大聖堂の銀の獣
大聖堂のような部屋の天井にはステングラスが張られ、壁には壁画がびっしりと描かれている。
だが、俺が目を釘付けにされたのはこの部屋の主であろうミミズクだった。
俺の身長の倍以上はあろうかという巨体は部屋の中心に鎮座し、じっと俺を見ていた。
「ギン?」
なぜそう思ったのだろう。俺は自分自身が発した言葉に対して驚いていた。俺が呼んだその名は、まだ小さかったころにコトと一緒に助けたひな鳥の名だった。
「なぜ、俺の名を知ってる」
なぜだか分からないが、俺は目の前の巨大なミミズクを見てギンだと思った。大きさは違えど、その気高い銀翼はギンのものだった。
「俺だよ、ギン。俺が小さかったお前を助けたナユタだ」
「ナユタ?」
ギンは身をかがめて顔を俺に近づける。そのあまりに大きな目は目の前にあると今にも吸い込まれそうだ。
「そうだよ、ナユタだ。俺とコトがお前を助けたんだ」
「なるほどな」
ギンは乗り出した身体を元に戻し、首をふるふると何度か振った。
「クーが言ったんだ。運命が交わっていれば、いずれ命の恩人に会えるだろうってな。どうやら今日がその日みたいだ」
ギンは目を細めて笑った。
「ギン、俺のことを憶えているのか!」
「ああ、憶えているさ!お前が倒れていた俺を見つけて、もう一人の女の子が看病してくれた!」
「ギン、大きくなったな!」
「おかげさまでな!」
まさか、あの時助けたひな鳥とこんなに大きなって出会うなんて思ってもみなかった。
「ギン、俺の村が竜に襲われて大変なんだ。今はコトがなんとか凌いでくれているはずだけど、それもいつまでもつか分からない。頼む、俺たちを助けてくれないか」
ギンは二度、首を鳴らして壁に付いているレバーを下した。天井のステンドグラスが収められていき、空が姿を現す。
「今日は満月か。竜とやりあうには良いかもしれねえな」
「ギン、良いのか」
「良いから、早く背中に乗れよ。急いでるんだろ?」
「ありがとう、ギン!」
ようやくコトたちの力になれる。思い切りジャンプしてギンの背中に跳びついた。
「よし、行くぞ」
ギンが飛び立つ。みるみる上昇していき、すさまじい勢いで空へと突き抜けていった。
洞窟を突き抜けたそこは、星々のきらめく空に包まれたどこまでも続く暗闇だった。
月や星々はこんなにも近かっただろうかと思うほど大きく、暗闇は月明りを浴びてほのかにその正体を明かしながらも、世界の大半を黒く染めていた。
「ナユタ、あそこか?」
ギンが向いた方向からは火の手が上がり、ほのかに明かりを放っていた。
「多分、あそこに竜がいるはずだ。行こう」
「了解」
ギンは思い切り風を起こしたかと思うと、その風に乗って明かりの方へ滑空していく。俺は振り落とされまいと必死にギンの身体を掴むのでやっとだった。
ほとんど一瞬のような時間で明かりのすぐそばまで着いた。俺の足だとあれだけかかった道のりも、空を飛べば一瞬だ。
「ギン、あそこに竜がいる」
「ああ、それもそうとうでかいな。黒竜か」
その竜の姿には見覚えがあった。俺の両親を殺した竜だ。
「赤竜より大きい。コトたちは大丈夫だろうか」
「俺が見た限りでは姿はないな。どこかに隠れているのかもしれない」
まだ竜は村に入っていないようだった。ということは、コトとナツメ先生は竜を食い止めることに成功しているようだ。
「心配だな。早く行こう」
「待て、ナユタ。まだお前に話せていないことがある。契約のことだ」
「今ここでできるか?」
「初めからそのつもりだ。なんでもいいから魔具を出してくれ。できれば指輪が良い」
「大丈夫。用意してある」
契約のことを聴いてから、魔具が必要になるとは考えていた。そして、どの魔具を使うのかも決めていた。
左手の薬指にはめた指輪、コトとの絆の証。
「その指輪に魔力を込めろ。そして契約を誓え」
指輪が白い光を放つ。
「ギン、ここに契約を誓う」
「承った。ここに盟友のために力を使うことを約束する」
白い光が広がり、俺とギンを包む。
「よし、契約完了だ。行くぞ、ナユタ!」
