閑話三 ある老兵の生涯
お待たせしました。本編をお待ちの方には申し訳ありません。
本話は山口多聞氏の主催する「架空戦記創作大会2018冬」の参加作品となります。お題の「架空の軍隊の催しに関わる架空戦記」にちなんで、戴冠記念観艦式、在位50周年記念観艦式に参加した英国最後の戦艦「ヴァンガード」にまつわるお話をお送りします。
本編よりかなり未来の話となるため、この先の展開と不整合になる可能性もありますが、その際はご容赦ください。今回もイラスト多めとなっております。挿絵表示ONでお楽しみ頂けると幸いです。
ちょっと長目(2万字)です。
――英国 ポーツマス サウスシー城
ポーツマス港の入口に位置するサウスシー城は16世紀にフランスと神聖ローマ帝国の侵攻を防ぐためヘンリー8世により築かれた城である。欧州各所に残る御伽話に出る様なお城と異なる装飾の一切ない角ばったその外観は、豪奢を好んだヘンリー8世の手によるものとは思えぬほどに極めて無骨で実戦的な雰囲気を放っていた。
事実、築城後に幾度もの戦火を潜り抜けたこの城は第二次世界大戦でも軍によって使用されていた。しかし停戦に伴う軍の縮小とともにポーツマス市に払い下げられ、その400年の長きにわたる役目を漸く終える事となる。現在では19世紀頃の姿を復元され博物館となり市民の憩いの場となっていた。
軍事的な要衝に相応しくポーツマス湾口を一望できるこの城は見晴らしが良いため普段でも訪れる人が多い。しかし今日はいつにも増して人が多かった。皆が岸壁や城壁の思い思いの場所に陣取って海の方を眺めている。カメラを構えている人も多い。
彼らの視線の先にはポーツマス港を出航していく大小様々な艦艇の姿が見えた。それはこれからスピットヘッドで開催される観艦式に参加するため世界各国から集まった艨艟達であった。
1953年(昭和28年)6月、昨年崩御したジョージ六世に代わり国王に即位した女王陛下の戴冠式を記念して観艦式が開催される事となった。前回1937年のジョージ六世戴冠記念観艦式から16年ぶりの開催である。
ポーツマスを出航した艦艇達はこれから沖合のスピットヘッド泊地に向かい、そこで整列し錨を降ろす。その間を臨時王室ヨットに指定されたフリゲート「サプライズ」が航行し、座乗する新陛下の観閲を受ける段取りとなっていた。
しかし先の大戦で英国の艦隊戦力が大きく衰えたことにより、前回は140隻を超えた英国本国および英連邦諸国からの参加艦艇も今回は80隻足らずでしかない。それでも、いまだにこれ程の艦隊を用意できる国は世界中に片手で数えられる程しか無い事実を英国は誇るべきであろう。
これに招待国の艦艇が加わり総勢約100隻もの艦艇が観艦式に参加する事となる。今回招待されたのはアルゼンチン、ブルガリア、デンマーク、東ロシア帝国、エストニア、フィンランド、フランス、ドイツ、日本、満州国、ポルトガル、ルーマニア、スペイン、スウェーデン、タイ王国、トルコ、米国の17カ国である。大戦で様変わりした国際情勢を反映し、招待国の面子にも変化が見られた。
前回参加していたソ連は大戦で黒海と全ての不凍港を失い、まともな海軍と呼べるものを喪失していた。代わりに新国家として認められた東ロシア帝国や満州国が参加している。斯様に枢軸色の濃い式典であるため米国は参加を辞退するかと思われたが、意外な事に参加を表明し思いもよらぬ艦を送り込んできていた。
「相も変わらず品の無い国だな」
一人の老人が呟いた。黒のオーバーコートとボンブルグ帽を被り醒めた様子で艦列を眺める彼は、式典で浮かれる群衆の中で一人異彩を放っている。その老人は元英国首相のウィンストン・チャーチルであった。
彼は停戦交渉で特使を務めた後は公職から身を引いていた。地元のブランドンに引きこもり、最近はもっぱら自叙伝を執筆する日々を送っているという。首相退任からまだ数年しか経っていないにもかかわらず随分と老け込んではいたが、ふてぶてしさを感じさせるその目と達者な口は以前と同様らしい。
彼の視線の先には一隻の戦艦がいた。それは米国から参加した戦艦ニューヨーク、元英国戦艦のデューク・オブ・ヨーク(Duke of York)であった。
「ヨーク公改めニューヨークとはな。歴史を持たん国と言うのは誠に滑稽な事をするものだ」
ヨーク公とは単なるヨーク公爵という意味では無い。英国王室で伝統的に次男に与えられる称号である。KGV級が揃っていたからこその名前だった。それを所属が変わったからニューヨークと命名するとは歴史や伝統といったものに対して理解に欠けていると言わざるを得ない。紆余曲折の結果国王に就かれた先代ヨーク公ジョージ六世陛下がどれほど苦労なされたかも分からないのだろう。
米国には歴史も伝統も無い。フランスは昔から無礼者だ。ドイツやソ連など論外。その点、考えてみれば皇室を持つ島国である日本は英国と一番親和性があった。やはり初手から組む相手を間違えていたか……昔を思い出したチャーチルは自嘲して顔を歪めた。
「その上、相変わらず気も利かないとみえる」
現在、英国が有する大型艦は空母を除けばヴァンガード一隻のみである。女王陛下の戴冠記念と言う事もあり、参加各国もホスト国である英国に気を使いあまり大型の艦は送ってきていなかった。新造艦ではあるが巡洋艦か小型戦艦クラスに抑えられている。
日本からは重巡伊吹、フランスは重巡サン・ルイ、ドイツからは航空巡洋艦イレーネ、東ロシア帝国からはインペラートル・アレクサンドル2世(旧ソ連キーロフ級巡洋艦カリーニン)が参加している。いずれもヴァンガードよりふた回り以上小さい艦ばかりであった。
だが唯一米国のみがヴァンガードに匹敵する戦艦を送ってきていた。元KGV級であるニューヨークの大きな姿は明らかに悪目立ちしている。前回の観艦式でも先代ニューヨークを送り込んできて顰蹙を買ったにもかかわらず、米国はそこから何も学んでいない様だった。
まるで舞踏会にホストより目立つドレスでやって来た田舎娘だな。チャーチルは馬鹿にする様に鼻を鳴らした。どうせ里帰りさせてやったと恩を着せているつもなのだろうが何も分かっちゃおらん。
「しかも無粋な姿に変えおって…」
