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第六話 マダガスカルの戦い

――マダガスカル島 マジュンガ沖 英戦艦ウォースパイト


「手応えがありませんね」


 東洋艦隊司令長官ジェームズ・サマヴィル大将は従兵から受け取った紅茶を飲みながら呟いた。彼の座乗する戦艦ウォースパイトは現在上陸作戦を支援中のはずである。だが戦闘の緊張感は全く感じられない。


 昭和十七年(1942年)四月。英軍はヴィシー・フランス領マダガスカル島攻略作戦「アイアンクラッド作戦」を発動していた。


 現在、地中海・北アフリカ・中東では連合国と枢軸国が激しく争っている。このため欧州から中東および極東方面へ向かう連合国の輸送船団はスエズ運河を使用する事ができずアフリカ先端の喜望峰をまわるルートを取らざるを得なかった。そのルートの途中にマダガスカル島は在ったのである。


 この島は元々フランスの植民地であったが、そこを統治するアーモン・レオン・アネ総督はヴィシー・フランスを支持していた。つまりこの島は枢軸国側に与していたのであった。


 もしこの島に日本軍が進出した場合、欧州から中東・極東方面への輸送ルートに対し大きな脅威となる。万が一この輸送ルートが断たれた場合、極東方面に物的・人的資源を依存している英国は戦争を遂行する上で極めて危険な状況に立たされる可能性があった。東洋艦隊がインド洋の制海権を実質的に失った今、これら地域への支援を絶やさないためにも英国としてはマダガスカル島を確保する必要に迫られたのである。



 本作戦でのサマヴィルの立場は微妙な物となっている。先月に彼が東洋艦隊司令に着任した時点で既に艦隊は最新鋭戦艦プリンス・オブ・ウェールズ正規空母インドミタブルをはじめ多数の艦艇を失いアフリカまで後退していた。その後も本国艦隊の増援と共にマダガスカル攻略部隊に組み込まれ、現時点では東洋艦隊は名ばかりの存在となっている。しかも侵攻作戦の指揮は陸軍が執っており海軍部隊の指揮もサマヴィルではなくエドワード・サイフレット大将が執っていた。


 つまりサマヴィルは本作戦ではお客様の様な扱いであった。今も彼の座乗する東洋艦隊旗艦の戦艦ウォースパイトが主攻正面のディエゴ・スアレスではなく、ほとんど敵の居ないマジュンガの上陸作戦の支援任務をあてがわれている事からもその扱いが読み取れよう。そもそも彼がこの戦艦の指揮権を持っているかどうかすら怪しいものであった。


「マダガスカル島のヴィシー・フランス軍は北部のディエゴ・スアレスに戦力を集中していました。それに開戦以来ほとんど本国から戦力を補充されておりません。我が軍の航空攻撃後に極少数の艦船が島の南方に退避した模様ですが、ほとんどは緒戦で仕留める事が出来たと思われます。地上軍は遅滞防御をしつつ後退を続けていますが、もうそれほど時間も手間も掛からずに終わるでしょう」


 サマヴィルの隣に立つ参謀長が、戦況を簡潔にまとめる形で答えた。彼も司令同様に本作戦ではお客様である。暇にまかせて戦況情報をマメに収集していた様だった。


「敵の残存戦力はどのくらいかな?」


「戦果報告と事前情報を照らし合わせると逃がしたのは通報艦と潜水艦が各1隻ずつと思われます。昨晩も近くの海上からの電波発信が確認されましたが、おそらく本国へ救援要請でしょう。元々二線級の戦力でもありますし今後も脅威とはなり得ません。地上戦力も良くて8千程度です。ほとんどが現地人兵士のため士気も装備レベルも低いと思われます。ヴィシー・フランス本国やドイツからの救援は状況から有り得ないでしょう」


「日本軍の動きはどうかね?」


「こちらも恐れたような動きはありません。南雲の機動部隊が近々また動き始める模様ですが米国から得た情報によると目標は太平洋方面の様です。アデン湾周辺でここ数日、日本軍のものと思われる潜水艦の被害が増えていますがマダガスカル周辺では確認されておりません」


 この頃、米軍はすでに日本軍の暗号解読にある程度成功していた。そして日本軍の機動部隊が近々大きな作戦を予定している事を把握しており、その目標はアリューシャンか南太平洋と予想していたのである。この情報は連合国司令部を通して英軍にも伝えられていた。


