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死刑囚

「で、君はどうすることにしたんだい?」


 生贄の話を始めてからというもの、トーマスは終始無言で、沈んだように聴いていた。


「決まってるさ」


 答えはただ一つしかない。


「生きる。俺は生きるために戦うよ」


 トーマスが椅子からゆっくり立ち上がった。それにつられて俺も立ち上がる。


「応援してる」


 トーマスが差し出した手をぎゅっと握りしめる。


「ありがとう。また会おう」


 「ああ、またな」、そう言ってトーマスは去っていった。

 一人残された部屋で椅子に座り、思考を巡らせる。

 どうやって生きる、どうやって生き残る。

 そう考えるうちに、夜が更け、眠りの世界に落ちていき、気が付いたころには朝日が昇っていた。


     *     *     *


 祈りにも似た気持ちで家を出た。

 パンと牛乳だけの朝食。最期だからもう少し贅沢すればよかった、という思いを頭からかき消す。

 最期ではない。今日で最期ではないんだ。

 明日も同じようにパンを食べる。その次の日も。ずっと生き続ける。

 コトの顔が思い浮かぶ。

 生きなければと思う時に頭をよぎるのは、いつもコトの顔だ。

 家から祭壇までは少し歩く。歩くほどに周りのざわめきが大きくなっていくのが感じられる。

 今日はさすがに、視線が痛い。村の住人からしたら、俺は今日の主役といったところなのだろうか。悲劇の主人公に見立てて同情しているのだろうか。


「まだ死なないぞ」


 小さく、自分に言い聞かせるように、そう宣言する。

 戦う方法は見つからなかった。

 できる限り思考を巡らし、打開策を練ったものの、秘策は浮かばなかった。

 思考は今も続いている。

 考えなければ。とにかく考えるしかない。

 気がつけば、祭壇のすぐ近くまで来ていた。

 祭壇の周りには人だかりができ、竜の姿を一目見ようと、安全のために立てられた柵に張り付いている。


「ナユタ君。ちゃんと忘れずに来たようだね。感心、感心」


 声の主に目を向けると、丸々と膨らんだ顔があった。副村長だ。

 副村長は相変わらず大げさな笑みを顔に張り付けている。


「約束は守りますよ。それに、この刻印がある限り竜からは逃げられないんですよね」


「よくご理解いただけているようで、ありがたいことです。どこかに逃げられては面倒ですからねえ」


 もし、俺が逃げようとしたら、副村長は竜が来る前に俺を捕まえ、予定通り生贄として差し出すつもりだろう。実際、俺が家を出たときから誰かから付けられている気配がする。おそらく副村長の配下の者だろうが、余程俺に逃げられては困るのだろう。


「大丈夫ですよ。死ぬことは受け入れていますから」


「ほうほう。それは良い心がけですなあ。それでは、私はあちらの席であなたの雄姿を見届けさせてもらいますよ」


 村長と副村長は来賓席で成り行きを見届けるつもりのようだ。席は祭壇から離れた台の上に置かれ、竜を十分に見ることができ、なおかつ安全面にも考慮した距離感に見える。

 とはいえ、竜が本気で暴れたらこの村は丸ごと崩壊するだろう。


「そうならないための生贄か」


 竜に生贄を捧げる理由は俺の知るところではない。あくまで推測の範囲だが、生贄を捧げることでこの村に竜が襲って来ないようにしている、というのが俺の立てた仮説だ。竜が何を考えて行動しているかは定かではないが、その気になればこの村を吹き飛ばすのは容易いことだろう。村の人間からすれば、それに毎日怯えていては生きた心地がしない。

 そこで、村の安全を保障してもらうために生贄を差し出している、というのが俺の予想になる。

 ただ、その仮説で説明がつかないのが、「竜はなぜ人の生贄を欲するのか」というところだ。竜からすれば人を殺したくなれば、そこら辺の村を丸ごと焼き払えばいいだろうし、人を食いたければ山中を歩いている旅人や行商人を襲えばわけないだろう。

 なぜ竜は人を欲するのか。たった今、生贄になろうとしている俺ですら知らないというのは、なんともおかしい話だ。

 釈然としないところはあるが、知ってどうということでもないのだろうか。こんな煮え切らない思いを抱えながら、これから生贄になろうとしていると思うと顔が引きつりそうだ。


