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囚人

 その夜は夢を見た。半年前、最後に両親と会った日の夢だ。

 その年の夏はいつになく暑く、じりじりと大地が焼ける音が聴こえてくるようだった。


「今日ははやく切り上げて、街に何かうまいものでも食べに行くか」


 父がそんなことを言いだしたのも、暑さに参っている家族のためを思ってのことだったのだろう。


「さんせーい!甘いものたべたいなあ」


 母が無邪気に喜んでいるのを見ると、心が軽くなった。父もそんな母の姿を見ると気が晴れるようで、穏やかな表情をしていた。


「ねえ、ナユタも行くよね」


「うん。楽しみだね」


 うん、母はそういって俺に笑ってみせた。

 俺の家族は木を切り、それを売ることで生活している。

 父と母は作業場で丸太を木材として使えるように製材し、俺は森に入って木を切り倒す。作業場は森の脇にあり、俺が木を切っている場所からは数分歩いたところにある。


「森に入っても暑いのは変わらないな」


 森に入ると木陰で日差しが遮られ、幾分涼しく感じられた。だが、暑いことには変わらず、森の動物たちも動かずぐったりしている。

 その日の仕事は、父の提案で士気が上がっていたのか、いつもより早く進んでいた。

 これなら早く上がっても問題なさそうだ、そう呟いたときだった。

 突然、何かが倒される鈍い音と地鳴りが響いた。

 音がしたのは作業場の方角だ。

 周りを見ると、動物たちが作業場とは逆の方向へ走っていた。走っている動物は何かから逃げているようで、俺はそれを見て作業場の方で何かが起きていると直感した。

 父さん。母さん。

 持っていた斧を放り、全力で走りだす。

 普段は何か起きても、大丈夫だろうと心配しないが、このときは違った。

 悪い予感がしたのだ。そして、俺は自分の直感がよく当たることも知っていた。

 天災だろうか。いづれにしても予期せぬ事故が起きたに違いない。

 焦りから空回る足を無理やり前に出す。最悪の状況ばかりが脳裏をよぎる。

もう少しだ。もう少しで森を抜ける。森を抜けたら作業場はすぐそこだ。

 目の前から木々がなくなり視界が開ける。


「嘘だろ」


 それを見た瞬間、周りから音がなくなり、時が止まった気がした。

 時間がその刹那に凝縮されたような感覚。

 普通、想定する最悪というのは最悪というだけあって、それより酷い状況になることはそう無い。

 現実に起きるのは最低よりも少しましな不幸か、本当に最低の不幸が起きるかだ。

 俺が想定していた最悪は両親が事故で死んでしまっていること。

 だが、今見ている光景は最悪を超えていた。

 目の前には黒い竜がそびえ立ち、作業場は無残にも崩れきっている。

 俺も死ぬ。

 恐怖で足が震える。動かなければ。逃げなければ俺も死ぬ。

 ふらつく身体を反転させ、竜から逃げるため足を踏み出す。

 しかし、その足は地面を捉えられず滑る。支えがなくなった身体は地面に倒れ込む。

 倒れた身体を起こそうと、四肢に力を入れるが、震える手足は満足に力が入らず思うように起き上がれない。

 まずい。殺される。逃げなければ。早く。

 後ろを振り向く。

 竜と目が合った。黄色の透き通ったその目は、力強くこちらを見ていた。

 瞬時に目をそらし、倒れた身体を無理やり起こす。

 とにかく森の中を走り続けた。息が切れ、足が動かなくなるまで走り続け、気がつけば竜の姿は見えなくなっていた。


     *     *     *


「最悪な気分だ」


 なんと酷い朝だろう。普段思い出さないようにしていることを夢で追体験してしまったばかりに、寝起きは最悪な気分だ。


「なんでよりによって」


 トラウマをわざわざ夢で見るとは、俺の脳はどれだけ無神経なんだろうか。もう少し人の気持ちを察するべきだ。

 黒い竜を見たあの日、俺は両親を失った。

 そして、俺は生き残った。

 なぜ俺だけが生きているのだろうと考えることがある。

 なぜ、竜を見た瞬間、俺は逃げるという選択を取ったのだろうか。

 あの瞬間はあまりにも突然のことで、目の前に突きつけられた死への恐怖から逃げようと思った。だが、あたりまえのように続いていく日常に身を置くと、どうしても抉られた心の傷から漏れてくるのだ。

 死ねばよかったのに。

 俺も母さんや父さんと一緒に死ねばよかった。

 そんなつぶやきが、ずっと耳元にまとわりついていた。

 死の恐怖や痛みは一瞬だ。でも、大切な人を失った悲しみは生きている限り抱え続けなければならない。

 あまりにも耐え難い苦しみを前に、俺は思考の迷路をさまよっていた。

死の先にある虚無の世界へと行けたらどんなに素晴らしいだろうか。この先も苦しみばかりを生み出す人生ならば、解放されたら楽になれるだろうか。そんなことばかり考えていた。


「でも、生きているんだよな」


 家から出て外を見る。村をいそいそと歩く人、茫漠と広がる青空、頬をかすめる生ぬるい風、揺れる草木。

 誰もが苦しみを抱えているのだから、自分ばかり不幸だと思ってはいけない? だから死を選んではいけないし、生きないといけない?

 いや、俺が今生きているのは別に人と比べてどうこうという話ではない。俺の心に悲しみは有り続けるし、その悲しみは誰かの悲しみと替えることも、比べることもできない。

 悲しみや苦しみは人生における波のようなもので、その波の大きさは自分がこれまで体験してきた数々の波としか比べられないように思う。

 両親の死、それは俺にとって最も大きな苦しみを生んだ。それだけ大きな波だったのだ。

 俺は一本の木になろうとした。大きな波が来てもそこにあり続ける木に。

 この世界に生きるということに対して、意思を持たないことにしたのだ。

 ただ生きる、それだけだ。強い意思などいらない。

 波がくる度にゆらゆらと揺れ、倒れそうになる。でも、倒れるのなら倒れても良いのだ。

 大きすぎる波が来たらそれまでだ。

 その日が来るまで、俺はここにあり続けるだけだ。


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