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サクハ

「今日も暑いな」


 相変わらず木こりの仕事をしていたところ、黒っぽい動物が前を横切るのが見えた。


「犬?」


 それにしては大きい気もした。狼かもしれない。

 あまり気にも止めずに木を切り続けていると、今度は女の子が走っていくのが見えた。

 女の子は小柄で線が細くて、短い髪がよく似合っていた。


「はぁー、ペロはどこに行ってしまったのやら」


 女の子は次第に速度を緩め、しまいにはへなへなと倒れてしまった。


「大丈夫ですか。どうしたんですか」


 さすがに目の前で倒れられては、無視するわけにもいかず女の子に駆け寄る。


「すいません。ペロ知らないですか。これくらいの大きい犬みたいなやつなんですけど」


 女の子はそう言って腕をめいいっぱい広げてみせた。


「ああ、それならしばらく前に見ましたよ。あっちの方に走っていきましたが」


 俺は先ほど見かけた犬のような動物が走っていった方向を指差した。


「ありがとうございます。ペロったら言うこと聞かなくて困っちゃうんですよね」


「よかったら、どうぞ」


 女の子に水を差し出した。どう見ても暑さでバテていたし、少しくらい休ませたほうが良さそうだったからだ。

 女の子は美味しそうに水を飲み干した。あまりに美味しそうに飲むものだから、こちらも水を飲みたくなるほどだった。


「助かりました。危うく野垂れ死ぬところでした」


「ナユタといいます。この近くの村に住んでいて、仕事をしていたところ、あなたがやってきたというわけです」


「サクハです。まさか倒れてしまうなんて、お恥ずかしい」


 サクハという女の子はこの森が似合う子だ。それが俺が抱いた第一印象である。

 森を走り回っても、疲れて倒れても、水を飲んでいても、なぜか不思議と様になっているのだ。


「あの犬のような動物を追いかけているんですか」


「はい。ペロって言うんですけど、目を離した隙にいなくなっちゃって」


「あれは犬なんですか」


「ペロは狼ですよ。狼の中でもすっごく偉い、狼の王様なんです」


「言っているって、ペロは話ができるんですか」


「できますよ。人と契約を結んだ獣とは言葉が通じるんです。厳密に言えば、ペロが人間の言葉が話せるようになるわけではなくて、お互いにお互いの言葉がわかるようになるって感じです」


 それは初めて聴く情報だった。

 獣と対話をするなどということは、およそ神話の中だけの話で、実際に対話してみようとは思いもよらなかった。


「では、サクハさんはあのペロという動物とその、契約というものを結んだんですか」


「呼び捨てでいいですよ。サクハで」


 サクハは「私もナユタって呼び捨てしますから」と、顔を近づけた。その大きな瞳の輝きは、夏の輝きをめいいっぱい吸い込んだようだった。


「契約って言ってもそんなに仰々しいものじゃないんですけどね。私、捨て子なんですよ。飢饉で食い扶持に困った親が子どもを山に捨てるなんていうよくある話です。私はまだ小さくて、周りのことなんか全く理解できてなかったですからね。気付いたら山にひとりぼっちにされて。一日中、泣いてました」


「でも、ペロが私を助けてくれたんです。ペロと契約したのは初めて出会ったときらしいんですが、私はよく憶えていません。ペロは優しいんですよ。冬の寒いときは私を暖めてくれましたし、今日みたいな暑い日は私を乗せて走り回るんです。気持ちいいんですよ。風がひゅーって通り過ぎて。でも、今日はなぜか私を置いていなくなっちゃったんですよね。どうしちゃったんだろう」


 彼女の生い立ちは特殊でありながら、納得できるものだった。彼女から湧き出ている、生命力という名の輝きは村の人とは違うものだった。


「ペロは大事な家族なんですね」


「はい。唯一の家族です」


「でも不思議ですね。対話もできて、家族というほどの仲なのに、なぜペロはいなくなったんでしょう」


 何か用があるなら、サクハに伝えれば良いし、何も言わずにいなくなればサクハが心配するだろうことは予想できたはずだ。


「そうですよね」


 サクハは表情を曇らせた。ペロが心配なのだろう。


「良ければ、自分もついていきましょうか。ひとりでは見つけるのも大変でしょう」


「良いんですか?」


「ええ」


 俺がペロを探しに行こうと思い立ったのは、ほとんど気まぐれだった。

 残り少ない命だ。仕事の優先度はあまり高くなかった。


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