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コト

 幼少期の俺を語るには、まずコトという女の子に触れなくてはならないだろう。

 俺とコトは物心ついた頃には既に一緒にいた。幼馴染というやつだ。

 コトは大人しい子どもだった。

 家に籠もってキレイな石を眺めて自分だけの世界に入っている子で、暇さえあれば村の外を歩き回っていた俺とは正反対の性格だった。

 コトは誰にもわからない自分だけの世界に生きていた。俺はコトのそういうところが気に入っていた。

 村には俺とコト以外、同年代の子どもがいない。

 そのため両親たちは俺とコトをよく会わせたし、仲良くするようにも言われた。

 しかし俺がコトと同じ時間を過ごすようになったのは、大人たちの意図とはあまり関係ない。俺はコトを初めて見たときから、新種の動物を見つけたような気分になっていたし、最高におもしろいものを見つけたと喜んだ。

 俺はコトの家を訪ねるようになった。コトの両親は俺を喜んで迎えてくれた。今思えば、コトの両親はあまり人と関わろうとしないコトを心配していたのだろう。俺という同い年の子どもと会うことで、コトが他人に心を開くようになればと思っていたようだった。

 コトはいつも自分の部屋でひっそりと暮している。花をじっと見つめていることもあれば、箱に入った貝殻や石を取りだしては見入っていることもあった。

 俺は何をしているかといえば、そんなコトを眺めているだけだった。それで十分だったのだ。その時の俺はコトを見ることで、コトが住んでいるどこか別の世界に少しだけ居ることができたのだ。

 コトは俺がいても気にしない。俺は光り輝く石を見るコトの表情を眺めるだけだ。石を見るコトの表情は消え入りそうなほど薄い青で彩られた一輪の花のようで、コトは時折こういった、見た者が何とも言えない恥ずかしさを覚えるような表情をするのだった。

 今にして思えば、わんぱく盛りの男の子が女の子をじっと見て一日を過ごすとは、何とも奇妙なものだ。それに、俺はコトの家に通うようになった数日の間、一言もコトと言葉を交さなかった。いくらでも話すきっかけはあっただろうが、そのときのコトはなんだか話しかけるのが憚られるような空気をまとっていた。

 どんなに長い静寂も終わるのはあっけない。コトが手にした石が滑り落ち、俺のもとに転がった。


「はい」


 コトに拾った石を差し出す。


「ありがとう」


 俺は目を見開いてコトの顔を見た。

 俺はてっきり、コトはこちらのことに気づきもしていないものと思っていた。コトが俺を見ても特に動揺しないのが意外だった。


「驚かないの?」


 コトはきょとんとした表情で首をかしげる。


「なんで?」


「いや、いきなり俺が現れたからびっくりするかと思って」


「いきなり?けっこうまえから居なかった?」


 コトはどうやら俺のことにはずっと気付いていたようだった。


「あっ、俺のことには気付いてたんだ。あんまり反応なかったから、気付いていないのかなって思ったよ」


「ごめん。何か言ったほうが良いのかな、って思ったんだけど、なんて言ったら良いのか浮かばなくて」


「そうだったんだ」


「うん」


 コトは「なあんだ」と言って笑った。目を細めてにこにこと笑うコトはつい先程までの、儚げで浮世離れした少女とはまったく違っていた。コトの笑う顔を見ていると胸いっぱいに幸せが広がって、一緒ににこにこと笑った。

 それからの俺とコトはよく話すようになった。

 コトの母親が「よければ、いつでもいらっしゃい。私たちは大歓迎だから」と言ったのを真に受けて、俺は毎日のようにコトの家に通っていた。一緒に食事をしたり、なんてことない会話をしているのが楽しかった。


     *     *     *


 あるとき、俺はコトに提案をした。


「ギンの河を見に行かないか」


「なにそれ」


「俺も行ったことはないんだけど、ギン色に光る河があるらしいんだ。場所は分かっているし、そこまで遠くない。行ってみないか」


 その日、俺は初めてコトと外に出かけることになった。

 村から出て山道を歩く。コトにはどれも初めての経験らしく、少し不安そうだったため、俺は時折手を繋いで歩いた。

 しばらく山を登ると村を一望できる。山に囲まれた集落は部屋の片隅でひっそりと生きているコトに似ていた。

 山林に入り、日差しが遮られたのはありがたかった。その日は肌をさすような暑さで、わざわざこんな日に出かけたことを後悔するほどだった。


「一旦、休憩しようか」


「うん」


 コトはあまり外に出ないため、すぐに疲れるだろうと思っていたが、想像以上に体力があるらしかった。家を出て小一時間歩いた割にはコトの顔には疲れの色が見えなかった。


「大丈夫?疲れてない?」


「うん。もっと疲れると思ったけど、大丈夫みたい。ナユタと居ると楽しいからかな」


「それならよかった」


 コトが楽しんでくれているなら、それ以上のことはなかった。水を飲んで、再び歩きだす。

 山の奥深いところに入るに従って、段々と湿気を帯びてきた。河が近いのかもしれない。

 濡れた落ち葉で足を滑らせないようにコトに気を配りながら少しずつ前へ進んでいく。コトはおぼつかない足取りで、転びかけることも何度かあったが、そのたびに俺が抱きとめることになった。

