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第五話 放たれた猟犬たち

――長崎県 佐世保工廠 艤装岸壁


 昭和十七年(1942年)六月、木梨は伊62の()士官ら数名と共に長崎の佐世保工廠に居た。彼らの目の前では真新しい潜水艦が艤装作業を受けている。彼らが乗っていた伊62より一回り大きいそれは3か月後には伊34の名で就役することが予定されている巡潜乙型の一艦であった。対岸の向島岸壁には大型船の陰に隠れて最終艤装を受けている戦艦武蔵の姿がわずかに見えている。


「少佐、悪いね。またよろしく頼むよ」


「艦長……おっと今はまだ艤装委員長でしたか。こちらこそ宜しくであります。まさか新造艦に乗れる事になるとは思っとりませんでした。それに中佐と一緒の方がこの先も手荒く楽しめそうですから本官としても願ったりであります」


 英空母インドミタブルを撃沈した伊62はペナンで補給を受けた後、三月に報告のため日本へ戻っていた。その頃には伊62の戦果は英軍の通信傍受とインド国内の諜報部隊により間違いない事が確認されていた。その後、英空母艦隊殲滅のニュースは木梨が潜望鏡カメラで撮影した沈みゆくインドミタブルの写真とともに新聞や雑誌で大々的に報じられ木梨の名も一般にも遍く知られるところとなっている。


 単独の潜水艦で敵の正規空母だけでなく小さいとはいえ艦隊を全滅させたのである。この大きな戦功により木梨は中佐に昇進するとともに潜水艦艦長としては初めて天皇陛下に単独拝謁を賜るという栄誉に浴した。そして一時的に潜水学校付となった後、六月には新造潜水艦の艤装委員長に任じられ慣れ親しんだ伊62を離れたのであった。ちなみに先任をはじめ全ての士官も一階級昇進している。


「君らを引っ張るのに、せいぜい英雄(・・)の名を使わせてもらったよ。後を任せる下瀬君にはちょっと悪かったけどね」


 基本的に艤装委員長・艤装委員を務めた者がそのまま新造艦の艦長・乗組員となる。艤装委員の選出については艤装委員長にある程度の裁量が与えられていた。戦局の急変により新造艦は就役後の速やかな戦力化が求められていたため、木梨は航海長や水雷長ら士官のほとんどを艤装委員として伊62から引っ張ってきていた。木梨は伊162(五月に伊62から改名)を引き継ぐ下瀬艦長には大変申し訳ないと思いつつも、英雄(・・)の名声を最大限に利用させてもらったのだった。


「中佐の方は随分とご活躍だったようで。その英雄(・・)のお噂はあちこちでお聞きしておりましたよ」


「活躍なんかしていないさ。海軍省や軍令部の偉いさんに言われるままに、あちこち行ってただけだよ。本当に疲れるばかりだった。陛下に拝謁を賜った時なんか手の震えを隠すのが大変だったよ。緊張して何をしゃべったのか全く覚えちゃいない」


「しかし、潜水学校の教本改訂や例の通達の方では本当にご活躍だったとか」


「おかげで僕は1か月は缶詰状態だったけどね。同じ缶詰になるなら潜水艦の中の方が何倍もマシだと思ったくらいさ」


 木梨の報告を受けた日本海軍は潜水艦の襲撃戦術を大幅に見直す事となった。それまで彼らは九九式魚雷を安くて速い魚雷としか見ていなかった。今更ながらに自分達の開発した魚雷の真価に気付いたのである。


 九九式魚雷の制式化後も潜水艦の襲撃戦術はずっと見直しされていなかった。制式化に伴い九二式魚雷方位盤が改二型となり、雷速200ノットの入力歯車が追加されただけである。教本の見直しも行われていない。


 これは怠慢と言うよりも潜水艦という艦種が非常に脆弱な船である事が理由であった。反撃手段を持たない潜水艦は発見されれば退避に徹する必要があり爆雷一発で撃沈される可能性も高い。このため襲撃戦術はどうしても隠密性を重視した従来通りの中遠距離となり、敵に反撃するという発想など出てこなかったのである。


