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ギン

 コトとギンの河を訪れた何度目かのことだ。

 河を上流に向かって上ることになり、俺とコトは川沿いに歩いていた。

 ただ河上へ上っていくというだけで、特に目的地もなかったのだが、鳥や小動物を見つけながら歩いているとそれだけで楽しめた。コトはタヌキやシカを見るたびに大いに盛り上がる。コトはこちらがたいしたことを言わずとも勝手に楽しんでくれるから、俺は変に気を使わなくていい。そういったところも含めて、コトとの探索は気が楽だった。

 これが、コト以外の女の子だったらおそらくここまで気軽なものではないだろう。半ば俺が誘ったようなところがあるから、俺が相手の子を楽しませなくてはいけないという義務感が生まれてしまう。そうなれば、俺は一人のほうが良いと思うはずだ。

 だから、隣で「タヌキもリスもかわいいね」と言ってにこにこしているような子となら、一緒に居ても良いかなと思える。


「なんでコトはそんなに楽しそうなの」


 コトは見に覚えのないことのように、きょとんとしている。


「なんでだろ?」


「さあ、俺に聞かれても」


「よくわからないけど、ナユタと一緒にいると楽しいよ?ずーっと一緒にいる時間が続けばいいのにって思う」


 いつかコトと一緒に居られなくなるときが来るのだろうか、そう漠然と未来のことを考えた。ほんのすこし先の事でさえ俺には分からない。

 コトといつまでもいられるのか。俺はコトと一緒にあり続けることを望んでいるのだろうか。


「まあ、いられるに越したことはないか」


「ん?」


「いや、コトといつまでも一緒に居ることができたら良いだろうなって」


「いつまでも今日みたいに楽しければ良いなあ」


 時折、コトを見ていると不安になる。身体を黒い靄のようなものに飲まれていく感覚だ。

 俺はコトを失うのが恐いのかもしれなかった。

 いつか俺はコトと離ればなれになるのではないか。そういう後ろ暗い考えが浮かぶ。

 人は一度得た幸福をそう易易と手離せない。幸せを得る前に戻るだけなのに、それに抗おうとする。俺もそうなのかも知れなかった。


「滝の音がするね」


「そのあたりで休もうか」


 滝を目指して河沿いを歩く。木々の間から差し込む光が眩しく地面を照らした。河の方からそよぐ風は気持ちよく、歩き疲れた身体を癒やした。

 道をせき止めるようにある巨石を登ると、一段と滝の音が大きくなった。激しく叩きつけられる水の音を聴いていると、ここまで水しぶきが飛んできそうだ。

 コトの手を引いて崖のような坂を登る。ここを上り終えれば、滝が見えるはずだ。

 坂を登るに連れて冷気が周囲を包んだ。先程まで歩き続け、汗をかいていたというのに、それもすっかりひいてしまった。


「コト、あれ」


 滝を見つけたのは俺が先だった。身長の分、コトより先に坂の向こうが見えた。

 滝は遠くにいる俺達が見上げるほど高い所から流れ落ちていた。滝の辺りだけ太陽で照らされていることが、より美しさを際立たせた。ギンの河を初めて見たときもきらきらしていて綺麗だと思ったが、これは更に輝いていた。まるで宝石が流れ落ちているように見えるほどまばゆく、滝壺の周りにはその輝きを引き立てるように、青い花が一面に咲き誇っていた。


「わあっ、きれい!」


「はやく行こう」


 滝の真下に辿り着くと、滝の大きさに圧倒される。まるで天国にでも迷い込んでしまったのだろうかと思ってしまうほど、俗世とはかけ離れた世界が広がっていた。


「天国みたい」


 反射的にコトに目線をやる。


「なに、同じこと考えてたの?」


「うん。びっくりした」


「似た者同士だね」コトは目を細めた。


「なんでこんなに綺麗なんだろうね」


「村の近くにこんなところがあるなんて知らなかった。一日歩いただけで、こんなにも別世界になるなんて変な感じだ」


「初めて河に来たときも思ったけど、こういう近いけど遠い感じ、好き。世界の秘密みたいで」


「秘密?」


「そう。ナユタと外に出るようになって、本当に美しいものは隠されてるのかもって思った。美しいものがありふれていたら、ありがたみがないでしょ?だから、誰かが隠したんだよ。簡単には見つからない場所に」


 俺は「そうかもね」と言って、コトの顔を眺めた。本当の美しいものは隠されている。それは、まだ見ぬ景色だけではなく、コトもそうだ。初めて会ったときも美しいと思ったけど、今のコトはあの時とは違うコトだ。俺は世界に隠されたものを見つけたのかもしれなかった。

