黒龍の跡
黒竜が消えた日、俺は黒竜を倒したことを実感できずにいた。
村に大きな被害はなく、誰もが無事だった。
本当に黒竜はいたのだろうか、そう考えながら家に帰り眠りについた。
「ナユタ、起きて!」
ろくに眠りに落ちないままコトに叩き起こされる。
「なんでそんなに元気なんだ」
「いいから来て!」
まだ昼過ぎだというのに無理やり起こされ、俺は随分と不機嫌な顔をして家を出る。今までたいして気にも留めていなかったが、外は随分と寒い。
「コト、ちょっと待ってて。さすがにこの格好じゃ寒い。着替えてくる」
「うん、わかった」
「おう、早くしろよ」
家にいそいそと戻り服を着替える。
「ふう、こうしていると不思議な気分だな。つい昨日まで死にかけていたというのに。ん?」
喉に小骨が刺さったような違和感。何かがおかしい。
急いで扉を開け、右側に顔を向ける。すると、そこにはギンがいた。
「早かったな。行くぞ」
「いつからここに?」
「あ?ずっとに決まってるだろ。お前に付いてきたんだ」
「なんで森に帰らず、ここにいるんだ」
ギンは俺を不思議そうな顔で見ている。そして、何かに納得したような仕草をして笑った。
「なるほどな、ナユタは知らなかったのか。契約のこと」
「どういうことだ」
昨夜、俺とギンは契約を交わした。それは黒竜を倒すための契約だったはずだ。まだ俺の知らないことがあると言うのだろうか。
「契約というのは互いを生涯の盟友として認めるってことだ。つまり、基本的には行動を共にするし、家の前にだって寝泊まりする」
「盟友ってそういうものなのか?」
「さあな」
つまり、お互いに盟友とは何なのか分からずに盟友としての契約をしてしまった、ということだろう。ギンの様子だとさして重大なことでもなさそうだが、本当に盟友なんてものになってしまって良かったのだろうか。
「まあ、気にすることじゃないだろ。俺とナユタなら上手くやれるさ」
「だといいけど」
俺の心配をよそに、ギンは頭をぐりぐりと身体に擦りつけている。
「じゃあ、行こうか」
まだ眠気を引きずりながら、コトに連れられてとぼとぼと歩いていく。
「いったいどこに行くんだ」
「広場だよ」
いったい何があるというのだろう。疑問はあるが、言っても答えてもらえないだろうから、言うのはやめた。
ただ、なんとなく予想は付いた。
そして、広場には予想通りの光景が広がっていた。
「どう?ナユタ、驚いたでしょ」
「ああ」
広場には避難から戻ってきた村人が集まっていた。村人たちは俺たちの姿を見ると一様に喜び、歓声を上げる。
予想はしていた光景。
でも、驚いたのは嘘ではない。
ここに来るまでは半信半疑だったのだから。
村人が集まっていることは分かっていた。でも、祝福されるとは思っていなかった。
生贄になったはずの子どもがそれを拒んで竜を倒した。そのせいでこんなに騒ぎが大きくなったのだ。黒竜を倒したことが祝福されることだとしても、生贄が余計なことをしなければそれで済んだだろう、と言われる気がしていた。
「おい坊主!竜を倒したんだって?すげえじゃねえか!」
突然、村のおじさんが絡んでくる。息は酒臭く、顔は赤らんでいる。
「おじさん、酔ってません?」
「馬鹿野郎、飲まずにはいられるかよ!気分がいいんだ!もっと飲もうぜ!」
おじさんは周りのおじさんたちを囃し立て、気づけば広場は宴会会場になっていた。
「コト、これどうするんだ」
「せっかくだし、楽しもうよ。ほら、あっちの方に料理もあるよ」
コトが言うように、テーブルにはぎっしりと料理の乗った皿が敷き詰められていた。今朝避難から戻ってきたばかりだというのに、どうやってこんなにたくさんの料理を作ったんだろう。
いや、昔から収穫祭や春の祭りのときはこれでもかと言うほど盛り上がって、たくさんの料理を振舞っていたから、ここの村人にとってはごく当たり前のことなんだろう。
「じゃあ、私は料理を取ってくるね」
「俺も行くよ」
「ナユタはまだ疲れてるみたいだし、ここで待ってて。私がナユタの分まで取ってきてあげる」
思えば、コトもずっと戦っていたはずなのに、あまり疲れを感じない。これもあの力と関係しているのだろうか。
「やあ、ナユタ君。君の活躍が評判になっているようじゃないか」
するりと背後から腕が肩にのびる。誰のものかは匂いですぐに分かった。
「先生、何してるんですか」
「いいじゃないか、おめでたついでだよ」