「どうしたんだい? 難しい顔して」


 考え事に耽っていたせいか、目の前に気を払っていなかった。


「おはようございます、先生」


 前にいたのはナツメ先生だった。彼女の金髪は遠くから見ても目立つというのに、それに気づかなかったということは、余程思考の世界に入り込んでしまっていたのだろう。


「おはよう。ナユタくんの先生として今日は会っておきたくてね。探し回っていたよ」


「今日は先生であることを強調するんですね」


「まあ、私は先生って柄でもないからね。でも、こういうときくらいは先生でいさせて」


 ナツメ先生と俺の関係は子弟というより、親友みたいなものだと思っている。

 今も優しく微笑みかけるこの人は、たとえ「先生」でなくても、こういう状況の俺に対して同じような振る舞いをしたはずだ。


「じゃあ、先生。お言葉に甘えて訊きたいことがあるんですが、いいですか」


「なんだい? 私にわかることなら教えて差し上げよう」


 最近はあまり会ってなかったから、先生は先生らしく振舞えることがなんだか嬉しいようだった。先生として生徒を助けたい、そんな思いがあるのだろうか。


「竜のことです。なぜ、竜は生贄が必要なのかと思いまして」


「なるほど。竜が生贄を攫っていって、そのあとどうするつもりなのか、ということか」


「はい。あれだけ強力な力を持った竜が、人間にわざわざ生贄を差し出させる理由ってなんでしょうか」


「残念だが、はっきりしたことは分かっていないんだ。竜と生贄の関係は事例が少ないこともあって、研究が進んでいない」


 やはり、竜の生贄についての情報は少ないようだ。以前ナツメ先生が言っていたが、竜の研究者はその危険性から非常に少ないそうだ。

 それに加えて、竜に攫われた生贄の行方が分からない以上、生贄が何のために竜に捧げられ、どうなるのかの答えを出すのは難しいだろう。


「だが、生贄に関して私はひとつの仮説を持っている。それは、竜が人と『契約』を結ぶための生贄なのではないか、という仮説だ。『契約』は古代から行われてきたとされる人と獣を結びつける呪術行為だ。獣は単独では魔法を使うことができない。しかし、獣の持つ力は強力だ。それに目を付けた人間が、自らの持つ異能を獣に分け与える代わりに、獣の持つ強大な力を得ようとした。その時に行われたのが『契約』だ」


「つまり、竜はその『契約』を行って魔法を使えるようになるために、人間の生贄を取っているというわけですか」


 なんとも不思議な話だ。あれだけ強い力を持つ竜がさらに強い力を求めるとは考えもしなかった。


「魔法が使えるようになれば、竜は事実上この世界の覇者と言ってもいい。これは私の予想に過ぎないが、竜は教会や各国の軍をすべて薙ぎ払うだけの力を手にすることで、空だけでなく地上も支配しようとしているのかもしれない」


 竜が世界の覇者となる。俺はそのために生贄として差し出されようとしているのか。


「でも、生贄を捧げることを決めた村長たちはそのことを知らない。ですよね?」


「まず知らないと見ていいだろうな。どうする?今から村長に直談判でもしに行こうか?」


 村長は生贄を捧げることで、村の安全を守ろうとしている。だが、それによって遠くない将来に竜が世界の覇権を握ってしまうのだとしたら。そのことを知れば村長は生贄の儀式を辞めさせるだろうか。


「いや、村長に言っても無駄でしょう。おそらく、今こうしているときも竜はこの村に向かってきている。今更、生贄の儀式を辞めようものなら竜が怒り狂って暴れそうです」


「君はどうするつもりだ」


「俺は竜と戦いますよ。それしか方法が浮かばないんです。それに、この竜の刻印がある限り、俺は竜から逃れることができない。だったら襲ってくるやつを倒すしかありません」


 左手に押された竜の刻印を見る。実際のところ、この刻印がどれほどの効果を持っているのかは分からない。だけど、副村長の言葉を信じるなら、俺が今から逃げたところであまり意味をなさないだろう。


「竜の刻印か。私の友人に呪いの研究をしている研究者がいるんだ。もしかしたら、彼女なら刻印の仕組みが分かるかもしれない」


「先生、ありがとうございます。この戦いが終わったら、その研究者に会わせてくださいね。約束ですよ」


「ああ、約束する」


 この儀式の最中、ナツメ先生は俺を助けることができない。俺と先生が親しくしていることを知った村長たちに釘を刺されたようだ。理由は先生が村の人間ではないからだ。村の外部の人間には村の大事な祭事に係わる権限がないため、当然俺を竜から守るのも禁止、という理屈だそうだ。

 先生の強力な魔法があれば、竜相手でも立ち回ることができるかもしれない。だが、それが望めない以上、俺自身が何とかするしかない。

 先生は「幸運を祈ってるよ」と言い残して、その場を後にした。村長たちに目を付けられないように、どこかでひっそりと見守るつもりなのだろう。

 もうすぐ、儀式の時間だ。

 俺は辺りを見回す。


「今日は会ってないな」


 今日はまだ会っていない人。一番最初に会いに来ると思っていた人に会えていなかった。

 俺より少し背が低く、栗色の髪が似合う俺の親友。

 あれだけ、俺を励ましていたのに、当日になった途端、顔を合わせにくくなったのだろうか。

 できれば、あの笑顔を見てからあの祭壇の上に立ちたい。

 コトは、どこにいるのだろうか。

 それからも、ふらふら歩きながらコトの姿を探した。

 この小さな村とはいえ、ほぼ全員が集まると結構な人数だ。誰かの影に隠れてしまっているのだろうか。

 しかし、コトが見つかることはなかった。

 非情にも儀式を始める鐘がなる。

 ああ、行かなくては。

 祭壇の前に向かう足は重い。さっきまで、竜と戦うと言って意気込んでいたというのに、これから起こるであろうことを想像してしまう。想像は恐怖を生む。

 逃げ出すことができたらどんなに楽だろう。

 だが、逃げ出すことはできない。

 立ち向かわなくては。

 目の前の恐怖に。苦痛に。死に。

 一歩一歩、重い足は乾いた地を踏みしめる。

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