チャーチルは再び鼻を鳴らすと寒そうに身を震わせた。5月とは言え海岸の高台に建つ城壁の上は風も強く老体には堪える。彼は懐からスキットルを取り出すとスコッチウィスキーを口にして一息ついた。最近はシャンパンより酒精の強いこちらを口にする事が多い。量も増えている。家人にも心配されているが、彼は酒を減らすつもりなど更々無かった。
チャーチルはキャップ2杯のスコッチを飲むと名残り惜しそうにスキットルをコートの内ポケットに戻す。そして問題の戦艦に再び目を移した。
そのデューク・オブ・ヨークはニューヨークに名が変わっただけでなく、その姿もまた変わっていた。
4連装2基、連装1基の主砲構成は変わらないものの、砲身は英国の14インチ45口径Mark7から、退役したニューメキシコ級・テネシー級の14インチ50口径Mark4/7に換装されている。両用砲も米軍標準の5インチ砲となっている。これについては運用上必要な事だと彼にも理解はできた。
だが外見上もっとも変わったのはその艦橋であった。戦艦のデザインというものには不思議とその国の美意識が反映されるものである。東洋の城を連想させる日本、質実剛健なドイツ、流麗なイタリア、革新を目指すフランス。そして英国の戦艦はといえば古城の様な佇まいが特徴であった。だが目の前のニューヨークはそのどれとも異なっていた。
KGV級の特徴であった城壁を思わせる四角い艦橋の上にはサウスダコタ級やアイオワ級に似た塔型構造物が加えられていた。合理性が優先されたそのデザインは人によっては機能美を感じられるかもしれない。しかしKGV級の特徴であるシアの少ないクリッパー・バウとはどう見てもミスマッチであった。戦艦というものを心から愛するチャーチルは、その変わり果てたデューク・オブ・ヨークの姿に醜悪さすら感じていた。
「情報部も馬鹿な事をしたものだ。あんな代物を調べても何も出はせんだろうに……」
その戦艦ニューヨークに対して英国諜報部がフロッグマンによる潜入調査を試みたらしい。昔の伝手から聞いた話では、作戦は失敗し優秀なフロッグマンも一名失われたそうだった。米国は非公式に抗議してきたらしいが英国は当然ながら知らぬ存ぜぬを通している。長官が代変わりしてからというもの情報部の質も落ちた物だ……いや英国そのものが凋落しつつある。チャーチルは溜息をつくとまたスコッチを飲もうと懐に手を入れた。
その時、周囲の群衆から歓声があがった。皆が指さす先を見ると長大な艦列の最後を飾る大型艦が丁度ポーツマス港から出てくる所だった。
「まぁ無粋という点については我が国も人の事を笑えた義理では無いな」
チャーチルは苦笑すると、その最後に出て来た大型艦に目を移した。その艦は英国が保有する唯一の戦艦ヴァンガードであった。
それは異形の艦であった。
ヴァンガードは本来15インチ連装砲4基8門をもつ高速戦艦として完成するはずであった。グローリアス級の15インチ砲をリサイクルしたとはいえ薬室と仰角を拡大したその主砲は日米の16インチ砲に十分対抗できる性能を持つ。船体設計もライオン級の焼き直しであるがKGV級で発覚した水雷防御の弱点もある程度は是正されている。そのまま完成すれば英国戦艦の決定版となるはずの艦であった。
だが目の前の艦はその計画から大きく異なる姿でポーツマス港に浮かんでいた。
計画では4基あったはずの連装砲塔は艦前部の2基しかない。艦橋はKGV級に似た姿をしているが計画通りなのはここまでである。その後ろに有るはずの2本の煙突は一本にまとめられ、そこから後ろのほとんどの部分は大きな箱状の構造物で占められていた。そして角ばったトランサム・スタンの艦尾に鎮座する醜い大型のクレーン。
ヴァンガードは世界初(というより世界唯一)の飛行艇母艦戦艦として完成していたのである。その姿を見る度に、この戦艦に思い入れのあったチャーチルは本当に泣きたい気分になった。
戦時中、この戦艦の建造は一時中断されていた。戦況の悪化に伴いそのまま建造中止とする事も真剣に検討された程である。だが停戦で有力な戦艦をすべて米国へ引き渡してしまった事で建造再開が決定する。大型水上艦にさして価値を見出していないドイツも特に口出しはして来なかった。
このまますんなり完成すると思われたヴァンガードであったが、当時の英国では貴重な大型艦であるという事実と戦争で大きく変わった戦術が計画通り完成させる事を許さなかった。
戦時中に潜水艦の脅威にあわせて高まった飛行艇の重要性は、潜水艦への対処方法が多様化した後も減ずる事はなかった。艦隊に随伴できる大型機という存在は当時とても魅力的だったのである。
艦隊に対する脅威は潜水艦だけではない。航空機や水上艦もその対象である。当然ながらその探知はレーダーに頼る事になる。しかし当時の艦載レーダーでは水平線を超えての探知に限界があった。そこで各国は空母艦載機にレーダーを搭載する事で哨戒範囲の拡大に努めた。だが当時の単発機に搭載できるレーダーの性能は低く、また搭乗員が少ない事から情報処理能力も限られあまり有効ではなかった。
その需要に対して既に飛行艇母艦を運用していた米国は当然ながら飛行艇を活用する事を思いつく。飛行艇ならばより大型のレーダーも搭載でき、搭乗員も多いため管制や情報処理要員にも事欠かない。こうして米国の飛行艇は大型レーダーを搭載し艦隊に随伴する早期警戒機としても運用される様になった。
索敵で先に敵を見つける事は戦闘の勝敗に直結する。戦後も米国と対峙する日本海軍も遅ればせながら同様の艦艇と機体を整備しはじめた。往時より縮小したとはいえ大艦隊と呼べる戦力を保有する英国海軍もこの動きを座視する訳にはいかなかった。
だが貴重な大型艦である空母インプラカブル、インディファティガブルをこの目的に転用する事は論外である。こうして以前より戦力価値の低くなった戦艦ヴァンガードに飛行艇母艦化の白羽の矢が立ったのであった。
更にもう一つ問題があった。当時英国には艦艇に搭載できる適当な大きさの飛行艇が無かったのである。米国と袂を分かった今となってはPBYはもう使えない。サンダーランド飛行艇は優秀ではあったが、いくらヴァンガードが満載5万トンを超える大型艦とはいえ四発機を搭載するには無理がある。そこで英国は新たな艦載用の双発飛行艇を開発する事とした。
当時開発中であったシーランド飛行艇をベースに開発されたその機体は米国のPBYと同様に地上と水面の両方で運用可能であった。更に艦載を考慮してPBYより一回り小型な上に主翼も補助フロート外側から後方へ折り畳める機能も加えられた事から非常に使い勝手の良い機体となった。
