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赤の竜

 祭壇の前は重苦しい空気が包んでいた。祭壇の周りにいるのは、俺と祭司の二人だけ。村の住人はずっと後ろの柵越しに俺を見ている。


「では、これより儀式を執り行う」


 祭司は後ろの村人たちに聞こえるよう、声を張り上げた。

 ざわめきが一段と大きくなる。


「ナユタ君、竜の刻印を示し、生贄になることを誓いなさい」


 左手を祭司に突き出し、口上を述べる。


「はい。私は村のために竜の生贄となることを誓います」


 祭司がにこりと笑う。垂れ下がった目が印象的だ。

 多くの村人がこの人と同じような顔をしているのだろうか。

 村のために命を賭す若者を見て、「なんと素晴らしい」、「見上げた根性だ」、「どうしてうちの子はあんな風に育たなかったんだ」、と言っていることだろう。

 そして、俺がいなくなった後は英雄として祀り上げ、子々孫々と今日のことを語り継ぐのだろう。

 そんな英雄になるのは御免だ。

 一時は、そうやって一生を終えるのも悪くないかもしれないと思っていた。たいして意味もなかった人生だ、村のために生贄になってみんなが讃えてくれるなら、それでいいじゃないか。そんなことを考えていた。

 俺はみんなのためには生きない。

 俺は大切な人のために生きる。

 独りよがりと言われてもいい。自分の命の使い方は自分で決める。

 俺はコトのために、そして自分自身のために命を燃やす。


「さあ、祭壇に上がって」


 祭壇に向かって、一段一段と上っていく。

 命を燃やせ。

 生きろ。

 コトのために。

 生きるために。

 生き続けるために、戦え。

 自分に言い聞かせるのはどうしようもない現実と向き合うためだ。

 最後の一段を上る。竜はまだいない。

 こうしていると、本当に竜が来るんだろうかと思えてくる。

 本当はすべて作り話だったということはないだろうか。

 突然、後ろから叫び声が聞こえた。

 下ばかり見ていた俺は、そのことに気が付くのに少し遅れた。

 叫び声につられて、空を見上げる。


「これが」


 竜だ。俺が見上げた空には竜がいた。

 竜の全身は赤土色で、身体に対して翼が大きい。全長が俺の倍くらいあるオオトカゲに身体を覆うばかりの翼を付けた、という印象だ。

 赤竜が翼を羽ばたかせ、祭壇の上に足を付ける。翼が動くたびに強い突風が襲ってくるため、俺はなんとか踏ん張って祭壇にしがみついた。

「ははっ、でかいな」

 竜の身体は何もしなくても人を威圧する。その巨体に人は恐怖を覚え、澄んだ黄色の目で睨まれるだけで死を覚悟する。現に、さっきまでざわついていた後ろの村人は皆静まり返っていた。


「汝が生贄か」


 どうやら、噂で聞いた竜が人の言葉を話すというのは本当だったようだ。目の前の赤竜はいかにも威厳をもった口調で話しかけてきた。


「そうだ、俺が生贄だ。ここに刻印も押されている」


 赤竜の目が俺の左手を射抜くように見る。


「刻印、しかと確認した。お前には我らのもとへ来てもらうことになっている。拒否権はない」


「命の保証は?」


「ない」


「もしも、俺が断った場合はどうなる?」


「お前を殺し、村を焼く」


「なるほど」


 想像通り、とんでもないやつらだ。村長が敵に回したくないのも頷ける。

 だが、俺は生きなくてはならない。


「交渉決裂だ」


 村の住人には悪いが、どちらにせよ未来は明るくはないようだ。それならば、俺はできるだけ足掻かせてもらう。


「良いのか? 人の子よ」


 懐から紙の束を取り出す。


「悪いが、戦闘開始だ」


 紙の束はすべて術符だ。魔具もナツメ先生から調達したものが揃っている。

 それに、コトからもらった指輪がある。

 これが俺にできる最大限の装備だ。あとは俺の実力次第ということになる。

 術符をめくり、魔力を込める。


「巨大化」


 空高く魔具を放り投げる。すると、魔具は宙で巨大な斧となり地面に突き刺さった。


「高速放出」


 指輪が光ると、斧が突き刺さった時に祭壇が割れてできた石が、赤竜に向かって飛んでいく。石には高速化の魔法がかかっているため、投石器の数倍の速度で石を飛ばすことができる。


「愚かな」


 赤竜は不意を突かれる形になったが、すべての石を翼で受け止めてみせた。

 さて、こいつとどう戦うか。

 見たところ、あの大きな翼が攻撃と防御の要として機能しているようだ。遠距離からの攻撃だと、今のように翼で防がれてしまう可能性がある。


「だったら」


 巨大化した斧を持って赤竜の懐に飛び込む。

 懐に入ったところで、上空に跳び、斧を竜の身体めがけて下ろす。

 だが、斧は竜に当たらない。

 赤竜の翼が俺を横から殴るようにして突き飛ばした。

 衝撃に耐えられず、斧が手から離れ、身体を祭壇に打ち付ける。

 全身が痛い。早く立ち上がらなければ。

 しかし、頭ではわかっていても身体が重い。

 さっきの流れは、斧に軽量化をかけて持てるようにしたところで、俺自身に高速放出をかけて竜の懐に入り込み、跳躍。それから斧にかけた軽量化魔法を解くことで竜に傷を負わせるはずだった。

 だが、竜の力は俺の想像以上に強い。いくら魔法があるとはいえ、人間が太刀打ちできる力量差を超えている。


「でも、諦めるわけにはいかないからな」


 ナイフを三本取り出し、高速放出をかけて赤竜に投げつける。


「無駄なことを」


 翼で突風を起こし、ナイフを吹き飛ばす。

 ナイフが後ろに吹き飛ばされていくのを横目に、再び赤竜の懐へ跳びかかる。

 竜の腹をめがけてナイフを突き刺しにかかる。


「無駄だと言っている」


 俺の右側を強い衝撃が抉る。

 何が起きたのか分からなかった。

 身体が宙を舞う感覚。叩きつけられ、全身に衝撃が走る。痛みは鮮明にあるものの、意識はぼやけている。何が起きているのか分からない。

どこからか、俺を呼ぶ声がすぐ近くで聞こえる。誰だろう。


「コト?」


 ぼやけた感覚の中で口から言葉がこぼれる。

 痛みと絶え絶えの息の中、なんだか温かいものに触れた気がした。なんだか、身体が包み込まれているようだ。

 俺を呼ぶ声は鳴り続けている。

 ああ、竜に蹴り飛ばされたのだ。そう理解した後、意識が途絶えた。


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