「ふむ。日本軍がこちらに来ないとなると海軍の仕事はそろそろ終わりのようですね。それでは、戦艦ラミリーズのサイフレット君に海軍は地上支援分を残して引き上げる様に提案しましょう。インドをいつまでも放置しておく訳にはいかないですからね」


 そう言うと彼はカップを傾け従兵に紅茶の追加を求めた。サマヴィルとしては東洋艦隊の艦艇をこんな所で遊ばせておくより、さっさと艦隊の再編とインド復帰のための作戦行動を行いたかった。いつまでもインドやオーストラリア・ニュージーランド(ANZAC)を放置したままに出来ない。度重なる人的・物的な抽出で彼らの不満も高まっていると聞く。彼らの忠誠を繋ぎ止めるためにも東洋艦隊の一日も早いプレゼンス復活は必要であった。サマヴィルはサイフレットにどの様に話を持っていくか考えながら注ぎ足された紅茶に口をつけた。



 英国はこの作戦に多くの有力艦艇を投入していた。戦艦こそラミリーズとウォースパイトのみだが、空母はイラストリアス・フォーミタブル・ハーミーズの3隻を投入している。つまり大西洋で船団護衛中のヴィクトリアスと小型旧式空母を除く全ての稼働空母を参加させている事になる。これに8隻の巡洋艦と23隻の駆逐艦・コルベットが加わる。他の小艦艇や輸送船を加えると50隻近くにもなる大艦隊であった。


 これは仮装巡洋艦1隻、通報艦2隻、潜水艦4隻、戦闘機17機、軽爆撃機10機、地上兵力8000名しか有しないマダガスカルのヴィシー・フランス軍に対して明らかに過剰とも言える戦力投入であった。


 また同時期、アフリカ東岸ケニアのキリンディニおよび南アフリカのダーバンには他のR級戦艦3隻すべてとQE級戦艦バリアントが停泊または修理改装を受けていた。実に英戦艦の半数、空母のほとんどが一時的に近在に集結していた事になる。


 それら英艦隊の所在は全て日本の潜水艦隊によって把握されていた。


挿絵(By みてみん)


――西インド洋 第一航空艦隊 旗艦 空母 赤城


「第六艦隊司令部から情報が入りました。英国艦隊は現在マダガスカルのディエゴ・スアレスに上陸作戦中とのことです。上陸艦隊の規模は50隻以上。少なくとも戦艦2、空母3を確認。アデン湾からザンジバルにかけては敵影は無し。またケニアのキリンディニと南アフリカのダーバンに戦艦数隻を含む小艦隊を確認したとの事です」


 電文を受け取った草鹿参謀長が興奮した様子で南雲司令長官に伝えた。現在、艦隊はインドとアラビア半島の中間を越えた辺りを西へ航行していた。ここから南下すればマダガスカルまで約3000㎞、艦隊速力16ノットで三日半進めば攻撃隊を発艦できる位置につける。


「上陸部隊が居るなら敵は逃げることが出来ません。敵艦隊を一網打尽にする好機です!」


 草鹿の進言に南雲も頷く。


「第六艦隊は良い仕事をしてくれたな。今後も接触を絶やさぬ様に要請しろ。艦隊はこれよりマダガスカルへ向かう」


 奇襲が出来れば最高であるがたとえ見つかっても問題は無い。草鹿の言う通り敵は戦うしかないのだ。たとえ少数で足止めして逃げようとしても低速の輸送船と戦艦を抱えた敵の足は遅い。高速機動部隊である自分達から逃げ切る事は出来ない。南雲は英艦隊を殲滅する未来を思い描き思わず頬を緩めた。



 しかし南雲が受け取った情報は日本の第六艦隊司令部を経由しているため、実はほぼ一日遅れのものであった。


 この時点で東洋艦隊司令長官サマヴィルの進言は作戦司令のロバート・スタージェス陸軍少将に認められ、既にマダガスカルから海軍主要艦艇の後退が開始されていたのである。英艦隊は地上支援のためにディエゴ・スアレスに戦艦ラミリーズと空母ハーミーズを少数の護衛艦艇と共に残した以外は、全ての艦艇をダーバンとキリンディニに後退させてしまった。


 この英艦隊の動きは日本の潜水艦部隊にも監視されていたが何ら妨害を受ける事は無かった。そしてダーバンとキリンディニに移動し、そのまま港内に閉じこもってしまったのである。