英国はシーランドIIと名付けられたその機体を対潜哨戒機とした他、機体上部に回転式の大型レーダーを納めたレドームを搭載した早期警戒機も開発した。日本もこの飛行艇に興味を示し後に川西航空機がライセンス生産契約を結んでいる。
ヴァンガードはこのシーランドIIの対潜哨戒機型と早期警戒機型を合計6機搭載していた。
「色々と思い描いていた事とは随分と変わってしまったが……今が有るならば最悪の選択では無かったと言う事か。我が祖国と王室の未来に幸多からん事を」
チャーチルは小さくなっていくヴァンガードの、その戦艦にはとても見えない後ろ姿にボンブルグ帽を持ち上げて見送ると、三々五々帰りはじめた人々に交じってサウスシー城を後にした。
この後チャーチルは、昨年出版したチェンバレンへの詫びと戦争の後悔を綴った回顧録がノーベル文学賞に推挙されたがこれを固辞し、その数年後にこの世を去った。彼の遺体はその遺言に従いウェストミンスター寺院ではなく故郷ブランドンの教会に葬られた。その墓碑はチェンバレンの墓と同様に小さく質素なものであった。
――フォークランド諸島沖 英国海軍 戦艦ヴァンガード CIC
1982年(昭和57年)、数年前のクーデタでアルゼンチンを掌握した軍事政権は、国内政治の失敗による民衆の不満を外へと向けるため、長年英国と領有権を争っていたフォークランド諸島(アルゼンチン呼称:マルビナス諸島)へ侵攻した。これに対し英国は即座に機動部隊の派遣を決定。その艦隊の中に、いまだ現役を続ける戦艦ヴァンガードの姿があった。
その姿は30年前にポーツマスで行われた観艦式から大きく変わっていた。
技術の進歩により空母艦載機でも早期警戒が出来る様になり艦載飛行艇の時代は10年程で終わりを告げていた。しかしその後もヴァンガードはヘリ母艦にその役目を変えしばらく現役に留まっていた。しかし10年前にとうとう現役を退き保存艦としての余生を過ごしていた。
そのまま廃艦になるかと思われたヴァンガードであったが70年代末に保守強硬派の首相が政権についた事で運命が変わることとなる。ヴァンガードは強いイギリスの象徴として現役復帰が決定されたのだった。そして当時日独でも運用されていたハリアー戦闘機を搭載するために大規模な改装が行われる事となった。
主砲を含む艦前半部はほぼそのままであったが、かつて艦後半部を占めていた飛行艇格納庫は撤去された。そしてそこには一段式格納庫と艦尾から艦橋左舷にのびるアングルドデッキのスキージャンプ式滑走路が設置された。
ヴァンガードは艦前半が戦艦、後半が空母という航空戦艦に生まれ変わったのである。
一見大規模な改装に見えるが元々飛行艇母艦戦艦として作られていた事が功を奏し空母を新造する程の費用は掛かっていない。そして今はシーハリアー戦闘機とシーキングヘリコプターを搭載しこの紛争に参加していた。
「正気か?本当に本艦が相手をするのか?今時こんなのは潜水艦か航空機の仕事だろう?」
ヴァンガード艦長ジェレミー・ブラック大佐は命令書を読み終えると溜息をついた。
「念のため艦隊司令部へ確認を取りましたが間違いありません。ヘネラル・ベルグラノは現在も我が軍の潜水艦コンカラーが追尾していますが、その雷撃要請は本国より却下されたとの事です」
命令書の内容を艦隊司令部へ照会した副長も呆れた様子で答える。彼らもまさか80年代にもなって水上砲戦を、それも戦艦でやらかすことになるとは思ってもいなかったのだ。
ヘネラル・ベルグラノはアルゼンチン海軍の巡洋艦であり空母を除けば同国最大の水上艦でもある。衛星通信で本国より送られてきた命令書には、アルゼンチン海軍の象徴であり現在も英国艦隊へ接近しつつあるその艦を排除水域に入り次第、可能な限り砲撃でもって撃沈しろと記されていた。
「しかも出来れば主砲で仕留めろだと?」
「はい。本国は砲撃での撃沈を求めています……戦艦の主砲で派手に撃沈して見せてアルゼンチンの戦意を挫く意図が有るのでしょう」
「主砲の使用は絶対命令ではないな。出来れば砲撃戦は避けたい。さっさとエクゾセで遠くから仕留めてしまおうか」
「損害は与えられるでしょうが撃沈は難しいですね。ヘネラル・ベルグラノの前身は日本海軍のトネです。本艦同様に前大戦の遺物ですがアーマーベルトの装甲厚は6インチ以上あります。本艦に搭載しているエクゾセミサイルでは徹甲仕様でも貫通できません」
アルゼンチンは元々親枢軸国であったためヘネラル・ベルグラノをはじめ大戦後に多くの兵器を枢軸国から購入していた。ヘネラル・ベルグラノも元は日本海軍の重巡利根であった。その就役は実に40年以上前の1938年でありヴァンガード以上の老嬢である。しかし現代では珍しくなった8インチ砲8門の強武装と分厚い装甲を持つ艦が接近しているという事実は英国艦隊にとって無視できない脅威であった。
アルゼンチンは英国との領土問題を端に枢軸国と関係が徐々に悪化した。軍事政権となってからは完全に米国寄りとなっている。このため装備も米国製に置き換わりつつあった。
だが諜報によるとヘネラル・ベルグラノの電子装備は1960年代レベルであり艦載型ハープーンミサイルも未装備のはずである。普通に戦えばヴァンガードの敵ではない。
「砲撃戦となればこちらも被弾する可能性があるぞ。本艦には大尉殿もいらっしゃるのだがな」
ヴァンガードにはヘリパイロットとして、さる方の次男が乗艦していた。彼は一般の兵士と変わりない待遇で哨戒任務をこなしている。
ちなみに彼が副操縦士を務めるシーキングヘリコプターを製造するロシアシコルスキー社は戦後に米国から東ロシア帝国へ再移住したイーゴリ・シコルスキーによって興された会社である。今ではフォッケ・アハゲリス社等と並び枢軸側の主要なヘリコプターメーカーとなっている。尚、イーゴリの移住時に多くの技術者を引き抜かれた米国シコルスキー社はその後しばらくしてベル社に吸収合併され現在は存在していない。
「命令書にはメッセージも添付されておりました。気遣い無用、常通りに、との事です。王室も最前線で一緒に戦っているとアピールしたいのでしょう」
ブラック艦長は天井を仰ぎ見た。そして大きなため息をつくと副長に向き直る。
「まぁ命令とあれば仕方ない。砲撃戦が始まったら両用砲要員以外は艦内の装甲区画に引っ込めよう。そうすれば大尉殿も安全だろう……ところで主砲の方は使えるな?」