ギンが竜に向かって降りていく。速度はどんどん増していき、一気に黒竜の背後に近づく。黒竜は寸前のところでこちらに気付いて避けた。
「まだだ」
ギンは空中で旋回し、もう一度黒竜を狙う。
黒竜はこちらの動きに警戒しながら迎え撃つ態勢に入っている。
「ギン、ブレスがくるぞ」
予想通り、黒竜がブレスを放つ。しかし、ギンは速度を緩めない。
「心配するな、ナユタ」
ギンの前に術式が展開される。みるみるうちに放出された炎は術式に吸収
され、跡形もなくなってしまった。
「お返しだ」
ギンが翼で竜の頭を殴る。金槌で叩いたような音が響いた。
「硬化魔法か」
「正解」
契約した獣は契約相手の魔力で魔法を使う。しかし、ギンの使う魔法はとても俺の魔力で使っているとは思えないほど、強力に見えた。
現に、ギンの攻撃を食らった竜は痛そうに顔を歪めている。
「ありゃあ、怒らせたな」
ギンは竜を相手にしているというのに、随分と余裕そうだ。
「ギン、こっちに来るぞ」
ギンの言う通り、黒竜は怒りをむき出しにしてこちらに飛んできている。捕まったらすぐにでも八つ裂きにされそうだ。
ギンは竜から逃げるようにさらに上空へと飛んでいく。
本当ならば、風圧で振り落とされるのだろうが、ギンと契約してからはまったく風圧を感じなくなっていた。契約したときに、ギンが術式を展開したのかもしれない。
「おら、行くぞ!」
ギンが雲を越えると同時に術式を展開する。
「放出!」
術式が発動すると、風と共に炎の渦が吐き出される。渦は雲に穴をあけ、俺たちを追っていた黒竜に直撃する。
炎の渦は黒竜を包み込み、激しく燃え盛った。
「ナユタ、一旦地上に降りるぞ」
「竜はどうするんだ」
「あいつはしばらく動けない。今のうちに他の魔術師と合流しといた方がいい」
「分かった。森の方に向かってくれ」
ギンは炎に包まれた黒竜を尻目に森へと向かう。
「森に入ってしまえば黒竜が追ってきても村に被害を出さずに済む。多分、コトたちも森に隠れて様子を見ているはずだ」
木々の合間を縫って森へと入り込む。地上に降りると、さすがにギンが森で歩き回るのは難しいため、縮小魔法をかけて小鳥サイズにする。
「様子を見ているんだとしたら、あんまり奥の方にはいないはずだよな。ナユタ、どうやって探す?」
このまま闇雲に歩き回っても時間と体力を消耗するだけだ。
「いや、ここで動くのはやめよう。むしろ動かない方が良いかもしれない」
「なんでだ?早く合流しないと黒竜が襲ってくるぞ」
「ここはコトたちがここに到着するのを待とう。コトとナツメ先生がどこかで状況を見ていたのなら、俺たちがここにいることも分かっているはずだ」
何か予想外のことが起きていない限り、コトか先生のどちらかは戦況を見ていたはずだ。その証拠に、今の一連の戦闘の最中、コトかナツメ先生が竜に攻撃を仕掛けることはなかった。もし、俺たちの存在に気が付いていなければ、どちらかが時間稼ぎのために攻撃を仕掛けたはずだ。
「でも、本当にここまで来るのか?向こうが動けないことも考えられるだろ」
「なるほど。じゃあ、この辺りを飛び回ってコトたちを探してきてくれるか?見た目は分からないだろうから、とにかく女性がいたら教えてほしい」
「分かったよ。夜の散歩といくかね」
ギンが満月の明かりで翼を光らせながら飛び立っていく。それほど遠くにはいないだろうから、じきに見つかるだろう。
木々の間から空を見上げる。黒竜を取り込んだ炎の渦はまだ勢いを保ったまま球のように螺旋を描き、太陽のように輝いている。
「助けられてばかりだな」
本当なら俺は今日死んでいたのだろう。それが様々な運命が絡み合って今もこうして生かされている。赤竜に負けたのにも関わらずコトに助けられ、黒竜に追い詰められたのにギンの力を借りて挽回しようとしている。どれも俺の力で解決したものではない。
ふっと息を吐く。
俺を見た人は情けないと罵るだろうか。無能と見下されるだろうか。
俺は素晴らしい仲間を持った。この仲間が苦しんでいたら手を差し伸べよう。それが生かされている俺のできる数少ない誠実なのだから。
「ナユタ、いたぞ」
