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暗い森の木兎

 今頃、竜はどこにいるのだろうか。もうすぐそこまで来ているのだろうか。

 山を駆け登りながらコトとナツメ先生のことを思う。二人のためにも、早く谷にいかなくては。

 陽は沈みかけ、あたりは暗くなってきた。木々に囲まれた山の中だとより一層、暗く感じる。

 夜の山を登るのは初めてだ。完全に暗くなる前に、なんとか谷までたどり着きたい。

 木や根に足を取られながら走る。鳥や獣の鳴き声が不気味なほど響き渡る。

 昼に山を登った時はこんなに心細い気持ちになることはなかった。時間が違うだけで、こんなにも印象が変わって見えるのか。


「あれは」


 なんとか目印にしていたギンの河までたどり着いた。谷はギンの河の上流、滝を越えた先にある。

 ここまで来たら、あとは迷うことはないだろう。この辺りは岩が多く、何度も登らなければいけないが、それでも夜の山を迷うのに比べたらましだ。

 何度も歩いた道だが、焦りからか余計に体力を消耗している気がする。さっきから耳の奥の方で鼓動が激しく鳴り続けている。


「本当に俺にそんな力があるのだろうか」


 先生が言っていたことを思い出す。

 先生は俺なら魔獣を味方にできると言った。だが、俺は赤竜に弾き飛ばされるような人間だ。強い魔力も持たず、腕力だってたいしたことはない。とてもじゃないが竜と戦えるような力は俺にはない。

 先生は本当に俺を頼ってくれているのだろうか。単に力のない俺を足手まといにならないように、竜のもとから逃がすための口実だとしたら。


「考えるだけ無駄か」


 悩んでも仕方がない。先生の意図がどうであれ、俺にできるのは谷の魔獣を味方にすること。

 まだ俺にやれることがあるんだ。俺にやれることがあるのなら、俺がやるしかない。この危機的な状況を打開するために。

 コトと先生が待っている。急がなくては。

 山はもう暗闇となっていた。鳥の羽音がやけに大きく感じられる。自分の足音も耳元で鳴っているようだ。もうすでに俺は夜の世界に入り込んでいた。

 目を凝らして前を進む。幸い今日は満月だ。月明りに照らされる山の景色は不気味だが、なんとか前が見える。

 もう、山に入ってから随分と時間が経った。今頃、先生とコトは竜と戦っていることだろう。早く、早く谷に行かなければ。

 息が乱れ始める。ようやく滝が見えたときには、全身がひどく重くなったように感じた。気にも留めていなかったが、竜と戦った時の体力の消耗が今になって表れていた。

 岩を掴みながら滝の脇を登る。坂というより壁のようであり、うまく力が入らない腕は震えが止まらない。


「はやく、行かないと」


 ぎりりと歯を噛みしめて腕に力を入れる。ひとつ、ひとつ、と岩を登っていく。


「もうすこし」


 壁のてっぺんに手が届く。ようやく、登り切れる。


「うっ」


 足が岩から滑る。反射的に岩を掴んで身体を支える。

 全身から冷や汗が溢れ出してきた。岩を掴んだ手を見ると、指先から血が出ていた。

 呼吸を整えて再び腕に力を入れ、何とかてっぺんに身体を乗り出すことができた。

 身体を持ち上げ、なんとか壁を乗り越えることができた。

 「ふう」と息を吐く。本番はこれからだ。谷を降り、魔獣と会わなければならない。谷がこの先にあるのは間違いないが、実際に行ったことはなく、魔獣がいるからには慎重に降りざるを得ない。