「もちろん問題なく使用可能です。しかし命中するかというと話は別ですね」
「確かにな。本国の連中は楽な仕事だと思っているだろうが……」
「艦隊司令部も懸念は伝えたそうですが命令は変わりませんでした。政府は派手な勝利を望んでいます」
「まったく……たった4門の主砲でどうしろと言うんだか。素人共はこれだから困る」
「正直、遠距離での命中はほとんど期待できません。せいぜい脅して撃退するのが関の山でしょうね」
戦艦の主砲を命中させるのは簡単な事ではない。遠距離射撃では発射から着弾まで数十秒から1分以上を要する。このため彼我の運動・風・温度・湿度・コリオリ力まで考慮して照準を行うが、それでも一発で狙った所に弾着する事は稀である。さらに様々な要因で弾道にぶれが生じるため主砲弾は散布界と呼ばれる範囲に散らばって弾着する。
この散布界で敵艦を包む様に射撃毎に徐々に照準を修正すれば、いつかは命中弾が出るだろうというのが遠距離砲戦で用いられる公算射撃の考え方である。有効な公算射撃を行うには最低6門、理想的には10門の砲が必要との研究結果もある。つまりヴァンガードのたった4門の主砲では公算射撃で命中弾を期待するのは非常に厳しいのである。
「ヤマトクラスなら主砲塔2基でも6門使えるんだがな。羨ましい限りだ。どうして我が国も3連装にしなかったんだか……」
「元が第一次大戦の頃のリサイクル品ですからね……無いものねだりしても仕方ありません。まぁ政府には敵が尻尾を巻いて逃げ帰ったという事で満足してもらいましょう」
彼らはヴァンガードが姿を見せて主砲を撃ち込めば、ヘネラル・ベルグラノはすぐに逃走するだろうと考えていた。
だが彼らは勇気と名誉を非常に重んじるというアルゼンチン男の気質を全く知らなかった。
――マルビナス諸島南方 アルゼンチン海軍 重巡ヘネラル・ベルグラノ 昼戦艦橋
「確かにヴァンガードだな。出て来るかどうかは半々だったが最初の賭けには勝った様だ」
双眼鏡を降ろした艦長のヘクター・ボンゾ大佐が頷く。水平線上には大型艦の物とおぼしき艦橋とマストが覗いていた。地球は丸いためまだ艦橋上部しか見えていない。
アルゼンチン軍は政治的効果の大きい戦艦ヴァンガードを第一優先目標と考えていた。しかし艦隊の奥深くにいるヴァンガードに対しての航空攻撃はこれまで全て失敗している。
そこで英国が重要視しているであろうヘネラル・ベルグラノを動かしヴァンガードを釣り出す作戦を考えた。自分達と同様に英国も政治的効果を狙うのであれば引っかかる可能性があると期待したのだ。そしてその作戦は見事に的中していた。
「距離は25,000m。向こうも既に本艦を目視とレーダーで確認しているはずです」
「既に射程内のはずだが撃ってくる様子は無いな」
ヴァンガードの15インチ砲の射程は33,000m、ヘネラル・ベルグラドの8インチ砲でも29,000mである。既に互いの射程内に踏み込んでいる状態であった。
「間もなく敵が一方的に主張している排除水域に入ります。おそらく侵入と同時に攻撃してくると思われます。退避しますか?」
副長が面白そうな表情で尋ねる。
「冗談は止してくれ。ここで逃げ帰ればアルゼンチン男の名が廃るぞ」
「私も臆病者と指をさされて一生笑いものになるのは御免被りますね」
「なんだ気が合うじゃないか。せっかく相手がパーティに来てくれたんだ。ならば丁重にお相手するのが礼儀というものだろう」
ボンゾ艦長は楽しそうに嗤う。
「問題は敵の主砲と装甲です。本艦の8インチ砲弾では命中しても相手の装甲を抜けません。逆にこちらは敵の弾が一発でも当たれば殺られる可能性があります。なにしろ相手は戦艦ですからね」
まったく歯が立たないと言いつつ副長も楽しげである。
「その通りだ。だが遠距離砲撃なぞ滅多な事では当たらん。策も用意した。あと必要なのは我々の勇気だけだ。さて、お相手はちょっと薹が立ったレディだが、まずは踊りにお誘いしようか」
そして、ヘネラル・ベルグラノは2隻の駆逐艦イーポリート・ブーチャード(元ドイツ海軍1936B型駆逐艦Z35)、ピエドラ・ブエナ(同Z36)を伴いヴァンガードに向けて突撃を開始した。
――戦艦ヴァンガード 航海艦橋
「おいおい、連中突っ込んで来やがったぞ」
CICから航海艦橋に移動して敵艦隊を観察していたブラック艦長が驚きを口にした。
「彼らにも面子があるのでしょう。何もせずに撤退すれば格好がつかないですからね」
同じく航海艦橋に来ていた副長も呆れ顔である。
「仕方ない。CICに降りるぞ。どうせすぐに逃げるだろうが、しばらく遊びに付き合ってやるか。運が良ければ政府が望む様に撃沈できる可能性もある。排除水域への侵入を確認したら攻撃開始しろ。警告は不要だ」
こうして、およそ40年ぶりとなる大型水上艦同士の砲撃戦が始まる事となった。
――重巡ヘネラル・ベルグラノ 昼戦艦橋
「ははっ!まったく当たる気がせんな」
遥か遠くに立つ敵主砲弾の水柱を見ながらボンゾ艦長が楽しげに笑った。彼は戦闘が始まっても昼戦艦橋に留まったままである。日本海軍の頃も利根型は非常に操艦性が良いと言われていた。その前評判通りヘネラル・ベルグラノは艦長の意のままに右に左に不規則な変針を繰り返しつつ接近を続けていた。
「こちらの弾も当たる気配が無いですがね」
ヘネラル・ベルグラノにも改装に伴いCICが設置されていたが、副長も艦長に付き合ってCICに降りようとしない。今の様な古臭い戦闘ではむしろ目視できる方が都合が良かった……というのは建前で、こんな面白い事を特等席から見れるチャンスを逃すなんてとんでもない言うのが彼らの本音であった。
ヘネラル・ベルグラノが突撃を開始して5分が経過している。その間にヴァンガードは主砲を3斉射放っているがヘネラル・ベルグラノは一発も被弾していない。まだ観測射撃であるだろうが2本の水柱は遥かに離れた所に立つばかりである。ボンゾ艦長の巧みな操艦でヴァンガードは照準をを定める事ができなかった。もっともそれはヘネラル・ベルグラノの方も同様であったが。
「艦長、そろそろD線に到達します」
CICにヴァンガードとの距離を確認した副長が艦長に伝える。それを聞いたボンゾ艦長は笑みを強くした。