 この時マダガスカル周辺やダーバン、キリンディニの偵察を担当していたのは新型潜水艦で構成された第八潜水戦隊であった。彼らが開戦時に装備していた魚雷は九五式酸素魚雷である。本作戦の出撃前に九九式に交換されていたものの戦い方が今一つ分からない彼らは命令を律儀に守り息を潜めて偵察任務に徹していたのだった。


 もし彼らが伊62の所属していた第五潜水戦隊であったならば英艦隊の発見時点で攻撃を行っていただろう。旧式潜水艦のみで構成された彼らは木梨同様に開戦当初から九九式魚雷しか与えられておらず、木梨程では無いが九九式の特性を理解し「通達」を受け取る前でも積極的に攻撃する様になっていたからである。


 しかし彼らが担当していたのはアデン湾周辺のエリアであった。第五潜水戦隊の各艦は輸送船を狩りつつ偵察を行い、担当エリアに敵が居ない事が判明したため潜水母艦で補給を受けると第六艦隊からの指示でマダガスカル近海へ移動し第八潜水戦隊へ合流した。


 こうして英艦隊は気づかぬ内にディエゴ・スアレス、ダーバン、キリンディニの各港で多数の潜水艦に包囲される形となっていたのである。



 一方、英艦隊がディエゴ・スアレスから移動したという報告を受けた南雲らは当初は敵を取り逃がしたと悔しがった。しかし全ての艦が近在の港に分散移動しただけと知ると逆に各個撃破の好機と捉え、ますます英艦隊撃滅の確信を深めていた。




――英領ケニア キリンディニ港内 英戦艦ウォースパイト


「司令、お休みの所をお呼びして申し訳ありません。不味い事態が発生しました」


 与えられた一室で就寝していたサマヴィルは深夜も一時を回った夜更けに緊急呼び出しを受けた。手早く服を整え艦橋に入ると既に参謀長も到着していた。若干青ざめた顔をしている。


「どうしましたか?本国の方で何か動きがありましたか?」


 深夜の呼び出しである。相当に緊急かつ悪い事案が発生したはずだった。沈着冷静を旨とするサマヴィルは内心の動揺を隠し努めて平静を装いながら問いかけた。


「作戦司令部から緊急連絡がありました。南雲の艦隊がこちらに向かっている可能性があるとのことです。米国からの情報ですが我が国の情報部もかなり確度は高いと考えています。南雲がインドネシアから行方を眩ませて既に2週間近く経っています。いつここに現れても不思議ではありません」


 情報元である米軍は南太平洋かアリューシャンを襲うと考えていた南雲の機動部隊が一向に姿を現わさない事を不審に思っていた。更にここ数日で日本海軍のD暗号にこれまで使われた事の無い地点略号が頻繁に表れる様になっていた。このため彼らは西海岸のどこかが攻撃目標ではないかと一時はパニック状態に陥っていた。


 しかし彼らは問題の地点略号とパープル暗号のマダガスカル情報に相関がある事に気付いた。日本の外交暗号であるパープル暗号は既に完全に解読されており情報確度が高い。つまり南雲はマダガスカルを目指している。そう彼らは結論付け英国に伝えてきたのだった。


「さらに補強情報も有ります。先週より海上から発信されている不審電波ですが、どうやらジャップの暗号通信らしい事がわかりました。発信源は連中の潜水艦と思われます。特にここ数日は通信の数も増えております。我々の艦隊の所在は奴らに筒抜けで攻撃が近い証と思われます」


「汚い言葉使いは止したまえ。それで司令部はどうしようとしているのですか?」


 興奮のため思わず蔑称を使ってしまった参謀長を窘めるとサマヴィルは尋ねた。サマヴィルはアイアンクラッド作戦の司令でも海軍部隊の司令でも無いため現状では指揮する艦もない。しかし作戦司令のスタージェス陸軍少将も馬鹿ではない。恐らくマダガスカルからの撤退と時間稼ぎの限定的な迎撃を考えるはずだ。ならば海軍の部隊を分けるため艦隊指揮官は二人は必要となる。ようやく出番かとサマヴィルは考えた。


「スタージェス作戦司令は上陸作戦の中止とマダガスカルからの撤退を決定しました。既に上陸した陸軍部隊には輸送船に戻る命令が出されています。そして司令長官にはこのキリンディニの艦隊を率いて一時的に南雲の部隊を引き付け撤退までの時間を稼いで欲しいとスタージェス少将とサイフレット大将の連名で依頼・・が出されております。サイフレット大将はディエゴ・スアレスの艦艇と輸送船を率いてダーバンに向かうとのことです」