 しかし木梨の報告により日本海軍は自分たちの潜水艦が極めて命中率の高い魚雷を持っており、それは敵の護衛艦艇に対する有効な反撃手段にもなり得る事に気づかされたのだった。その結果、戦術や装備の大幅な見直しが行われる事となった。


 まず潜水艦の主兵装が九五式酸素魚雷から九九式魚雷に改められた。襲撃戦術も方位盤に頼らず中近距離から最小限の射線で行う事が基本となった。さらに状況が許せば襲撃後も潜航せずに攻撃の継続と敵護衛艦艇への積極的な反撃も推奨されることとなる。


 潜水学校の教本も上記にあわせて大幅に改訂されるとともに、作戦行動中の各潜水艦に対しては第六艦隊司令部を通して兵装の交換と戦術に関する通達が出される事となった。現時点で新方針を一番理解しているのは誰が見ても木梨である。このため彼は潜水学校付きとされ1か月余りも缶詰で改訂作業に取り組まされる羽目となったのであった。


 装備の面でも木梨の戦訓が生かされる事となった。


 それは魚雷の次発装填装置の開発である。現状の再装填作業はほとんど人力で魚雷をぶら下げながらの作業のため戦闘中には危険で行うことができない。木梨の戦訓から艦首発射管に納められた魚雷だけで戦闘する事は敵艦が多い場合は厳しいと思われた。発射管の数はこれ以上増やせないため潜水艦も水上艦のような次発装填装置を持つ必要性が認められたのだ。


「教本の改訂だけでも大変だと言うのに、艦本にも出張る羽目になったよ。こちらは潜水艦を操るのが仕事で作る方は専門じゃないからね。先方にすれば見当違いの話ばかりされて閉口したんじゃないかな。しかも色んな所から嫌味は言われるは恨まれるはで散々だった。こんな面倒な事は二度とやりたくないね」


「それはそれはご愁傷様でした。戦果は増えるし人死は減るし金も掛からない、皆良い事づくめだと思うんですがねぇ。特に甲標的の件はもっと感謝されても良いはずなんですがね」


「艦本ですら有効性に疑問を持っていた兵器だけど、これまで色々な人が関わってきたから止めるのも簡単じゃないよ。それに特別攻撃隊の人間からも恨みを買ったようだ。命がけの訓練をしてきて今更お前らは役立たずだと言われれば、そりゃあ恨むのは無理もないけど、そんなに軍神になりたいのかねぇ」


 日本海軍の秘匿兵器であった甲標的は、真珠湾攻撃で使用されたものの日本が把握している限りでは何ら戦果も挙げられなかった。しかも全て未帰還となり乗員も皆戦死している。成功率が低く戦死の可能性の高い作戦に貴重な潜水艦と人員を割くよりは、より安全で効率の良い任務に振り向けた方が良いというのは当然の判断であった。まだ日本海軍には無駄な戦死を防ぐという良識が残されていたのだった。


 こうして甲標的の運用は中止となり、近々予定されていたオーストラリアやマダガスカルへの泊地襲撃作戦も中止される事となった。その元凶と言える木梨が当事者から恨まれたのは八つ当たりに近いとは言え当然と言えた。


「それよりマダガスカルの大戦果もあの通達のお蔭じゃないですか。今じゃ第六艦隊だ潜水艦だって言えば、あの一航艦より芸者(エス)モテ(M)モテ(M)困る(K)くらいですぜ」


「お手柄なのは各潜水艦だよ。それに通達を出したのは僕じゃない。それこそ牽強付会と言うものだ。まぁ一航艦が欲を出してくれたお蔭なのは間違い無いけどね」



 九九式魚雷がもたらした最初の大きな変化はマダガスカルを巡る戦いであった。



――第一航空艦隊 旗艦 赤城 艦橋


 昭和十七年(1942年)三月。開戦劈頭の真珠湾攻撃から休む間もなく転戦を続けた一航戦と二航戦は、先日オーストラリアのポート・ダーウィン空襲を終えセレベス島の泊地にて補給と一時の休息を取っていた。艦隊旗艦である赤城の艦橋で司令長官の南雲忠一中将はじっと瞑目して日本からのある報せを待っていた。


