最終話 終戦~エピローグ
ほとんどエピローグ的なお話となります。RPGのエンディング風に各所を回る形にしてみました。
――佐世保軍港 第一岸壁 伊34
岸壁に係留された伊34の甲板上には全ての士官と水兵が整列していた。その前を第一種軍装に身を包んだ木梨が歩き一人一人に声を掛けていく。そして最後にラッタルの横で待つ先任の前で立ち止まった。
「先任、寂しくなるね」
1944年(昭和十九年)2月、今日は木梨が慣れ親しんだ伊34を離れる日であった。彼は新たな潜水艦の艤装員長に任命されていた。
木梨が新たに拝領するのは第627号艦、後に伊54と命名される予定の潜水艦である。
巡潜乙型の一隻として起工した伊54は、本来は伊34とほぼ同じ要目の艦として完成するはずだった。しかし戦術や運用の変化により建造途中で大きな設計変更が行われている。このため第627号艦型は巡潜乙型改二とも呼ばれていた。
その外観で最も目立つ変更点は水中抵抗低減を強く意識した大型の司令塔であった。
新たな司令塔は格納筒を含めて全体が一つの流線型にまとめられていた。艦上の突起物も可能な限り省くか隠蔽式とされている。使用される事がほとんど無くなった14cm単装砲も廃止されていた。このため伊54は従来の巡潜乙型に比べて非常にのっぺりした印象の外観を持つ艦となっていた。
単装砲を廃止した代わりに対空兵装は強化され、25mm3連装機銃が司令塔の前後に各1基装備されている。それらも不使用時は整流カバーで覆われる様になっていた。
格納筒も拡大されている。水上偵察機の代わりに桜花を運用する事が常態化した結果、桜花の搭載数増加が求められていた。そこで桜花を3機搭載出来る様に潜特型と同じ直径4mに格納筒が拡大されていた。
巡潜型で課題となっていた連続射出能力も開発されたばかりの新型射出機の装備により改善された。
呉式一号五型射出機と呼ばれるその射出機は、外観や射出重量は従前の四型と変わっていない。しかし潜特型のために開発されていた新型射出機の空気充填装置と蓄圧装置を流用する事で3分間隔での連続射出が可能となっていた。
水中速力を増すために、水中抵抗を低減するだけでなく電動機もまた強化されていた。
伊54はドイツから齎された新型の電動機が採用されている。従来の倍の出力を持つ電動機と水中抵抗の低減努力により、その水中速力は当時の日本潜水艦としては最速の11.5ノットを発揮できると見られていた。
「後の事はお任せ下さい」
先任が真面目な顔で木梨に言った。その目にいつもの様なおどけた色は微塵も無い。彼は木梨の後任として伊34の艦長を務める事になっていた。
「先任なら大丈夫だよ。僕以外は面子が同じだからね。後は宜しく頼むよ」
さすがに木梨も伊62の時の様に主要士官の引き抜きをするつもりは無かった。今回は身一つでの異動となる。
「英雄の戦った艦の名に恥じぬ様、しっかり纏めあげてみせます。艦長もお元気で。今までご指導ありがとうございました」
「そんなに気張らなくてもいいよ。戦争もほとんど終わりだからね。僕も向こうではゆっくりやらせてもらうつもりさ」
緊張気味の先任に木梨が微笑んだ。
岸壁には車を待たせてある。あまりゆっくりはしていられない。そろそろ頃合いだろう。木梨は名残惜しそうにしている先任に頷いた。
「総員、艦長に敬礼!」
先任の号令で甲板の全員が一斉に敬礼した。木梨も皆を名残り惜しそうに見渡す。そして江田島でも出来なかった見事な答礼をすると、振り返る事無くラッタルを降りて行った。
「総員、帽振れ!」
木梨が車に乗り込み、その車の姿が見えなくなるまで伊34の乗員らは帽子を振り続けた。
――停戦交渉
木梨が先任に言った通り、米国との戦争は事実上終結していた。まだ講和交渉こそ行われていないが枢軸国と米国の間には昨年末に停戦が成立している。最前線では相変わらず緊張はあるものの戦闘は既に行われていない。
現在、連合国側で戦闘を行っているのはソ連のみであった。形だけ連合国に参加した有象無象の国は当然ながら何もしていない。連合国共同宣言などは英国が脱落した時点で既に形骸化している。
昨年10月にルーズベルトが停戦の可能性を口にした直後から枢軸国と米国の間では交渉が開始されていた。
交渉はスイスのジュネーブで行われた。米国側の窓口となったのはOSSスイス支局長のアレン・W・ダレスである。既に欧州の戦火は独ソ戦を除けば収まっており、太平洋戦線もミッドウェー・ハワイで膠着している状況のため停戦交渉は比較的スムーズに進んだ。
そして交渉は開始からわずか1ヵ月後の1943年(昭和十八年)12月には合意に達し、即日停戦が発効した。クリスマスを待たずに停戦が成立したのである。ルーズベルトはこの停戦を国民へのクリスマスプレゼントだと自ら称賛した。
