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狼の王

 森を駆け抜ける。一歩一歩踏み出すたびにペロの匂いが濃くなってくる。


「ペロ、もうすぐだから」


 この匂いと気配の強さならペロはすぐ近くにいるはずだ。

 しかし、同時にペロ以外の気配も感じ取っていた。


「ペロが危ない」


 私がペロの身の危険を感じたのは、木の根元に残ったペロの匂いを嗅いだときだ。

 匂いを嗅いだ瞬間、ペロの匂い以外の匂いも感じ取れたのだ。

 血の匂いだ。

 ペロは誰と戦っている? 人間? 獣?

 相手が誰にせよ、足音から察するに強敵であることは間違いない。


「ん?」


 足音が消えた。

 このまま近づくのは危険だ。間違いなく気配を察知される。

 最大限に五感を張り巡らせる。呼吸さえも逃さないほどに。

 おそらく敵は一人。

 しかし、呼吸からは全く消耗が感じられない。

 ペロを相手にここまで戦い抜いているどころか、息一つ荒らげないなんて、相当の手練だ。もしも、ペロが全く歯が立たないほどの相手であれば、私もペロも命はないだろう。

 しばらく沈黙が続いた。ほんの数秒の沈黙が、限界まで引き伸ばされたような時間だった。

 動いたのはペロだった。

 ペロが跳びかかるのがわかった。

 こちらに向かってくる。

 私は懐に忍ばせていたナイフを握る。

 気配が近づいてくる。

 3、2、1。

 向かってきた気配めがけてナイフをもって飛びかかる。


「おっと」


 外した。いや、正確には避けられた。

 瞬時に体勢を立て直し、もう一撃を放つ。


「危ないな」


 今度は完全に防がれていた。

 放ったナイフは相手の持つ銃で受け止められていた。

 銃身を跳ね返し、間合いをとる。


「お前は誰だ」


 その男を見た瞬間、私は警戒を強めた。

 目の前の男は笑顔だったのだ。

 ペロと戦い続け、たった今私に奇襲をかけられたばかりだというのに。

 片やペロはいくつか傷を負っていた。まだ傷も浅く、戦える状態ではあるが、戦力の差は歴然だ。


「私はファン・イーゼル・ロストと言います。今日は異変調査委員会から派遣されて来ました」


 男は余裕を漂わせていた。

 この男は強い。それに、この類の人間にありがちな狂気を感じられない。

 おそらくエリートなのだ。「正義は自分の側にある」という確信が漲っている。

 その正義の源は、胸に記された紋章を見れば明らかだ。


「教会の人間が何をしにきた」


「ちょっと調査にね。たまたま通りかかったところを、この狼に襲われてしまって。君が飼い主かい? よかったら、説得してくれないかな」


「耳を貸すな、サクハ。こいつらだけは根絶やしにしないと気が済まない」


 ペロが教会を嫌っているのは知っている。私もペロの家族として教会は許せない。


「頼みますよ、飼い主さん。さすがにこれ以上粘られると、帰れなくなってしまいます」


 面倒なことになってしまった。ペロはこうなったら私の言うことは聞かない。

 それに、私にペロを止める気はない。

 ペロと私の家族、つまり狼たちは教会に殺された。

 なぜ殺されたのかは私もペロも知らない。

 群れを成し、互いに助け合って生きてきた私たち家族は、突然やってきた教会の人間たちに殺されたのだ。

 だから私とペロは家族を弔うために教会を追っている。誰が私たちを虐殺したのか。その手掛かりを追うために旅を続けている。

 ただ、私は犯人にだけ復讐を果たせばいいと思っているけど、ペロは違う。ペロは教会という組織が許せないのだ。自分の仲間を殺すと決めた組織を壊滅させようと思っている。その道を進めばペロも私も無傷では済まないだろう。