「何を言っているんですか。もしかして、先生も酔っぱらってます?」
ふっ、と振り向くと先生の顔がすぐそこにあった。案の定、頬には紅が差していて、目元はなんだかいつもより優しげな印象を受ける。
「もうしかしたら、そうかもしれないな」
「もしかしなくても、そうですよね。あと、近いので離れてください」
「いいじゃないか、私じゃ不満かい?」
意外と悪酔いする人のようだ。この状態をコトに見られても厄介なので、先生を椅子に座らせて水を持ってくる。
「意外と優しいんだね、ナユタ君」
「からかうのも、そのくらいにしてくださいよ」
「ごめんごめん、話したいことがあるんだけど、いいかい?」
ここではゆっくり話せないと思い、少し喧騒から離れたところに移動する。幸い、村人の多くは皆の目の前で赤竜を倒したコトや見るからに興味を引くギンに群がっていて、こちらに絡んでくる人は少ない。
「で、何ですか、話って」
先生は顔こそ赤らんでいるが真剣な表情で俺を見た。
「私はもうすぐこの村を出ることにしたよ」
ナツメ先生らしい端的な一言だった。
「どうしてか、訊いてもいいですか」
「以前にも言ったけど、私の目的は竜の研究だ。この村には竜が出るという情報を聴きつけて来たんだ。そして無事、竜と出会うことができた。まさか戦うことになるとは思っていなかったけどね」
まだ小さかった俺とコトがここまで大きくなるあいだ、先生はこの村で竜の研究を続けながら竜と会うのを待っていたのだ。俺が竜と戦って今生きているように、先生も目的を達成できたのだろう。
「正直、君が生贄になると知ったときは悩んだよ。私が追い求めているものによって命を失う子がいる。だけど、助けることはできない。この村に来るときに約束したからね、決して村の事には関わらないって」
「だけど、先生は俺たちに魔法を教えてくれました。魔法がなければ俺は生きていない」
今こうして生きていることは奇妙な偶然のように思える。俺には理解できないほど様々なピースが合わさって今があるのだろう。
「先生がいなければ俺が魔法を知ることはなかったはずで、魔法を知らない俺は竜に殺されていたでしょう。だから、そんな悲しい顔をしないでください」
先生は俺の手を取り、両手で包み込むようにしながら微笑んだ。
「やはり、君は優しいな」
先生の手のぬくもりが伝わる。その繊細な指先はさらりと俺の手を撫で、ゆっくりと冷えた手先を温めた。
「君のこの刻印、もし消したいと思うのなら私のいる大学へと来るといい。呪術に詳しい研究者がいてね。もしかしたら何か知っているかもしれない」
それはずっと気にしていたことだった。結局、竜の刻印がどんな効果をもたらすのかは分からないままだ。かと言って、ずっとこのままにしておくのも気持ちが悪い。
「ありがとうございます、必ず行きます」
「待っているよ」
先生は左手の刻印をしげしげと見つめながら、口元だけ微笑んだ。
「あ!こんなところにいた!」
コトの声が聴こえ、反射的に手を引く。
「もー、みんなが解放してくれなくて困ったよ。ちょっと冷めちゃったかもしれないけど、料理食べよう」
あれこれ訊かれて疲れたのだろう、竜と戦った後よりくたびれているように見える。
「先生も一緒になってみんなから隠れてたんでしょ、まったくー」
「大変だったね。ほら、お食べ」
コトが持ってきた料理はどれもおいしく、疲れが残っているためあまり食べられないかと思っていたが、予想以上に食が進んだ。先生やコトも同じようで、特にコトは魔力で体力を消耗したからか、俺以上に食べていた。
「ナユタと先生は何を話してたの?」
「先生、もうすぐ村を出ていくんだって」
「えっ、本当?なんで!」
先生がコトに事情を話すとコトは納得したようで、「寂しくなるね」と呟いた。
「またいずれ会えるさ。機会があれば大学においで、歓迎するよ」
「うん、絶対に行く。ね、ナユタ」
「ああ、一緒に行こうな」
先生が住む場所はどんな街なんだろう。どんな人たちがいるんだろう。
ずっとこの村で生まれ育ってきた俺には想像もつかない。人がたくさんいるだろうってことは分かるが、その人たちがどんな風に生活しているのかはまるで分らない。
「将来の有望な若者に出会えて楽しかったよ。またね」
そう言って、先生は次の日にはいなくなってしまっていた。
いずれ、と聴いていた俺たちはその行動の早さに驚いて、先生らしいかもね、と言って笑った。




