犠牲者
「で、君は魔法を覚えたわけか」
トーマスは魔法の話を聴いているとき、興味深げに聴いていた。
「そんなに魔法の話がおもしろいのか」
「そりゃあね。僕だって一応、ナツメ先生の教え子なんだ。魔法だったら大体興味があるよ。僕に限らず、大学で魔法に関連していることを研究している人だったら、誰だって興味があるんじゃないかな」
だが、魔法以上に身を乗り出して聴いていた話題があった。ナツメ先生のことだ。
「魔法の話とナツメ先生の話だったらどっちが聴きたい」
そう言うと、トーマスは声を出して笑った。
「そんなの、ナツメ先生の話に決まってる。君が魔法を学んだ話も興味深いけど、ナツメ先生の話は特別だ」
正直、この質問はトーマスが答えるまでもなく、答えは分かっていた。俺がナツメ先生の話をしているとき、トーマスは目を輝かせてにやにやしていた。
やはり、ナツメ先生はどこにいても特別で不思議な人なんだろう。もし可能ならば、魔法の研究ではなく、ナツメ先生の研究をしたい学生もいるんじゃないだろうか。
「まったく、君は贅沢だよ。先生と小さいころから知り合っていたなんて。僕たち学生は、年に一度の集中講義でナツメ先生が街に戻ってくる時にしか会えないんだからね」
研究のためにこの村に住んでいるナツメ先生は、年に一度だけ大学に顔を出すためにオクトーバー・シティに帰るのだ。大学からはそれで許されているらしく、本人は「一生この生活でもいいかな」と言って何年もそんなことを続けている。
「一つだけトーマスに訊きたいんだけど、ナツメ先生は何歳なんだ?」
「それは、僕らにもわからないよ。別の教授に訊いても、全く見当がつかないみたいなんだ。世界七不思議のひとつだね」
ナツメ先生とは長年魔法を教えてもらっていることもあり、仲良くしていたが、年齢のことばかりは訊きづらかったのだ。以前、コトに教えてもらおうとしたが、コトも見当がつかないようだった。
「それはいいとして、本題を訊いてもいいかい?」
トーマスが真剣な表情でこちらを見る。
「ああ」
「君はどうして、竜の生贄になることになったんだ」
スッと、現実に引き戻される感覚になる。
生贄、どうしても向き合わなくてはならない現実。
言葉を発するのには時間を要した。整理したつもりになっていった気持ちが攪拌され、口にするつもりのない醜悪な気持ちばかりが溢れ出しそうになる。
「あれは突然のことだった」
ようやく言葉を吐き出す。
つい半年ほど前の話だ。
* * *
生贄になると告げられたのは夏の終わりのことだった。
いつものように木こりの仕事をするため森に向かい、日暮れまでひとしきり汗をかき、家路につく。
村に戻ると、家の前に二人分の人影が見えた。近づくにつれて、それが見覚えのあるものだと気づく。
「どうかしましたか」
声をかけると一人は険しい顔を、もう一人は親しげな顔をこちらに向けた。村長と副村長だった。
村長は俺が生まれたときには既に村の長老で、ずっと翁のまま時が止まっているような人だ。ふさふさと生えた白い髭も少し垂れた目尻もずっと変わっていないように見える。
副村長とはあまり会ったことはなかったが、そのぷくぷくと肥った身体を見ればすぐに副村長だとわかった。
「ナユタくん、今日は大切な相談があって来ました」
副村長は丁寧な口調で話しかけてきた。丸々と膨れた顔には笑みが貼り付けられているのだが、どことなく怪しさがにじみ出ており、できればあまり関わりたくない人物だと感じた。
「入ってください」
土間に靴を脱ぎ、板敷きの床に上がる。
「ここに来るのはあの日以来だな」
村長は懐かしげに部屋を見回し、寂しげな目をした。古き良き思い出も、できることならやり直したい過去も思い出しているようだった。
「村長、今日はどんな要件ですか」
村長は小さくため息をつき、観念したように話しはじめた。
「今日キミには村の寄り合いで決まったことを伝えに来た。竜の生贄のことだ」
「はい」
できるだけ動じた素振りを見せないように答えた。
俺は自分が生贄になるであろうことは分かっていた。
表立って竜の生贄について聴いたのは今日が初めてだったが、噂程度なら村中に流れており、知らない村人はいないだろう。
竜の襲撃から村を守るには生贄を差し出さなくてはならない、生贄は若い子どもが相応しいという。
竜の生贄について耳にしたとき、生贄になるとしたら俺だろうなと思った。
この村には子どもと呼べるのは俺とコトしかいない。もし、俺ではなくコトが選ばれたら、俺が名乗りを上げようとも思っていた。
そしてそのことは村長も察しているだろう。その上で足掻くような愚か者にはなりたくなかった。
「ナユタ、お前には悪いがこれしかないのだ。引き受けてくれるか」
村長の赤くなった目を見ていると村長は俺のために悩んでくれたのだなと思った。
この面倒な儀式を済ませようと思えば、副村長のように顔色一つ変えず、さも当然のように処理してしまえば楽だろうに。
「村長、いいんですよこれで。俺が生贄になります」
「すまないな」
村長の顔には悔しさが滲んでいた。
おそらく、他に手はないか考え抜いたのだろう。
その結果、この結論に至ったのだ。
「では、ナユタくん。これを」
副村長は何かを取りだし、俺の前に掲げた。
「これは竜の刻印です。これを刻まれた者は竜から逃れることができなくなると言われています。いわば、保険みたいなものですよ」
人を疑うような言い方が気に食わなかったが、元々逃げる気も無かったため、俺は大人しく左手を差し出した。
副村長が判を俺の手のひらに押し付けると、刃物で刺されたような痛みが走った。
しかし、判が押されたところを見ると、血は流れておらず、黒い斑の模様が刻まれているだけだった。
「これで儀式は終了です。一応、竜の刻印は押しましたが、当日は祭壇まで来てくださいね。竜が他の場所で建物を壊したりしても困りますから」
「わかりました」
その後、村長と副村長は早々に帰った。その日は左手の刻印を見て物思いに耽るうちに眠りについた。