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エモーション・アポカリプス  作者: 木嶋寛人
2/8

天使の存在

森の中で一泊し、翌日着いたのは帝都ミリューだった。

石畳が敷き詰められ、石造りの家々が立ち並ぶ落ち着いた雰囲気のこの街を、姉弟は差し当たりの拠点として決めていた。

「どっか寝れる場所を確保しないとだね」

弟の意見に姉は同意する。

「宿の問題が解決しても仕事の問題があるからな。金がないとやっていけない」

「十九歳と十七歳だってのに、どうしてこんな心配しなくちゃいけないわけよ、ほんと……」

ぼそぼそと不服を漏らす姿は純粋無垢な青年に見えた。つい先日、人を殺したとは誰も思わないだろう。

「とにかく、何か食べようか。昨日の夜から何も食べてないから腹がやばい」

「…………ほんとだ。今気付いた。空腹通り越して何も感じないんだけど、僕」

「極限だな。死ぬぞ」

大通りを見渡すと、所々に屋台がある。野菜、果物から今にも折れそうな剣まで。商業栄えるこの街には相応しい光景だ。

「あ、あれ美味しそう」

そんな弟の台詞がきっかけとなり、姉弟はその屋台で食事を済ますことにした。

節約のためと最も安いセットを買い、大通りのベンチに腰かける。

「あ、これ美味しい」

「うっ、甘い……」

「姉さん甘いの駄目だもんね。大丈夫?」

「甘いもんだと言ってくれなかった店に対する怒り以外は大丈夫だ」

「可愛いとこあるじゃん、姉さんも」

「一回死ぬか?」

軽口を叩きあい、穏やかな時間を過ごして昼食を胃に収めた。ヴェーラの苦手な甘いものでも空腹には逆らえないものである。

緩い時間に終止符が打たれたのは、ヴェーラがベンチから立ち上がり、包み紙を手の中で丸め、ごみ箱を目で探した時のことだった。

大通りの向こう側に小さな人集りができているのに気付いた。

何かショーをやっているという人集りではない。有名人か誰かが居て、それに人が群がっているという方がしっくりくるものだった。耳を済ませても、周囲の音が煩くて人集りの声は聞こえない。

屋台で買った飲物を飲み干さんとしているジルベルトに、ヴェーラは群衆を指し示した。

「あれなんだと思う?ジル」

「ん?」と彼は身を伸ばして示されたものに気付いた。使い捨てコップを握り潰し、重そうな腰をあげる。潰してから立ち上がるまで、視線は人集りに釘付けだ。

「なんだろ。あー、人垣で全然見えない」

目の上に手をかざし日光を遮るも、原因違いでは意味が無い。ややあって彼はあっさり諦めた。

「うん。分からないね」

そういう頃には、人集りは何故か移動していた。ヴェーラ達がいる方向に大通りを直進している。この時になると、ようやく話す声が聞こえてきた。全体は聞き取れないが趣旨は掴み取れる、といった程度だ。

────そして、ヴェーラの身体を冷たいものが流れていった。

「てん、し……」

「え?」

様子が一変した姉を、弟は怪訝そうに見た。掠れる声では言っていることが分からなかったらしい、もう一度聞き返す。

「天使だ、ジル……」

そうしてジルベルトも事の重大さを理解した。彼の心臓が早鐘を打ち始めたその時には、人の塊────天使を囲んだ人の塊は、ふたりの契約者の目前まで来ていた。

「私などがユスティ様と会えるなんて……!」

「ユスティ様、なんて神々しいんだ……」

「宜しければ握手をお願いできませんか!?」

人々の興奮した声がはっきり耳朶を打つが、二人にはどこか遠くのもののように聞こえていた。

そして次に上がった声に、彼らの心臓は縮み上がった。

「順番、順番!えへへー、こんなに慕われると照れちゃうよぉ」

可愛いらしく子供らしい無邪気な声音。声だけ聞けば、十歳くらいの女児を、無害な女児を誰もが思い浮かべるだろう。その想像はある意味で正しく、ある意味で間違いである。

「天使ユスティ……」

人垣から抜け出したその子供は、絹のような金髪を持っていた。ほっそりした腰まで届くその髪の先は真っ直ぐに切りそろえられ、遊ぶように揺れていた。金の瞳も、小さな体躯も、純粋な声も、全く普通の女の子である。

だが、普通とは一線を画すものがあった。

────背から生えた、真っ白な一対の翼だった。

これが天使である所以のひとつ。柔らかな羽根から構成される翼は、彼女の身体の三分の二はある。

────その全てが、ヴェーラとジルベルトの感情を動かした。

「もー、皆焦りすぎだよ!わたし、今日はそんな予定も詰まってないから大丈夫だよ?」

輪を外れ、ユスティは楽しそうに跳ね回った。白い羽根が小さくさざめく。

エクソシストを働き蜂とするならば、天使は女王蜂ということになる。この世に何万と存在するエクソシストを束ねる者達。

それが天使だ。

そして契約者達が天使に恐れ戦く理由はもうひとつあった。

契約者もエクソシストも優に超える、異常な身体能力である。

たった七人しか存在しない天使達と、生きている全てのエクソシストが戦った場合、勝つのは百パーセントの確率で前者である。

この予測に反対の声は皆無だった。

「────慌てることじゃない。とにかく座れ」

先に我を取り戻したのはヴェーラだった。ジルベルトを振り返った時には、いつもの冷静な表情に戻っている。が、目の奥に宿る激情の光を弟は見逃さなかった。

「あぁ……うん、それもそうだね。調子狂うなぁ」

促されるままに、彼は腰を据えた。

二人の心に巣食うのは、少しの恐れと激しい怒り。それだけだった。

自然に見えるよう意識して座り、ヴェーラは密かに拳を固める。握り拳が震えている。


それだけの力があるならば、今すぐにでもこの忌まわしい少女の細首をねじ切ってやりたい。


────私と弟、そして彼女を裏切った者のひとりなのだから。


今は無理でも、いつかはきっと────


「姉さん」

ジルベルトが不安そうに、ヴェーラの眼を覗き込む。彼女は首を振った。

「分かってる。その時は今じゃない」

「うん」

かくして、ユスティとそれを追う人間達は離れていった。近いと言える範囲にいたのはほんの数分に過ぎないが、姉弟には数十倍に感じられた。

無邪気に笑うユスティを見て、ヴェーラの決意はさらに固まることとなった。

剣柄に手を置き、天使の姿をじっと見送る。

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