 だが、竜のことを思うとどうしても足が急いてしまう。先生やコトは竜相手に持ちこたえているだろうか。


「いや、信じるしかない」


 足を踏みだして坂を駆け降りる。身体は重いが、足は思った以上に回る。

 これなら、魔獣にたどり着けそうだ。そう思った時だった。


「うわぁっっ!」


 当然のように踏み出した先に道はなかった。勢いのついた身体は止まることができず、暗闇の中を落ちていく。

 暗闇の中を落ちるというのはとてつもなく怖い。落ちる時間はほんの一瞬だったのかもしれないが、その時間は永遠にも思えた。

 地面に叩きつけられながらも、とっさに受け身を取る。本当なら、魔法を使えたらよかったのだろうが、まだ俺には反射的に魔法を発動できるほどの能力はなかった。


「ん?」


 明かりだ。明かりが見える。

 大穴にでも落ちたかと思ったが、どういうことだろう。誰かがここに住んでいるのだろうか。

 恐る恐る明かりの方へ近寄る。

 明かりは洞窟の奥から漏れている。

 洞窟は入り口こそ俺がしゃがんで入れる程度の小さな穴だが、奥に進むにつれて穴が大きくなっているようだ。

 もしかすると、魔獣がいるのかもしれない。ナイフを構えて洞窟の奥へと進む。

 橙色の光が灯す洞窟は洞窟というよりも、人の住処のようだ。青黒い岩肌も光に照らされて幾分冷ややかさが和らいで見える。

 やはり、誰かいるのだろう。警戒しながら奥へと進む。

 奥へ進むと、左側の穴から一段と明るい光が漏れていた。

 その穴は、元々ここで行き止まりだった洞窟に後から開けたような穴だった。穴を覗くと、その先にはテーブルや食器棚が置いてある。

 やはり、誰かが住んでいるのだろう。


「おや、客人ですかな」


 思わず後ろを振り返る。ナイフを握る手が震える。


「それとも、強盗ですかな」


 それは俺の背丈ほどはあろうかという大きさのミミズクだった。鼻の上には眼鏡が乗っており、不審そうにこちらを見ている。


「魔獣か」


「ふむ、私を魔獣呼ばわりとは大変失礼な強盗ですな。一体どこから嗅ぎつけてきたのやら」


 ミミズクはナイフを気にもせず、俺をじろじろと見ている。すると、ミミズクは「ふむ」と何やら一人納得した様子で穴の中へ入っていってしまった。


「用がおありなのでしょう。ナイフをしまって、入りなさい」


 ミミズクに呼ばれ、俺はナイフをしまってからおずおずと穴に入る。

 穴の中は立派な部屋になっていた。天井にはシャンデリアが吊るされ、革張りのソファは俺が見ても高価なものだと分かる。


「さあ、どうぞ椅子にかけてください。何やら話があるのでしょう」


 ミミズクは茶色い羽で椅子を指して座るように促している。


「あの、この辺りに魔獣がいると聞いてきたんですが、心当たりはありませんか」


「まあまあ、そう慌てずに。お茶でも飲んでゆっくり話そうではありませんか」


 ミミズクは紅茶をカップに注ぎ、テーブルに置いた。なんとなくその様子に逆らえず、俺は椅子に腰かける。それを見たミミズクは満足そうに俺の向かいにある椅子にちょこんと座った。


「で、魔獣がどうしたと」


「今、俺の村が竜に襲われていて、魔獣の力を借りたいんです。何か知りませんか」


 ミミズクは自分で淹れた紅茶を啜ってから、「ふむ」と言って質問に答えた。


「魔獣をどのようなものと認識しているかは分かりかねますが、私だって立派な魔獣です。ある程度の知性を持った獣は皆、魔獣と言ってもいいでしょう」


「そうだったんですか」


 先生から魔獣のことを聴いた時、何か恐ろしい姿をした獣がいるものだとばかり思っていた。


「ふむ、大丈夫ですよ。よくある間違った認識です。私は怒ったりしませんよ」


「あの、良ければ竜と戦ってくれるような魔獣をご存知ではありませんか。早く戻らないと間に合わなくなってしまう」


「いいですか。我々を含めて獣たちは竜と戦うことを基本的にしません。なぜだかわかりますか」


 ミミズクは眉間にしわを寄せてジロリと俺を見た。


「竜が強いからですか」


「そうですね、竜は強い。あまりに強すぎるのです。我らも元々は空に暮らしていた。しかしそれも最早叶わないでしょう。今や空は竜のものなのだから。地上に生きる獣も同じです。竜に逆らったものは皆、家も家族も失った。すべては竜のせいなのです」


 どうやら人間だけでなく獣たちも竜の被害を受けているようだ。これでは魔獣の力を借りるのは難しそうだ。


「どうしても、力は借りられないということですか」


 ミミズクは紅茶に口を付け、大きな目を二度まばたきして口を開いた。


「一つだけ、方法があります。契約です。あなたが獣と契約を結ぶことができれば、その獣は竜と戦ってくれることでしょう」


 契約。以前、サクハがペロとしているのを見たことがある。あの時は、契約を交わした途端、それまで劣勢だったサクハとペロが一気に優勢になり、あっという間に相手を追い詰めていた。あれと同じことを、俺にもやれというのか。


「俺に契約が結べるのでしょうか」


「ふむ、その点に関しては実際にやってもらうしかありませんね。どうぞ、こちらに」


 ミミズクは立ち上がり、部屋の奥にある扉まで案内した。


「実は私はこの部屋の住人から適合者がいれば案内するように言われています。本当にあなたが適合者なのかは分かりませんが、それも含めて契約を交わせば分かることでしょう」


「適合者?どういうことです」


 ミミズクはホッホッと笑った。


「お気になさらず。最期に、私の名を名乗っていませんでしたので、名乗らせていただきます。私の名はエドワード・クードリッヒ。クーとお呼びください」


「俺はナユタと言います。いきなり押しかけて、すいませんでした」


「ふむ、良いのですよ。出会いとは唐突なものです。それでは、良い出会いがあらんことを」


 クーさんが扉を開ける。


「クーさん、ありがとうございました」


「ホッホッ、また会えることを楽しみにしておりますよ」


 俺はクーさんに促されて扉の向こうへと入る。

 扉が閉まる音が響くそこは、大きな聖堂のような部屋であった。


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