 サマヴィルの予想通りの展開であった。


「その依頼は受けましょう。現状では最善と思います。指揮権の問題は有りませんか?」


「既に提督は東洋艦隊の司令長官であらせられます。作戦中止が宣言された以上、東洋艦隊所属の艦艇をそのまま指揮する事は問題ありません。キリンディニに在泊する他の艦艇についてもサイフレット大将から指揮権を移譲されます」


 現在、キリンディニにはサマヴィルの座乗する戦艦ウォースパイトの他、ラミリーズを除くR級戦艦3隻にイラストリアス級空母2隻、巡洋艦3隻、駆逐艦12隻が在泊している。かなり有力な艦隊とは言えるが低速戦艦ばかりであり艦隊運動の訓練もした事がない。正規空母を少なくとも4隻は有する南雲艦隊にまともに対抗するのは厳しいと言わざるを得なかった。


「すぐに全ての艦長を招集してください。それと各艦にはすぐに出航準備に取り掛かる様に伝えて下さい。夜明け前には港外へ出る必要があります」


 敵の航空攻撃は早ければ明朝に来る可能性がある。港内に留まっていれば良い的であった。こうしてサマヴィルは全キリンディニ在泊艦を率いて夜明け前に出航した。同様にディエゴ・スアレス、ダーバンでも慌ただしく出航準備が整えられ艦隊が出航した。




――マダガスカル北方海上 第一航空艦隊 旗艦 空母 赤城


 まだ夜明け前の暗い海上で4隻の空母が風上に艦首を向け全速航行をしていた。甲板の先端からは風向きを示す蒸気が白い筋を引いている。甲板上には既に多数の航空機がプロペラを回して発艦の準備を整えていた。


「敵主力の居るキリンディニには一航戦の部隊を差し向けます。ディエゴ・スアレスは二航戦が担当しますが、こちらの敵は小艦隊なので二次攻撃からは一航戦と同じキリンディニに向けます。攻撃は夜明けと同時になる見込みです」


 興奮した様子で攻撃計画を伝える草鹿に南雲は頷いた。彼も内心で興奮していた。最新の情報でも敵艦隊は港から動いていない。奇襲は成功したのだ。もう敵は逃げる事はできない。今日の攻撃で英東洋艦隊は地球上から消滅するだろう。東郷平八郎と並び称される歴史的な戦果となるはずだ。南雲の頭には山本の悔しがる姿がありありと浮かんでいた。


「それで良い。攻撃隊を発進させよ!反復攻撃を徹底し敵を殲滅するのだ!」



 繰り返すが潜水艦隊から南雲艦隊への報告は日本の第六艦隊司令部を経由するため一日遅れとなっている。南雲が攻撃隊を放った時点で既に英艦隊は各港を出港していた。だが英艦隊への攻撃が南雲の艦隊からだけであったなら英艦隊が出港していようとも南雲の夢想も半分くらいは現実になっていたかもしれなかった。


 だがキリンディニ、ディエゴ・スアレス、ダーバン各港の外には第五潜水戦隊と第八潜水戦隊の潜水艦合計16隻が待ち構えていたのである。


 彼らは英艦隊が出港する前日に第六艦隊司令部から「通達」を受け取っていた。愛知県の依佐美よさみ送信所から超長波通信で送られて来たその内容は、九九式魚雷の特性を最大限に利用した襲撃戦術の説明と積極的な護衛艦艇への反撃推奨であった。


 超長波通信は日本から遠く離れた場所で潜航状態でも受信できる利点はあるが通信速度が極めて遅い。1時間もかけて受信したその内容は、九九式魚雷に慣れた第五潜水戦隊の各艦にとっては何を今更と言うものであったが、第八潜水戦隊にとっては驚くべき内容であった。


 第六艦隊司令部としては、それはあくまで展開中の全潜水艦に対しての共通連絡であった。だが英艦隊の潜む港湾を目の前にじっと待機していた潜水艦達が、それを英艦隊への積極的な攻撃命令と受け取ったのは無理もない話であった。




