「拙作」という語について
2020/4/2一部数字を訂正しました。
最近小説家になろうで、「拙作」という語を卑屈と感じるという意見をしばしば目にします。
私自身は全く卑屈とは思わなかったので、何故そう感じる人がいるのか、ちょっと考えてみました。
一.辞書上の意味
まず「拙作」の辞書上の意味を確認します。Weblio辞書(三省堂『大辞林』)によると、以下の二つの意味があります。
1.へたな作品。
2.自分の作品をへりくだっていう語。
二.文法的機能
次に、文法的な観点から見てみると、「拙作」には二つの用法があります。
A.一般名詞的用法
B.代名詞的用法
A、Bの用法はそれぞれ上述の辞書上の意味1、2に対応しています。
Bは代名詞とは違うのですが、ここでは自分の作品を言い換えているという意味で「代名詞的」とし、もう一方を区別するために「一般名詞的」としています。
具体例を挙げてみます。なお、本文中の例文はすべて、小説家になろうの活動報告等で実際に見かけた文を元に、私が作ったものです。
Aの一般名詞的用法の例が(a1)、Bの代名詞的用法の例が(b1)です。
(a1)拙作ですが、読んでいただけたら嬉しいです。
(b1)拙作も異世界転生モノなので、良かったら読んでみてください!
現在よく使われている用法は、(b1)のような代名詞的用法かと思います。
私は(a1)のような使い方をなろうで初めて見たので、驚いてすぐに辞書を引きました。
(a1)と(b1)中の「拙作」は、先述した辞書の意味から考えると、それぞれ「へたな作品」と「私の作品」に置き換えることができます。
(a1')へたな作品ですが、読んでいただけたら嬉しいです。
(b1')私の作品も異世界転生モノなので、良かったら読んでみてください!
Bの代名詞的用法の「拙作」は「自分の作品」を表していますが、その中には「自分の作品はへただ」とへりくだる意味が含まれます。つまり(b1')は、「拙作」の含意を括弧で表すならば「私の作品(へたな作品ですが……)も異世界転生モノなので、~」となります。
それに対し、Aの一般名詞的用法では、「拙作」自体は「へたな作品」という文字通りの意味しか持っていません。もちろん(a1)のような文にも謙遜するニュアンスが含まれる場合は多いですが、それは「拙作」という語自体の含意ではなく文脈によるものでしょう。「つまらない物ですが」と同じですね。
三.「私の拙作」
Aの一般名詞的用法としては、以下のようなものもあります。
(a2)私の拙作にレビューをいただき、ありがとうございます。
これは「私の」を付けずに「拙作」を代名詞的に使っても、文として成り立ちます。
(b2)拙作にレビューをいただき、ありがとうございます。
では、「私の」を付けた場合と付けない場合には、何か違いがあるのでしょうか。
これらも「拙作」を言い換えた文にしてみます。
(a2')私のへたな作品にレビューを頂き、ありがとうございます。
(b2')私の作品(へたな作品ですが…)にレビューを頂き、ありがとうございます。
こうして見ると、二つの文はニュアンスが若干異なります。
謙遜表現をしたいなら、(b2)のように「拙作」だけでも充分です。でも(a2)はわざわざ「私の」と付けており、そのため、「へたな作品」という部分が強調された印象になっているのではないでしょうか。
こういった場合に、「拙作」を卑屈と感じるのかもしれません。
四.一般名詞的用法の拡大
従来、「拙作」は「自分の作品」を指す語として代名詞的に使われることが多いのですが、最近は「へたな作品」という意味の一般名詞的な用法も増えてきているように思います。「私の拙作」のような使い方も、なろうでは結構見かけます。実際にこのような使い方は増えているのでしょうか。
そこで、二つのウェブコーパスを使って、「一人称+の+拙作」という語形を検索してみました。
筑波大学・国立国語研究所・Lago言語研究所の『NINJAL-LWP for TWC』を使って「拙作」を検索すると、135件の用例が見つかります。その中で、「当方の拙作」「自分の拙作」はそれぞれ1件ずつありましたが、「私の拙作」は0件でした。「僕の拙作」等、他の一人称でも用例は見つかりませんでした。
国立国語研究所の『梵天』では、「拙作」は2,687件で、その内「私の拙作」は38件見つかりました。(2020年4月2日に再度検索した結果、「拙作」は4,769件、「私の拙作」は64件でしたので、訂正します。単純に私の間違いか、それとも他に原因があるのか不明です。)「僕の拙作」等、他の一人称を含めればもう少し多くなります。
『NINJAL-LWP for TWC』の使用データは2012年1月にURLを収集しています。一方、『梵天』は2014年10月~12月のデータを使用しています。
元々のコーパスの規模が違うので単純な数の比較はできませんが、やはりこういった使い方は増加傾向があるように思われます。
この「私の拙作」等の一般名詞的な使い方が広まってきたことが、「拙作」を卑屈と感じる人が増加している背景にあるのではないでしょうか。
五.まとめ
以上のように、近年「拙作」は「自分の作品」を表す代名詞的用法だけでなく、「私の拙作」のように一般名詞的用法で使われることが増えてきています。そして、それらの表現を繰り返し目にした人が、「拙作」を卑屈と捉えるようになったのではないか、と私は考えます。
ただ一つ言いたいのは、自分の作品をへりくだって言う場合の「拙作」は、謙譲語に当たります。「謙譲語」とは、Weblio辞書(三省堂『大辞林』)には次のように記述されています。
『敬語の一。話し手が聞き手や話中の人に対して敬意を表すために,自分または自分の側に立つと思われるものや動作などをへりくだって言い表すもの。「申し上げる」「いただく」「愚息」「拝見」「小宅」など。謙遜語。』
つまり、聞き手や話中の人への敬意を表すのが目的であって、へりくだることは手段でしかないのです。「いつも拙作をお読みいただき、ありがとうございます」と言った場合、自分の作品がへたかどうかはあまり関係無く、最も表したいのは「読んでくれる相手への敬意と感謝の念」だということです。
一般名詞的用法の「拙作」を卑屈に感じる人がいるのは理解できます。でも、代名詞的用法の「拙作」に卑屈さは無いと、個人的には思います。「拙作」は卑屈だとか卑屈じゃないとか、度々論争が繰り広げられていますが、「拙作」という語自体の問題ではなく、使い方によるのではないでしょうか。
〈使用ツール〉
筑波大学・国立国語研究所・Lago言語研究所『NINJAL-LWP for TWC』(http://nlt.tsukuba.lagoinst.info)
国立国語研究所『梵天』(http://bonten.ninjal.ac.jp/)
〈ここまで読んでくださった方へ〉
「拙作」は何らかの創作活動を行う人が使う語であって、誰もが日常的に使用するというものではありません。また、私は小説家になろう以外の創作の場をほとんど知らないので、なろう以外での「拙作」の使用状況についてはよくわかりません。
そこで、ここまでお付き合いくださった方、よろしければご意見いただけると大変嬉しいです。
特に以下の二点が気になっていますが、もちろんこれ以外のご意見ご感想も大歓迎です!
(1)「私の拙作」のような、「拙作」の一般名詞的用法の使用について、「最近見るようになった」、「昔からよく使われている」、「初めて見た」等、教えていただけると嬉しいです。
(2)次の三つの文の「拙作」に卑屈さを感じる場合、その卑屈さの度合いに違いがあるでしょうか。
(c)私の拙作にご感想をいただき、ありがとうございます。
(d)拙作ですが、読んでいただけると嬉しいです。
(e)拙作の登場人物にはすべてモデルがいます。
(2017.5.20 11:23 例文(e)を修正しました)