 でも、私はペロを止めない。ペロは狼の王だ。自分の仲間を殺した組織があり続けるのは、王として許せないのだろう。

 本当のところ、私は復讐を果たしてペロと穏やかな毎日を過ごしたいと思っている。

 だけど、それは復讐から解き放たれてからじゃないと意味がない。復讐に囚われている間は、本当に楽しむこともくつろぐこともできない。心のどこかに黒い靄のようなものがある以上、穏やかな毎日は永遠にやってこないのだ。

ペロは今でも多くの魂を背負っている。その魂を一つ一つ弔い、ペロを開放してあげたい。

 だから私はペロを止めない。ペロと生き続けるために私も戦い続ける。


 「申し訳ないが断らせてもらう。あなたがペロに何をしたかは知らないが、教会の人間なら犯した罪は自分で償ってもらうしかない」


「これは困りましたね。良いんですか? 大事な愛犬が殺されても?」


「あと、言いそびれましたが、私はペロの飼い主ではないので」


 ペロがロストの胸元に飛び込む。

 喉元を掻き切りにかかったが、ワンテンポ分ロストの方の動き出しが早かった。

 ロストはバックステップと同時に銃撃を放つ。

 だが、ペロはもう一方の前足で銃弾を弾く。


「懲りないですね」


 ロストが地面を思い切り踏みつける。

 するとペロの前足に傷が付き、白い前足が赤く染まっていた。


「魔法か」


「姑息な手ばかり使いやがって」


 ペロが一方的にやられた理由がわかった。

 相手は魔法持ちだ。どんな魔法かははっきりわからないが、一度弾かれた弾丸を相当の威力を持って再び放つ事ができる。


「ほら、これだけ一方的にやられているんです。飼い主さんも諦めてはもらえませんか」


「だから、サクハは飼い主じゃねえって言ってんだろうが」


 またもペロがロストに飛びかかる。

 ロストはペロの動きに慣れているようだった。

 平然と、お気に入りの音楽を口ずさむような気安さで、次々と繰り出される攻撃を避けていく。


「彼女はサクハさんと言うんですね。憶えておきますね」


「調子に乗りやがって」


 この勝負、ペロが勝つ可能性はほとんど無い。

 実力差がありすぎる。

 魔術師は歴戦の戦士をも凌ぐ力を持つことができる。ロストのように洗練された魔術師ならばなおさらだ。

 いくら狼の王とはいえ、このクラスの魔術師相手では分が悪い。

 ペロの劣勢は明らかだった。


「サクハ、準備できたか」


「うん。いつでもいけるよ」


 でも、それはペロだけで戦っていたときの話だ。


「サクハ!」


「術式展開。狼の王よ、いま契約を履行せん」


 獣たちは単独では魔法を使うことができない。魔法は人に与えられた異能だからだ。

 獣たちは強大なる異能を欲する。狼も、熊も、獅子も、竜も。

 契約とは人に与えられた異能を特別に獣にも分け与えることだ。

 人と契約した獣は人の持つ魔法を使うことができる。

 その力は強大で、より自然の寵愛を受けた獣は優れた魔術師に匹敵する力を得る。

 私は家族を殺された日、ペロと契約をした。

 この契約は復讐を果たすまで続くだろう。

 これは私たち弱きものが強者に報いる最後の手段だ。


「教会の手下よ。言っておくが、俺たちはしつこいぞ。すぐに帰れるとは思うなよ」


 ペロが前足を踏み出した。それを合図に、私はロストを脇から強襲する。


「少々時間はかかってしまいますが、仕方ないでしょう。先輩には狼の毛皮でも持って行って謝りましょう」


 ロストは即座に私の攻撃を迎え撃つ態勢を作る。

 構わず繰り出した一撃は銃身で受け止められた。

 それでも私はナイフを出し続ける。

 頭部を狙った一閃を避けられたあと、足払いを食らわせる。

 だが、ロストにはそれも意味をなさない。後ろ側に跳び、易々と避ける。


「忘れてもらっちゃ困るなァ」


 ロストが跳んだ直後、脇から墨汁を垂らしたような影が現れる。

 影は鋭利な爪となり、ロストの腹部を切り裂く。


「おい、教会。お前は必ず殺す」


