フィクサー
意識が戻ったとき、まず最初に感じたのは焦げ臭さだった。
ああ、ついに俺は地獄に来てしまったのか。
死ぬのは覚悟していたけど、いざ地獄に落とされるとそれはそれで嫌だな。あそこで、ナイフを持って突進などせずに、逃げ回っていた方がよかったのかもしれない。
あと、俺が放ったナイフはどうなったんだろう。あのナイフには追尾魔法を付けていた。
うまくいけば、俺が突進したときに竜を背後から襲っていたはずだが、結果は失敗した。弾き飛ばされた後も高速化できるようにしておけば良かったかもしれない。いや、あの時の俺の体力ではあれが限界か。
俺が目も開けず、恐ろしい地獄という現実から目をそらしていると、誰かから身体を揺すられた。
俺の名前を呼ぶ声も聞こえてくる。そういえば、意識を失う前も俺の名前を呼ぶ声が聞こえていたっけ。
「ナユタ!起きて!」
聴きなれた声に促されて目を開ける。
「ああ、コトか」
目の前にはコトの顔があった。
「ナユタぁぁ」
コトが抱きついてくる。苦しい。
「ナユタ、死んじゃうかと思ったよ」
「うん、俺も死んだのかと思った」
どうやら地獄には落とされずに済んだみたいだ。
辺りを見回すと、黒い焦げた塊が見える。
「あれが竜?」
「うん。私が倒したんだよ」
「コトが?」
あまりに予想外な言葉に驚く。コトが赤竜を倒した?
「本当に?」
「あっ、信じてないでしょー?」
正直、信じられない。あの強大な力を持った竜を倒しただなんて、それもコトが。
「いつまでも、ナユタに守ってもらうわけにはいかないからね。私も強くなったんだよ」
そう言ってコトはぐっと力こぶを作ってみせる。もちろん、力こぶはできていないのだが。
「わかったよ。信じる。ありがとうな、助けてくれて」
どうやって倒したのは想像もつかないが、辺りに広がる焦げた匂いやいくつもの穴が開いた地面を見る限り、相当な激戦を戦い抜いたのだとわかる。
何より、コトの体はぼろぼろだった。腕の所々には打ち付けたような跡が付いていて、服も裾のところが千切れている。コトが戦ってくれたのは本当のようだった。
「一応、これで終わったのか」
「うん。終わったんだよ。ナユタはもう生贄にならなくていいんだよ」
終わった? 本当に終わったのか?
なんだか実感がわかない。なんとか生きるために、竜と戦ったものの、それまでは死を覚悟していたのだ。急に生贄から解き放たれたと言われても実感がない。
あまりの実感のなさから、俺は余程死を受け入れていたのだと気付く。
「なんだか、力が抜けちゃうな」
「良いんだよ。終わったんだし」
コトが「ほら」と指をさす。その先には村人たちの姿があった。
村人たちは、まだ目の前で起きたことを受け入れきれずにいるようだ。皆一様に、何やらとんでもない劇でも見たかのような顔をしている。
村人の群衆の中から、こちらへ駆け寄ってくるひときわ目立つ人影があった。
「ナツメ先生!」
先生は駆け寄ってくる勢いのまま、俺とコトを抱き寄せた。コトと先生に挟まれ、ぬくもりが伝わってくる。
「よかった。本当によかった」
そう言葉を繰り返しで、何度も俺とコトの頭を撫でた。
他の村人たちも、竜を倒してしまったことへの不安はあるだろうが、俺たちの様子を見て「よかったなあ」と言葉を漏らしはじめた。
いつしか周りは祝福に包まれた。村のためとはいえ、人を一人犠牲にすることに罪悪感を感じていた人が多かったのだろう。「なにはともあれ、よかった」とみんな口々に呟いた。
「なんだかんだで、みんな心配してくれていたんだな」
「そうみたいだね。まあ、私はナユタを見殺しにしようとしたことは許せないけど」
コトの気持ちはわかるし、うれしいが、この村の人たちがあの竜を相手に戦うのは無理だろう。一人を犠牲にして村の安全を守ろうとする村長たちの考えは、村の代表者としてまっとうな決断だったと思う。
「そういえば、村長はどこにいるんだろう。見あたらないけど」
さっきから、村長と副村長の顔が見当たらなかった。確か、二人は離れた席で見ていたはずだ。
「さあ? ナユタに顔を合わせずらくなって、どこかに隠れてるのかもよ」
このことで確執が残ってもいけないから、和解したほうがいいかもしれない。そもそも、俺は村長たちを責めるつもりはなかった。
「おら!ちゃんと歩けよ!」
村人の一部が何やら叫んでいた。
「どうしたんですか」
叫んでいる村人たちに近寄ると、その村人たちの手には村長と副村長が捕まえられていた。
「こいつら、俺たちを置いて逃げ出そうとしてたんだ」
ああ、やっぱり俺たちと会うのが嫌だったんだろう。ここは、こちらから和解を申し出よう。
「村長、副村長。俺はあなた方を責めるつもりはありません。生贄は村のために必要だったと理解していますし、村長の立場を考えると生贄を差し出さざるを得なかったということも分かります。だから、俺は村長を責めませんし、このことは水に流しましょう」
村長と副村長は何かに怯えるようにしてうつむいていた。副村長は「もう終わりだ」と呟きながら頭を抱えている。
「なんだか、村長たちの様子がおかしくありませんか」