ギンが戻ってきた。どうやら二人とも見つかったらしく、足音が聴こえてくる。
「ごくろうさま」
「二人とも無事だ。体力は消耗しているみたいだが、目立った外傷はなかった」
二人が無事だったことに安堵する。絶対に生きていると信じてはいたが、戻ってくるまでに時間をかけてしまった。こうなったのは俺の責任でもある。二人の死を背負って生きていく自信はない。
しばらくするとコトとナツメ先生の姿が見えた。特にコトの顔には疲れの色が見えるが、まだ目には生気が宿っているようだ。
「ナユタ!ありがとう、戻ってきてくれて」
「コトも無事みたいで良かった。ケガはしてない?」
「大丈夫だよ。まだ戦える」
まさかコトがこんなに強い女の子になるとは思っていなかった。ついこのあいだまでは「俺が守ってあげないと」と思っていたが、今では俺が守ってもらう側だ。
コトの手を握る。熱をもったその手は、所々擦り切れている。もう戦う人間の手になっていた。
「ボロボロだからあんまり見ないでよ」
「限界が来そうになったら、すぐに撤退して。あとは俺とギンでなんとかする」
後でグローブでも買ってあげないとな。もうこんな目に合わないことが一番だけど。
「こらこら、私のことは忘れたのかい?私のことも労い給え」
「先生はまだ大丈夫そうだったので、つい。まだ戦えますよね?」
「当たり前だ。教え子を残して逃げ出す教師がどこにいる。まだやれるさ」
先生の好戦的な表情は心強く感じる。さすが、魔法教師というだけあって余力が感じられる。
「二人が黒竜と戦った感触はどうでしたか?」
「黒竜は竜の中でも鱗が硬い。赤竜と違って全身が鱗で覆われているから、攻撃を通すのは容易ではないな」
黒竜と少し戦った限り、余裕のある戦い方をするように感じた。あまり速度がない代わりに守りが硬い。少々攻撃を受けても全く問題がないという姿勢だ。
「では、有効な攻撃法はありますか?」
「速度を生かすことだろうな。ギンの速さをもってすれば黒竜をかく乱することは可能だろう。黒竜は決して機敏なわけではない。我々の攻撃でも当て続ければ効果が出てくるだろう」
「あと、体力もあんまりないと思う。今まで私が追いかけっこしてたけど、トップスピードは長く続かないみたい。すでに戦い初めのころよりスピードが落ちている気もするし」
確かに黒竜はギンに追いつくことができなかった。むしろ距離を離されていたほどだ。それに、コトが言うように体力があまりないのなら、そこを突くしかない。
「では、俺とギンが黒竜をかく乱するので、二人は自分の戦いやすいところで戦闘態勢をとっていてください。適宜、黒竜を攻撃してダメージを蓄積していきましょう」
俺たちに黒竜を短期集中攻撃で倒すだけの力はない。長期戦に持ち込んでじわじわ戦闘不能に追い込む方が数の上で勝るこちらの方が有利だろう。
「でも、それだとギンの負担が大きくならない?」
「それなら気にすんな。要は俺とあいつで体力比べをしろってことだろ?負けることはないから大丈夫だ。それに黒竜はお前たちのお陰で消耗している。負ける要素が見当たらない」
それは強がりではなさそうだった。獣としての本能で相手との力量差が分かるのか、ギンは敵が黒竜だと知った時から怯む様子がなかった。
「ギンも危なくなったら退避するといい。その時は私たちが請け負おう」
怯んでいないという点では先生も同じだ。竜の特性をよく知っているからか、負けないという確信めいたものが感じられる。
この三人が味方なら本当に黒竜を倒せるかもしれない。
初めは村人が避難するまでの時間稼ぎだったけど、ギンが味方になったことで互角に戦えるようになった。もしかすると、黒竜を追い詰めることができるのではないか。
「黒竜の体力を消耗させて、動きが鈍くなったところを全員で叩く。これでいいですか」
「大丈夫だ」
皆が頷く。
「そろそろ相手も動き出したみたいだ」
空を見上げると、炎の渦はかき消されている。満月を背に黒竜が翼を広げる。
夜に竜の咆哮が響いた。
「行こう」
元の大きさに戻ったギンの背中に乗り、夜空に飛び立つ。
胸にあるのは死への恐怖と生への希望だ。