「なんとか無事にここまで来たな。さていよいよタンゴの始まりだ。これからイギリスの田舎女に本場のアルゼンチンタンゴというものを教えてやろう。ちゃんとステップについてきてくれよ」
――戦艦ヴァンガード CIC
「第21斉射、スムーズに発射しました」
CICに主砲発砲の音と振動が届く。最初の頃はブラック艦長の心を躍らせたそれも、今では彼の苛つきを増すばかりである。
「奴らは一体何がしたいんだ?」
ADAWs(Action Data Automation Weapon system:戦術情報処理システム)のディスプレイを見ながらブラック艦長が苛つきを声に出した。
ヴァンガードに向かって突撃してきたヘネラル・ベルグラノはある程度まで近づくとそれ以上の接近を止め、その距離を維持する動きを始めたのである。ヴァンガードが近づけは逃げ、引くと再び近づく。戦術ディスプレイに表示される捜索レーダー情報に基づいたヘネラル・ベルグラノの航跡はヴァンガードを中心とした半径22,000mの円弧を描いていた。
敵の不規則な動きは変わらないため相変わらずヴァンガードは命中弾を得ていない。逆にヴァンガードはまぐれ弾ながら2発の8インチ砲弾を被弾していた。互いに移動しながらの撃ちあいであれば手数の多いヘネラル・ベルグラノの方に利がある。命中箇所が舷側であったため被害はほとんど無いとはいえ一方的に被弾している事実もブラック艦長の苛立ちを助長していた。
「直接の狙いは明白です。本艦の両用砲の射程外に留まるつもりでしょう」
ヴァンガードの両用砲であるQF 5.25インチ砲の有効射程は21,400mである。つまり現在の距離が保たれる限りヴァンガードには主砲4門以外の攻撃手段が無い事を意味する。既にこの膠着状態になってから30分以上が経過していた。ブラック艦長が苛立つのも当然と言えた。
「ふん、掠り傷を負うのも怖がる臆病共という事か。逃げ出さないのは本艦の弾切れを狙っているのか?それとも増援でも待っているのか?」
「交互射撃ですから今のペースならまだ1時間でも砲撃を継続できます。近在に増援可能な敵勢力もいません。仮にもっと接近されても向こうの8インチ砲ではこちらの装甲を貫通できません……単に戦艦と引かずに戦って多少なりとも手傷を負わせたという名目が欲しいだけではないでしょうか?」
「ならば命中弾を得た時点で引いても良さそうなもんだが……駆逐艦の方もどうやらやる気が無さそうだな」
艦長が見やった戦術ディスプレイにはアルゼンチン軍の2隻の駆逐艦の様子も表示されていた。自軍の駆逐艦2隻と戦闘を行ってるが、ヘネラル・ベルグラノ同様にヴァンガードとの距離を一定に保ち、やる気が無い戦闘をだらだらと続けている。お蔭で双方ともに目立った損傷は無かった。
彼らはアルゼンチン側の意図が分からず首を傾げた。その答えは数分後に明かされる事になる。
――重巡ヘネラル・ベルグラノ 昼戦艦橋
『D線上のタンゴ』
それが戦艦ヴァンガードを攻略する上でアルゼンチン軍が考えた作戦であった。D線(Danger Line)と名付けたヴァンガードの両用砲の射程外ギリギリに留まり続け、不規則な動きで敵主砲の照準を合わさせない作戦である。非常に神経を使う戦術ではあるが、これまでの所アルゼンチン艦隊はこれを完璧にこなしていた。
しかし現状のままでは被害を避けられるだけである。ヴァンガード攻略には繋がらない。当然アルゼンチン側にはこれに続く策があった。
「いい加減、踊り疲れた頃合いだろう。そろそろ休憩曲の時間かな」
ボンゾ艦長が副長に確認する。神経を使う戦いを続けてきたにもかかわらず彼に疲れた様子はない。
「隠密発射から40分が経過しました。正常に作動していれば、そろそろ到達してもおかしくありません」
副長がストップウォッチで時間を確認する。ヘネラル・ベルグラノ は無為にヴァンガードと戯れていた訳ではなかった。彼らは40分前に放った兵器の命中を待っていたのである。
その兵器とは日本海軍の七式酸素魚雷であった。大戦後に九三式酸素魚雷三型をベースに開発された音響追尾式の魚雷である。当時の英独からの技術導入によりセンサと音響処理技術が向上した事から26ノットで目標を追尾可能であった。酸素魚雷であるため、この雷速でも43,000mの射程を誇る。
もちろん1982年の今となっては35年も前の骨董品である。だがアルゼンチン軍は日本から重巡利根を購入した時に付属していたこの魚雷を再整備し、なんとか使えそうと判断された3本をこの戦いに持ち込んでいた。
利根型重巡は優秀な航空巡洋艦であったが3連装魚雷発射管4基12門と強力な雷装も持っている。ヘネラル・ベルグラノはこれまで幾度かの改装を受けてきたが、この発射管のうち2基6門は撤去されず残されていた。そして「D線上のタンゴ」開始直後に左舷発射管に装填されていた3本の七式酸素魚雷を放っていたのである。
「あと5分待っても命中が無ければ次の段階へ移ろう」
彼我の距離は22,000mであるが初期のウェーキトレース方式で追尾を行う七式魚雷は命中までずっと長い距離を航走する。七式魚雷の射程は長大であるが追尾時間は50分程が限界のはずだった。やはり駄目だったかとボンゾ艦長が諦めかけたその時、副長が喜びの声をあげた。
「敵艦の艦尾に水柱!命中しました!やりました!」
再整備したとはいえ七式酸素魚雷は骨董品である。3本の魚雷のうち最後まで正常に機能したのはわずか一本だけだった。しかし彼らにとってはそれで十分だった。
「さぁ、お疲れの所悪いが二曲目に付き合ってもらおうか。今度の抱擁は刺激的だぜ」
――戦艦ヴァンガード CIC
突然、主砲の発射とは異なる爆発音がCICに響いた。同時に速度がみるみる低下し艦が勝手に左へ旋回しはじめた。
「何事だ!損害を報告しろ!」
ブラック艦長が叫ぶ。すぐに報告は上がってきた。
「艦尾に被雷した模様!」
「左舷2軸の推進力がロストしました。舵機も反応ありません。針路を維持できません!」
「くそっ、潜水艦を潜ませていたか!?」
ブラック艦長は艦長席のひじ掛けを殴りつけた。戦闘が始まってからは高速で機動を続けており駆逐艦とも分離していたため潜水艦の探知など行える状況ではなかった。敵が意図不明な戦闘の引き延ばしをしていたのも潜水艦の潜む海域へ誘導していたのかもしれない。
彼らはまさかアルゼンチン軍が30年以上も前の兵器を持ち出してきたとは思ってもいなかった。また砲撃戦のため見張も最低限を残して艦内へ戻していたため魚雷が追尾していた事にも気づくことが出来なかった。