停戦期間を利用して米軍はアイスランドで孤立していた米兵5万人を撤収させた。極寒の地で補給を断たれた彼らは死の一歩手前まで追い詰められていたのである。幸い火山活動が活発な地のため凍死者こそ発生しなかったものの食料や医薬品の不足により全員が痩せ細っていたと言う。
停戦期間中のソ連への支援は禁じられた。この米国の裏切りとも言える行為に当然ながらスターリンは激怒した。彼は米国を激しく非難しソ連国内に居た米国人の拘束を命じた。そして戦争を再開しなければ人質は解放しないと宣言したのである。この行動により米国民の心は更にソ連と共産主義から離れる事となる。
停戦期間はとりあえず1年間とされた。双方から異議が出ない限り停戦期間は1年ずつ自動延長される。米国にとってのみ都合が良い条件と思われたがオブザーバーとして参加していた英国の助言もあり枢軸国はその条件を飲んだ。
ルーズベルトとしては停戦期間に枢軸を凌駕する戦力を整えホワイトサンダーやGIZMOへの対策にも目途を付けるつもりだった。マンハッタン計画もその頃には物になっているはずである。戦争を再開すればもう米国に負ける要素は無いはずだった。
だがその目論見も自身と民主党が政権に留まれば、という但し書きが付く。ルーズベルトはクリスマス停戦で支持率を回復し予備選と本選を勝利しようと考えていたのである。
――東ロシア帝国 ハバロフスク西方 ビロビジャン基地
「それで軍を辞めた後はどうするのですか?」
T-34の砲塔上に胡坐をかくカーチャにノーニャが尋ねた。
1944年(昭和十九年)12月、一年前に米国との停戦は成立したがソ連との戦いは未だに続いていた。戦線は現在ハバロフスクの西方に移っている。
ハバロフスク戦車戦の後半に乱入した時には真っ赤な防錆塗料が塗られただけだった彼女らの戦車であるが、今では日本陸軍の二色迷彩が施され更にその上から白色の冬季迷彩が施されていた。砲塔側面と上面には誤射を避けるため大きくロシアの三色旗が描かれている。
当時、帝国復興派はシベリア鉄道で輸送されてきたばかりのT-34を強奪したものの、それを扱える戦車兵がいなかった。唯一その場で可能だったのは促成教育を終えたばかりのカーチャら女性部隊だけだった。
無理やり塗装もされていないT-34に乗せられたカーチャらだったが敵部隊の油断もあって勝利を収める事ができた。そしてその後もなぜかズルズルと戦車兵を続けている。幸いカーチャに才能があったのか今まで誰も欠けることなく部隊を維持する事が出来ていた。
そして先日、軍の最前線から女性兵士を退かせるという通達が出された。ソ連との戦いは続いているが、うら若い女性を戦場に置くのは如何な物かと共同戦線を張る日本軍から抗議が来たのが理由らしい。このためカーチャらは軍を辞めるか後方任務に就くかの二択を迫られていた。
「うーん、ハバロフスクかウラジオストク辺りで仕事を探すしかないわね。多分すぐに見つかるはずよ」
カーチャが自信満々に胸を張る。
ノーニャはカーチャの起伏の少ないチンチクリンな体を上から下までゆっくりと見て、そして自分の胸と見比べた後、断言した。
「……難しいかと思います。ごく一部に需要は有るかもしれませんが」
「なんでよ!どういう意味よ!それにあんた一体どんな仕事を考えてるのよ!」
砲塔から転げ落ちそうになりながらカーチャが怒鳴る。
「正面任務から女性を外すだけですから軍は辞めずに後方任務へ転属依頼を出すのも良いですね」
「ちょっとノーニャ!人の話聞いてるの!」
「軍属の仕事も有るかもしれませんね。例えば調達とか輸送とか警備とか……」
「無視してるよね!ノーニャ私の事、無視してるよね!」
「いっその事、さっさと適当な金持ちの男を捕まえて結婚するのも手かもしれませんね」
「……そんな都合のいい男なんて簡単にいるわけないじゃない」
無視された上に話を逸らされたカーチャがムッとして答える。
「あの親しげにされていた日本人でも良かったのでは?」
そう言ってノーニャは遠くで配備されたばかりの新型戦車を囲んで騒いでいる日本兵の方を見た。
「あーあいつ?ダメダメ全然ダメ。馬鹿だから」
カーチャが大きく首を振る。
「そうですか?殿を務めるくらい勇気がある方ですよ。確か昇進もされた様ですし。それに家柄も大変良くて、しかもお金持ちだとか」
ノーニャが不思議そうにあごに指をあてて首を傾げる。
「確かに貴族で金持ちかもしれないけど、あいつの頭の中は馬と車の事しか無いわよ。いっつもウラヌス、ウラヌスって。ほんっと馬鹿みたい」
「そうなんですか。馬鹿じゃ仕方ないですね……」
「そうなの馬鹿なのよ……どこかにもっと強くて賢い男いないかしら……」
そう言って二人は溜息をつくと再び遠くで騒ぐ日本兵達を眺めた。
二人から酷い評価を受けているとは露知らず、西中佐は新型戦車をもらってご機嫌だった。
今日新しく配備されたのは四式中戦車(チリ車)であった。