――英領ケニア キリンディニ港外 英戦艦ウォースパイト


 襲撃は唐突だった。


 艦隊全艦が港を出て陣形を整えようとしていた時に一番東に位置していた駆逐艦が突然爆発した。


「ダンカン被雷しました!」

「やはり潜水艦がいましたか。A駆逐隊に制圧を指示。本隊はこのまま北上を……」


 サマヴィルも港外に敵の潜水艦が潜んでいるであろう事は予測していた。だが夜明けには航空攻撃を受ける公算が高い。今はとにかく出港して迎撃の準備を整えることが先決であった。幸いこちらは駆逐艦を多数有している。多少の被害を受けても彼らが敵潜水艦を制圧している間に包囲網を抜ければ足の遅い潜水艦は追っては来れない。


 だが事態はサマヴィルの予想を超える形で急速に悪化していく。


「アクティブ被雷しました!」

「ライトニング被雷!沈みます!」

「パラディン被雷しました!」

「ジャベリン被雷!航行不能!」


 瞬く間に艦隊外縁の駆逐艦が次々と襲撃を受けたのだ。まだ夜が明けていないため敵潜水艦どころか味方の状況も判らない。英艦隊に混乱ばかりが拡大していった。


群狼戦術ウルフパックです!ジャップと連携してキャベツ野郎共ドイツが潜水艦を回して来ていたに違いありません。我々は恐らく囲まれています。すぐに全速離脱すべきです!」


「全艦全速!とにかく北へ向けてこの海域から離脱しろ!」


 流石にサマヴィルも言葉遣いを窘めたりしている様な余裕はなかった。最初の襲撃から10分足らずで既に10隻近くの駆逐艦が被雷している様子だった。夜間であり連携訓練もしていない艦隊のため実際の被害はもっと出ているかもしれない。しかし頭の片隅では全速を出した艦隊はすぐに包囲を抜けるられるだろうと楽観もしていた。


 だがその甘い予測はすぐに裏切られる事となる。衝撃と共にサマヴィルは指揮官席から放り出された。


被害報告ダメージレポート!」


 サマヴィルの耳に艦長が矢継ぎ早に指示を出す声が聞こえた。一瞬ではあるが意識が飛んでいたらしい。気が付くと彼は床に倒れていた。すぐに衛生兵が駆け寄って来る。額に手をやると血が出ていた。床が傾斜している。サマヴィルは応急手当をしようとする衛生兵を手で制すると指揮官席に戻った。


「艦長、艦の状況は?」


「右舷中央に被雷した様です。現在左舷に注水して傾斜回復を試みていますが、浸水が予想以上に多く厳しい状況です」


「参謀長、艦隊の方はどうですか?」


「ほとんどの駆逐艦、巡洋艦と連絡が取れません。全滅したとは思えませんが実戦前に艦隊訓練を出来なかった事が悔やまれます。残念ながらイラストリアス、フォーミタブルもそれぞれ被雷しました。イラストリアスは航行不能、フォーミタブルも傾斜が厳しい状況との……」


 次の瞬間、再び艦を衝撃が襲った。艦の傾斜が急激に強まっていく。ウォースパイトは再び右舷に魚雷を受けていた。艦長が緊急注水で必死に傾斜の回復を試みるが傾斜は止まらない。もう何かに掴まらないと立っていられないほどの傾斜であった。


「残念ながら本艦はもう保ちません。総員退艦を命じます。司令もすぐに退避してください」


 艦長が苦渋の表情でサマヴィルに告げた。しかし彼らが退避する事は無かった。再び衝撃が彼らを襲ったのである。その一撃でウォースパイトは一気に傾斜を早め横転した。そして艦橋が水面に達した瞬間、艦前部で大爆発が起こった。弾薬庫内で転がった主砲弾の誘爆であった。ウォースパイトは巨大なきのこ雲を残すと全乗員と共に海底に沈んでいった。



 この英軍にとっての惨劇はサマヴィルの艦隊だけに起きた物では無かった。似たような光景がディエゴ・スアレスとダーバンの沖合でも展開されていたのである。そして1時間後、水平線に太陽が顔をだした時に南雲が放った攻撃隊がようやく姿を現わした。




――マダガスカル北方海上 第一航空艦隊 旗艦 空母 赤城


「一次攻撃隊から入電です。攻撃は成功した様ですが……これは……」


 伝令の持ってきた紙を見た草鹿が微妙な表情を南雲に向けた。


「どうした?まさか敵の一部に逃げられたか?」

「敵はほぼ全滅の様です。しかし……」




――英領ケニア キリンディニ港外上空 赤城 第一次攻撃隊


「どういう状況だぁ、これは?」


 淵田美津雄は呆れた声を出した。彼の率いる赤城の第一次攻撃隊は夜明けとともにキリンディニ港の英艦隊に襲い掛かる計画であった。しかし港に着いてみると、そこはもぬけの殻であった。その代わり沖合のそこかしこで艦船が赤い腹を見せている。煙しか見えない所は既に沈んだ後らしい。乗機の九七式艦攻の操縦席から見える海面には、まともに浮いている艦は10隻もいなかった。