 コトを抱きとめると花の匂いがふわりと漂った。線が細く、するりと流れ落ちそうな腕に触れると不思議と心が落ち着く。柔らかな肌をもっと触っていたいと思ったが、そうするのも恥ずかしい。ぎこちなく「大丈夫?」と一言声をかけて手放した。

 息をするにも重く感じるほど、湿気が多くなってきた。耳をすませると河のせせらぎが聴こえてくる。


「もうすぐだね」


 コトの声が一段と高くなった。コトにとっては村の外の風景はすべてが新しく、いつもはひっそりとしているコトもわずかに興奮しているように見えた。


「ね、手をつなごう?」


 コトがそんなことを言ったのもいつもと違う世界に来て舞い上がっていたからだろうか。手を繋いでいると転んだ時にかえって危ないため、控えてきたがここまで来たら転びそうなところもない。俺とコトは手をつなぐことにした。なにより、コトから言ってくれたのが嬉しくてたまらなかった。

 川音がすぐ側まで近づいていた。それを聴いて俺とコトは思わず足取りを早める。

 木漏れ日が差し込む場所にギンの河はあった。

 光が水面に反射してきらきらと輝くその河はギンの河と呼ぶに相応しいものだった。河だけでなく、それを取り巻く空気も光をまとい、神々しくも感じられた。

 コトが「わあ」とうっとりと息をつく。


「こんなに綺麗なところがあるなんて」


 握ったコトの手からじわじわと体温が上がるのが感じられる。喜びが溢れ出しているのはコトの表情を見たら明らかだった。その目はこのなんとも素敵な光景を少しでも焼き付けようと爛々と輝き、俺の胸をみるみる潤していった。


「連れてきてよかった」


「連れてきてくれてよかった」


 えへへ、と笑うコトに光が差し込む。

 その姿はどこかこの世のものとは思えない危うくも、神聖なまばゆさを宿していた。


     *     *     *


 河の側に丁度座るのにぴったりな岩を見つけたため、そこで昼食をすることにした。食べるのはコトと一緒に作ったホットサンドだ。焼いたブレッドにチシャと乾酪を挟んだだけの簡単なものだが、十分に幸せになれた。

 岩肌がひんやりと足首にあたって気持ちがいい。そこは、放っておいたら一日中寝そべっていたいような場所だった。


「うまい」


「おいしいね。ここ、また来たいな」


「うん。また近いうちに来ようよ」


 昼食を食べ終えた俺達は、岩の上に寝そべって肩を寄せた。

 コトの体温が感じられる。硬くてひやりとする岩とコトの肌のぬくもりの間に身を置くと、不思議といつも以上にコトと近いところにいる気持ちになれた。


「俺、大きくなったらもっと遠いところに行ってみたいんだ」


「遠いところ?」


 それは漠然とした俺の夢だった。


「世界にはもっと凄い景色がたくさんあるんだって。そんな景色をいっぱい見たいし、まだ誰も見たことがない景色を見に行きたい」


 とにかく、遠くに行きたかった。まだ見たことのない何かを、見つけに行きたかった。


「ナユタはすごいね」


「コトも一緒に行こうよ」


「うん、行く」


 自然の中にぽつんと身を置くと、人肌が恋しくなるのだろうか。木々が風に揺れ、葉の一枚一枚が陽の光を浴びて白く光るのを眺めながら、俺とコトはお互いの体温を感じながら、ただ素晴らしい時を過ごした。

 その日家に帰ったのは夕暮れ時だった。

 コトを家まで送り、また素敵な景色を見に行くことを約束した。

 この日の出来事は今でも忘れないし、これからも忘れることはない。


     *     *     *


 一度外の世界に足を踏み入れれば何も恐いものはない。コトは俺と一緒に村の外へ出るようになった。

たった一日の、大人の足ならなんてことない距離の冒険だったが、それでも俺とコトにとってはどれもが新鮮な光景ばかりだった。

 外の世界に触れるようになってからのコトは、たくましくなったように感じた。初めてギンの河に行ったときは楽しさよりも不安の方が大きく見えた。けれど不安はすぐになくなり、「次はどこに行くの?」と誘ってくるようになった。

 変わったのはコトだけじゃない。俺の日常も少し変わった。

 それまでの俺は決まって一人で外を歩いていた。あまり集団でいることが好きではなかったり、同い年くらいの子が身近に居なかったというのも理由だったが、気を許せるような存在に出会えていなかっただけのように思う。

 コトとはなぜ親密になれたのか今でもはっきりとわからない。

 なんとなくコトという女の子が気になった。それがきっかけだ。今でも女の子と仲良くする方法なんてよくわからない。ただの偶然だ。偶然、最高に相性のいい人と出会えただけだ。

 このことの幸運に気付くのはもうしばらく後のことになる。


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