倫敦式戦車はT-34に歯が立たなかった。昨年制式化された三式中戦車(チト車)はかろうじてT-34に対抗できたが、その実態は一式中戦車の車体に50口径57mm砲(6ポンド砲)を載せただけの代物である。昨今の急速に強大化しつつある独ソ戦車に比べるべくも無かった。
そこで陸軍が本格的にソ連戦車へ対抗できるものとして開発したのが四式中戦車である。強力な対戦車砲を持たない日本陸軍は三式中戦車に続きその解決策を英国へ求めた。そして英国も対戦車用途に使用していた17ポンド砲に目を付けたのである。
車体は一式中戦車を拡大した全溶接構造となりドイツV号戦車やソ連T-34を参考として前面装甲は傾斜している。しかし変速機、操向装置は従来の日本戦車同様に前置きとされたためドライブシャフトが車内を貫通する構造となり車高は高くなっている。また変速機等の点検ハッチが前面装甲にボルト固定されており防御上の弱点となっていた。
それでも四式中戦車は日本陸軍がはじめて手に入れたソ連戦車と正面から戦える中戦車である。西が有頂天になるのも無理は無かった。
「新型は良いね!でもちょっと足が遅いのが気になるかな?うん、やっぱり赤く塗ろうか」
「中隊長、お願いですから今度こそは止めてください!」
「赤く塗れば速くなるよ。絶対」
「そんな訳ないでしょう!また営倉行きですよ!後で塗り直すのも大変なんですから!絶対やめてください!」
西は倫敦式戦車を赤く塗って大隊長から一度譴責されていた。それに懲りずに後に配備された三式中戦車を再び赤く塗り、士官であるにもかかわらず営倉行きとなっている。当然ながら毎回塗り直しの尻拭いをさせられるのは部下達である。
だが軍曹の願いも虚しく西は今回も夜中に一人でこっそりと戦車を赤く塗り再び営倉行となった。大隊長が西を兵器損壊の罪で軍法会議にかけなかったのがせめてもの温情であろう。
赤い塗料が足らなかった為か白色の冬季迷彩と混じり合ったのか、この時に西が塗りかえた戦車は赤と言うよりは茜色か桃色に見えたと伝えられている。
――1944年 米国大統領選挙
米国が枢軸国と停戦した事によりルーズベルトの支持率は回復傾向を見せていた。だがそれは期待に比べ小さく弱いものだった。1年後の戦争再開と勝利を約束するルーズベルトに対する国民の反応は冷ややかだった。大多数の国民は戦争の再開なぞ望んでいなかったのである。
更にソ連を一時的にでも見捨てる形となった事により、ルーズベルトは自らの大きな支持基盤であるニューディール連合の支持も失う事となる。
その結果、1944年(昭和十九年)2月のスーパーチューズデーではルーズベルトとハリー・F・バードに票が完全に二分される結果となった。この結果を受け各州の予備選挙も混沌とした状況が続く事となる。そして党内調整がつかないまま指名獲得は8月の党大会にまでもつれ込んだ。
そして最終的に民主党内保守派がバードの支持に回った事で情勢は決定的となる。民主党の指名はバードが獲得し、ルーズベルトは現職大統領であるにもかかわらず党内選挙で敗北したのであった。
ルーズベルトは敗北のショックで体調を崩し、以降はほとんど政務をとれない状況となる。このため副大統領のヘンリー・A・ウォレスが実務を代行する事となった。政権は完全にレームダック状態に陥り、「何もしない」事がウォレス副大統領の任期中の仕事となった。
11月の本選挙では民主共和両党が枢軸との早期講和を公約していた。既に停戦から1年近くが経過している。もはや米国民が「戦後」の事しか考えていないのは明確であった。おそらくこのまま停戦期間は自動延長されるだろう。
ルーズベルトの社会主義的政策への反動から両党の経済政策も似通っていた。主張が同じならば世界大戦に首を突っ込んだ責任がある分、民主党の方が不利である。それに加え選挙期間中にソ連との不自然な関係がどこからか暴露された結果、共和党が地滑り的な圧倒的勝利を収め選挙戦は幕を閉じた。
大統領本選挙も共和党のロバート・A・タフトが勝利した。フーヴァー以来およそ12年ぶりとなる共和党出身の大統領である。上下院選挙も共和党が地滑り的な大勝利を収め、議会の過半数も共和党が占める事となった。
ルーズベルトは翌年1945年(昭和二十年)4月、失意のままひっそりと自宅で息を引き取った。その死を看取った者は誰もいなかったという。米国のトップに12年間も君臨した人間の最期にしては、その死に様は非常に寂しいものであった。
――ロンドン講和条約
1945年(昭和二十年)1月、第33代大統領に就任したタフトは早速枢軸との講和交渉を開始した。しかしその交渉は当初は弱腰とも見られるものであった。
停戦期間に米国はドイツや日本に十分対抗しうる戦力を整備できていた。しかしタフトは国民に戦争を再開しないことを約束して当選している。そのため米国は武力を背景に再戦をちらつかせる様な交渉が出来なかった。
