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黒の竜と赤い魔法

 上空へと飛び出した俺たちはすぐさま右へ旋回する。

 竜が早くも俺たちに迫ってきたからだ。


「バレるの早すぎねえか?」


「ギンの体が目立ちすぎるんじゃないの」


「綺麗なものは思わず目に付くってことか。じゃあ仕方ねえな」


 図らずもギンの羽は囮として最適な役割を果たしていた。月明りに照らされて輝く銀翼は黒竜からすれば意識せざるを得ないだろう。

 ギンの動きを追って黒竜が迫る。いくら速さの上でこちらが勝っているとはいえ、これだけの巨体が間近に迫ってくるのはかなりの迫力だ。


「おい、ナユタ。ビビってんじゃないだろうな? 大丈夫だ、俺を信用しろ」


 ギュン、とギンが地上へと向かう。もう少しで地面に当たるというところまで降下し、そのまま地面と平行に滑空していく。


「さすが、狙い通りだね」


 待ち構えていたのはコトだ。通過する黒竜の真上に跳びかかり、燃え盛る右足で踏みつけるように蹴りを食らわせる。


「コトがあんなに強くなっていたなんて」


 黒竜は踏みつけられて一度地面に跳ね上がったあと、そのまま砂埃を巻き上げながら滑り転がっていった。

 とてもあのコトが放った一撃とは思えない威力だ。


「いい力だな。あの子の身体と魔力が馴染んでる。魔力が増えればもっと成長が見込めるだろうな」


 どうやらギンはコトの力について何か知っているようだった。だけど、それはコトが話してくれるまで待つと決めた。コトの中で折り合いが付いていないのなら、それまでは見守ってあげたい。

 攻撃を受けた黒竜を見ると鬱陶しそうにはしているが、目立った外傷はない。やはりあの黒く光る鱗は相当硬いようだ。


「この調子でいけば、体力を奪えるはずだ。続けていこう」


 ギンがぐるりと円を描くように旋回し、黒竜の下へと向かう。向かってきた俺たちを見た黒竜は早速ブレスを放つが、ギンはすぐさま方向を変え、上昇していく。俺たちの動きにつられるようにして、上空へとブレスが放たれるが俺たちに届くことはない。熱は伝わってくるため、恐ろしくはあるが、なんとか竜の攻撃を食らわずに済んでいる。

 振り返ると、黒竜がこちらを追いかけて来ている。攻撃がかわされたことに苛立っているようだ。


「はっ、怒ってる怒ってる。意外と早くバテてくれるかもな」


 囮は今のところ成功している。こちらは無傷のまま、黒竜に攻撃を当てることができている。このまま行けば黒竜が力尽きるのも時間の問題だ。


「ギン、囮が上手いな」


「一応、あいつらとは何度かやりあったことがあるからな。大体の攻撃パターンはいやでも分かるさ」


「なるほど」


 人間からしたら今や空は竜のものだけど、ギンのような空に生きる獣からしたらそういう訳にもいかないだろう。空を取り戻すために戦い続けた先に今があり、ギンはこれからも竜と戦い続けなければならない。

 先ほどより黒竜の速度が上がった。ギンもそれに合わせて速度を上げるが、黒竜もこちらを捉えようと本気だ。


「完全に殺しにきてるな」


 黒竜の目は赤く光る。その光はまさに殺気そのものだ。

 その時、ふいに黒竜の口から炎が放出された。

 ブレスのように大きなものではないが、準備動作がなかったため避けるのが遅れる。


「まずい」


 熱を感じ取って左側に旋回するが、わずかに避け切れず、右の翼に火球が当たる。

 ギンは急降下し、黒竜との距離を離しにかかる。しかし、黒竜も必死だ。唸り声をあげながら、じりじりと迫ってくる。

 黒竜はここに勝負をかけている。ここで捕らえそこなえば負けるとばかりに全力を振り絞ってギンに迫ろうとしている。

 俺たちにとっては、ここで黒竜から致命傷を負わされることになれば作戦が続けられなくなる。そうなれば、後は撤退戦だ。被害の拡大は避けられないだろう。


「ギン!もっとだ!もっと速く!」


 ギンは落下の態勢から滑空へと切り替え、素早く曲がりながら黒竜の攻撃を避ける。


「ギン!あと少しだ!」


 もう少し。あと少しだ。

 ギンが左に曲がりながら上昇する。


「よく頑張ったね。ご褒美だ」


 黒竜がギンを追って上昇しようとしたのも束の間、頭上と足元に術式が展開される。ナツメ先生が動きを予測して待ち構えていたのだ。


「食らうがいい、黒竜よ」


黒竜を挟み込むようにして展開された術式は、逃げる間も与えずに雷を落とす。

落ちた雷は竜の足元に展開された術式に吸収され、間髪入れずに二発目、三発目が上下の術式から放たれる。

暗闇の中で起こる無慈悲な攻撃は辺りを煌々と照らし、激しくなればなる程まばゆく輝いた。

 雷が鳴りやみ、鮮烈な攻撃を受けた黒竜が地上へと落ちていく。背中からは煙が立ち上り、攻撃の凄まじさを物語っている。ようやく有効な一撃を食らわせることができた瞬間だった。

