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助走するヒナ

「で、その刻印に付いて訊きたいと」


 宴会が終わり、コトやギンと別れた俺は村長の家を訪れていた。


「はい、もしかしたら村長か副村長が何か知っているのではと思いまして」


 村長の隣には副村長が座っている。まんまるい顔は赤々しており、酔ってふらつく身体を椅子に深々と預けている。


「申し訳ないが、我々には分からんのだ。私も副村長も何も知らん。あの判は竜の使いから渡されたもので、何も聞かされてはいないのだ」


「では、何も知らないまま俺に刻印を押したと」


「そういうことになる」


 なんて無責任な、とは思うが村長たちからすれば俺が今生きていることは想定外の出来事なのだろう。ここで怒りをさらけ出しても仕方がないことくらい分かっていた。


「では、あの判はどこにありますか。あれがあれば手掛かりになるかもしれない」


 しかし、村長はさらに渋い顔をしている。


「実は、あの判は失せてしまったのだ」


「失くした?どういうことです」


 村長はなんとも煮え切らない表情のまま話を続ける。


「私にも分からんのだ。避難のために洞窟へ行き、翌朝帰ってきたらどこにも見当たらなかった。もしかしたら、誰かが盗んだのかもしれん」


 それは考えられることだった。村人が皆出払っているうちなら、村長の家から判を盗むことは可能だろう。


「誰か犯人の心当たりはありませんか」


 村長はしばらく唸りながら考えていたが、結局出てきたのは「竜の使い」だけだった。


「竜の使いなら判の場所も分かっているであろうし、盗むのも容易いだろう。村人は判の存在自体知らないだろうから、他には思い当たらん」


「そうですか」


 他に目ぼしい手掛かりもなさそうだったため、村長の家から引き上げることにした。

 それにしても、竜の使いとは何者なのだろう。俺をいまだに苦しめ続けるその人物はあまりに謎で、翻弄されたことへの怒りよりも不気味さの方が勝っている。

 この刻印がある限り、竜の影はいつまでも俺を付きまとうのだろうか。

 だが、一つ以前よりましなところがある。それは竜への恐怖心が和らいだことだ。確かに、まだ恐怖がなくなったわけではないが、それでも今はどうにでもなれという気分だ。

 これから竜に殺されるときが来るなら、それまでだ。

 そのときが来るまでに俺はやりたいようにやるだけだ。



 竜を倒してから決めたとこがある。

 俺はこの村から出ることにした。もっと遠い世界を見に行くために。

 小さいころから外の世界に憧れていた。でも、どこか踏み出せない自分がいた。

 大人になってから、今はまだ早い、いつか、その時が来たら、そう考えて踏み出すのを躊躇っていた。

 だけど、俺は一度死んだ。

 竜の前に向かう時、俺は何もやってこなかったんだなあ、とこれまでの人生を後悔した。生贄になると告げられた日には、なんて楽しくない人生だって思いもした。

 もうあんな思いはしたくない。あんなどうにもならない苦しさを抱えるくらいなら、どうせだから一歩踏み出してしまおう。

 もっと遠くへ、遠くへ行くんだ。

 もちろん、コトもギンも一緒だ。一人でも行っていたはずだけど、仲間がいるのは心強い。旅の途中で命が途絶えても、それまでだと思って覚悟はしているけど、できればどこまでも旅を続けていたい。コトやギンと一緒ならひとりでは行けないようなところまで行けそうな気がする。


「ナユタ、そろそろ行こうか」


 季節は少し暖かくなった。北の山を覆っていた雪は解け始め、ギンの河には冷えた水が流れる。


「ああ、行こう」


 ギンの翼が日差しを浴びて眩しいほどに輝く。


「いいのか、俺に乗っていった方が速いだろ」


「良いんだよ。旅の目的は世界を見て回ることであって、移動することじゃない」


 ギンには魔法をかけて小さくなってもらった。あの巨体では山や森を歩けないし、ずっと空を飛んでいたらまた竜に襲われるかもしれない。


「まずはどこに行くの?」


「西の山を越えて、ずっと歩くと町があるらしい。その先にはナツメ先生のいる街もあるし、初めの目的地としては丁度いいと思うんだけど、どうかな」


 この情報は先生から聴いたものだ。先生も村と大学を行き来するときにはその街で一泊していたそうで、村から目指す町としては適切だと思った。


「良いんじゃねえか?狼に襲われたら助けてやるよ」


「もう、怖いこと言わないでよ!」


 それにこの旅にはもう一つの目的がある。

 竜を倒した今も俺の左手には竜の刻印が残っている。先生によると、この刻印がある限り、竜に狙われ続ける可能性があるらしい。この刻印にどんな力が宿っていて、俺と竜にどんな影響を及ぼしているのかは分からない。

 だからこそ、それを知らないといけない。刻印を消すことができれば一番いいのだが、それが出来なくても何らかの対処はしないといけないだろう。

 それにコトの力のこともある。俺にはよくわからないが、あの強大な力を得るためにコトは制約を負っているようだ。それは呪いのようなものだという。

 竜の刻印とコトの呪い、この二つを解くためにも呪いに詳しい人物を探さなければならない。これが旅のもう一つの目的だ。

 この目的はコトには言っていない。

 本当はコトに言いたいし、呪いのことも訊きたいけど、コトは俺に言いたくないのだと思う。だから、コトの決心がつくまで待つと決めた。コトが打ち明けてくれた時に、この目的を告げようと思う。


「なーゆーたー!何ぼーっとしてるの?行くよ?」


「もしかして、まだ眠いのか」


「ナユタも昨日眠れなかったの?私も昨日の夜ドキドキして眠れなかったんだよね」


 えへへ、とコトが笑っている。この顔を見ると守らないといけないという気持ちにさせられる。

 今はまだ消えかけの火のような、弱弱しい魔法だけど、いつかコトを守れるような魔法を使えるようになりたい。

 これはコトが繋いでくれた命だから、今度はコトを守れるように。

 見送りはいない。

さっき村長に挨拶をして、「良い人生を」とだけ言われた。

 誰もがいつもの生活を過ごす中、俺たちは静かに村を去った。


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