それに途中から中華民国などソ連を除く連合国も交渉に加わった結果、交渉期間は約一年にも及ぶ事となる。最終的に米国が原子爆弾の開発成功を公表した事により枢軸側が大幅に譲歩した結果ようやく各国は合意に漕ぎつけた。その主な内容は以下の通りである。
・各国は互いに賠償金請求を行わない。
・連合国は満州国、東ロシア帝国を承認する。
・連合国は枢軸国に対する全ての経済制裁措置を解除する。
・米国は米国内の枢軸国系国民を解放し失われた資産の補償を行う。
・日本は北西ハワイ諸島、アリューシャン諸島の占領地を米国へ返還する。
・米国はアイスランドより撤退する。
・連合国はソ連への支援を行わない。
・満州国への将来の米資本参加を検討する。
・中華民国の各国の租界を復活させる。
日本国内ではミッドウェー島やアッツ島、キスカ島等の占領地返還について異論が出た。どうして負けてもいないのに占領地を明け渡すのかと言う理屈である。特にミッドウェーについては山本五十六の散った地であり太平洋の要衝でもある事から反対意見も多かった。
しかし当の海軍からは大きな反対意見は無かった。本土から遠く孤立している地は維持が大変なだけだというのが理由である。今や原爆を持った米国の爆撃機の攻撃圏内に拠点を持つことの危険性も考慮されていた。
連合国の一つとして交渉に参加したにもかかわらず中華民国の立場は一顧だにされなかった。米国で行ったロビー活動の嘘も明らかになったうえ、日本軍より共産党や軍閥との内戦に明け暮れている状況では、ほとんど主権国家として見做されなかったのである。蒋介石は途絶えていた援助を得るために屈辱的な条件を飲むしかなかった。
1946年(昭和二一年)1月、講和条約の調印は英国ロンドンで行われた。ここに独ソ戦を除き第二次世界大戦は正式に終結した。
――横須賀 船越 連合艦隊司令部
「長官、ようやくマル六計画がまとまりましたね」
草鹿参謀長が書類を読む南雲に話かけた。
「大砲屋の連中はさぞかし不満だろうがね。これ以上、死人が出ない事だけを祈るよ」
南雲は書類から目をあげると眼鏡をはずして眉間を揉んだ。
山本五十六の戦死後、名声の高かった南雲を次期長官にと推す声も一部には有った。しかし海兵年次が考慮された結果、古賀峯一大将が第28代司令長官に就任している。
そして1946年(昭和二一年)5月、古賀の後任として南雲の名前が再び挙がり、第29代司令長官を拝命する事となった。これまで現場一筋だった南雲としては艦隊勤務を続けたかったのだが周囲の事情がそれを許さなかったのである。草鹿も横須賀海軍航空隊司令を経て連合艦隊参謀長となっていた。南雲と組むのは一航艦の時以来となる。
気心の知れた草鹿参謀長が居ても尚、慣れない陸上勤務に南雲の疲れは溜まる一方だった。
せめて司令部の場所が今までの様に艦上に在ったなら多少は気が紛れたかもしれない。だが今南雲が居るのは横須賀軍港に面したビルの一室だった。窓からは軍港を一望できたが、空調の効いた真新しい部屋では潮の香など微塵も感じなかった。
連合艦隊司令部が陸に上がる事になった切っ掛けの一つはミッドウェー海戦での山本五十六の戦死であった。この事件により司令部要員が戦闘で一気に喪われる危険性が指摘されたのである。
南雲が山本の死を初めて知ったのはウラジオストク攻略支援作戦が終了となり艦隊が舞鶴へ戻った時であった。そこで南雲は山本が敵戦艦部隊との砲戦で負傷し死亡したと聞かされた。
それを聞いた南雲は山本を見直していた。いけ好かない男で色々と嫌がらせもされたが、自らの死に瀕しても作戦続行を望むとは流石は連合艦隊司令長官を拝命するだけの事は有る。思っていたよりずっと勇敢な漢であったのだなと感心したのである。
その後、宇垣参謀長に会った時にその事を伝えると、なぜか宇垣はとても微妙な顔をした。彼の引き攣った頬を眺めながら相変わらず鉄面皮の表情は読みにくいなと南雲は思った。
司令部の移転については山本の死以外に日本の支配領域が一気に拡がった事も理由だった。指揮通信能力の不足が各所で顕在化していたのである。いかに戦艦信濃が巨大で司令部機能も強化されていても、その能力には限界があったのである。
そこで先代の古賀長官の代に司令部陸上化の検討が進められた。移転先として選ばれたのは横須賀であった。ちょうど工廠実験部が手狭になり移転が計画されていたので、その跡地に司令部の新しい庁舎が建設される事となった。そして南雲の司令長官就任と同時に連合艦隊司令部は陸上に移動したのである。
「今後は戦艦の建造は無し。退役する山城型、伊勢型、金剛型の代艦も無し。戦艦は大和型と長門型の5隻だけになりますからね」
草鹿は手にした書類を見た。そこには先日ようやく合意された第六次海軍軍備充実計画、通称「マル六」の概要が記されていた。
「その戦艦に期待されるのも丈夫な司令部機能だけだ。立派な大砲も今や飾りに過ぎん」
南雲も手元の同じ書類を見ながら言った。
「巡洋艦以下も寂しい限りですね。軽巡みたいな艦ばかりになります」