「俺たちが見つけたときから、ずっとこうなんだ。終わりだ、終わりだってどういうことなんだ?」
「ああ、竜が倒されたことを教えてもこの様子なんだよな」
村長を連れてきた村人にもどうして村長たちが怯えているのかは分からないらしい。
「もしかして、竜と関係しているのかもしれないな。私たちが知らない情報を持っているのかもしれない」
ナツメ先生は村長をしげしげと眺めている。その目は険しく、おそらくは俺と同じように悪い予感がしているのだろう。
「村長、何が終わりなんですか。教えてください」
呼びかけても村長は「はあ」、と息を漏らすばかりだ。
「ナユタ君」
話し始めたのは、副村長だった。
「君たちは竜を倒してしまった。もうこの村は終わりだ」
「どういうことだ!ちゃんと話せよ」
副村長は村人に胸倉をつかまれても意にも介さず、暗い顔をしている。そのうつろな目をした副村長は、普段のいやらしい笑みを浮かべていた時とは全然違っている。
「私と村長が生贄を捧げると決めたのは、ちょうど一年前だ。あの日、私は村長の家で隣村との揉めごとについて話していた。そのときだ、あの少年がやってきたのは」
少年? 誰のことだろうか。
「見慣れない子どもだったため、どこかから迷い込んだ子どもかと思った。しかし、違った。その少年は、私は竜の使いだと言ったのだ。その少年によると、竜は人間の子どもを必要としていて、そのために村を回っているということだった」
やはり、ナツメ先生の予想は正しかったのだ。竜は人を集めていた。その目的は、魔力を手に入れ、ゆくゆくはその魔力を使って人類と戦うためだろう。
「そして、その竜の使いを名乗る少年は言った。人間を差し出さなければ、村を焼き尽くすと」
「それで、その言葉を信じてナユタを生贄に差し出したのか」
「竜の使いは逆らった村がどうなるのかを我々に見せた。幻覚か何かだったのだろう。目の前には竜に焼き尽くされ、無残にも殺されていく人々の光景が見えたのだ。ナユタの両親が殺されたのはその直後だった。私たちは恐ろしくなって、潔く生贄を捧げることを約束した」
副村長は話している最中何度も震えていた。竜の使いに見せられた恐ろしい光景を思い出しているのだろう。冬だというのに、全身は汗でびっしょりと濡れていた。
「じゃあ、その話だと、俺の両親は見せしめに殺されたっていうんですか」
鼓動が速くなるのが分かる。俺の両親は、たまたま遭遇した黒竜に殺されたのではなかったのか。あれは事故のようなものだと思っていた。だが、すべては竜が仕組んだことだった。
何もかも奪われて、竜に踏みにじられて死ぬところだったのか。
「では、赤竜を殺したことで竜たちが襲ってくるということですか」
「そうだ。お前たちは恐ろしいことをしてくれた。もうこの村は終わりだ」
俺は自分が生きるために戦った。その結果、村が消滅しそうになっている。戦うしか手段がなかったとはいえ、罪の意識を感じずにはいられない。
だが同時に、このまま引き下がるわけにはいかなかった。
「ナツメ先生、俺はどうすればいいでしょうか」
「竜の襲撃が来る前に皆を避難させた方がいい。竜たちは赤竜が戻ってこないことに気が付けば、この村に向かってくるだろう。それほど時間は残されていないだろうが、とにかく死傷者を出さないためにはすぐに避難を始めるしかない」
ナツメ先生の言葉を皮切りに、竜が襲ってくるという情報はみるみる広がっていき、辺りは混乱に陥った。
村人は次々と我が家に駆け込み、貴重品をまとめにかかる。
中には家財道具をあれもこれもと持っていこうとする人もいたが、それでは竜から逃げ切ることはできない。俺とコトとナツメ先生はとにかく早く避難してもらうために、荷造りを早く終わらせることと、持っていくものは少量に留めるように呼び掛けて回った。
「ナツメ先生、そっちはどうですか」
「こっちはみんな避難したよ。一通り見て回ったが、誰もいなかった」
「こっちも避難終わりました。コトの方も終わって、避難の誘導をしてます」
あまり人が多くない小さな集落だ。なんとか全員村から出すことができた。
だが、本当に大変なのはこれからだ。村の人たちを竜から逃がさないといけない。
つまり、襲ってくる竜と戦わなくてはならない。
良くて時間稼ぎが関の山だろうが、やらなくては村人もろとも全滅だ。
そのためには戦う力が必要だ。
「先生、俺たちに協力してもらえますか」
村の外部の人であるナツメ先生にこんなことを頼むのはおかしいと思いながらも、頼まざるを得なかった。
本来ならば、一番最初に避難させなくてはいけない人なのに、どうしても頼りたくなってしまう。先生なら何とかしてくれると期待してしまう。
「おや、初めから頭数に入ってはいなかったのかい? ちょっと寂しいな」
「えっ」
思わず固まってしまう。
この人は初めから戦うつもりだったのだ。まったく関係のないこの村のために。
「先生!ありがとうございます」
「礼はよしてくれよ。仲間だろ? 少なくとも私はそう思っているよ?」
思わず泣きそうになる。
こんなに頼れる人がそばにいるなんて。
「先生は最高の仲間ですよ」
「ありがとう。それでは行こうか」
俺たちは竜を迎え撃つべく、歩き出した。