 たった今まで俺たちを追い詰めていた黒竜は、黒い塊となって落ちていく。雷をしのぐために翼を折り曲げ丸まったその姿はあの恐ろしい竜とは思えない。

 炭と化した黒竜は地面に落ちても動くことはない。最早、ただの燃え滓だ。


「どうする、追い打ちをかけるか」


「いや、もう動かないとは限らない。様子を見てからの方が良いだろう」


 いくらあれだけの攻撃を受けたとはいえ、黒竜だ。もう動かないのか死んだのかも判らない。安易に攻撃を仕掛ければ反撃にあう可能性もある。

 ギンは追い打ちをかけた方が良いと考えているようで、どこか納得いかない様子だが、空中で待機してくれている。

 それからどのくらいの時間が経ったのだろうか。俺たちは何も起きないと判断して地上に集まった。


「ナユタ、あれどうするの? 一気に焼く?」


 なんとも物騒なことだが、黒竜をこのまま放置するわけにもいかない。生きているのか死んでいるのか判らない以上、一斉に攻撃して消滅させるのも一つの手だろう。


「ただ、できれば原形を残した状態で殺してしまいたいかな。一応、研究者としてはね」


 先生が言うように、この状態のまま黒竜を殺すことが出来れば、竜の研究にも役立つだろう。


「でも、どうやるんですか。並みの攻撃では通らないですよ」


「それが問題なんだけどね。どうしたものか」


 その時、黒竜の方から何か殻を割るような音が微かにした。それに真っ先に反応したのはギンだった。


「伏せろ!」


 ギンの声が響く。

 一瞬、真っ白な光が視界を覆った。だが、それはあっという間に暗闇に塗りつぶされた。


「コト!」


 叫んだ声は暗闇に吸い込まれて消えてゆく。反応はない。

 誰もいない、ただ真っ暗な空間。あらゆる感覚があやふやで、俺以外には何も存在しない。いや、俺という存在すらあやふやになる。頭によぎるのは「死」の一文字だ。

 俺は死んだのか?

 これが死後の世界なのだろうか?

 ただ真っ暗で、どこまでも闇が続くこの空間が死後の世界なのか?

 どれも到底受け入れることのできないものだ。

 死んだらずっと真っ暗な世界に居続けなければいけない、なんて知っていたら誰もがいくらかは命を大切にするだろう。

 なんでこんなに大切なことを知らずに生きていたのだろう。こんな真実を隠しておくなんて、世界はなんて意地が悪いんだ。

 神を名乗る人物はこのことを皆に教えるべきだ。

 なんて残酷なんだ、世界というものは。


「どうすればいいんだ」


 立っているのも疲れたから、暗闇に横たわる。

 いまいち身体の感覚が明瞭でないため、寝ているという感覚はない。宙に浮いているようだ。

 これからどうしようか、と考えるが、果たして「これから」なんてあるのだろうか。この真っ暗な空間に「これから」なんてやってくるのだろうか。

 しばらく寝転がってぼうっといていると、意識がぼやけてきた。うつらうつらと瞼が閉じていく。

 いつのまにか目の前には森が広がっていた。脇には川が流れ、日差しを浴びてきらきらと輝いている。

 前をよく見ると、小さな女の子が歩いている。俺は女の子を追って先へと進む。

 女の子に追いつこうと走るが、女の子はどんどんと前へと進んでしまい、一向に距離は縮まらない。

 だが、あるところで女の子は足を止めた。その先には湖が広がっていて、静かに空を映し出している。

 女の子に近づこうと歩き始めると、急に視界が影に覆われる。

 ついさっきまで、波ひとつ立てていなかった水面が突風にあおられて激しく揺れる。

 ふっと空を見上げる。

 そこには黒竜がいた。

 赤い目がこちらを睨んでいる。

 黒竜は風を巻き起こしながらゆっくりと着陸し、鼻息を荒げる。

 身体が恐怖に支配されて動けなくなる。

 黒竜が女の子に向かって右手を振りかぶる。女の子は逃げることもなく立ち尽くしている。

 頭の中で様々な光景が再生される。コトと過ごした日々、先生の講義、ギンとの出会い、両親が竜に襲われる光景、生贄になると告げられた日のこと。


「ずっと生きてるって信じてるから」


 コトの声が響く。

 震える足を前に進める。力の入らない手にはナイフが握りしめられる。


「コト!」


 助けなくては。あの黒竜を倒して、悲劇を終わらせなくては。

 視界から湖が消える。目の前に広がるのはさっきまで黒竜と戦っていた広場だ。

 ただ、さっきと違い先生もギンもコトもいない。そして、黒竜が俺の前にそびえ立っている。黒竜の前にいるのは俺だけだ。


「これで」


 次々と魔法が発動していく。

 握りしめたナイフを振りかぶる。


「終わりだあああっっ!」


 放ったナイフは光となって黒竜の腹に突き刺さる。突き刺さったナイフの光は黒竜とともに夜の闇を融かしていく。

 そこはすでに朝になっていた。東の空は赤く染まり、うっすらと明るくなっている。


「ナユタ!」


 横から思いっきり抱きつかれる。コトの匂いがした。


「ああ」


終わったのだな、とようやく実感する。


「黒竜がいない」


 先生は黒竜がいた場所に駆け寄って周囲を見回すが、もうそこに黒竜はいない。


「先生、終わりましたよ」


「どういうことだ」


「終わったんですよ。黒竜は消えたんです。とにかく、これで終わりです」


 終わったのだ。

 もう竜はここにいない。

 俺にもよくわからないが、黒竜は光とともに消えた。

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