「仕方なかろう。戦艦も含めてこれからは空母のお守りが任務だ。航空機と潜水艦が相手なら重巡すらも必要とされん」
対米戦の終結と同時に日本は建艦計画の大幅な見直しに着手していた。改マル五に基づいて整備されつつあった艦艇も未起工の艦はすべてキャンセルされ、工事進捗が5割未満の艦も工事が凍結されていた。
大砲も航空機も所詮は弾を遠方へ飛ばす手段に過ぎない。航空機の進歩が著しい昨今では射程が精々数十キロしかない戦艦の出番はもう無かった。つまり遠く離れた米国や支配地域へ送る戦力としては空母が一番適していると言えた。
対する米国は引きこもり方針を取り潜水艦戦力を大幅に拡充しようとしている。ならば艦隊を守る為にも航空機と小型艦艇が大量に必要であった。当然ながら水上砲戦より対空対潜任務に適した艦が大量に必要とされる事となる。
その結論は分かり切っていたはずなのだが、これに所謂大砲屋達が強硬に反対した。当時は自殺や不審死を遂げる者が出る程の騒ぎだった。おかげで計画がまとまるまで2年もの月日を要した。その間に工事が凍結されていた艦も野ざらしで駄目になっていたため、ほとんどが計画中止となり解体される羽目となっている。
「あとは大量の潜水艦ですか……これから海軍も随分と様変わりしますね」
「もう大砲や魚雷を撃ちあう戦なんぞ金輪際起こり得んからな。もし有るとすれば余程の素人か酔狂だけだろう。我々もそのつもりで頭を切り替えていかんとな」
そう言って溜息をつくと南雲は窓の外を見た。沖合には戦艦信濃が停泊している。以前は頼もしく見えたその巨大な姿も今では心なしか色褪せている様に南雲には感じられた。
――ハワイ 真珠湾 ヒッカム海軍将校クラブ
「なんとも貧相な海軍になっちまったな」
1947年(昭和二二年)3月、パールハーバーの艦艇を眺めていたハルゼーはビールジョッキを飲み干すと溜息をついた。視線の先には空母や戦艦など多数の大型艦が並んでいる。ハルゼーは貧相と言ったが、それを見る限りは十分に大艦隊と言えるだけの艦がそこに存在していた。
「外征艦隊と言えるのは一つだけになりましたからね。後は潜水艦と対潜艦艇と航空機ばかり。まぁポストが減ったから私もこうして楽ができると言うものです」
久しぶりにハルゼーを訪ねて来ていたスプルーアンスが優雅にカクテルを飲みながら桃缶をつつく。ハルゼーは昨年海軍を退役しハワイで暮らしていた。まともな海軍を見れるのがここしか無いと言うのがハワイを選んだ理由らしい。
それに今の米国には赤狩りの嵐が吹き荒れていた。共産主義が大嫌いなハルゼーにとって赤がいくら狩られても何の痛痒も感じないが、魔女狩りの様な今の状況はあまり愉快なものでは無い。そういった事も彼が本土から離れた理由だった。
一方のスプルーアンスは山本五十六を討った大功により元帥の称号と終生現役待遇を得ていた。昨年には海軍大学校長を退任し悠々自適な引退生活を過ごしている。
確かにパールハーバーに在泊する大型艦は多い。しかしスプルーアンスの言う通り米国の大型艦のほとんどは実はここにしか居なかった。大戦終結後、国民が軍に求めたのは外征能力ではなく国内の護りであったためである。
フィリピンと欧州の同盟国を失った今、米海軍の相手となる日本海軍とはハワイ方面でしか対峙していない。ドイツやイギリスに大きな外洋艦隊を持つ意思が無いらしい以上、艦隊戦力はハワイにさえ有れば良かった。
その代わり本土と近海航路を脅かされた経験から護衛艦艇や潜水艦、それに航空機は大幅に増強されていた。つまり米海軍は巨大な地域海軍へと変貌を遂げていたのである。
「その艦隊もいつまで保つものやら……」
方針の転換によりスターク案、ヴィンソン案で計画されたほとんどの艦艇がキャンセルされていた。戦艦はアイオワ級が4隻完成した以降は計画も無い。空母も改エセックス級が4隻完成した所で打ち止めとなっていた。
その代わりに潜水艦隊は大幅に拡充されている。日本の桜花をまねた巡航ミサイルを搭載した潜水艦の配備も始まっていた。そして今では日米双方が敵国近海にミサイル潜水艦を展開し睨み合っている状況である。
米国は昨年に原子爆弾の開発に成功していた。いずれそれを搭載した潜水艦も配備されるだろう。ドイツの弾道弾に脅威を感じて慌てて同様な弾道弾の開発も進んでいると聞く。原子力でずっと浮上せずに作戦行動できる潜水艦も開発中らしい。
そうなれば目の前の水上艦隊の存在意義はどうなるのか……ハルゼーに余り明るい未来は想像できなかった。
――北海 オークニー諸島沖 グラーフ・ツェッペリン
「右前方の海面にご注目ください」
仮設の観覧席が設けられ飛行甲板上にアナウンスが流れた。それに従い多数の来賓や軍人達が指示された方の海に注目する。
その中にかつてのUボートエース、オットー・クレッチマー少将が居た。彼は潜水艦勤務を続ける事を希望していたが流石に将官となってはそれも難しい。現在はデーニッツに乞われて海軍司令部の参謀を務めていた。
