追走者
ペロを探し始めて、くたびれるには十分な時間が経った。
そろそろ夕暮れ時なのだが、あまり手がかりも見つからず、今日中に見つけられるかも怪しくなってきた。
「ペロが住処に戻っているとは考えられない?」
「さすがに私がいないことに気付いたら、遠吠えでもしながら私を探しに来てくれると思うんですよね。だから、今もこの森野周辺にいるんじゃないかと」
もうかなり森の深くまで入ってきているが、本当にこの先にいるのかも疑いたくなってきた。
「どうだろう、一度引き返して別の場所を探してみたらどうかな」
「うーん、そうしたほうが良いかもしれないですね」
「ね」と言い終わるかどうかのところで、サクハの動きが止まった。
目を左右に送りながら、何かの気配を探している。
滑るように木の根元に近寄ると、付近の匂いをかぎ始めた。
「このあたりからペロの匂いがします」
俺にはまったく察知できないが、サクハによると木の根元の辺りからペロの匂いが残っているそうだ。
「つまり、この近くにいるということですか」
「そうなりますね」
サクハが感覚を研ぎすませているのがわかる。かすかな物音からでもペロの居場所を特定しようとしているのだろう。
「急ぎましょう」
サクハの様子が変わった。
何かを警戒しているようにも、焦っているようにも見えた。
「音がするな」
しばらくすると俺にも分かるほどには明瞭に物音が聴こえてきた。
「はい。ペロの声と足音、それも激しい足音ですね」
ペロの声は俺には唸り声に聴こえた。
サクハが走り始めたときから薄々感じてはいたが、ここまで来るとはっきり嫌な感じがした。
「ナユタ。ここからは危険です。帰ってください」
どれだけ危険なのかはサクハの血走った目を見れば明らかだった。
「いや、最後までいるよ。サクハを放ってはおけない」
具体的な策があるわけではなかったが、ここで女の子を見捨てるほど非情にはなれない。
「駄目です。ナユタはここで死んではいけない」
死んではいけない? 俺はそのとき初めて状況がどれだけ深刻かがわかった。
「そんなに危険なのか」
「本当に死にますよ。早く逃げて」
「サクハはどうする」
「私は大丈夫です。いざとなればペロと逃げるので」
どうするべきだろうか。俺はサクハの様子が変わってからというもの、そればかり考えていた。
初めはサクハが飼い犬を探して歩いているだけだと思っていた。
でも、これはそれだけではない。何か妙なことに巻き込まれようとしているのではないか。サクハの様子が変わってからというもの、俺の頭には警報が鳴り響いていた。
サクハは俺に「死んではいけない」と言った。ここから先へ行けば命に係わる事態になるということだろう。それに、サクハはペロのことを「狼の王」と呼んでいた。それが本当なら、種族同士の争いが起きている可能性は高い。だとしたら、とても俺にどうにかできる事態ではない。
ここは逃げるべきだ。
俺がいても邪魔になるだけだ。俺がいたがためにサクハやペロが死んでしまってはいけない。
警告は鳴り続けている。
一方で、逃げるべきではないという声も聞こえていた。
俺の命はあとわずかだ。この消えゆく命によって、誰かの命が助けられるのだとしたら。もしも、それが可能ならばサクハに無理やりにでもついていくべきではないか。
思考が巡る。どうすればいい。どうしたい? 俺の命をどう使う?
いや、ここで命を捨ててはいけない。
コトだ。コトはどうする?
俺がここでサクハに付いていき、命を落としたらコトはどんな顔をするだろうか。
あと残り少ない命。コトに生きていてほしくて、捧げることを決めた命。
まだだ、まだ捨てられない。
「サクハ、悪いけど俺は逃げるよ。本当にごめん」
「ナユタが謝ることはないんですよ。ここまで探すの手伝ってくれて、ありがとうございました。あと、危ないのでこれ持っててください」
サクハは紺色の柄に白い蔓草の模様が入ったナイフを俺に渡した。
「いいのか?」
「はい、ナユタとはまたどこかで会う気がするので。その時に返してくださいね」
サクハが言ったことは不思議と共感できた。いずれまた会う、なんとなくそんな気がした。
「分かった。とにかく絶対に死んじゃ駄目だ。まずいと思ったら、すぐ逃げて」
「はい。それでは、また会いましょう」
サクハが森の奥に消えたのを見届け、俺はその場に立ち尽くした。
行くべきか、引き返すべきか。断ち切れずにいる迷いは木々のざわめきとともに周囲を巡り続けている。
確かに俺はサクハを助けることはできないかもしれない。でも、何が起こっているのかは知らないといけない。
きっとこのまま帰ったら後悔する。もし知らないところでサクハが死んでいたらと思うと、このまま帰るわけにはいかない。
俺は再び森の奥へ走り出した。