ヴァンガードはプリンス・オブ・ウェールズの様に一本の魚雷で大被害を受けてしまうKGV級の反省から艦尾の水雷防御構造を大幅に見直していた。その甲斐もあり今回の被雷でも大浸水は発生していない。しかし左舷2軸のスクリューと主舵を完全に吹き飛ばされていた。このためヴァンガードは左にくるくると回ることしか出来なくなっていた。
「敵艦隊針路変更、本艦に向かってきます!」
レーダーの報告が入る。艦長が戦術ディスプレイに振り返ると、これまで決して両用砲の射程内に入らなかったアルゼンチン艦隊が再びヴァンガードへの接近を開始した事が表示されていた。
「艦長!このままでは主砲も両用砲も使用できません!」
だが現状ではヴァンガードに攻撃手段は無かった。主砲や両用砲の遠距離射撃では少なくとも自艦は一定速で直進している必要がある。今の様に艦が旋回を続けていては照準は不可能であった。
「両舷停止!足を止めての殴り合いならこちらに負ける要素はない!潜水艦はヘリを出して追い払え!」
ブラック艦長は洋上で停止して反撃する事を決断した。被弾の確率も上がるがこちらの命中率も向上する。それにこちらは戦艦である。8インチ砲をいくら食らっても主要部は耐えられる。逆にこちらは一発でも主砲弾を命中させれば勝ちだ。パーフェクトゲームとはいかなかったが負ける要素はない。そのはずだった。しかし次の報告が艦長のその目論見を裏切る事となる。
「敵艦近傍、射線上にエクゼター、カーディフがいます!誤射の危険があります!」
先程まで離れたところで友軍駆逐艦と戦闘していた敵駆逐艦がいつの間にかヘネラル・ベルグラノの近くにいた。いや逆にヘネラル・ベルグラノが駆逐艦の戦闘域に近寄ったと言った方が正しい。そして今は敵味方が入り乱れた状態でヴァンガードに接近してきている。このため2隻の英軍駆逐艦がヘネラル・ベルグラノとヴァンガードの間に入る位置関係になっていた。
「味方を盾にするつもりか!エクゾセでいけるか?」
「無理です。それも目標誤認の恐れが多分にあります」
「エクゼターとカーディフに退避するよう伝えろ!攻撃の邪魔だ!」
ブラック艦長は怒鳴るように指示をだす。しかしアルゼンチン艦隊がそれを許さなかった。
「エクゼターより返答。敵の妨害により離脱は困難、構わず撃てとの事です!」
「くそっ!」
ブラック艦長は再び肘掛を殴りつけた。
――重巡ヘネラル・ベルグラノ 昼戦艦橋
「足を止めて撃ちあうのはいい判断だ。だが味方を撃てるかな?」
ヘネラル・ベルグラノは主砲で敵駆逐艦を追い立てながらヴァンガードへの接近を継続していた。ボンゾ艦長は巧みに敵駆逐艦を間に挟む位置取りを続ける事で、いまだに停船したヴァンガードからの反撃を防いでいる。
「敵艦、ヘリを発艦させました」
「なんのつもりだ?あぁそうか潜水艦の魚雷だと誤認したのか。下手に弾着観測でもされると面倒だ。SAMで撃ち落とせ」
煩わしげにボンゾ艦長が命ずる。すぐにヘネラル・ベルグラノの煙突後方に装備されたテリア艦対空ミサイルが発射された。
――戦艦ヴァンガード CIC
「敵艦より誘導ビーム照射を検知!」
「敵艦、ミサイル発射!」
「敵ミサイルはテリアSAM、タイプRIM-2Bと同定。目標はシーキング!」
俄かにCICは騒がしくなった。
「ECM作動!ヘリがいる。CIWSは待機モードを維持しろ!」
ヘリの邪魔をしてきたと言う事はやはり潜水艦が潜んでいるという事か。ならばなぜ追撃してこない?こちらは足も止まって良い的のはずだが……対応指示を出しつつブラック艦長は考える。その時、なにか言いたそうこちらを見ている水兵と目があった。
「どうした?何か緊急の報告か?」
「はい、その……フライトデッキからの報告です。先ほど出たシーキングには例の大尉殿が搭乗されているとの事です」
「なっ……」
ブラック艦長は絶句した。いくら気遣い無用とは言われていてもこれは不味い。しかしヘリを収容しようか彼が逡巡する間にも事態は急変していく。
「シーキング、ディップソナー投棄、チャフ展開!回避行動に移ります」
「シーキングには低空で右舷へ回るように伝えろ!安全圏に入り次第、左舷CIWSアクティブ!本艦が盾になってでも絶対にシーキングを落とさせるな!」
ブラック艦長は祈るような気持ちで戦術ディスプレイを凝視する。艦長の祈りが通じたのかECMが効果を発揮しテリアミサイルは明後日の方向へ飛んで行った。ミサイルが初期型であった事が幸いした。さすがに20年以上前のシステムでは最新のECMに抗えない。
「敵ミサイルの自爆を確認」
「シーキング収容完了しました」
ヘリの無事を確認してブラック艦長は一息ついた。CIC内は空調が効いているにもかかわらず、どっと出た額の汗をぬぐう。大尉殿の勇敢さには敬服するが飛行隊長とは後で一度話す必要があるな。彼はそう心にメモすると状況の再確認を行う。
「ソナー、潜水艦の検知は無いか?」
「ネガティブです。本艦は停船していますので音波状況は良好のはずですが何も聞こえません」
魚雷の追撃も無いという事はやはり潜水艦はいない?ヘリを追い払ったのはブラフか?ブラック艦長は首をひねると潜水艦の脅威は一先ず置いて目の前の戦闘に集中する事にした。
「わかった。ヘリの再出撃はしばらく無しでよい。ヘネラル・ベルグラノの方はどうだ?」
「相変わらず味方の駆逐艦を盾にしながら接近を続けています。まもなく距離は5000mとなります」
「ゼロ距離でも連中の主砲では本艦の装甲は抜けないはずだが……体当たりでも考えているのか?」
――重巡ヘネラル・ベルグラノ 昼戦艦橋
「踊りの途中でステップを止めるは余計な邪魔は入れるは全く失礼な奴だな。キツい教育が必要だ。副長、次は右舷だったか?」
言葉とは裏腹に心底楽しげな様子のボンゾ艦長が副長に尋ねた。
「はい。右舷発射管です。しかし今度も3本しか有りません。もう少し用意できれば……本艦は再装填もできるのですがね」
副長が少し残念そうに答える。
「まともに動くかどうかも分からん骨董品だ。贅沢は言えんよ」
ヘネラル・ベルグラノは右舷発射管に先程放ったものとは別の魚雷を装填していた。それは七式より更に古い三式魚雷であった。