グラーフ・ツェッペリンの前方には政府要人や重要来賓が乗っている戦艦ティルピッツが航行している。きっとそちらから見えやすい位置に例の潜水艦を浮上させるのだろう。宣伝相殿も仕事熱心な事だ。周囲と同様に海面を注視しながらクレッチマーは思った。
しばらくしてティルピッツの右側数百mの所に一隻の潜水艦が浮上してきた。
「ご覧下さい。あれが我がドイツ海軍の誇る最新鋭の潜水艦です!」
アナウンスが誇らしげにその潜水艦を紹介する。それに応えるように来賓達がざわめく。1㎞は離れた位置に居るグラーフ・ツェッペリンから見てもその潜水艦の大きさと異様さが見て取れた。
その艦はXXX型Uボートの一番艦U-3001であった。現時点では世界で唯一の最初から弾道弾発射を目的に建造された潜水艦であった。
「でかいな……」
データを見て分かってはいたが現物を見ると改めてその大きさを実感できる。U-3001を初めて見るクレッチマーも思わず驚きを口にしていた。
まずその大きさが違った。一般的なUボートより遥かに大きい。大柄な艦の多い日本の潜水艦と比べても更に倍以上の大きさがある様に見える。
その船体の上に巨大な司令塔が載っていた。後部に3基の弾道弾発射筒を内蔵した司令塔は水中抵抗低減を意識してデザインされていたが、それでもなお従来のUボートを見慣れた目には異形に映った。
「ではこれより弾道弾の発射試験を開始します。あの潜水艦の上部にご注目ください」
再びアナウンスが流れた。司令塔後部のハッチの一つがゆっくりと開く。ぽっかりと開いた穴から白い湯気らしきものが微かにたなびく。そしてカウントダウンが開始された。
「……5……4……3……2……1……発射!」
カウントダウンが終わると同時に穴の中から激しい煙が噴き出した。少し遅れて黒々とした物体が穴から飛び出す。細長いそれの全体が露わになると同時に下部から眩い光を放たれた。そして轟音と共にすさまじい勢いで空中へと駆け上がっていった。
1947年(昭和二二年)8月、ドイツは潜水艦発射型弾道弾の公開試験を行った。それは成功裏に終わり発射された弾道弾は約500km離れたアイスランドの演習場に着弾した。
ドイツは5年前に地上発射型弾道弾の開発に成功しており当時に比べ信頼性と射程は大幅に向上している。そして今年に入って米国に次いで2番目となる原子爆弾の実験にも成功していた。地上発射型弾道弾と先ほど発射された弾道弾は基本的に同じ物である。つまり目の前の潜水艦はいずれは原子爆弾を搭載する事を意味していた。
迎撃がまったく不可能な弾道弾に原子爆弾が搭載される事は防御する側にとっては悪夢である。ドイツの原子爆弾開発の成功と同時にソ連は枢軸国との停戦に応じていた。
そして1947年(昭和二二年)3月、ようやく世界から戦争の火は消えたのだった。首都をクイビシェフへ移そうとしていたスターリンは原子爆弾を搭載した弾道弾を恐れ更に内陸のスヴェルドロフスク(旧エカテリンブルク)へと移している。
「実験は成功しました!ご覧のように我が国は海から世界中のいかなる場所へも攻撃する能力を手に入れたのです!」
「そこまで素晴らしいものでは無い。今はな」
アナウンスの賛美をクレッチマーは否定した。実はU-3001はかなり無理をした設計となっている。このためその航続距離は非常に短かかった。アナウンスでは世界中を攻撃できると言っていたが本当は欧州周辺が精一杯な性能しかなかった。
だがすぐに改良型が出るだろう。そしていずれ潜水艦は皆こんな艦ばかりになるのだろう。もう現役だった頃の様な戦いは望めない。自分はもしかしたら良い時期に地上勤務へ身を退いたのかもしれないな。陸にあがった事を後悔していたクレッチマーはU-3001の異形を見て少しだけ安堵していた。
「つまらん時代になったな」
クレッチマーは小さく吐き捨てる様に言った。幸い周囲で浮かれている者達は誰も彼の呟きに気付かなかった。
実験成功に沸き立つ周囲をよそにクレッチマーは長く伸びる弾道弾の煙の筋を無表情で眺めていた。それは地球が丸い事を証明して遠ざかるにつれ徐々に水平線へと向かっていった。
この後、深深度発射可能な発射管と魚雷を搭載した攻撃型潜水艦の出現により、クレッチマーの予想とは裏腹に潜水艦の任務は再び退屈とは無縁な物となる。後にそれを知った彼は現役復帰を強く希望してデーニッツを悩ませたという。
――広島県 大竹 海軍潜水学校
「どうして、たった1射線の魚雷で命中したのでしょうか?その時は方位盤も用いなかったとお聞きしております。宜しければ理由をお教えください」
講堂に若い溌剌とした声が響いた。
懐かしい質問だな……いやあの時に受けたのは先任だったか。檀上に立つ木梨は昔を思い出して苦笑した。そんな木梨を質問を発した少尉は興味津々といった様子で見つめている。他の生徒達の表情も同様だった。