 影は形を変え、そこからペロが現れる。

 ロストは突然の攻撃で態勢を崩したものの、私とペロから間合いを取る。


「まるで悪役の能力ですね」


 腹部に傷を受けながらもロストにはまだ余裕が見られた。


「どうやら私たちに恨みがあるようですが、復讐のために悪魔に魂でも売りましたか」


「悪魔どころか魔女にだって魂を売るつもりだ」


 再び、私とペロが動く。

 動き出した瞬間、銃弾が肩の傍をかすめる。

 しかし、ロストの手に銃はなく、銃弾を放った形跡もない。


「あなたの魔法も十分姑息だな」


「それはどうも」


 間合いを詰めて、再びナイフで頭部を切りつけにかかる。

 しかし、普通の打撃ではこの男には通用しない。

 それならばと、ペロが背後から切り付けようとするが、それも避けて見せた。

 避けるついでにロストが振り上げた足が私の腹を抉る。腕を出して防いだが、それでも相当な威力だ。

 パン、パン、と銃声が響く。

 腹部の痛みを堪え、銃弾を避けるために上空に跳ぶ。


「あはっ」


 ロストの笑い声が聞こえた。

 後ろを振り返る。

 銃弾がこちらに向かってきていた。

 銃弾は私の胸に突き刺さる。


「策に溺れたな」


 魔法を発動させているのはペロだけではない。

 私も同様の魔法を使えるのだ。

 つまり、私も影になることができる。

 私の胸に銃弾が当たることはない。

 そこは影なのだから。


「なっ」


 私に当たったはずの銃弾はそのまますり抜けて直進する。もちろん、速度が落ちることはない。影をすり抜けただけなのだから。

 ロストはあらかじめ放っていた銃弾を空中に待機させ、私が避けることのできない態勢になったところを狙うつもりだったのだろう。

 上空から発射された銃弾は、空中に跳び上がった私に当たるはずだった。本来ならば、私の身体をまったく減速することなく貫通するはずはなかった。

 しかし、実際には貫通した。

 貫通した銃弾は対角線上に存在するロストに向かって進み続ける。


「馬鹿め」


 ロストは自分に当たる直前で弾の向きを変えた。向きの変わった銃弾は真上に飛んでいく。

 私にはロストの笑う顔が見えた。


「よく笑う男だったな」


 薄笑いを浮かべるロストの首筋に鋭利な爪がかかる。

 爪は首を掻き切り、辺りに血しぶきが飛び散る。


「ペロ、血まみれだ」


「ああ、早く洗わねえとな」


「犯人については何か訊けた?」


「いや、こいつは知らないな。ただの下っ端だ」


「じゃあ、もっと上を狙わないとね」


「ああ、全員殺すことに変わりはないけどな」


     *     *     *


 その後、教会の異変調査委員会に報告がなされた。

 竜の出る村に送った調査官が死亡したとの報告だ。

 これにより、村の周辺は危険地域に指定、教会が秘密裏に行っていた「竜への生贄の儀」の調査は打ち切りとなった。


     *     *     *


 とてつもないものを見てしまった。

 いざとなった時はサクハを助けることができたら、と考えた俺は隠れてサクハとペロが教会の人間と戦っているのを見ていた。

 しかし、俺が出ていく必要はなかった。

 サクハとペロは教会の人間をみるみる追い詰め、最後には殺してしまった。まさかサクハたちが人を殺すとは思ってもいなかったため、教会の人間が殺された瞬間は背筋が凍った。

 あの愛想のいい女の子が本気で命を刈り取りにかかるなんて。

 俺が知らなかった世界。こんなにも恐ろしいことが世界のどこかで行われているのだ。

 俺自身は戦っていないというのに、背中は汗でぬれ、どこか身体に力が入らない。

 ナイフを返そうと思っていたが、その気力もなかった。

 帰りの道中、何度もあの教会の人間が死ぬ瞬間を思い出し、その度、俺もああやって死ぬのかと震えた。その日は生贄を告げられた日よりも後ろ暗い夜を過ごした。


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