 伝令が電文を持って入室してきた。南雲の横で黙って立っていた草鹿参謀長がそれを受け取りサッと目を通してから南雲に渡す。


「司令、新しい命令が届きました。次の目標はアデン湾です」


「ふん、ようやく山本長官も認めたか。つまらん意地ばかりはらずに、さっさと動けば良いものを」


「これまでと真逆の作戦ですから、GFも軍令部も判断に迷ったのでしょう」


「わざわざ俺の方から一航艦が苦労する作戦を提案してやったんだ。もっと喜んで食いついてくると思ったがな」


 南雲は暗い笑みを浮かべた。自分の提案した作戦も決して本意では無いが、山本の作戦を潰せた事の方が彼には大きかった。南雲と連合艦隊(GF)司令長官の山本五十六大将との仲は決して良好ではなかった。どちらかと言うと当初は山本が南雲を一方的に嫌っていた形だった。南雲にしてみれば条約派の堀悌吉を予備役に追いやった件で恨まれるのはお門違いも甚だしい事だった。


 戦争が始まっても真珠湾の戦果について難癖ばかりつけて称賛の一つも無い。今も内地に戻す事もなく一航艦をひきずり回している。南雲は山本が自分を水雷屋と蔑み馬鹿にしている事を知っていた。その水雷屋を畑違いの一航艦に放り込み苦労する様をみて喜んでいる事も分かっていた。



 だが水雷屋であるからこそ、南雲には第六艦隊の挙げている戦果と新型魚雷の凄さが良く分かっていた。


 先月に伊62がインドミタブルを沈めた前後から旧式艦ばかり集めたはずの第五潜水戦隊を始め第六艦隊の潜水艦らは目覚ましい戦果を挙げるようになっていた。今では敵に護衛がいても構わず襲撃をかける潜水艦も多くなり輸送船だけでなく敵駆逐艦も多く沈めているらしい。


 おかげで英国東洋艦隊は艦隊航空戦力が半減し護衛艦艇にも事欠くようになっていた。その結果、あっさりとインド・セイロンを放棄して西方へ逃げ去ってしまったのである。


 南雲は、これらが全て新型の九九式魚雷の成果であると分かっていた。もし自分が狙われる側なら、あの魚雷は絶対に避けることが出来ない。そのくらい恐ろしい魚雷だった。このままでは一航艦の獲物は全て第六艦隊に奪われてしまう。また山本に馬鹿にされる。そんな焦りが南雲にはあった。


「MI作戦に打って出ても米空母が出てくるかどうかなんぞ博打だ。それより目の前に追い詰められた獲物がいるのだ。優先されて当然だ」


「英国もシンガポールと戦艦に続いて空母を失って弱っています。ここで東洋艦隊を撃滅出来れば英国が戦争を降りる可能性も出ます。そうすればFS作戦も意味を失います」


 当時、軍令部はフィジー、サモア、ニューカレドニアを攻略して米国と豪州を遮断するFS作戦を主張し、一方の連合艦隊司令部はハワイ攻略の足場としてミッドウェーを攻略し併せて出撃してくる米機動部隊を撃滅するMI作戦を主張し対立していた。


 そもそも連合艦隊司令部の方から作戦を主張する事が異例なのであるが、ほぼミッドウェーに作戦目標が決まりかけていた所へ一航艦からアデン湾からアフリカ東海岸にかけての攻撃作戦案が上申されたのである。議論は再度紛糾する事となった。


 英軍は、昨年のプリンス・オブ・ウェールズ喪失、シンガポール失陥後に東洋艦隊を増強した矢先にインドミタブルを失っていた。更に輸送船や護衛艦艇の被害が急増したためインド防衛は不可能と判断し東洋艦隊をインド周辺から退避させていた。南雲らの見立てでは今は恐らくアデン湾あたりに逼塞しているはずだった。