1948年(昭和二三年)、伊54を降りた木梨は潜水学校の校長を務めていた。大佐であった木梨は退艦と同時に少将へと昇進している。一部には軍令部にとの話もあったが海軍においてハンモックナンバーは絶対である。自分のキャリアもこの辺りが上がりかなと木梨は思っていた。
そして今は週に何度かこの様に直接教鞭を振るっていた。先の大戦を勝利(日本ではその様に報道している)に導いた英雄の講義は学生達の人気が非常に高かった。
「良い質問だ少尉。これから君達も詳しく学ぶ事になるが基礎は大切だ。まずは大まかな射法理論と襲撃手順から説明しようか……」
今日は今年の新入生に対しての初めての講義である。本来なら今後の勉学と潜水艦勤務の訓話を兼ねた内容を予定していた。この先に連日詰め込み座学が待っている彼らにとっては自由に質問のできる貴重な講義でもある。
偶にはこういう趣向も良いか……木梨は白墨を手に取ると黒板に向かった。
「御無沙汰しておりました、木梨少将。いや艦長」
「こちらこそ久しぶりだね大佐、こちらも昔通り先任と呼んだ方がいいかな?」
そう言って二人は笑いあう。講義を終えた後に木梨は校長室で来客を迎えていた。来客は伊62の頃から縁のある当時の先任である。彼は木梨の後に伊34の艦長を務めあげた後、現在は確か伊406の艦長を務めているはずだった。
「それで今日は一体どうしたんだい?ただ挨拶に来た訳じゃないだろう?」
そう言えばマダガスカルで似た様な事を言った記憶があるな……木梨はそんな事を思い出す。
「いやぁ申し訳ありません。本当に挨拶に来ただけなんですよ……なにしろ艦長が退艦されて以来ずっとご挨拶する機会が無かったもので。今日もやっとこさ監視任務から戻ったばかりなんです」
先任は情けない顔をして頭を下げた。
「いやありがとう。こうして昔みたいに話が出来て僕も嬉しいよ。僕の方はこんな風に毎日気楽なものさ。それで先任の方はどうだい?新しい艦は良いだろう?」
「広くて大きいから居心地は良いですよ。巡潜とは比べもんになりません。しかしこう言っちゃ何ですが……良いのはそれだけですな」
彼の乗艦である伊406は潜特型と呼ばれる伊400型潜水艦の7番艦である。昨年就役したばかりの新造艦であった。
もともと潜特型は米本土爆撃を目的として計画されていた。しかし推進者であった山本五十六の死と運用戦術の変化を受けて当初計画から大きく設計が変更されていた。
まず目玉であった新型水上攻撃機の搭載は見送られた。電探と航空機が発達した昨今では低速な水上機での攻撃が成功する可能性は極めて低いと判断されたためである。その代わりに巨大な格納筒を活用し桜花を9機搭載する仕様に改められた。
船体の形状もまた計画から変わっていた。水中抵抗の低減が伊54の様に徹底されたのである。特に後から建造された伊406などは、その変更が司令塔だけでなく船体にまで及んでいる。
艦首は水中高速実験潜水艦の研究結果に基づいて大きく変更されていた。日本刀の切っ先の様な鋭い形状からマッコウクジラを思わせる四角い形へと変わっている。
また8門設けられる予定だった魚雷発射管も6門に減ぜられた。その代わりにドイツとの共同研究で開発された自動装填装置が日本の潜水艦としては初めて備えられた。
「やはり監視任務は退屈かい?」
「そうなんですよ。なにしろ任務中はひたすらに海中じっと潜んでいるだけですからねぇ。ほんとにやる事が無くて困りますよ」
潜特型に期待されたのは米国に対する抑止任務であった。米国近海に潜みいつでも桜花を撃ち込める体制を維持するのである。今後その任務は更に重要なものとなると見られていた。
今年日本は世界で三番目となる原子爆弾の実験に成功していた。原子爆弾はその構造から非常に重くなる事を避けられない。しかし日本は弾道弾を未だ実用化しておらず米国まで往復できる大型爆撃機も無かった。つまり現状の日本にとって潜特型は原子爆弾の発射プラットホームとして唯一の手段だったのである。
潜特型はもともと新型水上攻撃機を3機搭載する事が可能であった。零式小型水偵より遥かに大きく重いその機体に対応して、射出機も5tもの射出重量を与えられている。
そこで日本は原子爆弾の搭載を見越して潜特型の射出機能力いっぱいの飛行魚雷を新たに開発した。「梅花」と名付けられたこの飛行魚雷は原子爆弾の搭載を見越して2tもの弾頭重量を持っている。現在は梅花を3機を搭載した潜特型が常に米国西海岸で監視任務に就いていた。
いずれは原子爆弾を搭載した梅花が配備される予定である。重量と直径の関係から効率の悪いガンバレル型と成らざるを得ないが、それでもTNT換算で10キロトン程の威力は見込まれていた。原子爆弾としては重量の割に低威力であるが、これでも一発で小規模な都市なら地上から完全に消し去る事が可能だった。