「どうやら目的の英艦隊の様ですが……既に何者かによって攻撃された後の様です。爆撃された様子が無いので潜水艦によるものでしょうか?」


後席の偵察員が写真を撮りながら答える。


「らしいな。可哀そうだが見逃すわけにもいかん。突撃する。こうなれば一隻も逃すな!」


 こうしてわずかに残っていた英艦隊に過剰とも言える航空攻撃が加えられた結果、英国東洋艦隊は消滅した。




――マダガスカル島北部 ディエゴ・スアレス郊外 ヴィシー・フランス軍


 アーモン・レオン・アネ総督は状況の変化に戸惑っていた。


 マダガスカルのヴィシー・フランス植民地軍は、そのほとんどがセネガル兵で構成されている。当然、装備・士気・練度は英軍に大幅に劣る。このため英軍の上陸を許した後、彼らはこれまで遅滞防御以外はまともな戦闘もできず、ズルズルと島の南部へ後退するしかない状況であった。


 それが一昨日から突然変わったのである。これまで彼らを圧迫していた英軍が突然潮が引くように後退したのだ。そして上空を我が物顔で飛び回っていた敵機も姿を見せなくなった。状況を確認するため決死の偵察隊を北部へ送り出した所、驚くべき事が分かった。なんと英軍は輸送船に乗り込み撤退しようとしていたのだ。余程慌てているのか重装備や補給物資も残したままである。


 慎重に軍をディエゴ・スアレス郊外まで前進させ夜明け前に港を望む山上から町の様子を窺った時、それは起こった。


 あれ程彼らを苦しめていた敵の空母が突然爆発したのである。爆発は次々に他の艦船にも起こった。それは英軍の象徴の様に鎮座していた巨大な戦艦も例外ではなかった。そして、とどめとばかりに夜明けとともに多数の飛行機が襲来し、わずかに残っていた艦船も一隻残らず沈めてしまったのである。


 その圧倒的な攻撃をただただ唖然と見ていたアネ総督は、上空を乱舞するスマートな飛行機の赤く丸い国籍マークを見た瞬間、全てを理解した。


日本人ジャポネだ!彼らは味方だ!我らの同盟国が助けに来てくれたぞ!我々は勝ったのだ!」


 彼は思わず両手を突き上げて叫んだ。周囲の兵たちも歓声をあげる。すぐにその声は植民地軍全体に広がっていった。


 知らず知らずのうちにアネ総督は涙を流していた。彼がいくら窮状を訴えてもヴィシー・フランス本国もドイツもイタリアも、誰も救いの手を差し伸べてくれなかった。このまま逃げ場のない島で追い詰められて死ぬ事を覚悟していた。


 だが日本人は来てくれた。日本人だけが助けに来てくれたのだ。地球を半周もした遠い遠い場所から。




――マダガスカル北方海上 第一航空艦隊 旗艦 空母 赤城


「つまり六艦隊の戦果ということかね?我々は彼らのお膳立てと後始末をしただけだと」


「どうやらその様です。攻撃隊が現場に到着した時には既に主要な敵艦は撃沈された後でした。しかしお陰で一隻残らず敵を……」


 草鹿の慰めの甲斐もなく、南雲は手にしていた双眼鏡を床に叩きつけていた。



 猟犬は狩人のために獲物をねぐらから追い立てる事が役目である。南雲らは見事に猟犬の役目を果たしたのだった。



 その後、南雲艦隊は怒りに任せてキリンディニとダーバンに艦砲射撃を行い完全に破壊し尽くした。

とても有能な猟犬達でした。

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― 新着の感想 ―
[一言] 猟犬が有能すぎますなぁ……w 同じ架空戦記書きとして勉強になります。続きも楽しみに読ませて頂きます!
[一言] ●有能(猟犬)すぎて、やりすぎちゃいました(てへ)。って感じですね。この当時だと、目だけが頼りで確認のしようもないし、ゲームのように船の名前が表示されるわけでもないから、どのくらいの戦果か確…
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