三式魚雷とは潜水艦用の九九式魚雷と同じロケット式魚雷である。弾体が大きいためスーパーキャビテーション効果は生かせなかったが雷速120ノットで射程5000mの性能を誇る。無誘導魚雷としては極めて強力な魚雷であった。
日本海軍の水雷戦隊は遠距離からの隠密雷撃後、接近して再度雷撃する戦術を基本としていた。射程の短いロケット魚雷はこの戦術に合致しないため開発は後回しにされていたが、二撃目用や乱戦時には有効だと言う事で後から開発されていた。
ロケット魚雷の構造は簡単であるが、化学反応に頼るその推進装置は30年以上の月日で酷く劣化していた。日本の協力が得られれば全ての魚雷を完璧に整備できたであろうが今の政治情勢では望むべくもない。このためアルゼンチン軍は程度が良いと思われる推進装置を選定し、なんとか3本だけ三式魚雷を再生していた。
「もし駄目なら最後はこの艦をぶつけるしかないな。流石にこの距離まで踏み込んだら敵の主砲から逃れられん」
「ここまで来たら私も乗員も覚悟は出来てますよ。間もなく敵艦との距離が5000mとなります」
「取舵、針路300。右舷雷戦用意!さぁ最後の曲に付き合ってもらおう!」
――戦艦ヴァンガード CIC
「敵巡洋艦、集団から離れました!チャンスです!」
戦術ディスプレイを睨んでいた副長が振り返る。そこには敵味方団子状態だった集団からヘネラル・ベルグラノが抜け出した様子が表示されていた。
「ここにきて怖気づいたか。さんざん梃子摺らせてくれたが最後は締まらんな。目標敵巡洋艦!主砲、両用砲、撃……」
ヘネラル・ベルグラノは大きく転舵し右舷をヴァンガードに晒している。その動きは反転して戦場から離脱しようとしている風に見えなくも無い。彼我の距離は5000m程である。主砲も両用砲も外す距離では無かった。
もしここに40年前の日米海軍の人間がいたならばその動きを雷撃運動だと一目で見抜いたことだろう。しかしブラック艦長をはじめ、この場にはそのような古色蒼然たる戦術運動を知る人間など一人もいなかった。
「魚雷接近!雷数3!敵艦より魚雷が高速で本艦に向かってきます!」
ブラック艦長が攻撃を命じようとした瞬間、ソナー員が叫んだ。
「雷撃だと……!?奴らは今がいつの時代だと思ってるんだ?」
ブラック艦長は予想外の報告に驚く。見張も敵艦が魚雷を発射した事に全く気付いていなかった。水上艦艇が対艦魚雷を発射するなど数十年前の話である。あまりの馬鹿馬鹿しさに戦闘を忘れて唖然とする。
「艦長!本艦は停船しています。このままでは魚雷が命中します!」
「デコイ発射!右舷前進全速!艦首を敵に向けて被雷面積を少しでも小さくしろ!全隔壁扉閉鎖!」
副長の言葉で我に返ったブラック艦長がすぐに指示を出す。しかし洋上で完全に止まっていたヴァンガードの5万tを超える巨体はなかなか動き出さない。雷速120ノットの三式魚雷は5000mを約80秒で駛走できる。彼らに残された時間は少なかった。
「二本は作動停止した模様。一本は依然として接近中。デコイに反応しません」
戦術ディスプレイ上を動いていた3個のマーカーのうち2個は停止しLOSTの表示がついていた。しかし残り一つは依然として真っ直ぐヴァンガードに向かってきている。
「回避間に合いません!命中します!」
「総員、被雷に備えよ!」
ヘネラル・ベルグラノから発射された3本の三式魚雷の内、最後まで正常に作動したのは今度も1本だけだった。戦術ディスプレイの中心に向けて迫る光点を睨みながらブラック艦長は椅子の手すりを握りしめた。
魚雷はようやくゆっくりと向きを変え始めたヴァンガードの艦首左舷に命中した。
A砲塔前方の非装甲区画に命中した三式魚雷は艦首部の奥深く入り込み1tの三式爆薬、TNT換算で1.6tにも及ぶ力を解き放った。炸薬も経年劣化で若干性能が落ちてはいたが、それでも三式魚雷の弾頭部はアルゼンチン側が期待した以上の力を発揮した。
命中箇所には直径15mもの穴が開いた。一気に大量の水が流入する。強化された艦尾部と異なり船首部はKGV級とさして変わりない水雷防御構造しか持たなかった事も更に被害を大きくしていた。爆圧を受け止める事を期待された隔壁構造は設計強度の不足から全く用を成さず周囲3ブロックにも渡って吹き飛ばされた。二重艦底にも穴が空く。
前甲板は内部からの爆圧で盛り上がり主錨ウィンドラスが破壊された。軛から解放された左右3本の錨鎖が生き物の様に宙を踊る。前部弾薬庫の強靭な装甲隔壁すら歪み弾薬庫内へも浸水がはじまった。
そして構造強度を失った艦首部は左舷に向けようやく向きを変え始めたヴァンガードの巨大な質量の応力と流入する水圧に耐えきれず激しい金属音と共に艦の右側に捻じれはじめた。結果的に艦首部はくの字に折れ曲がった状態となり、その歪みは後ろの船体にも及び水密を弛ませ更なる大量の浸水を引き起こした。
ヴァンガードは前へつんのめる様に急速に傾斜を強めていった。
――重巡ヘネラル・ベルグラノ 昼戦艦橋
艦首部が大きく捻じ曲がり大傾斜を起こしたヴァンガードの姿に艦橋内は沸き立った。
「さて、名残惜しいがパーティはここまでだ。本艦の武装ではこれ以上の事はできん。反撃されん内にさっさと帰投するぞ」
「魚雷があと一本でもあれば確実に撃沈できたのですが……」
「骨董品が1本でも動いてくれただけで御の字だ。Hecho en Japón(メイドインジャパン)に感謝だよ。古い巡洋艦一隻で戦艦をここまで追い詰めたんだ。俺たちは胸を張って帰れるぞ」
ボンゾ艦長は悔しげに零す副長の肩を叩くと、混乱する英国艦隊を尻目にアルゼンチン本土へ向けて艦隊の針路を変更した。
――戦艦ヴァンガード CIC
「敵艦隊、全艦反転しました。撤退する模様です」
「生き恥を晒せと言うのか!このまま勝ち逃げするつもりか!ふざけるなっ!何でもいいから攻撃しろ!あいつを生きて帰すな!」
大きく傾いたCICでアルゼンチン艦隊がいる方向を睨みつけながらブラック艦長が叫ぶ。大傾斜をおこしたヴァンガードはこれ以上の浸水拡大を防ぐため再び洋上に停止していた。
「A砲塔は弾薬庫への浸水のため使用不能です。B砲塔は無事ですが傾斜のため発砲できません。仮に傾斜が回復しても撃てば応急作業に支障が出ます」
攻撃所では無いという顔で副長が答える。彼はこれ以上の浸水を食い止めようと応急指示に悩殺されていた。
「両用砲とエクゾセが有るだろう!」