 しばらくコトと滝を眺めていると、近くで何かが落ちる音がした。


「何の音だろう」


 音がした辺りを見回すと、ミミズクの子どもが倒れていた。

 捕食しようとした鳥が落としたのだろうか。ミミズクは腹から出血しており、このままでは死んでしまいそうだ。


「この子、どうにかならないかな」


 コトがミミズクをそっと手のひらに乗せて、俺を見た。


「ここでできる処置をして村に戻ろう。まだ助かるかもしれない」


 袖をちぎり、ミミズクの傷口を塞ぐ。ここでできるのはこれくらいだ。

 ミミズクは息も絶え絶えで今にも死にそうな顔をしていたが、まだ生きている以上、助かる可能性にかけるしかなかった。

 ミミズクをコトのかばんに入れて走り出す。ミミズクに負担をかけないようにしながらも、精一杯走った。

 コトの家に戻った時にはミミズクは更に弱々しくなっていた。


「治るかな」


「血は止まってるみたいだし、あとは温かいところでそっとしておくしかないだろうね」


「私はどうしたらいい?」


「今は寝ているみたいだから、起きたら牛乳をあげるといいと思う。それまではミミズク自身に頑張ってもらうしかないな」


 コトはミミズクに「がんばろうね」と声をかけた。心配なのだろう。

 俺はコトにミミズクを頼んで帰ることにした。今、俺がいたところでできることはないし、コトなら献身的に看病してくれるだろう。

 次の日の朝、俺はミミズクのことが気になり、コトの家に向かった。

 一応、最悪の状況は想定していた。ミミズクはまだ幼いこともあり、一度受けた傷が致命傷になることはよくあることだ。そのときは、ミミズクのことよりもコトを慰めるのが大変だろうと思う。なんと言って声をかければいいだろうか。

 そんな考えを巡らせながら、コトの家の扉を叩く。


「あら、おはよう」


 出てきたのはコトの母親だった。


「あの、コトはいますか」


「いるわよ。自分の部屋にいるみたい」


 家に上がり、恐る恐るコトの部屋に向かう。


「コト、おはよう。入っていい?」


 扉が開く。コトと目が合った。


「ナユタ、ギンどうなったと思う?」


「ギン?」


「あ」


「名前付けたのか。止めといたほうがいいと思うけどな」


「だって、名前無いと呼びにくいし。ギンの河で見つけたからギンって付けたの」


 別れるのが辛くなるだけなのに。

 でも安心した。コトが泣いていなかったから。


「で、治ったの?」


「来て!」


 コトに手を引かれて、机の前に立つ。


「わあっ」


 思わずコトと顔を見合わせて笑ってしまった。


「生きてる」


「すごいでしょ?昨日は一晩中見てたんだから」


 ギンは生きていた。まだ、傷が痛々しく残っているが、目はしっかり開き、二本の足でしっかり身体を支えている。

 コトによると、夜も更けてうつらうつらしていたところ、ギンの目が開き、動いたのだそうだ。その後、コトが牛乳をあげたところ、しっかり飲んでまた寝たのだそうだ。


「生き物ってすごいな」


「きっとこの子もいっぱい頑張ったんだよ。頑張ったから生きてる」


 生きていることはそれだけで頑張っているのかもしれない。

 ギンはしばらくコトやその家族、たまに俺に見守られ、里心がつかないうちに森に帰っていった。

 振り返ることもなく飛び立っていくギンを見てコトは泣いていた。



「俺が小さかった頃の話はこれくらいかな。このときの俺はとにかくコトとの時間が一番だった。いや、今もコトとは仲がいいけど、この時期は特別だった。何せ楽しいことしか知らなかったからね。世界はなんて素晴らしいんだろうって思っていたよ」


「おいおい、今も素晴らしい時間だろう?少なくとも僕はそう思っているよ」


「ありがとう」


 俺は暖炉に薪を焚べながら、いつものように問いかける。本当にあのときのような楽しい時間はやってくるのだろうか?

 薪が燃え、ぱき、ぱき、と音を立てる。


「話の続きを聴いてもいいかい?」


 俺に話しかけるタイミングを見計らっていたのだろう。俺が火の前から顔をあげるとトーマスはそう催促した。


「ああ。俺もコトも少し大人になった。俺は家の手伝いで野良仕事をするようになったし、コトは畑仕事や料理をするようになった。身長だって伸びた。コトの料理はみるみる上手くなったよ。今では村一番の料理人と言っても良いかもしれないな」


「でも、それはたいした変化だとは感じなかった。暇さえあれば、俺とコトは一緒に遊んだし、森や河にだって出かけた。本当のところ、状況というものは刻一刻と変化している。でも、別に何か重大な決意を持って変化しているわけじゃないんだ。まっすぐ進んでいるつもりが、曲がっていたりする。そんな変化にすぎない」


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