってのが八人の契約者を殺した。そしてシュリというエクソシストにも致命傷を負わせ逃走。その明らかな異質さと凶暴さから、エクソシスト達に特徴が伝えられた。特徴諸々は、シュリが言ったってとこかしらね」

はっきりとした口調だが、推測も含むことをヴェーラは分かっていた。

エクソシストは小さく首肯した。

「その通りよ。でもわたしとって、そんなことは大事じゃない。大事なのは────」

「────あんたの恋人が殺された、ってことだな」

事実はともあれ、大切な人を殺した人物に心情を言い当てられる。神経を逆撫でされるような気分だろう。それでもヴェーラは落ち着いて、閉じられたエクソシストの目を真っ直ぐ捉えた。

「………っ」

何を言うべきか分からない。ヘルクがじっと見ているのが分かる。『早く殺せ』とその目が語る。

エクソシストのこの女には譲れないものがあった。それを失った。

譲れないものは自分にもある。失うわけにはいかないものが。

境遇の似た自分がすべきことは何か。

「──────すまなかった」

迷いのない太刀筋で、左肩から右腰に掛けて肉を斬り裂いた。

あっけなく、彼女の身体はくずおれた。

「ヴェーラ」

「ヘルク……」

ツインテールが軽快に揺れる。エクソシストの死体を避け、ヘルクはヴェーラの真正面に立った。

次に彼女が放った言葉は、刃のように鋭かった。

「犠牲を払って復讐するか、復讐せずに犠牲を救うか。どっちかにしなさい。でなければ、何も成すことは出来ないわよ」

暗喩的であやふやな表現だった。だがその言葉は強く、ヴェーラの心に突き刺さった。

どっちかにしなさい。

どっちか。そう、どちらかしか選べないのだ。

分かっている。ヴェーラの中の復讐と犠牲は相反するものだ。

両方取ることなどできはしない。

でも、この感情は────。

剣を振って血を払う。覚束無い手で鞘に収める。

心が大きく揺れている。

「私は、どうすればいい?」

人間らしい憎しみと、人間らしい脆さがせめぎ合っているのだった。選べない。選ぶことなどできない。

ヘルクの顔が強ばった。

「待って、ヴェーラ……!」

「これじゃ、何も──────!」

一瞬、視界がクリアになった。全ての輪郭が鮮明に映り、色が強調されて見える。

ヴェーラはヘルクを斬りつけていた。

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