「そちらも主砲と同様に傾斜の回復が必要です。それにエクゾセがヘネラル・ベルグラノに通用しないのは先に説明した通りです」
「シーハリアーは出せるか?」
「この傾斜ではハンガー内での機体移動が出来ません。出せたとしても対艦装備がありません。対地爆弾では効果はほとんど期待できないでしょう。それにヘリの様に攻撃される恐れが多分にあります。残念ですが……」
副長の声と表情には悔しさが滲んでいた。応急の忙しさで誤魔化してはいたが彼も悔しい事に変わりなかったのである。
ヴァンガードは遠ざかるアルゼンチン艦隊を指をくわえて見送るしかなかった。
「くそっ!」
ブラック艦長は椅子を再度殴りつけた。
ヴァンガードを大破させた事はアルゼンチンの期待する政治的効果を半分だけ叶える事になった。自軍の士気は上がったものの英国の戦意もまた期待とは逆に大きく上昇させてしまったのである。
作戦の失敗と戦艦ヴァンガードの大破を知った英国艦隊司令部は即座に潜水艦コンカラーに対してヘネラル・ベルグラノの撃沈を指示した。
しかしコンカラーは砲撃戦を避けて一時海域から退避していた事に加え、衛星通信が4時間に渡って不調であった事から攻撃命令を受け取る事ができなかった。このため英軍はヘネラル・ベルグラノの排除水域脱出とアルゼンチン本土への帰投を許してしまう。
怒りの収まらない英国政府は排除水域外だったにもかかわらず潜水艦に空母ベインティシンコ・デ・マヨ(元イタリア空母アクィラ)の撃沈を命じた。命令は実行され空母の撃沈には成功したが、この英国の行動は日独伊仏米等の列強各国に問題視され後に大きな国際問題となる。
英国の卑怯な攻撃に復讐を誓ったアルゼンチン軍は、大破漂流中のヴァンガードに止めを刺すべくF-4ファントムII戦闘機に偶然アルゼンチンに居たマクドネル・ダグラス社の社員の協力を得てハープーン対艦ミサイルを搭載し出撃させた。
すでにヴァンガードは英艦隊の輪形陣に取り込まれ守られていたため、2機のF-4は英軍のレーダー探知を避け海面すれすれを飛行し英艦隊へ接近した。E-1トレーサー早期警戒機の誘導を受け自機のレーダーは作動させないという念の入れ様である。
1機は一瞬上昇して捜索レーダーを作動させた際にピケット駆逐艦に探知されてしまったため予定より遠くからハープーンを発射する事を余儀なくされた。放たれたハープーンはヴァンガードを逸れ、付近にいた輸送船アトランティック・コンベアーに命中した。上陸機材を満載していた本船の喪失は後に英軍の上陸作戦に大きな影響を及ぼす事になる。
もう1機は巧みな操縦で艦隊へ接近し見事ヴァンガードにハープーン2発を命中させる事に成功する。しかし残念ながら分厚い舷側装甲に阻まれて損害を与える事は出来なかった。
作戦目的は達せられなかったものの、アルゼンチンは2機の搭乗員の勇敢な行動を称え英雄に祭り上げ戦意高揚を図った。
この後、空母ベインティシンコ・デ・マヨの喪失で対潜能力の欠如を痛感したアルゼンチン軍は艦艇を港に引きこもらせる様になり自ら制海権を失う事となる。
英軍は上陸作戦の中核を担うはずだったヴァンガードの脱落とアトランティック・コンベアーの物資を失った事で上陸後に苦戦する事になるが、6月半ばには島都ポート・スタンレーの解放に成功する。こうしておよそ2ヵ月半に及んだ局地戦争はアルゼンチンの敗北という形で幕を閉じた。
敗戦の中で殊勲を立てた重巡ヘネラル・ベルグラノと2機のF-4戦闘機は、今でも当時の姿のままでアルゼンチンの基地に保存展示されている。
――英国 ポーツマス サウスシー城
2002年6月、女王陛下の在位50周年を祝う観艦式の参加艦艇を見ようと、サウスシー城には多くの人が集まっていた。100隻以上の艦がポーツマス港を出航していく様は昔と変わらず壮観である。英国の地位低下を反映し英本国艦隊の艦が実はその半分にも満たないという事実を知っても、有名な艦が姿を現すたびにあちこちで歓声が聞こえた。
そして一際大きな艦が姿を現し歓声も更に大きくなる。港から出て来たのは戦艦ヴァンガードであった。フォークランド紛争で負った艦首の傷も癒え、前部2基の主砲塔と艦尾から左舷にのびるアングルドデッキの滑走路も健在である。両用砲や電測兵装が時代に応じたものに変わってはいるが、見た目の印象は20年前の紛争時とあまり変わっていない。
しかし当時と大きく異なる点があった。その艦尾にはためく旗である。見慣れたユニオンジャックでは無い。三色旗の中央に円形のチャクラが描かれたその旗は、ヴァンガードの所属が英国海軍ではなくインド海軍である事を示していた。
フォークランド紛争で戦艦の強靭さと同時に戦力価値の低さも露呈したヴァンガードは、大改装したばかりであるにもかかわらず、修理もされずにそのまま退役しスクラップにされる事が一時真剣に検討された。しかしインドや東ロシア帝国等が購入に動いたため延命する事になる。
英国本土まで曳航され艦首と艦尾の復元工事を受けたヴァンガードは最終的にインドへ売却された。ヴィラート(巨人)と名を変えたヴァンガードはインド海軍の象徴として旗艦の任に就いた。
そしてインド海軍の空母更新計画の遅れによりヴィラートがいまだ現役に留まる一方、列強各国があれ程有していた戦艦達はいつの間にか全て退役するか保管艦となっていた。ヴィラート(ヴァンガード)は史上最も長く現役任務を続ける超弩級戦艦としてギネスブックにも登録され、今もその奇妙な姿を海上に留めている。
在位50周年記念観艦式は史実では財政難により執り行われていません。お題の観艦式よりフォークランドで某宇宙要塞を攻略するみたいなお話がメインとなってしまいました。突っ込み所満載だと思いますがネタ話として流してもらえると助かります。
航空戦艦ヴァンガードのデザインについては、最初はニチモ30cmシリーズで模型化もされたアイオワ級のFaces II案を考えたのですが、あの両サイドのスキージャンプ滑走路は格好が悪いし両用砲の邪魔になるのでボツにしました。飛行艇母艦として最初から集合煙突化と艦後部の更地化がされているためGene Anderson氏の航空戦艦案を採用しています。
さらっと流したF-4による二次攻撃のエピソードも色々考えていたのですが長くなるので割愛しました。内容は機体イラストと搭乗員名で察してください。
次話はやっとミッドウェー攻略戦となります。