昨年、米国に次いで二番目に原子爆弾の開発に成功したドイツでは日本とは違うアプローチで原子爆弾の運搬体を開発しているらしい。大戦中に英国を攻撃するために開発していたロケットに原子爆弾を搭載して直接米国本土やソ連領を狙う構想との事だった。既にロケットを搭載した潜水艦も就役している。
日本もまたドイツを追ってロケットの開発に着手していた。遣独潜水艦の時に知り合った平塚火薬工廠の村田も今この件に深く関わっているらしかった。これが完成すれば伊400型も時代遅れのものになるだろう。さすがに木梨はその様な無粋な事までは先任に言わなかった。
とにかく現在は日独米の列強が原子爆弾の開発に成功し潜水艦と大型爆撃機に搭載して睨み合っている状況である。つまり世界は原子爆弾の力によって平和が保たれていた。
「まぁ退屈だろうけど、平和のためには欠かせない任務だね」
「手当が良いのと飯が他の艦に比べて美味いってのが無けりゃ我慢できませんよ」
その後、先任は小一時間、昔話と世間話に花を咲かせると帰って行った。本当に挨拶に来ただけらしかった。もしかしたら潜特型の新たな運用提案などを期待していたのかもしれないが潜水学校の校長にそんな政治力などを期待されても困る。
まぁ御国のために頑張ってくれたまえ。先任の背中を見送りながら木梨は心の中で応援した。応援だけならいくらでも出来る。
「校長、小包が届きました」
「あぁ、ありがとう。思ったより届くのが早かったね」
木梨が一服していると事務員が荷物を抱えて入ってきた。潜水学校の校長というものは存外に暇である。運用提案の話はともかく、もう少し先任を引き留めておけば良かったと後悔していた木梨は喜んで小包を受け取った。
小包の封を開けると中には一冊の本が入っていた。「History of United States Naval Operations in World War II」(アメリカ海軍作戦全史)と題された英語の本である。
ハンモックナンバーが低いとはいえ木梨も人並みには英語は読める。名目上は学校の教材として取り寄せたもので実際に講義でも使うつもりなのだが、これでしばらくは暇がつぶせると木梨は早速ページを繰りはじめた。
アメリカ海軍作戦全史はサミュエル・E・モリソンが執筆したものである。基本的に米側の視点で書かれた戦史であるが、戦後に各国の戦闘記録をつきあわせる事で出来るだけ中立正確であろうとしていた。各所に見えるその姿勢が木梨にはとても好ましく思えた。
「噂には聞いてたけれど、これは酷いね……この艦長には僕でもちょっと同情するかな」
この戦史は現在も執筆が続けられている。木梨が購入したのはその第三巻、「Vol.3 The Rising Sun in the Pacific」(太平洋に昇る太陽)である。そのタイトル通り本書は主に日本との戦いがまとめられていた。
その中でモリソンは、太平洋戦争は潜水艦の戦争だったと総括している。ミッドウェーを巡る戦いにも多くのページが割かれていた。そこには当然ながら米軍魚雷の不発に関する事も述べられている。
そこには木梨がここまで書いて良いのかと驚くほど米軍の魚雷開発の実情が事細かに書かれていた。木梨が同情した艦長が司令部に陳情という名の殴り込みらしき事をした事件まで書かれている。
そしてミッドウェー海戦の章は、「もし米軍の潜水艦の魚雷に不具合が無ければ、戦争は米国の勝利で終わっていただろう」という彼の個人的な見解まで付記されていた。歴史研究に「たられば」は禁物であるが、やはりモリソンでもミッドウェー海戦の魚雷不具合については冷静さを保てなかったのだろう。
「しかし、この呼び名は一体何だろうね?」
基本的に事実に基づいて書かれている本のはずなのだが、木梨には一点だけ不思議な点が有った。
モリソンはその著書の中で九九式魚雷の事を『グングニル』と呼んでいたのである。
「グングニルって……確か欧州かどこかの伝説の武器だったかな?でもドイツの魚雷は違う名前だったはずだけど……」
日本軍は九九式魚雷に特定の名称や愛称を付けていない。ドイツでの名称はカワセミ(アイスフォーゲル)であった。
米軍では「ホワイトサンダー」と呼ばれていた事も枢軸側は把握していた。この名は米国や英国の公式文書にも度々登場するほど周知されている。少なくとも木梨には九九式魚雷がグングニルと呼ばれていた事実など記憶に無かった。
なぜモリソンが『グングニル』と呼んだのかは本人がコメントを残していないため現在では謎とされている。一説によれば、歴史書にも芸術性を求めたモリソンは速い物には「サンダー」や「ライトニング」としか名づけられない自国民の貧弱な語彙を嘆き、このように名づけたのではないかとも言われている。
これにて『蒼海の魔槍(グングニル)~超高速ロケット魚雷で日本が無双』は終わりとなります。
初めての一年を超える連載で途中危ない時も有りましたが皆様の応援のお陰でなんとか完結に辿り着く事が出来ました。本当にありがとうございました。