 今、英国は相当弱っている。ここで東洋艦隊を失えば英国が休戦を飲む可能性が出てくる。そうすれば英連邦の豪州も戦争から降りざるを得ない。そうなればFS作戦など意味を持たない。ハワイと米国はそれから料理すれば良いのだ。南雲らはその様に考えていた。もちろんそれは建前であり、本音は単に見栄えの良い戦果を求めているだけであったが。


 軍令部としては、現状は艦隊航空戦力で日本が優位を保っている上に潜水艦の活動も活発なため、ミッドウェーを攻略しても米艦隊が出てくる可能性は低いと見積もっていた。そして内心ではFS作戦の有効性にも疑問を持っていた。南雲ら一航艦の作戦案は大本営のインド洋重視の作戦案と合致し、ドイツからもインド洋作戦を強く要望されていたため軍令部・大本営が強く推す事となる。


 連合艦隊司令部としては身内に裏切られた格好となった。しかし米艦隊が来ない可能性が高い事は認めており、英国の腰が引けているのも事実である。このため本作戦を渋々承諾し、昭和十七年(1942年)三月、アデン湾攻撃作戦が発令された。作戦決定後、山本長官は荒れ狂い黒島亀人参謀は部屋に閉じこもったまま数日出てこなかったと言われる。


 さて、作戦目的は英国東洋艦隊の撃滅である。敵地占領は考慮しておらず陸軍の参加は無い。参加艦艇は一航戦、二航戦の空母4隻を主体とし、第三戦隊の金剛級戦艦四隻と、第八戦隊と第十戦隊の巡洋艦・駆逐艦を一時的に加えた編成となった。これは敵港湾への艦砲射撃が目的であるが、敵に旧式戦艦が多い事から万が一航空機で撃ち漏らした場合の保険でもあった。更に長期の作戦行動を予定しているためMI作戦に向けて確保されていた多数の油槽船も同行することとなった。


 また作戦に先行して伊62を除く第五潜水戦隊・第八潜水戦隊の潜水艦16隻と潜水母艦3隻が先発しアデン湾とアフリカ東岸の敵情偵察を行う事となった。尚、第八潜水戦隊の伊30は作戦終了後に遣独潜水艦としてドイツへ向かう事を密かに命じられていた。




 潜水艦が見つけた敵を第一航空艦隊が叩く。敵の艦隊航空戦力は多く見積もってもこちらの半数しかいない。もしアデン湾に敵が居なければアフリカ沿岸を下って追い詰めれば良い。敵は鈍足の旧式戦艦が中心だ。逃すことは無い。これで山本を見返せる。この時点で南雲は自分達が東洋艦隊を撃滅する事を疑っていなかった。


 だが彼は、自ら危惧しておきながら最近の潜水艦達の積極性と新型魚雷の有効性をなぜかこの時は失念していた。


 更に彼は第一航空艦隊と第六艦隊の連絡が日本を経由しなければ出来ないという事に、もう少し注意を払うべきであった。このため作戦司令部の一航艦は潜水艦の敵情報告を1日遅れでしか受け取れない事となる。また作戦途中に第六艦隊から各潜水戦隊に対して出された「通達」も艦隊が内地に帰還するまで知る事は無かった。

木梨中佐の新しい艦は時期的に伊33でも良かったのですが、とっても怖い事になりそうなので伊34にしました。


インドミタブルの喪失と通商破壊作戦の猛威で英国東洋艦隊は史実より早くインドから退避してしまいます。従って英国のマダガスカル島攻略作戦「アイアンクラッド作戦」も史実より早く発動します。このためアデン湾からマダガスカル周辺にかけて一時的に英国東洋艦隊が集結します。


そんな所に自重を忘れた潜水艦達を史実の3倍以上送り込んでしまいまいた。それも作戦司令部と満足に連絡も取れない放し飼い状態で……

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― 新着の感想 ―
[気になる点] あとがき:史実では何隻くらいの潜水艦を送ったのですか? [一言] 読みやすい作者さんはだいたい、四字熟語を愛用している方が多い印象・・・牽強付会 読みやすい・テンポがいい作者さんはラン…
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